STAFF : Uncategorized

飼育されないように

明治時代に大きく日本は死んだ

富国強兵と欧米列強の獅子の分け前にあづかること

人々を従順に育て、管理コントーロルし
国家の意思を貫徹させる為
徴兵制と教育、財源の裏付けに国民から租税をとりたてる
ことが必要だった

日清戦争の前後の境
明治20年に日本民俗学では
あきらかな変質がおこったといわれている

さらに漁師や農夫の楽しみ、濁酒(どぶろく)の自家製造を禁止したのは
酒税をとり、軍艦や鉄道を敷くためであり
GHQにより大麻が禁止されたのも、アルコールや油など、アメリカ製のアルコールや利権を売る為の
障害になる為であっただろうが
神社のしめ縄も、衣装も表向きは代替え品となるが
お札はいまだ(おおぬさ、大麻と書いてあるのは名残である)

どぶろく禁止は共同体のつながりを破壊し
年間国賓6億円の1億円を担保させるものであった
(フィジーではいまだカバという(胡椒科のかるくハイになる木の根を絞り夜な夜な飲んでいて
村人の大切な時間である)

税務署、警察はようしゃなくどぶろく製造の違反者を牢獄へぶちこんだらしい

大正の初め東北地方の牢獄を視察してまわった司法省の役人は
投獄されたのは大半が50過ぎの老婆で、製造にかかわりつつも、一家の男子をかばい
すすんで罪をかぶり服役する理由であった と

市町村合併や戸籍をつくり「水槽の中に押し込め魚の数を知る為」
国家の政治支配
国家神道の系列化とし17万6千余の神社を
一村一社として神様を都合良く
ぐちゃまぜに寄せ集め10万社までへらした

それに反対した博物学社、南方熊楠が投獄されたのは有名なはなしであり

部落自治機能をうばわれ、産土”うぶすな”信仰とかたくむすびついた神社をうばわれたのである
これは悲しいことであったろう

昨今の都会のマンションが乱立し
誰が住んでいるのかわからない
希釈された人間関係

オートロックを理由に神社の寄付も無視され
土地に愛もない為に自然発生する世相
集積所のゴミ置き場もルール無し

村社、郷社、府県社はある日を境に国家神道の系列化の中に編入されていった
だから道祖神やお寺僧様など古来よその土地土地に崇め
護られてきた石仏や、ひいては石や瀧など、そもそもどこにも、系統にも人間界に属さない
それは置き去りにされ、古来から呼応しあった自然信仰は失われていった

日本人の生活の共同体の象徴であった社稷(しゃしょく 社は土地の神,稷は穀物の神)から切り離された
それは当然土地と人間の充足した紐帯関係を喪失させ
日本の庶民の暮らしに虚無の感情を喚起させることになる

部落共有の山の入山の規制、部落とは歴史的にゆかりのない村社で
祭りを執り行なわなければならなかった

その上に親方子分の様な人間関係が庶民の日常をがんじがらめにした
長男に家族相続を権利を与えることなど
今では普通に思われるルールもこの時代に作られたのである

庶民が代々守りついできた部落の内法とは倒立する
国の法律にいやがおうまでもなく、従わなくてはすまなくなった

これは伊賀忍者、地侍にたいしておこなった
東大寺の荘園、年貢制度と同じである
だから彼らは数千年にわたり、そうした代々受け継がれてきた大切な時間、日本の自然感
を傲慢に奪い、矯正しようとした力に、日本で唯一最後迄志にしたがい戦って来た誉れである
が、アメリカで忍者を暗殺者と広告したショー小杉や国内の劇作家は残念である。

信長が2度負け
伊賀を日本から無かった事にするために
行った無差別殺戮が天正9年1581年の伊賀の乱である(映画はフェイクです)

話はそれましたが

いずれにしろ事実はこうであり
国や一部の利権や金のおこぼれを狙い
国を国家神道の頂点である伊勢神宮や、将軍から天皇への威厳をつよめ
民衆を、コントロール管理しやくする政治工作の傑作が明治である

修験道禁止、廃仏毀釈、神仏分離、ほねつぎ、呪術、陰陽道類の禁止など
日本人が諸外国には無い、独自の個々の持つ本来の力を封じ込めたかったわけだ
が同時にアニミズム的な地球との距離感や、道徳観を徐々に失って行くことになる

「むつごろうさんあたりは、この辺はまだお持ちでいる気がしますが」

最後に大切な事がかいてあった

軍事目的を考慮に入れた
鉄道が資本主義の経済の進展に決定的な役割を果たす事は明確になった
鉄道の敷設は、それまで孤立していた町村に大きな動揺を与えずには済まなかった

