Swaden
スウェーデン ストックホルム
10/9~13
affordableartfair.com/fairs/stockholm
I will Join Art Fair at swaden !
10/9~13
スウェーデン ストックホルム
10/9~13
affordableartfair.com/fairs/stockholm
I will Join Art Fair at swaden !
10/9~13
幼い頃から
車からのぞむ関門海峡の反対の山にある
急勾配につらなる鳥居は
なんだか寂しげで
妖気のような影を感じていた
国道の激しい車の流れに
車も停める場所もなく
歩いていくしかない稲荷様
古い過去の時間に
人がこの地に祀った理由
源平の悲しみの海峡の先には九州
一番狭い水道は600mで
そこに橋を架けたのだが
そのおかげで
自然は破壊され
毎秒人の世界が高速化し
寝台列車あさかぜが消え
壇ノ浦の風をあるく人も少ない
その昔は赤間が関と呼ばれ
赤間硯がとれた山には
阿弥陀寺があり
耳無し芳一と壇ノ浦の合戦に
平家とともに戦い、亡くなった事になり墓地にまつられる
伊賀忍者 伊賀平内左衛門は服部半蔵家長の祖先である
高速化し
みえなくなった時間
はやすぎてそれが当たり前になると
自然に自然を尊ばなくなり
人の心もせっかちになる
神仏は都合よく
困ったときや、ご利益祈願の為に
あるような昨今
個々の心に吹く潮風を
ゆっくりと自然に身をゆだね
時計をはずしてみては
いかがなものだろうか
この2枚
最初の1枚を展示
2枚目は次のコマ
まさに1秒の320分の1
手裏剣の波をくぐり抜けた?ような瞬間
出るのが遅れ
古いポルシェを走らせ
海岸に着いたのは17時
数日前までの雨があがり
撮れるか
撮れないかは
天候次第の波と宇宙任せ
とにかく波にはいりたかった
西に消え行く太陽が
人間界の都合いい希望より
小さく細く海を照らした数秒間
黒ではなく
実は青墨
2度と撮れない独特な1枚
1枚は海や山を愛する友人が
もう1枚は某老舗寿司店の修行僧の様な職人さんが
このかたとはファイヤーキングで15年前の初展示以来の再会!
潮は満ち
時は巡り
潮は寄せてはかえし
溶け合っている
不言実行
不言でふと
先日骨董商 故坂本五郎さんの著
ひと聲千両を浮世絵協会 会長の高島さんより
薦められ
拝読した
ネットも当然ないいい時代の
坂本さんの、行き当たりばったりと
人の心をつかむ人間性や
いちかばちかで騙された骨董にまつわる
事実は興味深かった
彼は海産物問屋への奉公後
戦後の闇市から
京橋に不言堂という店を開く
神戸のとある一軒の判子やさんにはいる
あごひげの老中国人が店先で篆刻をしていた
声をかけ話すうちに仲良くなり
ふと店内にある漢字がかいてあり
その意味を尋ねた
すると老人は得意げに
遠い昔、旅人がいつも満ちの脇に山があった
春になると山上の桃の木が花を咲かせた
美しさのあまり、旅人たちは自然、遠回りであったが
桃の木の下を通るので、その時期にはそこに道ができた
人間もこれと同じで
正しく良い行いをしていれば
黙っていても人さまはよってくるmのだ
と
「桃季不言自成蹊」
桃季ものいわざれども、下おのずから道を成す
なるほど〜
おのずとこのたびコレクションして頂いた
すし清職人さんの笑顔を憶いだした。
日々宇宙と海と自己の錬磨と武者修行である
どんとこい
どんといく
おわり
日本の波の裏
陰陽
写真的にも全てを捨て
ギリギリうつる瞬間
三脚で撮るの写真やファインダーを覗くと
写真屋のきな臭い1枚に作られる
ねつ造と迄言わないが
その瞬間は写ってない
見たら逃げてしまう瞬間がある
写真屋の写真は
ずっとみていられないのは
写真屋=策者?=作者の恣意と意図が
印画紙に溶け込むからつらくなる
写真はデジタルになろうとも
嘘がつけない
嘘にするのは
作者である
1枚の写真を作品とよんだり
題名をつけるのもはばかるのは
そもそもの風景や波の瞬間に
題名なんてないのだから
題名もあとづけ
あとづけの
より盛り上げる言葉が
必要なのは
『作品』1枚だけでは
飾れない理由があるからだ
宇宙の波動をそのまま
わしづかみにした瞬間を
そのままだす
写真の醍醐味であり
真理であるが
昨今忘れられようとしている
Firking Cafe orner Mr Abe is Abe Toshio grand sun.
