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ちんちん電車
道
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不可思議なご縁で
イタリアに渡り武者修行20年のシェフ ヒデ マツモトさん
伊賀の古民家の宿ササユリ庵で
お料理をもてなしていた、奈良の割烹万惣のオーナーシェフ 長田さん
のお店をお手伝いしている、イタリアに11年修行されていた牛尾さんの
ご紹介。
人のから人の口伝の力で
初めてふらりと訪れた、ヒデさんのお店
イタリア人のスーツを着こなした紳士が
厨房から日本人の白い服を着たコックさんをよんでくださった。
どなたかのご紹介ですか?
訳をはなし
自然と遅めのお昼をおねがいでき
おすすめくださった夜のメニューから
サフランのリゾット牛のすね肉煮
様々な牛肉の部位の焚き合わせを頂いた
初めてに関わらず深い暖かなお気持ちと
素材の作る順番、と暖めかた
全ての調理のタイムスケジュールで仕上がった厨房の方々のタイミング
料理と哲学が溶け合う丁寧な気遣いとお心は
国籍をとわず地球人、宇宙人の誰がみても明らかに
お皿にもられた素材が料理となっている
「明朗快活」
いや料理とも違う
肉や野菜のシンプルな寿しのような
ギリギリの組み合わせの芸術?いや芸術ではない
芸術とはなんだか作られた枠と
作家の思惑の窮屈さと退屈を感じるから
感性の研ぎすんだ手裏剣?
修行者の技であるのは間違えない
芸術や作品というと気をてらった
きな臭い現代アートは
作家の恣意や念、内面がキャンバスに下書きされ
上手に仕組まれた作られた1枚だ
写真も同じく構図ありきの1枚は見ていて落ち着かない
狙いすぎ、作りすぎな1枚は
作者の思惑が重たすぎる策者ともいえる
ヒデさんのお皿の料理は違う
お皿に見事な間で自由に配置された
色彩や素材の大きさ、小口の仕上げときり方
目で見て驚き、笑みがこぼれ、声がこぼれ
食べてまたうなるのは皆同じ
そうとう素材を食べて、そのものの特性を知り
包丁を扱いなれ、多角的に知りつくさないと
こういった一皿は出現不可能だ
師匠ダビデさんと開いたお店(DO)道が
半年でミシュランに選ばれ
予約が半年先迄うまるのも自然である
あたりまえだが自然を感じる
素材は生き物だから自然が介在しているのだが
海岸でや山を感じた
古い武術にも精神面がにている
実は今だからお話しさせて頂くが
銀座久兵衛さんの若旦那今田さんの
お寿司となにかが通じ合う符号がある
今田さんのお寿司もおじいさんから脈々と伝わる
相伝的、伝統的江戸の技を世襲しつつ
自由で、きめ細やかな日本の四季をも感じる香り漂うひと握り
そんな独特な流れでの漆塗りのウンターの
ぴっしっとした室内のでの
今田さんの一握りは
誰もが笑みがこぼれ
幸せだな〜とやはり海を感じる
いつも加山雄三出現!である
市井の料理の先生だった下関の壇ノ浦のばあちゃんが昔、海のいえで
朝市場に一緒行って買った
穴子の頭や骨を焼いて、醤油とみりんで
煮詰めたツメをつくり
網にのせガスの火で焦げ目が着いた穴子は子供時代の憶いで
技術レベルはさておいて、なんだか心が旅をする
砂糖は使わず塩と酢だけの
少し暖かなしゃりを
常に裏から若い板前さんが
布巾でくるんでおひつに持って来る
どういう合図なのか自然に行われる所作がまた美しい
実は今回飾らせていただいた写真は
久兵衛今田さんのコレクションして
いただいたお写真と偶然同じ
何やら不思議です
包丁1本!〜
写真機1台〜
残念ながら昨今のカメラは電化製品
昔の鉄でできていて
シャッター切るとちーんと響くカメラはよく磨いた物だが
今のプラスチックのカメラはあまり磨かなくなった
シャッター音もあらかじめ録音された模造音である
包丁のように研げば研ぐ程愛着と、己の歴史をかんじる
魂の相棒とは違うカメラ
1999年はカメラは所詮道具よ!
道具に撮られなよ!
おまえさん!
海へ行け!