峠道はかえりみられなくなり
宿場はすたれていき
帆船の上下する大河、汽船の航行する沿岸風景は明治から大正にかけて
しだいに影をひそめるようになった

陸の移動には天候が大きく左右する
海の航行には潮の干満や風の方向の有無が決定的な力を持つ
(命にかかわる)

そこで自然と人間とはどこかで協調点を見いだしながら動いていた

ところが鉄道の敷設によって、旅行するにも、物資の輸送するにも
正確な日時を予定出来るようになった
このことは日本人の時間感覚を一変せずにおかなかった

(ごく自然にだれもが、自然を馬鹿にし下に見るようになっていく)

国内移動により金になる都会にありのように人が集まり
戦後高度成長社会は、日本の山川や海を思うがまま削り
埋め立てて工場をつくり(東京湾、川崎、四日市や、水俣、ディズニーランド、原発など)
観光道路をつくり、レジャー施設をひろげた

この結果、公害がいたると所でおこりはじめ
自然の循環体系は回復不能になるまで破壊された

自然と人間との
かくもいちじるしい不協和音は1960年代以前にはなかった
(個人的には江戸幕府の湯島や日比谷、銀座の海をはじめる埋め立ては残念である)

それは自然の中に伝統の場を見いだしてきた価値観の破壊につながっていくもでのある

明治以来の富国強兵の「強兵」は、連合国の思うつぼにはまった
大東亜戦争のみじめな結果により棄てられたが

「富国」の政策は戦後一層強調された
だがその富国の理念がとわれる時代にさしかかかっている
強兵も富国も国民を幸せにすることができないのであれば

明治の初年にもどり次はなにを求めねば
ならないか、当然問題とされよう

しかしまだその答えはでていない

1973年(日本人の100年 19 世界文化社 谷川健一著)

昨今、自分の土地に家をつくったら取得税、固定資産税、相続税
ものを買うと消費税、車には車検やら重量税やらなんやら
それを悪用する政治家達
今に空気税や水税をつくるに決まってる?

武士の特権社会の様な封建制度は
時代を超え巧妙に受け継がれ
もう茶番なめちゃくちゃな日本。

年号が変わり、見えない何かがかわるのか?
陛下の力あるお一言でどうにかならないものでしょうか?
政治には介入しなのはわかりますが
いかのもどうして、大好きなお魚を研究する海岸や海が
放射能も垂れ流しのまま、このままでは全てコンクリートの護岸になりかねません

仏も神も心地よい、そもそも自然があり
そこに、いつのまにか、仲良くかれらがよりそい
高天原につづく場所や、龍神の池、独鈷の泉がある

宗教は大切だが

宗教は日々の自分の中にあり
この大自然の天地、海川にある

神社は神様の別荘であり
交信所である
その交信所で祈りを運びつなぐ役目が日本人である

理屈はさておき、みえないなにかを信じ
先祖を供養し
海や山で怖い思いをし
美しい時間の中、感覚的な喜びと感動を憶いだせば
自然におかしなことは出来ないと思う

正心を生きることは日本人ならではの
まさに忍の道である

着ぐるみを来た人間のはいった
レジャー施設じゃ知り得ない
大切な時間を今の日本の子供達に伝えねば

とわたくしはおもいます。

単純明快

神仏は尊ぶが
神仏に頼らない

宮本武蔵

輸入され日本にうまく土着した仏様ご一同

日本人の心の支えと
日本人の思考にうまく溶け込んできた

しかし
波のなかではどうだろう

一瞬のさらに微細な時間をよみ
全神経を研ぎすまし
遠くまで電波?をとばし
感じる

昨今の気味悪い
5感なんてもんじゃない

人間にも7感、10感がある

とにかく大波が迫り
巻き込まれても
泳ぐしか無い

暗黒の泡と轟音の中
水面の泡の薄い光に向け

神仏は助けてくれない
自力で自分の心と体をずらさず
強烈に動くしかない

藁をつかみたくても
藁なんて無い

誰も助けちゃくれない

そりゃそうだ
フィジーの沖数百メートルに誰もいない

常に独り大笑い

生きてる実感と
妙に込み上がる幸せ

入る前には祝詞をよみますが
これはあくまでも
他人様の聖域に入ってすみませんが

よろしくおねがいします

自己暗示

前行くしかない
波が来たらとにかく
その懐へ
水鳥のごとく鋭く深く潜るしか
生きる道はない

単純明快!