his grand dad abe toshio was Shinano
Aircraft carrier Shinano Captain 11/29 1944 due to submarine attack Lived with a ship at Shionomisaki Shinano is an unfinished voyage For nights
with poor visibility and rough seas Cargo special attack aircraft Sakurahana, veneer special attack ship
Pacific Ocean and sinking About 1000 people were submerged.
Two years ago, in the midway battle, the senior, the aircraft carrier flying dragon ship yamaguchi Tamon Hope to leave, but take responsibility Can’t hear Abe, who was the destroyer captain at the time, Unleash the torpedo Captain Abe also entangles with Bushido Due to the tradition of the Japanese Navy So to speak From before If subordinates are saved Cut your stomach If your wife says that No matter how hungry you are Say Captain Abe was scratching his head Heard from family American army Don’t lose valuable human resources The captain also left the ship and prepared for the next battle. Reasonable mind Please accept my sincere condolences.
They are The fact that Japan is now
空母信濃艦長
潜水艦の攻撃により11/29 1944年
潮岬で艦とと命を共にした
信濃は未完成のままの航海と
視界の悪い夜と荒れた海に
積荷の特攻機桜花、ベニヤの特攻舟震洋と沈み
沈み、約1000人が海没した
その2年前、ミッドウェー海戦で沈んだ、先輩、空母飛竜艦長山口多聞に
退艦を願うが、責任をとると
聞き入れられず
当時駆逐艦艦長だった阿部さんは
介錯の魚雷を放つ
阿部艦長も、武士道とからみあう
日本海軍の伝統により
いわば自決された
生前から
部下が助かるなら
腹を切るといい
奥様はそんなこと言ったら
お腹がいくらあってもたりません
と言い
阿部艦長は頭をかいていたと
ご家族から聞いた
アメリカ軍は
貴重な人材を失わさぬよう
艦長も退艦し、次の戦へそなえた
合理的なマインド
なんであれ
家族をおもい
若くして海没した英霊に
お悔やみ申し上げます。
彼らがいて
今の日本がある事実
昨夜NHKで放送されていましたが
ディレクターがおそらく、若いためか
いわゆる「番組造り」が優先され
当時の声や取材不足と史実の
忠実性にかけていたと
感じました
伊賀の話は取りあえずフタをします
その後甲賀忍者や地侍の供養旅にいってました
最近海じゃないんだ?と
思われている方々もいますが
海も山も同じです
山は元々海でした
どちらもある程度知って
こそ写真に現れるものがあると信じてます
海の法螺貝は山で吹く事で
命の輪廻を表し
再生させるとある修験者から聞きました
(僕の貝は法螺貝ではないです)
実は来週7/16~8/19迄
恒例の代々木上原ファイヤーキングカフェさんで個展が始まります。
早いもので15年目15回目
お店でもこれだけ連続で続いているのは僕だけだそうです。
なぜファイヤーキングさんで個展が始まり
今迄連続して展示=常に新作が出来た?撮れたのか
は不思議な話ですが
ここでは割愛します。
どうも話が長く
くどくなりがちな自分
しかしながらこれも自分
今年は天候がよめず
撮れない海の日々が続き