といったユージンスミスの流れをくむ師匠を憶いだした。
頑張らねば!
味は旅をする
小さな子供達もじいさんばあさん、かあさん、とうさんの手作りの
素材がいきた魚を選び、包丁をふるう家族の暖かさ脇で
ちょっとはじっこくれないかな〜と
調理をみながら味見をすることがなによりの楽しみだった
今や魚も捕れない都会で
食べるために働く?のやら
働く食べに食べるのやら
わかりませんが
車とガソリンの関係でなない
暖かさと子供の頃の純粋だった自分と家族や旅の
憶い出を、フラッシュバックしながら
又新たな旅をできるのが
地球感と自然に包んでくれるのが
一流の料理人の技かもしれない
森羅万象に感謝
LE API OSTERIA
ORNER SHEFF HIDE MATSUMOTO
LE API OSTERIA
VIA CARLO FOLDI 1-20135 MILANO ITALIA
LEAPIOSTERIA.COM
イタリアに渡り修行し20年
ヒデ 松本さんのお店、レ アピ オステリア
素材と仕込みは最上でありながら
お値段がコースでも驚きの価格
数年前迄師匠ダビデさんと開いた
ミラノ郊外のお店DOは半年予約がとれない
ミシュラン1つ星の名店
フェラーリ会長、サッカー界の長友さんはじめ
著名な一流の方々に愛されるお人柄と味
そんなヒデさんの
大切なお店に写真を1枚飾らせていただきました。
ミラノの際はぜひ!
旧市街から20~30分です
大胆で繊細な割烹料理のような
見た事も食べた事も無いお料理が
次々とテーブルに
異国の地で
美意識の高いイタリア人の方々から
の賞賛とリピーターさんで溢れる店内
予約された方がよろしいです。
マネージャー、これぞイタリア紳士アンドレアさんも暖かく
お迎えしてくださいます。
はじめてのミラノで展示会より一番よかった
不思議な出会い
ONWARD
ミラノ
江戸時代の江戸は
伊勢屋に稲荷に犬のくそ
ミラノ
失礼ながら
エスプレッソ屋にパン、落書きとタバコ吸い殻
犬の糞は青いゴム手袋で95%のかたが手で拾う意識
しかし美しい旧市街だな〜
日本はアジア的になった、勝手バラバラな看板や液晶広告モニターやら
雑音やらカオス。
昔のいや
日本はこんな国じゃないはずだが
着物やもんぺを捨て
明治あたりから西洋化されジーンズをはいた我々
は外人から見たらどう写るのか?
ニューギニアやアマゾンのよくテレビににでる
原住民はちゃんと、古い伝統衣装に着替えて
撮影に臨み、カメラもそれ以外町が写る方向にはカメラをパンしない決まり
だから、地球や自然との距離は広がるばかり
つまりは大事にしなくなる構図
しかしイタリアは小さな時間見渡しただけでも
タバコの煙の町並みと国民の美意識が高いと知る
観光地全く興味無し
会場と宿の往復は地下鉄もニューヨークと違い
表示が出て明朗
.
パスタ味濃いめ
ヒデさんのお店
レ、アピ、オステリアのモンブランは最高だが
他のイタリアのお店はどこも
スイーツすごい甘い!
.
宿は貸しアパートにしたが
宿が変わるたびに、暗証番号がかわり
鍵もいくつも開けねばはいれず
チェックインの時間も限られ
どうも機械的で嫌いだ。
次回からはホテルにしないと
荷物も預けられず本当に不便としる
安いなりの宿
身を以て知る
異国の岡
ミラノ展示
ローマ
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個展 カシヤマ代官山
イタリアへ
affordableartfair.com/inspiration/5-must-see-artists-affordable-art-fair-milan/?fbclid=IwAR0YZI8lLQqn-zFKULKjJ0i9h3hwQHwx5DuTzrow-iBB9BvepvzQmsBQgp4
2020 2/5~2/9 Milano
2/5~2/11 Roma
ミラノで開催される、アフォーダブルアートフェアの審査が通りました。
Webにて杏橋幹彦が推薦されました。
またローマのギャラリーでも同時開催いたします。
monogramma
Via Margutta, 102 00187 Roma RM Italy
www.monogramma.it
なんと明日夜に設置するのですが
カシヤマ代官山カフェとギャラリーにて個展を開催します。
2/4~2/28 B1F Cafe 11:00~21:00 & Gallery
残念ながらイタリアの展示な為
2/4~12の間は杏橋幹彦は不在です。
Onoda san
Jiei Hasegawa Shingon Monk
Makoto Kashiwabara Photographer
Makoto Kashiwabara Photographer
He was so deep story abut Photgraph and Camera
miky Good!