円運動

循環無端の哲理

古来という言葉の以前から
四季のうつろいの
循環に流れ則しながら
いきてきた生物

何も邪魔をせず
地球を破壊する事無く
それぞれの思いのまま
ながら生き

いにしえの人々は
日本に限らず
万物はその満ちるエネルギーと一体であり

その力に畏怖に
自然に溶け合い

心根で理解して来た地球人

海や山を慈しみ
アイヌのイオマンテの儀式のように
命を奪った動物達の御霊を鎮め
祈るのは、ごく普通だった時代

その摂理を悟ることこそ
人間が地球に配置されたごく
シンプルな事

するとごく
当然の行いが他人にも
自分にも正しく流れて行く

それが道義の心であり
真理である

正しいという基準そのもが
蚊帳の外

宗教でもない
輸入された仏達より昔から行われて来た事でいい

人の容姿に似せた神や仏も
これだけ祈れば、何かしらは宿るのだろうが
すがることで勇気と自己暗示のお護りはもらえるが

海原で独り
大波を眼の前に
最後のひとかきはじぶんしかない

仏教のぶったが伝えたかったこと

ビルの谷間じゃぶったさんも
良い瞑想やアイデアは浮かびません

あの自然という言葉も無い
世界の海が美しかった
青い海の時代がよかった

テレビもスマフォもない
正しい時間と空間が必要だが・・・

いらないものばかりの
身の回りを捨てて

裸で海へ行くこと
が近道かもしれない

その道は延々と
一人一人の中にすでにある訳だから

自らをよく観て
宇宙の波動と呼吸に
流れてみること

生け花

長野は松本の櫻
これは生け花

命の吸収により
命が生かされる

水も命なのかもしれない

一信教ではない
あまたの自然の神々の祈りが
この国に結界を結んで来た

個人的な願い事ばかりの昨今の祈り

ご利益と称した
神社のプロパガンダに神様も困惑しつつ
その各種願掛けに、祈りの質が変身

季節のもようしに、収益の見込める檀家のいるお寺と違い
寄付やお護り業者の作るお護りの販売、おみくじ、お賽銭がないと
維持が出来ない昨今の神社の事情

櫻は1年に1度
なにがあろうとも
人工的な護岸の川のそばでも
文句も言わず律儀に必ず
咲いては散る

四季が生き物の命を巡らせ
風が命の言霊を運んでいる

生け花として散る桜は
あまたの枝で咲いているよりも
1枝の命を感じる事ができる

魚の活け造りと差は何か?

ももろもろの罪けがれ はらいみそぎてすがすがし

遠つかみえみたまへ いずのみたまを さきはえたまへ

あまつひつぎの さかえまさむこと あめつちの むたとこしえなるべし

出羽三山、羽黒修験

事実を観る

一つ前のブログの後の写真

海外の海とは日本の海は
何かが違うのは感じているが
まだ言葉に表せない

地球にくまなく
自然という言葉以前から
住み着いた人間が創作した神様と

もっと全体的で、神様という言葉以前から
いるネイティブアメリカンが言い伝えて来た
創造主のような大きな存在がいるのかもしれない

そうでなければ
つじつまがあわない

真空の世界でなく
生きた風が吹き付け
岸辺に海の水がふきつけるように

学校で子供達に
波なんて物はないことを教え
いったい波とはなんだったのか?

を理解していくと
古来からの地球がいかに
絶妙な間で生きていて
生物達のこと

から人間がしでかしてる事実
人間が地球の一番の汚染原因だと
心で感じることができるだろう

まづはやってみる
まづは海へ行く
まづは流れに乗れば
いずれ自然にその意味を含んだ言葉
が口をついてでてくる

よ〜く見る事
よ〜く太陽に照らしあわせ
波のリズムに照らし合わせ

よ〜く観る事

皮肉な事に
人間が作ったカメラが真実をうったえ

その人間があとで写真をいじりねつ造している

写真は全てを正直にみせているのに

独りを慎む

弓馬武芸の家に生まれて
兵の名をうしなってならないと、思うのであれば
毎朝寅の刻に起き(4時から6時)
我が身を清め、衣服を替え、諸天に祈りの誠を捧げ
神明を崇敬し、信じて疑ってはならない。

いましめを細かい点にまでゆきわたって実践し
邪を除き、愚にならず、痴にならず、心は均衡を保っているか、
道は通じて塞がっているか

これらを独りで知り、独りで思えば、これによって知識がはっきりと
よくわかってくるのである。

立派な人とつまらぬ人と、智に至ると愚に至るとの違いは

「ただ独りで慎むか、慎まないか」
の違いである

独りである事を慎んで自らの心に欺くことがなければ
礼節や信義もまたその身から外れる事はありえない

天地の神明が物体へとのりうつり
智もまた偉大な霊力に導かれて発揮されるものである

楠正成 河陽兵庫之記 
現代語訳 家村和幸 編著

美しいな

たすとか
ひくとか
題名とか
命がけですね
修行ですか?