しまいには真冬の撮影が延びて5月になり
なんと朝3時半起床の
4時半のご来光を水中で待つも撮れず!を繰り返しました
体に悪いから寒くても
3月迄に撮影をしないと
太陽がどんどん朝早くなります
これは体がまだ眠ってます
漁師だって船で沖にいっても
泳ぎません
なんでも勉強ですね
自然の神様の流れにまかせます
ありのまま事実は自然にあり
美しい自然があれば人に宗教はいりません
人間の形に模した仏も神様も無かった時代
自然という言葉も無かった時代
ごく普通に雨風、潮風をうけ生きてきた先人には
そんな日々が宗教でした
宗教というと生臭いですが
神様も仏様が輸入され増えたのも
人間が自然を大事にしなくなり
遠ざける暮らしになり
心が殺伐と乾いた為には
必要になってしまったんだと思います
いまやそれをも通り越して、神仏をばず
さらなる刺激を求める人間たち
そりゃ天災も富士山もおこります
令和の令は
富士山に頭を下げる人間を
表していると、ある方からお聞きしました
風、海、瀧、岩などに命や霊性があるとビビット!感じた
アニミズムこそ
真理だと感じます
教典も戒律も
あーしろ
こーしろ
なんてどうでもいいんです
そうすると
かならず世界はもめて
宗教戦争です
自然を真っ先に大事にし
本心で生きるだけです
地球
いや
宇宙にたまたま寄生して
生きているだけですが
昨今人間様は随分とえらそうに成り
おかしな行動に地球も怒ってらっしゃいます
僕も海では
祝詞をよみ
九字切りをし
たりして頭をペコリとしています
命がかかるからこそ
人間は地球におかしなことは出来ません
ノーファインダーのありのままの
この美しい海が
このまま見れなくなる日もそう遠くないと
感じます
ほぼ毎日のようにお店におりますが
出入りをしていますので
お店にお電話ください
石垣の城跡?はおそらく、忍者百田藤兵衛さんのお城
グングン整備されたような山道の先に
おっ!あった!
噂にきいていた社!
神社かな?
?
開けてみよう
墓石が!
が蜘蛛の巣と土蜂の巣やら枯れ葉やら
これは掃除道具があるから
掃除させて頂き、供物を置き
貝を吹き、般若心経と九字切り
光がとどこうっていた。
地元の方もあまり来てない感じだ。
山からの帰り、行きがけに御逢いした
地元の神社総代の会長さん宅を探し
御逢い出来たさいに
書類を頂いた
実は心配になり
この社で1時間も僕を待っていてくださったと
車のワイパーに手紙が
あり
御礼をお伝えに
お名前だけをたよりに近くであろうお宅を探した訳です。
そしてお墓はどなたか判明!
なんと
藤堂藩藩主 藤堂高久公 元禄16年建立
元禄16年(1703)4/29江戸にて死去
生前の遺言により
伊賀長田山に
ご廟所は昭和12年迄整っていたが
荒廃が進んでいる
また夫人の酒井雅楽頭忠清女(甕子)さんの石碑も
昭和3年深川の霊岸寺より 移動
これもお導きである
今後もこの地に来た際は
お参りをさせて頂こう。
ちなみに藤堂采恩名歴代墓所はすぐ横の
西蓮寺にあり
このかたの本性は服部であり秦氏であり
壇ノ浦で平家につき亡くなった、忍者服部半蔵家長さんの
子孫であり
(お墓は赤間神宮平家塚に平家家臣ともに)
彼らの生まれた地、お城は伊賀の予野にある千賀地城
私事
千賀地城は僕が数年前から供養と草刈りをしていて
偶然数年前、隣の忍者鷹山さんの城跡の
山から下りて来た際
すぐ近くのかたに声をかけられ
何故か?
服部半蔵ですか?
と真顔で聞かれたご縁で
必ずお参りをさせて頂いている
笑
私事
実は壇ノ浦は父方の田舎
で幼少期はお参りしていた
皆さんのご周知の
服部半蔵正成さんは実は伊賀ではなく三河生まれで
松平家から徳川に使えた方(四谷西念寺が墓所)
ちなみに忍者を使い兵法書を書き
後醍醐天皇に忠誠を尽くした
楠木正成さんのお姉さんは忍者服部家と結婚!
生まれたのが能の後の観阿弥!らしい
私事
藤堂高虎の位牌は伊賀赤目瀧 延寿院にあり
実は初めて伊賀に来た際に何故かお掃除をさせて頂いた。
う〜ん
不思議なご縁
ありがたい皆様の暖かさと地侍、忍達がまっている
あれから伊賀の山へ4日
ここは信長軍数万と伊賀の地侍、忍、村人が戦った激戦地
長田という場所の比自山
偶然道であった方に
今までとは違う道を教えて頂き
3つあった城の地図を頂き
なんと3回も登り降りを繰り返す
どうしても、その昔行基が彫った観音様を祀る
観音時跡へ行きたかったが、全然わからず
竹やぶを右往左往!