Don’t be taken by a camera .
A camera is a tool after all !!
Grap that person’s soul and push it !
don’t thinking
Time is gone is gone when you thinking.
Staring at Minamata and the battlefield when Eugen Smith came to japan ,the father developed
and teacher
Eugene is so my teacher too
Youji Komatsu
Yuji Komatsu Mountain monk at Minobu and schimenzan is2000m high
Youji had hard mountain monk that he running prayer mountain in mountain temple 「Keishinin」
Now He moved his home town 身延 Minbu mountain
also his Family tamale takeibou .
Takeibou is enybaday Stay tamale hostile in minobu.
Minobu had long time history with monk Nichiren.
Takeshiko Yasue Jeep shop「Jhonan Jeep pitie」Orner
yoshino yama yamabushi
Special Sake
Yamabushi
Mansou
水分り神社
鎌倉幕府の北条高時の遊興三昧による、民の苦しみと世の中の秩序も乱れ
朝廷の持明院と大覚寺の皇位継承の争い
に介入していた鎌倉幕府を倒し、武士の力技の政治から
天皇親政の、あるべき本来の日本の国にする目的があった
後醍醐天皇が一時は隠れていた吉野。
天皇に忠誠を誓い、兵庫湊川で後醍醐天皇と、鎌倉の新田軍を護るため
勝てないとわかった戦で、圧倒的な足利と村上水軍に16度切り込み
最後はともに戦い残った73騎の部下と弟 正季(まさすえ)と7度まで人間に生まれ変わり、朝敵を滅ぼす存念
と誓い合い、差し違え自害した。
勇気と義
強敵にも冷静にくっしない
日本で最初に書かれた兵法署「開戦経」を大江まさのぶ著
を学んだ方である
宇宙を生命体有機体としてイメージし
そこにある生命は永久であり
無限に枝分かれした命が。身体や物質、物体に宿り
日本の美しい4季の移ろいに
溶け合い生きて来たあらゆる生命
祖先、祖霊は、水、土、空気、太陽の4つが和合し自分たちが
この地で生かされているという、アミニズムである
これはおそらく頭で勉強しわかる、または記憶する今の勉強とちがい
美しくも強い自然に心身を寄り添い、生きるなかで自然に誰もが心でピン!と理解する
真理である
ある本ではこれを循環無端の哲理というらしい
生命の循環であろう
こうしたことで
人は宇宙と地球に対する畏怖と畏敬を尊び
それは他人をおもう優しさにつながり
それこそれが日本人であると
素晴らしい教えと憶いが
純粋に生きられた時代
今の様な、電気パチリ、コンビニエントな世界では
観えにくい物語りになりつつあろう
それに近いのが修験者である
もちろん各宗派の僧侶であり
なにかしらの宗教かもしれないが
手段と方法の道の違いだけである
真理は一つ
海は青く
山から観る月は同じ
山も海の底とつながる、昔は海だったこと
シンプルでいい
誰が一番とか
これが絶対無二と人に強いた瞬間
きな臭く歪曲した宗教になる
宗教とは日々の暮らしにあるだけだから・・・・
話は脱線しましたが
ここ「みくまり」神社は吉野山の奥の奥にひっそりと
観光客もいない今の時期の
冷えた山から皆さんをみています
雨乞いからはじまった
もとは金峯山寺に属していた修験の聖地
それが明治政府の人間界の身勝手な都合により分離