そんなもんじゃない

続ける理由はない

続けるおもいはある

そのおもいに
人は生きているから

30min

やはり夕暮れの海へ
水は澄んでいたが、太陽はガスにさえぎられ
光は弱かった

水温が思った以上に冷たく
わずかな30分
闇のとばりから逃げるように海からあがった

とにかくなんでも
やってみる

たとえ1枚でも海はメッセージをはなつ

波へ


去年から天候のリズム
つまり地球が風邪をひいている?

ぎりぎりまで様々な気象情報をみても
風と雲がかわり
撮れな日が続いている

とは言え
地球にあとから寄生した人間様の
思いなど図々しい訳で

どんな状況を受け入れて
およいでみるしかありません。

同じ写真も1枚だけ
眼には見えない速さの瞬間

人間が見ている全ては幻である

1枚に潜む謎に捧げる

The rhythm of the weather from last year
In other words, is the earth caught a cold?

Even if you look at various weather information to the last minute
Wind and clouds change
The day that can not be taken continues

but
A human-like person who was later parasitic on the earth
It is a simple translation

Accept any situation
I have no choice but to see.

The same picture is only one
A moment of speed invisible to the eye

All that human beings see is a vision

Dedicated to the mystery behind one

松本城

霧島東神社で電話が鳴り
長野の松本へ行けますか?と

聞けば海外からのお客様の
憶い出を撮ってほしいと

松本城の城主は足利の馬武者の師範だった

古いままの柱と
石垣がだけが知っている時間がいまも生きる

宮崎神宮

宮崎神宮
と護国神社へ

予定も無く訪れると
鳥居のむこうから、神様の御使いの皆様が
まっすぐに、ゆっくり来られた

不思議なタイミング

方丈の間

ハワイ島の1枚
火の神ペレ
その溶岩の海底と海と波動

独特な雰囲気で
ゆっくりと霧が立ちこめながらも
強い力を秘めた1枚
静かな心に

方丈

しゃしんや

色のバランスは大事です
空間を水間にかえ(息苦しくなっては駄目ですが)
なにか水の細かなミストが流れ回るイメージ
写真がその場で動き、呼吸する感じがこの写真の特徴です。

ファインダーは見ないで押していますので
しゃしんやの、俺様が撮った写真!ですが
ないんだと思います

無味無臭の天然の海をパチリ!と感じたままに押しただけで
僕はあくまで媒介者です

写真やではないだと思いました。

もっとも見ていたら撮れない瞬間ですが

1枚の意味

数日Webが見れなくなっていました。
申し訳ありません。

作品の展示風景をのせて行きたいとおもいます。
ギャラーだと、お部屋にかざるのとはイメージが違い
実際に飾ると、あれ?
なんてことも

場所、写真の持つ意味と大きさ、お客様のイメージや人となり
などご提案させて頂きますので
お気軽にご相談ください

この数日
写真を引っぱりだしては
壁に1枚づつかけては、はずすうちに

バーンとドンドン飾る
ギャラリーの壁では感じ得なかった

作品の持つ力や意味など
自分でも再認識

展示

和室に日本の御来光と波

洋間でなくとも
黒い漆喰の和室にもマッチします。

大きさなど無理に飾ると部屋を圧迫してしまいます。

ちなみにこの部屋は畳三畳の狭い部屋です
根津美術館のお仕事にたずさわった
隈研吾事務所の方のデザインです。

写真サイズはW1200ですが
高さを600でざっくり裁ち落としてます

細長い写真は日本の狭い環境でも
広がりをあたえてくれます

お客様には照明選びから
写真のあらゆる壁の設置から
壁と作品の距離など
ご相談にのらせていただいてます
壁の色の変更も施行出来ます。

ちなみに黒漆喰を塗ってます

日本をはじめ世界中の展示を自分自身で
道具を背負い
60カ所ほどしてきた経験でコーディネートいたしますので
お気軽にご相談ください

額装、アクリルマウント、野外など
様々なご要望に対応いたします

写真の敵
太陽光線は特殊なフィルムを貼り対応しています

写真に題名はつけません
そのままの海でないと意味が無いので
色をのせたりしていません

価格 税込み54万円です
コダック印画紙
ライトジェットプリント
エディション10

Pipe Line

2002年の冬のパイプライン
恐ろしい波にこの後3発巻かれ
海底に引きずりこまれ
岩にヘルメットがあたり
足を切った

世界で一番怖い波!