猪がいた!
向こうがにげたが
相当近くまで猪は僕に気づかず
ものすごい速さで急斜面を登って逃げた
トランス状態で山を歩くと気配がきえる?とか
海から山中の忍者、地侍の供養のたびへ
伊賀編ですが
マニアックな話ですので
詳細は割愛いたします
1日に山や寺を15カ所まわるなど
異常な動きでした。
楠正成さんの3兄弟の末っ子
正儀さんのお墓とも正成さんの首塚とも言われる五輪塔
ここにきたかった
2人の兄は四条畷で死に
吉野山 如意輪寺には兄正行さんが
矢じりで彫った辞世の句が今だのこる
吉野山に後醍醐天皇や楠木さんが
隠れて基地にしていた訳だが
後醍醐さんが正しかったか?どうかは
勉強不足ですが
それでも楠さん、新田さん、児島高徳さんなど
忠誠を尽くした人が居る以上
なんらかの魅力と魂があったのだろう
神奈川には後醍醐天皇の末裔を語る
怪しい日蓮宗を名乗る坊さんがいます
お父さん正成さんが
無くなったのは彼が5さいころ
そのご兄弟も父の意志を大事に
勝てない戦へ行き
家族の死後40年以上戦いの中に身心を傾けた武人である
金剛山へ登る迂回路と繋がる場にあり
山頂の金剛山では「よく登りました!のスタンプ」があるらしく
その魅力で毎日登る方、割と年配の方が多く会ったが
お参りする人は0
寂しい限り
又来ますね。
小雨の夕暮れ
700年前にこの地に城と
楠木さんと配下の仲間、忍者が
理不尽なゴリ押しの武力を押し付けてきた
巨大な敵にたちはだかり
返り討ちにした千早城
偽の兵士の人形で誘い込み
巨木や、大石をおとし
60mもの木のはしごをかけ隣の山から
侵入する敵を油の水鉄砲で、火をはなち
兵糧攻めにしようとしても
水を巨大な木舟で用意し
修験者や地元のさんかたちから食料を
裏道から運び
とうとう攻め落とせず
同士討ちもおこした政府軍
ということは
この山の至る所が戦場で
政府軍側のサラリーマン武士の墓場であろう
杉の枝で参道をきよめ
お供え物をひろげ
祝詞をよみ貝をふき刀をふる
楠さん側と、敵側の諸精霊位へ
ゆるしあえるように
する薄暗らい山に風が急に吹いた
1瞬ぞっとした
不思議な感覚がおとずれた
僅かに明るくなった
後醍醐天皇に忠義を尽くした
道教、儒教、哲学、神事、武術、忍術、精神で自らを錬磨した
楠正成とその配下の仲間達
大坂の奈良よりの山中に正成さんのお寺「観心寺」に参拝へ
神戸湊川で、後醍醐天皇が公家にそそのかされ
京都の町で足利を誘い込み
潰す計画を反対され
完全な敗北と死を確信しつつも
なおも天皇の護衛として新田軍を逃がし
僅か700人と数万の昔は仲間だった足利と戦い
16度切り込み
夕暮れ近くの民家でもはやこれ迄と
配下の者たち72名
弟と差し違え自刀したと言われている
互いに7度生まれ変わり,
ちょう敵を倒すといい
小屋に火をかけたという
その首は、元は仲間の足利尊氏により
京都三条河原から(さらしくび)
この地に運ばれたというが
実子、正行兄弟へもその侍としての生き方を
伝え、そんな息子たち、仲間を愛していた人柄で
この勇気と、死は死でなく魂の連続性を未来へ
再現している生き様が
大本営により
大東亜戦争に悪用された
忍者をつかいゲリラ戦にたけ
数万の敵を近くの千早城(金剛山中)で迎え撃ち
地元民や修験者たちの力を借り食べ物を運び
数万の幕府軍を返り討ちにした
この千早城の戦いが
鎌倉幕府滅亡の鍵となった
そんな楠さんの墓前へ
お酒と食べ物をお供えした
幼い頃、儒学、哲学などに励んだ
思い出の地で眠られ
さぞ安心でゆっくり休んでい
ご苦労様でした。
役の行者が701年に開き
はじめは雲心寺としたが
空海が高野山を開く為の拠点とし
高野山〜観心寺〜川原寺〜東大寺〜東寺を4日で歩いたという
今でこそ車で ひょいっとこれるが
昔のひとはナビも無く凄いというより普通だったから
旅の味わいもいっそう思い出だったろう
それが本来の動物感覚もあった
人間の持つ地球や宇宙のナビゲ−ションの感覚だが