明治で日本は死んだ訳です
吉野山
役の行者が修行をし
蔵王権現が現れ
これだ!と感じ
櫻の木で彫って拝み始めたのが始まり
明治政府の修験道禁止
呪術、祈祷加持、等を禁止し
数千年にわたり
脈々と祈られた仏像を破壊し焼き払った愚行から
今の日本の自然や地球をないがしろにする国が出来た訳だが
ここに今にも動き出しそうな
巨大な真っ青な3体の蔵王権現
廃仏毀釈の際も僧侶たちが命がけで
布などで隠したという
柱はツツジや様々な木で作られている
そんな金峯山寺の社務所に
急に訪れたにもかかわらず
たまたまいらした、五條永教執事長さんがいらした
僕の貝を吹いて頂き
本物の山伏の教えをこう
来年へむけ青い蔵王権現様にちなみ
青い海の写真で展示が実現するかもしれません
偶然1冊持参していた
伊勢神宮にもご奉納させて頂いた写真集をお渡しでき
永教さんから
なんと五條管長直筆のぐい飲みと
よろしければ御使いくださいと
永教さんが使っていた、櫻の木とめのうのイラタカ念珠を頂いた
そんな事ってあるんだな〜
ご縁ですから
としばし歓談
山伏から海伏
多くの教えをこれからもお願い致します
そもそも永教さんとのご縁は
伊賀のささゆり庵を経営される
山伏 松林正哲さんのご縁
松林さんとは伊賀の古刹 滝寺天台宗延寿院の松本住職のご縁
延寿院は
赤目不動を祀り、藤堂高虎の位牌が徳川家康に背を向け安置
ここは山伏、法華経を納経する赤目瀧衆、忍の基地と知った
信長に焼き討ちにあったのは500年前の桃山時代
伊勢神宮に写真集が収まったのは
この寺に300年前に先祖の行者が来た!からその当時の御朱印帳をもって
現れた岡山鶏卵協会会長 丹下さんのご縁
その丹下さんと古くからご交流のあった
伊勢神宮のとある祭神の方へのご紹介である
自らを石にたとえ海に投げ込んだあの日から
不思議な波がとまらない
皆様に感謝と
地球に嘘無く生きるため
僕は波の中へ鍵を開けに行く
山伏へあいにいこう
大阪へ車で
静岡付近で空が明るくなって来た
太陽は不思議なもので
真言宗では大日如来にたとえ
ネイティブアメリカンは ワカンタンカと呼ぶ聖なる存在
国は違えども
人間の心根は本来は同じ
国や肌や言葉は表面的な現実の形
ことしも天候不順でなかなか、日本の波が写らない。
オーストラリアの火災や
世界的なハリケーンや今迄とは違う地球
人間様どうし
なかよく
地球と宇宙を大切に
地球のシロアリ化した我々
人間界のバランスの支障が現実の世界で
地球が泣いている?泣く程弱くはないか
海や地球は生きていて人を見ているにちがいない
裸で山へいった修験者が感得ししること
裸で1人海へ泳ぎ出て、見聞きしながら知ること
知る?とは異なり
心が開く感覚だ
知識はいらない
野性的な本来の地球との自然で歴然とした
約束と距離を胸で憶いだす。
山伏にあいにいこう
Osaka
伊豆稲取 食べるお宿 ホテル浜の湯さんへ
リーピーターさんで毎年ご宿泊されている中村様
から即決!でご注文くださいました、日本の波を
印画紙でプリントし大阪のご自宅へ、搬入と取り付けをさせて
頂きました。
ご家族勢揃いで夜は、海の話しから
ご先祖は広島の共通な不思議
妹様はわざわざ山梨から今日の為にかけつけてくださったとの事でした。
神仏を代々と大切にされている中村様に
大阪の割烹「まんま」さんにて宴をもうけて頂きました
天然のスッポンの甲羅の身や甘い脂身と山鳥のような滋味あふれるお椀
のねぎは炭火で焼かれ、上品なカツオだしで
天然の瀬戸内の生きジメのタイは、幼い頃山口の壇之浦の田舎で
おばあが作ってくれたタイの刺身同様、昨今の養殖の臭みやむにょむにょしていない
逸品でした。
天然のクエも皮ごと厚く切られ、旨味ある皮と身の味の
ちり鍋
銀のちろりに注がれた日本酒獺祭に
海外では絶対にない歴史を感じ
どれもこれも、素晴らしい職人技と時間でした。
お店の女将さん、職人さんの心意気と技に
只只うなってました。
海のご縁から、写真をコレクションくださった上に
はかりしれない、贅沢で暖かなお時間を賜りました。