Johon Peck

ハワイのノーズショアの
巨大な波パイプラインに
サーフボードと足をつなぐヒモ
リーシュ無い時代にのった

サンセットのツリーハウスに住んでいた

当時は合法だったLSDやマリファナを用い
精神世界や宇宙の世界に扉を開いたヒッピーの時代

警察当局にもマークされていた

そんなジョンペックの手製の板は
ペネトレーター(真っすぐ行く)はキリストの顔がマークされた
固くて重い7.4くらいの板

四国の海部の玉じゃやりに突っ込んだら
怒られた!

旅にはでかい枕を2個
昔LSDのとりすぎで宇宙の電磁はノイズが未だに何チャラかんちゃら

独特なシタールの様なギターを弾き

ロブマチャドが師匠とあおぐ
ペジタリアン

だが
インドネシアで魚のフライを食べていた
ペックさん、それ魚だよ

たまにはいいいんだ〜
とうまそうに食っていた

この写真はジャワに海部のレジェンド串本さんの
音頭で,ゲンテンスノーボードの玉井太郎さん、山の写真ヤーマン達と
いった旅の記憶

年齢を感じさせない身のこなしで
波を奥からのってくる

雑誌NALUに他人のクレジットでのせられてしまった
問題の1枚

ホノルア

ハワイの王族の祈りの聖地でもあるホノルア

常に沖から一番でかい波にのる男

あとでクリスに聞くとあまりしゃべらない
王族の血を引くスネークというあだ名のレジェンド

2002年の冬のホノルアベイ
あの崖を降りここまで泳いだ思い出

でかい波頭の上から飛び出すようにパチリ

クリス

インターネットもない
2002年頃マウイ島

全ては感

当時はいつも宿もとらずに
空港でタウンページような本を開き
公衆電話で探すも
まったく見つからず。

結局レンタカーを走らせ
風が吹き付けるホーキパの海沿いにみつけた宿

ホノルアベイに毎日1時間
車を走らせた

偶然数日間波があり

海からあがると偶然サボテンの崖の道で
カメラで撮ってたの?

声をかけてきたクリスバンダーボート

テレビや雑誌で見聞きした
海と人を慈しみ、愛した伝説の海の男

そんなクリスとホノルアで待ち合わせた
ひかれる程、頭の上で板が回る

36枚フィルムでまだ波の裏を撮ってない
武者修行の頃

僕のサーフボードは今は亡きクリスが削ってくれた
古いテンプレートのフィシュ
形見になっちまった。

非科学


競技ではない
比べるものでも
テストでも順位でもない

まったく意味が無い

数字とは無縁な世界

科学が及べない深淵

だから海が好きだ

そくす

こちらから出来ることは
そこにいくこと

自然に海に風にあわせていく

雨がうちつけ
水が濁れば撮れない

太陽が出なければ
写らない

全ては地球と宇宙にそくす

身を任せ
決定的瞬間を
待つ

メルト

泡も光
光も泡

お互いがなければ
存在することはできない

太陽の光


月の引力

全てが絶妙な間で
地球の万物の全ては溶け合い
邪魔をしない

独りで行く

旅は全てを解決してくれます

思いがけない景色と出来事

なんて実際には
そもそも答えも、解決でもなく
頭で予測し考えていた景色が
いかに小さく、馬鹿げていたかを教えてくれます

だまって独り旅へ行く

エスキモーの言葉にもありました。

忍者の3病

悔いり
考え過ぎ
恐れ

その通りです

波の中は常にあの世と背中あわせです

だからこそ、真剣になれ
自分の力に正直になれます
命がかかるからこそ、海に失礼がないように
正直になれます。

そこではじめて無駄な動き無く
切っ先をかわし
体を手を水の抵抗から逃がしながら
動けるのです

何が波の裏で必要なんでしょう?