昨今は、ナビ頼り、雨風も関係なく
だから、地球感覚が失われているのはいなめない
都会の電車じゃみな携帯中毒
歩きながら
自転車に乗りながら異常だ
話は戻るが
ここには空海が如意輪観音の周りに配置した
北斗七星を祀る、珍しい星塚があった
また宝物殿には
楠木さんの書状
息子がオヤジを彫った木像など
国宝が無造作にガラスの中にあり
素晴らしいのだが
もう少し空調やカビ対策をしないと
劣化が心配だ
甲賀望月、戸隠忍者屋敷はさらにひどかった
なんとかしないと、日本の宝が朽ちて行く
予算のまえに
管理人やら、掃除の人やら
出来る事があるのに
放置状態
小さな事でも出来る事から
はじめること
楠さんいわく
弓馬武芸の家に生まれ
兵の名を失ってはならないと思うのであれば
毎朝寅の刻におき(朝4時から6時頃)
我が身を浄め
衣服を着替え
諸天に祈りの誠を捧げ
神明を崇敬し
信じて疑ってはならない
いましめを細かい点にまでゆきわたり実践し
邪を除き
愚にならず
痴にならず
心は均等を保っているか
道は通じているか?塞がっているか?
これを独りで知り
独りで思えば
これによって知識がはっきり、よくわかってくるのである
独りで慎むか
慎まないか
独りであることを慎んで
自らの心に欺くことがなければ
礼節や信義もまたその身から外れる事は無い
天地の神明が物体へと乗り移り
智もまた偉大な霊力に導かれて発揮されるものである
およそ天の道を知らない者は、地の道、人の道にもついても
わかっていない者である
天道というものは
陰陽が交互に推し移って寒さや暑さをもたらし
人の生と死、栄誉と屈辱と
これらは全て天道からくるのであり
人のなす業ではない
ここ心を
自分のものとしたとき
天地、宇宙のあらゆるすべての現象を疑わず
この道にも疑いがなくなる
疑いが無いときには
すなわち私がない
私がない時には
すなわち人の心を知る
人の心を知る時
すなわち物事がはっきりとよくわかってくるのである
これを
良知という
兵の恥は
物事を知らないがために
義理というものがわからず
人から信用されず
うまいことを言って相手を騙すことが多く
相手に敬意を払わない事で
身を滅ぼし
勇気がない為に家業を励まないことで
これを四恥という
これらのことを
よく観、分別し常に心を忽せ(ゆるが)にしてはならない
忽せとは
大事な事とは考えず
てきとうにしておくこと
楠正成
実は能の観阿弥(伊賀)と姉が婚姻かんけいにあり
正成さんのご命日1336年7月4日からかぞえ
伊賀の侍、忍、村人が信長の暴挙にこつ然と立ち向かって
戦う1581年の245年前である
数年前からふりとたちよった
鯖寿司のお店
枡形やさん
京都の出町柳の商店街で100年続く
営業は昼の2時間だけ
仕込みも大変で
その昔は若狭から、塩鯖を山を幾重も越え
1日掛け歩いて運び
ちょうどいい塩加減になっていたらしい
鯖街道の老舗
ある日伊藤若冲ゆかりの相国寺の帰りに
みつけ、去年はじめて寡黙な職人の
おやじさんに前にもきてるね?と
以来、寡黙だが
寡黙でないお人柄もここに来る楽しみに
俺は鯖しか出来ないからな〜
塩の振り方が命がけよ
昆布も職人が手で削り
山椒の葉も若葉の柔らかい部分だけ
水は地下水だ
贅をおしまず
贅をつくし
心をつくしたのは
若冲さんや、あまたの浮世絵師、紙をすいた職人、櫻に木をみつけ切り出した職人、その櫻の板に寸分狂わず髪の毛迄彫った
彫り師、刷り師もおなじ色を塗った版木を何枚も1枚の紙に寸分狂わずたててはバレンで刷る
これが今の印刷のはじまり
贅とは鑑賞者の為のものではなく
作り手がどこまで己の贅に尽くすかのだと思う
写真とて
同じ
浮世絵のように
いつか消えてしまう技術なのだろうか
Kyoto Fushimiinari
各地から集まった祈り手と
地震や天災ができるだけ鎮まるよう願う
今日も東京は震度4
天皇の関係の家があった場は
参道をはずれた静かな竹やぶの中に
なんらかの方位、呪術的な場なのなだろうか?