中村様、お母様
本当にありがとうございました。
また御逢いいたしましょう。
その日まで…
写真達の航空代
2010 2/5~2/9 Milano
ミラノで開催される、アフォーダブルアートフェアの審査が通りました。
またWebにて杏橋幹彦が推薦されました。
またローマのギャラリーでも同時開催いたします。
monogramma
Via Margutta, 102 00187 Roma RM Italy
www.monogramma.it
関係各位の皆様
ありがとうございます。
懲りずにまた写真と旅行です。
前回の航空機オーバーチャージは日本で18万を皮切りに
行く先々でご請求され。
自分の旅費を超えてしまう不思議
15枚の写真達の旅費ですね。
しかし前回のように壊されない事を祈ります
壊れても航空会社は携行品(写真も)はほぼ保証しません。
今後の旅のためにご参考迄
添加物
伊賀の山
海底は山とつながる
海には珊瑚
山には木々
魚と動物がシノギをけずり生きている
あんな波の激しい、夜は冷たく暗い海で
魚は怖くないんだな〜
といつも海で1人およぎながらおもい
ここは地球のもう1つの世界で
人間が安易にくるところでないな〜
早く帰りたいな〜
ともおもうときもある
冷える
水もたべものもない
酸素がない
きつい訳です
夜の山で動物も怖くないんだな〜
人間様だけが夜の地球になじめない
やはり火である
星を崇め
祈り
潮風をよみ
感覚をふるかどうさせて
野生にそっていきてきた人間も
毎秒毎秒
安全で過剰な便利とサービスで
その大切な感応力も心も絶滅して行く
ちょっとはあやうい
地球にみをおかないと
人間味なる味が添加物により汚れて行くわけです
心いづこへ
時に沿う
ここ最近?
この2年あまり、日本の波が撮れにくい
まるで大海でマグロを釣る話のようだが
ほんとうに、気象がよめず
雨が降り風が吹く
地球が壊れ始めたせいか
宇宙からの影響か?
そもそも今迄が奇跡だと知る
生涯で傑作?のとれる枚数は
すでに海の神様がきめているのか?
ま〜
なるように
流れるなるということを教わりました
撮れる時は5分で撮れたり
撮らされたり
何らかの影響を感じます
日々、心に間違えのない日々を
こなしていく
済んだ事はおいかけず
済んだ事の少し先へ
すると済んだ事の意味が変わるはず
その時決めた自分を認め
次の波へそなえればいい
特に身辺でなにかあった訳ではないですが
波を通じ裸の自分をみるように
地球はなに1つ間違えなく
約束をしたように
太陽が朝きます
太陽がこず
波がなくなったら
商売あがったりです
宇宙の海に浮かぶ地球を大切に
日々是好日
令和短文
口先の世界から、命があやうい、本物の海を知りたかった。
酸素ボンベは捨て, フィンと水中メガネだけで泳いできた。
カメラのファインダーは見ない。写真に色をのせない。1人で行く。
あまりに怖いおもいをしすぎ
泳ぎでた海岸にもどれるように
忍者の呪文でおまじないをする。
海に全てを傾け風の影をさがしている。
人間の一生なんかあっというまでさようなら。
写真は嘘をつけないが、嘘をつかせるのは人間である。
写真の師、柏原誠とユージンスミスを憶う。
あてもなく地球中の波の裏側へいったが、そもそも波なんて物はなかった。
誰も水が何者で、どこからきたのかもわかっていないのように
透明な風がなぜ写るのか?など、人間に永久にわかる必要は無い。
吉野山と伊賀の山伏から教わった祈りを共に、古くから生きる海にたむけること。
つまりは海伏となった訳だ
海は生きている、我々の全てを観て、礼を尽くす人を待っている
2002年から南へ南へ南下し
フィジーの最果ての島と波をみつけた
2001年から命に関わる場に自らを配置して
カメラで撮る必要が胸の湧いて来た
1984年パラオにたった3日だけホームステー
させて頂いたアキヲさん家族の不思議なご縁
そんなオヤジさんの死を感じ
パラオで
命儚く、これでもかと!生きないと駄目だな
と戦場ではなく
波の中へ行ってみようから始まった今