心の平穏
体の気のめぐり
長く泳げる力
すぐに潜れる水鳥の様な動き
楽しむ事
笑う事
考えない事
無で押す事
深い呼吸
嫌な予感がしたら戻る勇気

信じて前へ行く
引き下がるのはなし

前向きに
前向きに
すべては体験となり
体の細胞が心がその経験で助けてくれる

独りで行く事

以上
波のなかのはなし

Faire King Cafe

今年で15回、15年目のファイヤーキングカフェの個展が決まりました
オーナ阿部さんはじめマネージャ?菅原さん、北畠さん初め皆様のお気持ちに感謝いたします。

2019 7/16(火)〜8/18(日) 代々木上原駅前 Fire King cafe
平日   11:30~深夜2:00
土日/祝 12:00~深夜2:00

詳細はまたいずれ
ご案内させていただきます。

届かぬ声

ありのままの海がいつまでも

波音とは水が水とぶつかる音
冷たい水程、音は速く届くという
空気中の4倍の速さでくる
波の落下スピードも陸上には無い動きだが

ほぼ同時か少し遅れる波音が
実は水中では、音が空間の崩れた波を追い抜く
という事だから,音が先に聞こえて来る

たしかに感覚的には

ドカン〜と!崩れた波
波そのものが1つの物ではないから
音が波に飲まれ溶け合う

つまりあるのに無い
無いのにある
その微細なコマの連接が現象であるが
現象も無い

波はそもそもない
水と水が、瞬間にくっついては離れ
くっつく,不可思議な現象が波

色即是空、空即是色

水が透明で動き回る姿は
まさに般若心経のままだ

沖の水が岸にきたのでなく
サーファーが乗る波は沖の波ではなく
沖から届いた波動にあわせている

なんだか情緒的だ

サーファーは波を乗るでなく
波をよむ人
魔法の波動に乗れる人

イルカの高い声は声紋がないが、器用に噴気腔でつくる
彼らは頭からレントゲンのようにあるパルスを出し
その反射で、全てがわかるという(気持ちさえも)

昔パースの海岸でイルカがこちらに向かって来て
眼があったとき,絵もいえぬ暖かさに包まれたのも
なんらかの感情が伝わったのかもしれない

大脳心理学者からイルカの研究者のなって
彼らの知的感情に驚いたジョンリリーは(最初は軍事的に魚雷をつけた兵器として研究)

イルカとの言葉の会話まで完成させたが、軍事目的に悪用される事に
憤りその研究をやめた

しかしクジラはどうやっで音を出すのかよくわかっていないらしい
その声は大きなシロナガスクジラでおそらく500キロ先まで届くというが

最近は軍艦や潜水艦のスクリュー音やソナー音

特にアメリカ軍があらゆる海に設置しようとしている
低周波のソナーなどは彼らにとっては騒音であり
方向感覚を失わせ起因になるようだ

海の汚染とゴミや騒音は全ての人間、魚達をはじめクジラまでも
影響しているのだが

ここまで地球で威張る人間様の耳にも心にも
届かない声なのだろうか

祈り

日本は神様とご眷属がいまだ
住まう国であろう

人間の身勝手な破壊と同時に
まるでよそ事のように各地で
とり行なわれる祭礼と

あまたの僧呂、宮司、修験者達により
それぞれの手法で数千にわたり毎日
祈られている事は
世界でも稀有であり

ネイティブアメリカン
アボリジニ
マオリ
アイヌ
地球でやりたくても出来なくされ
強制的に封印された歴史上でも
唯一祈りが続けられている

絶滅してほしくない
無形文化財である

自然の神々も全て人間の行為と
人間の心を
レントゲンのように全て見聞きしている
ことを
我々は胸でもう一度理解すべきであろう

Un known

すかし撮り
裏見の波
写真学校やプールでは知り得ない

実践

よくわかりませんが

こんな事態になっている海

ドキュメンタリーが写真

Japan

The wave attracts you for terror to feel death in beauty and 1 eyewink which overflow to several folds even when

I push it without looking
I begin to swim single life in silence

The cause of courage and the spirit
I give etiquette and prayer to the sea

いつだって波は幾重にも溢れる美しさと
1瞬で死を感じる恐ろしさで魅了する

見ないで押す
黙って独り泳ぎだす

勇気と気合いのもと
海に礼と祈りを捧げる

8月 15年目のファイヤーキングカフェの展示
10月 ドイツミュンヘンの展示会と
   

波によばれる

この日の昼間
小舟で別な島の空港へ向かった

すると5人乗りの飛行機の僕の席には
タロイモとおばちゃん!が座っている

俺の席だけど
おばちゃん!というも

おばちゃんは自分の席だと
まったく動かず
パイロットに何を言っても
見ての通り乗れないの
繰り返し

オーバーブッキングもフィジー流
怒こるきはないけど
次の航空機の予定も無いから
ま〜いいや

しかたなく、小舟で1時間かけ
また島に戻ると
あんなに見えなくなるまで
(イサレイ)サヨナラをした皆に
なんでいるんだ?と大笑いされた

ふと夕暮れ近い海に目をやると、この滞在で一番美しい
うねりが押し寄せていた

この為に戻されたと
独り嬉しい大笑い

海には独り
ニュ?ジーランドの青いロングボーダーの
ヒゲのレーンがいた

全てを察しウィンクしながら沖へパドルしていく

やがて静かな海でレンーがこっちに何かをさけび
ミズスマシのように
ありったけのパドルで沖に向った

見れば一列の大きな波が全てをくるむように迫ってきた
どうみても逃げ切れない位置にいる

水面からは視線が低いから
発見がおくれた

なんとか3つめ波まではかわした

この後3つの波が空も海も島にそって
くるむように崩れ
全ての空間が水の世界に

暗い轟音の波の下
から僕は水面に浮き上がり
泡立つ海面を探した

もしかしたら6mのなみに
3mの板ごと海底に叩き付けられ
溺れたのではないか?