鳥居は1つ1つ願掛けとその御礼の寄進だが
10年で壊れては交換
順番待ちだそうだ
目立つ入り口には花王が5千万の鳥居を製作中
しかしアジア人の旅行者の多いこと
6〜7年前はガラガラだった山も
携帯でポーズをとり
鳥居によっかかり
さわり
あげくのはてはぶらさがり
伏見稲荷の土地の価格は京都1の上昇率
45~47%も上昇
ゲストハウスの様な宿も増えている
京都の宿の税金が市に3兆円もはいるらしい
インバウンドに耐えきれられない朱の鳥居
July Fire King Cafe in Tokyo 「solo exhibition」15times www.fk-cafe.com
October Stockholm Sweden 「Affordable Art Fair」 affordableartfair.com/
Munich Germany 「Art Muc」 www.artmuc.info/
Amsterdam Netherlands passed the examination of the exhibition 「Affordable Art Fair」
延岡の海を17時に出て
筑後川の温泉宿に着いたのは19:00
2日で600キロ縦断した
夜のため情緒ある中州の温泉宿は
見れず朝も通り過ぎてしまったで改めて散策
羽黒山の石段のさきに
天狗豊前坊を祀る磐座の神社が
雨の中だが華やかな
登山客の団体が多い
山にコンビニ弁当やペットボトルを投げ捨てる
登山客も多く、ゴミ拾いが大変だとお聞きした
時代と共に
大切な時間が消え
おかしな日本人が増えている
地震も天災も自然にくるわけだ
日子山
彦山
英彦山
字も経営も変わるも
あまたの修験者の霊場だった聖域
神社を護る、石鎚山の修験者だった方に
暖かなおもてなしをしていただいた
薄暗い独特な聖域で
葉を打ち付ける雨音と鳥の声
どこかの木から天狗がみているのだろう
宮本武蔵は江戸の一流の剣豪の道場には来ていない
といわれているが
どうあれ
歴史は古い程推測と、憶測
決闘にあけくれ(じつは木刀が9割)
晩年は禅に溶け合い
書と禅画を残した宮本さん
この観音様を祀る霊巌洞に籠もり
明石から生まれ、13歳から60あまりの真剣勝負を勝ち抜いた修行の晩年ここで
兵法絵巻 5輪書を完成させる
5輪書とは地、水、火、風、空で構成された
兵法、精神、から最後は空にたどりつく
兵法の境地は空である
実の心を道とし
兵法をひろくおこない
ただしく明らかに
大きなるところをおもひとって
空を道とし
道を空と見るところなり
忍者の考えや中国の思想、道教の陰陽5行説の流れを感じる
般若心経もよんだに違いない
宇宙とこの人間の心理をどこまでも理解したかった人であろう
しかし看板と道があるからこれたが
こんな山奥の洞窟をしりあて
またよそものが、1年もある日から住めたのには
何かの魅力と謎が生きる
洞窟の天井には当時のままかわらずに残る
霊巌洞の文字
独特な怖くもあり
どこかと繋がっている様な洞窟
宮本さん亡き後も
その呼吸を感じた
あまたの武芸者の崇敬と修行の聖地
誰もいない静かなこの洞窟で
宮本さんを偲び
きっと笑われながらも
都城で手に入れた
島津の紋のはいる赤がしの木刀で
お祓いをし祈った
入り口の霊巌寺は昔は沼で
龍が住んでいたという
中国から帰化した僧に
証拠に鱗と、法螺貝を残したと言われる
なんにせよ
道は2つ
蛇行しながらあがる道と
真っすぐに途中48度の斜度の岩場を登るコース
真っすぐは約30〜40分で頂上へ
しかしエクササイズ目的のご老人手前の方々が多い
頂上付近には数百回、数千回登った記録者の名前が