人生は光陰のごとく
様々な分岐点や
無限な選択肢をおざなりにしていた
話をフィジーにもどせば
この島の小さな宿にはなんと
日本人 新潟新発田のサーファーましこさんがいらした
彼に波のこと
を教えてもらい
泳げたことはなによりも心強かった
彼は独り遥か沖の波へパドルアウトし
強烈な壁の様な波に挑んでいた
僕も何度かためしたが
急に海の水が集まりながらせり上がる波は
楽しいレベルではなく
真剣勝負の胸がキュッーとなる波だった
そんな電線も、ビルもない
昔のままの海と山は
いっそうに独特な霊気の様な雰囲気を
ただよわせ
岸へ帰ると決めると
ホッとした
全部が嘘無く
かけねなく
本物の天然の地球だった
今やこうした場は地球から絶滅して行く
環境が絶滅すれば、生き物も潮のながれも変わり
世界はどこへいっても、こぎれいなホテルにレストラン
人工の海岸ワイキキのように、都会の町並みと東京となんらかわらいない日々
空気と海だけがハワイという箱庭に
われわれ日本人も
わらじを捨て
刀やくわを捨て
スマフォに支配され
ジーーズをはいて僅か140年
とりかえしのつかない
地球感のピックルスに
大宇宙=大自然=天然の地球を満喫し
尊ばねば、日本の心なる魂は砂時計だ
謹賀新年
本年もよろしくお願い致します。
この2年、日本の天候がめまぐるしく変わり
なかなか撮れない日々が続いています。
これも四季に敏感だった日本が変わり
日本人の地球への信仰が薄れた影響もあるように
感じます。
万物は生きていて
みています
受け身な地球を破壊し
余計なケミカルな絵の具を川や海に流せば
どんどん、地球は壊れていきます
一部の神社や目黒不動でも
法螺貝は吹くなといわれます
もっとも昔の日本人は100人に1人は行者で
貝を吹き、森羅万象を祈っていた民族でしたが
今や聞いてから吹かないといけない事態に
過去数千年にわたり
神も仏も身近に聞いていた法螺の音も
人間主観のルールで禁止され
行者も絶滅していき
神々と共に溶け合いながら
歩んできた時間が薄れれれば
自然と地球や海への畏敬も畏怖も
みえなくなっていきます
ごく普通だった事が
出来なくなる
トランペットを吹くのではなく
悠久の時と音色で
神様が
お〜懐かしいね〜
過去の行者たちが
ありがとう〜祈りを繋いでくれて
と
そんなシンプルな事です
法螺貝とは
海の命を山で吹く輪廻と命の循環を表す
と羽黒山伏の星野さんから聞きました
古いお札の納め場所には
むき出しのまま、もういらない!と
ばかり、むき出しでそのまま捨てられたお札が
昨今の日本を表しているな〜と思いました
正月だから
都合のいい時だけ
自分のお願いごとばかりする
でなく
時をかまわず
日々感謝と祈りをお伝えくだされば
日本が自然に護られていくような気がします
神は1つではなく
所詮宗派は人間が決めた手段の違い
太陽と風と海と山の命に
救われ、命をつぶし食べて
美しい時を生かされています
ごくごく
単純明快なはずです
イベント!ビーチクリーン!なんか
なくなるような日がくるように
Daikanyama Kashiyama
ONWARD
天運
2003年のフィジーの最果て
36枚フィルムをつめたカメラを防水ケースにいれて
独りでよく
こんな波の中へいったな〜
怖いもの知らず?
いや初めてから2度目の冬のハワイで
気道が閉まる程溺れ
諦めかけたのが最初
2度目はマウイのホーキパの沖
朝、先月マウイの聖地ホノルアベイで知り合った
シェーパーでプロサーファーの
今は亡きクリスバンダーボートが部屋をノックする
いい波だよ
行こう!行こう!
と
カメラをセットアップし
沖へ泳ぎだすとドンドン沖へ流れた
波がでかい!
グーフィー(左から右へ崩れる波)の波の
さらに左の岩場に流され
3~4mくらいある波が連続で崩れ
ボコボコに飲まれた
胸にあの2ヶ月前の恐怖が集まり(必ず胸がしめつけられる)
パニックになりかける
まづい!
またか〜?
あの変な怖さがまた胸にす〜っと集まって来た!
落ちつけ!杏橋!