すると遥か遠くの白く泡立つ浅瀬に
大波に飲み込まれ

叫ぶレーンが浮いてきた

恐るべし波
紙一重の命がけの夕方

その夜島では2人だけ
レーンがフィジーのビールをごちそうしてくれた

思い出の1枚
浜の湯さん6階に飾らせていただいています

Ryuugu jyou

龍宮城に誓いを

良い言葉だ

目の前の海原と
潮がまじわり,伊豆七島を望むこの岬に
なんらかを見て
なんらかを感じた古来の人々

そのなんらかは、みえなくとも
わからなくてもいい

その時間に立ち会い
その瞬間を理屈抜きで信じ続けた
数千年がこの言葉に現れている

海は浄化してくれる
海は黄泉の国とも神仙ともいわれた

海の摩訶不思議な美しさと怖さ

二度と同じ音がない波音と潮風に
その時を香り
その音連れをよむ事ができるのから

Hotel Hamanoyu Izu Inatori

Hotel Hamanoyu had Long story with in front of Ocean.
My Fiji photo seen the Sea.
I fell like the Fiji ocean god meet Izu Ocean god .

Also Collection of my photo book (Blue Forest) was dedicated to Ise -Jingu Grand Shrine.

海伏

山伏にならないか?
と数年前にお誘いを頂いた

しかし
海で祈る海伏と名付けてもいいでしょうか?

恐る恐る、羽黒山伏の星野さんと
吉野山の修験者の方々にお聞きすると

海伏いいじゃないか!〜
頑張れよ〜

と言って頂いた

山伏は少しお待ちくださいと
お伝えしている

昨年、変にまねされ利用されても
いけないから,商標登録をとりなさいとと
ある方に言われ、1年がかりで取りました。

古来世界のネイティブな方達に
いまだに伝わる、貝を吹くなどの
単純で心でシンプルに地球から地球へ伝える行い

行とはよく名付けたもので

人は地球

いや

地球の先にある宇宙と感応しあってきた

しかしながら
それが出来る事に自信を無くし
忘れがちだ

写真は
フィジーの離島で
36枚フィルムで押していた2002年頃

本当に見た事も
居た事もない
怖い波の中で

少しでも怠惰な気持ちを
持ち込んだら死ぬな

と感じました

死んでも構わないが
死に切れない死はいやで
準備と覚悟の中のしかなたい死は
死ではないと感じました

ともかく
巨大な波の中は青かった

せっかく素潜りで遥か沖の波に
独り漂い
あまりの宇宙観に

広大で真っ青な海原で大笑いしていた
体からわきあがる不思議な幸せに自然に笑う

だから
その悠久な時間から残されて来た
人を知らない海へ失礼がないように

色加工もなにもしない

最近の写真はどうだろう
先日、現像所であとからイメージで色を変えたいがため
プリンターの方が写真屋の依頼でエアブラシで塗装をしていた

好みの色と雰囲気で見せたい
のは
ディレクション?と呼ぶのか?

写真と呼ばないでほしい。

写真はそのままその場の瞬間を
残し見せ
何がそこに残り呼吸をしているか?
がいいのに

インスタでも同じく、色をのせまくった
眼ひかせる色彩の写真が氾濫しているのが現実

良いとか悪いではない
これが今の現実。

現実とは何か?
ドキュメンタリーで生きないと
地球には通用しないのだが

人の暮らしが過剰に便利で高速化する
毎秒毎秒

心が地球から離れて行く

幻影を探して旅をするのが写真家

だが
その幻影さえもこのままでは
絶滅してしまう

Worry about feauturer

Super Cold Water was killed Planctons.
Japanease Ocean connected many river had muddy.
River did polluted by the impurity of the world .

hopfly To express the Clean ocean to the Feauture generation
Japanease river worry after 100 years.

Although we had more important than plastic straw

プランクトンが死滅する程冷たい海は透明だが
日本の海は沢山の川からながれる汚れも影響し
海辺ではいまだ、洗濯配水や台所配水がそのまま

水俣病を引き起こした企業ではないが

川が俗世間のゴミで汚れている

忘れたふりをしている
福島の汚染水と

冷却と排水の為、川の河口にある
原発の川や海も同様

水に溶けて無くならない
インクを大量の水に混ぜているに過ぎない


広島の牡蠣業者のプラスチックの不法投棄は
今だ止まらず、保安庁も見て見ぬふり

未来の人々へ、この美しい海が
残せるのだろうか?