毎日登る方もいると聞く
何処よりも高いこの場を
選んだのは彼らもNHKも同じ
違うのは理由である
役の行者、蔵王権現、猿田彦
現ご祭神は金山毘古、金山毘売、安閑天皇
電波等も車も携帯も無い時代
感覚と感情性と正心に生きた彼ら
この地に何を見
どんな時間がながれていたのだろうか
吉野からわざわざ
修験者達を呼び
さつまくぐりのルーツがここ
様々なかれらの思いが残る
懐かしくも
離れがたい場所だった
2度お参りをさせて頂いた
海洋の廃棄され、風で飛んだりしたゴミも
推定数億トンらしいです
日本の海岸もクック諸島もニューギニアもどこも
肥料の袋やら、発泡スチロールや、ペットボトルや漁網など
ゴミだらけだけど、だれも拾ってない
ペットボトルも、プラスチック容器も
地球では分解出来ない
のは
原発の放射性部質とおなじ
行き場のないゴミ
リサイクルには
金と手間も薬品もかかる
中国がひきとらない
など中国のせいにしてるのもおかしな話しで
自分のゴミは自分たちで
処理すのがスジ
それも出来ないなら
使わなければいいのだが
なかなか今の暮らしから
プラスチックを無くす事は相当厳しい
売る企業側が代替え品を作らないかぎり
石油製品はなくなりません
かといって紙だと
世界の木はなくなる
再生紙は塩素やら薬品がでる
イナゴのように地球を食い尽くす勢いの地球人
これはある意味、代替え品はビックビジネスと見据え
各企業が水面下で開発もしている事に期待したい
意識?
たしかに個々の意識がまづ大事だが
海にゴミを捨てるの人はなくならない
軍需産業の実験や廃液も実はなかなか
海外や国内の船のトイレや洗剤も汚水もたれ流しが現実
何海里以上はなれコンクリートに固めたら捨てていいとか
おかしな法律
ガラスはコストがかかる
再生物は色が悪く
売り上げが落ちる
病気の蔓延がおさえられた
などメーカーも歯切れが悪い
ま〜明日から急に皆がプラスチック製品や
発がん性のあるらしい
ペットボトルをやめるのは無理ですし
間違えなく人口が増え
このままでは食いつくし汚染するのは
間違えないでしょう
地球も自然濾過、治癒がりますが
それを越えた水槽のような限られた
水たまりになりつつあります
誰かがいい発明で
いいフィルターをつくらないと
海がどぶになる
広島の原爆のウランのことなど、様々な逸話が伝承されてきた
ネイティブアメリカンホピ族の予言では
地球の尊厳も慈しみを忘れた人々が
ある日一匹のつぐみが人々におしゃべりを教えると
人々は他人の肌の色など悪くちをいいあい
戦争になったと
こうした地球と宇宙を馬鹿にした人々が増えると、地球は自然淘汰されると
現在は4回目らしいです
5度目は黒い水がやってきて、又地球は生まれかわると古くから
言い伝えられてきてます
九州でも地震や噴火が連動して来ているのか
心配です
過去の中国には孟子,礼子はじめあまたの
哲学者と武術家がいました
仏さんもチベットから中国で修行し
上手に練り込まれ日本に輸入されました
MAIDE IN chaina が嫌といいながら漢字は中国製です
その教えを我々日本人はもう1度ともに
読み合い感じ合い
地球防衛軍、監視員がいないとだめかな?
エシカルとかそんな話でなくて
ムチをふりふりちいぱっぱの 教育者が排他された以上
都会の学校の子供達に渡海を教えないと
いけません。
迫りくる波に立ち会い
一瞬でも躊躇(迷い)があると大事件になる
けっして退かず
波の懐へ潜るしかない
行くなら行く
やめるなら踵をかえすように
やめる
中途半端は必ず大事件
それは心
心が恐怖にまけると
背中と腰の軸がぶれて
うまく体がうごかず
必ず波にやられる
心とはなんぞや?