死生観

実は波ではなく光をとっていた

海では泳ぐ力ではなく
泳ぐ技と体術がいる

勇気と心を振りしぼり,誰もいない沖の波で独り
大波が迫り、心が潰れそうになる

そんな中気持ちのお護りとして
忍術の呪文を唱えていたが

ある日、彼らをよく知らないなと
甲賀と伊賀へ向かった

雨のある日お不動様の祀る滝寺で
偶然その寺の住職と出会い,やがて吉野の修験者に会い

以来不思議なご縁で祈りの旅がはじまった

日本が66の国だったころ,唯一だれにも征服されず
大きな力と戦っていた
実は義と正心,神仏を尊んだ地侍と村人,宮司、僧侶が忍

今から約500年前信長により
伊賀で焦土作戦と殺戮が起こった
「天正伊賀の乱1581年9月」

伊賀は「まつろわぬ者の住む魔界」と呼び
かってに手を出すなと 言っていた信長
だが,息子が勝手に2度に渡り攻め入るも惨敗し

激怒した信長は数年後
日本から伊賀を消す為
狐狸一匹たりとも生かすな!と
四方から火を放ちながら攻め入った

伊賀は12人の忍び頭が協議のもと
ある時期に敵が5万人でくる事も知る

所詮、物理的な勝ち目は無いが
侵略する信長に頭をさげてこうを願うならば
潔く散るのが、先祖代々護ってきた義と約束であり

仮に体はなくとも魂は生きる道
精神は負けない道を選んだ彼ら彼女ら

松尾芭蕉のおじいさんもそのとき討ち死にしたという

明治時代の前まではこうした
呪術やみえる方、陰陽師など特殊な力の方々
普通にいた日本
その力を畏れた白人がその力を
明治政府地と画策し廃仏毀釈、修験道禁止などを

共産主義のごとく
数千年祈られた仏像を焼き払った

そんな仏さんはどう思っているやら

これからも
山伏ならぬ海伏(商標登録)として
貝を吹き、呪文を唱え海で祈りを捧げて行く

これが今生の道である
人の生き甲斐は死生観にあると信ずる

地球の呼吸にあわせ
畏怖をわすれずにいた
感覚的に理解していた先人達

日本では北海道と明治2年に勝手に呼ぶ以前のアイヌ民族がいた

アイヌシモリ(人間の静かなる大地)
(神の住むところを) カムイシモリとよび
大切にしてきた彼ら

そんな地球の過去のあまたのネイティブな方々の
祈りと憶いがあり今がある

見えない風と呼吸は消える事はないと信ずる

Caming soon Moon

Caming soon Moon
at The Japan

I carry on going to the Garmany Art Fair at October

この写真もドイツの展示会に担いで行きます

迫る

2度と同じ波はない
2度と無い時間

海でひつようなこと
行く勇気、やめる勇気
泳力、潜水術、体力、気力
楽しみ、死んでもいい覚悟と準備
心、体の平穏
危ないサメかどうか
はやめに戻る
海や魚への畏敬
全て修行

いらないもの
怯え、考え過ぎ、過信、悔いり、自分の力を知らない
誰かが助けてくれる思い,自分へ嘘をつく

これも修行
己を知る
己と正直に向き合う
掛け値無し

剣道の試合でなく
果たし合いである

しかし征服するのでも
手に入れようとしてはいけない

海はそこにただあるだけで
刻々と変化し闇が迫る

写真がずっと後で教えてくれる事がある
写真もただそのままを、残すだけ
嘘もなくありのまま

昨今その写真に欺瞞や嘘をつかせるのは
人間である

There is never the same wave
Twice and few time

The thing that is necessary in the sea
Courage to go for, courage to stop
Swimming power, art of diving, physical strength, willpower
I am with pleasure, readiness and preparations feeling, state of the body, nothing that may die
Is it a dangerous shark?

Awe to the sea and a fish
All ascetic practices

I do not need it
I tell thought, oneself whom somebody who does not know a scare, an imagination, overconfidence, condolences いり, one’s power helps a lie

This trains itself, too
I know oneself
I face oneself honestly
There is no overcharge

Not a game of the kendo

However, I conquer it
You must not be going to obtain it

The sea changes every moment only by there being merely it there, and darkness approaches

A photograph may teach later all the time, leaving it photograph is plain without a lie

It is a human being to the photograph deception and to let you tell a lie

ページの先頭へ戻る