胸の辺りにある
頭がぞわぞわしたら病気です
ぞわぞわや
わくわくは間違えなく胸のなか
ここを鍛錬し
自己の力を正直に見認め
大自然と会わせて行く
無理は即死
だが
前人未到の無理に少しは入り込まねば
撮れないのも事実
事実と真実は違う
ように
海の中にも風が吹く
神風が吹くと信じた日本人
みえない世界
みえない事実を信ずること
この国
この地球をはかりにかけないよう
ものさしで地球をはかる事をしないように
人間がこの宇宙の全てを知り尽くし
万物の叡智であるかのように
振る舞わないこと
自分の庭や海を大事にできない人間が
火星なんかいくべきでない
どうせまたゴミを散らかすに決まっている
馬鹿者!
もののふは常に信心いたすべし
天にそむけばいかでよからん
忍歌
死と生は断絶する別世界ではなく
妻イザナミの死を悲しんだ
夫イザナギは妻の死居を訪れた話の様に
一続きであるかのようであったが
外来宗教の古参である仏教は対自的にとらえることを布教した
死後の世界を輪廻しながら六道に転生する因果観を強く
染み込ませた
あの世には天国と地獄の対峙的世界を描写し
民衆に勧善懲悪の倫理思想を植え付ける事に成功した
そしてこの世にいない死んだ人の霊魂なる霊威を
さらに強め全面に光らせ、自然的なアニミズムから
各仏教の教えとともに、先祖供養の儀式を系統化し
寺の檀家制度を確立した
戦国の世をかえるため
比叡山で皆修行しながらも
独自の思考、哲学を霊鷲山に向きながら
伝えて来た偉業は凄い事だが
江戸時代に編み出した檀家制度と宗派
一部の寺の坊さまは
代々の墓は長男しかはいれないルールですので
墓はあたらしく新品を買ってくださいと言い
戒名は1文字増えるたびに課金し
結局涙を流した兄弟も死んだあとに
離散し、まな板の上の鯉のごとく
断りにくい、拒否出来ない状況の中
請求されるお粗末
お釈迦様
これはあってますか?
昔バリ島のお葬式に一日参加した
(バリヒンズーは人間は5つのエレメントでき、火、水、土など
いずれ生まれ変わり又家族のもとに戻ると信じられ)
悲しいですが、楽しくみなで盛大におくりだし食事をしましょうと
骨の一部はヤシの実につめて海へこれから流しますと
一緒に海へ行きました
なぜ?海へと聞くと
おじさんは生前、海と釣りがすきでしたからと
山が好きなら山でもいいんです
自然に還ることに変わりがないですから と
インドのラーマヤナに道教的な陰陽5行説とアニミズムがうまく溶け合って
どこか田舎の日本的でもあり感動しました)
バリ島のように本来は家族のお墓は家族の敷地にあるべきですが
妙な法律で日本ではかないません
毎日あえますし、むだなお金もかかりませんが
そうしたことすら嫌う人々も増えたのでしょう
さらに「いい暮らし」の追求と
すぐに壊れる石油製品や電気の余計な物を作り続ける
発展途上の国々が、すでに発展したのにまだ欲しがる日本人のようになれば
同じレベルでさらなる汚染がすすむのは眼に見えた事実です
日本の昭和30年代の海岸の状況が世界の海でおきています
フィジー、タヒチ、モルジブ、パラオ
中国のお金が流れ、ホテルが乱立し
パラオもモルジブも一部の日本さえ
残念ながら洗剤も垂れ流しです
情報がなかったあの時代
本当に効いているのか?疑問な空手チョップを
青いフィルターの白黒テレビで熱狂し
いい学校がいい就職でいい人間と
洗脳され、生産性と発展にばく進した日本
自然に対する配慮も考える暇も理念も理解もなかった
あの時代は水俣をはじめ科学薬品を垂れながし
当たり前にこのままでは、海は汚れていくでしょう
アメリカも日本も中国も
海に浮かぶ島ですから
唐突に
車は燃費を食おうと、古き良き時代とデザイン
と部品もあり治せる、昔の車がいいでしょう
これぞエコであります
現実ではオートマ免許を
お客様として発行する教習所にも
運転技術の低下と適性が緩いのはいなめません
逆走、やアクセルのふみ間違えなど
昔は無かった事故が多いのもその原因です
持続可能?英語でなんでしたっけ
エシカル?
笑
眼新しい「物」はこれ以上いらない