ぜいぜいしながら右へ右へ逃げる
3度目は
フィジーの大雨の沖
天候も潮回りもなんにもみないで
行く!と決めていた日々(自然現象に逆らわず、選ばず雨でも風でも行く!今思えば危険だった)
岸から300~400m沖でひとりぼっち
曇天の空から
振りかかかる巨大な波に巻かれ
2発目まかれ水面にでると
既に頭の上から波が落ちて来ていた!
まづい!
海底に叩き付けられるか、首か背中が折れる!
息も十分に吸い込めないまま
潜るが(気持ちも負け気味!ジャックナイフの体勢もとれず)中途半端に浅くしか潜れず
暗黒の洗濯機に投げ込まれた!
暗い泡と圧力で
肺の空気も全部でてしまった!
苦しくてもがきながら水面を探すが
4発目がきたら、駄目かな!な〜
とぜいぜいしながら水面に顔を出し
空気を吸い込み周囲をみると
波は来てなかった
片手でクロールしながら右へ右へにげて
しばらく浮きながら呼吸を整えた
いままで
幾度も巻かれながら
なんとか切り抜けて来た
全部己の力しかない
しばらく
泳ぎも運も上達し忘れかけてた
あの怖い感じが
数年前、クック諸島のこれまた沖でやってきた
沖迄片道20分片手クロール
やがて膝,股の水深の沖で
どうしてもすこし深くなった海の、崩れる波の向こうへいけず
20分
何度も何度も波をやりすごすが
結局
波に飛ばされ、無重力で足から大きな穴に落ち
左足に激痛がはしった
あ〜ガンガゼ(ウニ)だ〜
と感じ
足もみず
足首で足をクロスし
片手だけで30分かけて戻ると
ブーツを突抜たどくのウニの針が30本以上折れていた
悲しい〜
雨の中原付バイクで30分
宿へもどり熱湯をかけ解毒し
たが針が中で折れ抜けず
悲しい〜
ウニもごめんなさ〜い
話しはながいですが
悲しい〜
連続を幾度も乗り越えると
心はどんどん強くなるようですが
経験が邪魔をする場合もあって
あ〜このパターンは溺れるな〜
これは胸に怖いあのざわざわがきたな〜まづい!とか
より怖さを勝手にどんどん盛り上げる訳です
怖さはどこからくるのか
研究した結果
1 外的要因(でかい波、巻き込まれている今、浅い珊瑚の岩、サメ)
2 1、は普遍的地球や海の日々のリズムです。
これに、人間が人間のものさしで、心理的内的に怖さを作っています
人の怖さのものさしレベルは段階がありますが、(泳げる自信、泳いできた経験がないと来ちゃ駄目です)
精神的な平穏とゆるぎにくい覚悟と気合い!が体の力を抜けなくします
3 祈り
へんな話ですが、神仏に心から祈り、お願いする。
忍者の呪文を唱える
印を結ぶ
気合いをいれ大声をだす
おまじないが、案外日本人には効きがいいと思います
笑い
あくまでもこれは、精神的支えですが
目に見えない守護はあると存じます
怖さは自分自身の頭でなく胸がつくってます
だから心臓がぎゅーっと怖さで縮まる
4 で、どうすんの!
とにかく、前へ前へ、横へ右へ逃げる
あらがうべきものでもなく
所詮さからえる力ではなく
覚悟と決めたら決めたで文句は言わない!
後悔無し、失敗なんかこの世になしの境地!
明鏡止水!
そんなかんやで19年目の今
波へ行きたいが、天候不順で足止めです。
それもこれも天運、天命あり
内外無垢、心身清浄、心晴れ晴れ
無生法忍!
この世、あの世
決めごと
酒は飲まない
一人で行く
準備運動
心の平穏
泳ぐ勇気
体的瞬時の決断
予測
戻る勇気
サメを先に発見したい
どんなにまかれても諦めない
大波が来ても前に前に
とにかく人間界では使わない
昨今の馬鹿みたいに「5感をゆさぶる」
5感を刺激する」
正直気持ち悪い!です
人間には10感〜18感〜ある
失った感覚がよびもどされるから嬉しいのだ
失った感覚は野生であり
地球と呼応する約束を憶いだすのだから
不安を捨てる
考えすぎない
おごらない
これ忍の三病というらしい
ここに
きてみなさい
つかむ浮き輪も
藁1本もありません
地球と海は全部見ています
嘘の自分をすてなさい
自分を欺いてここにきたら
即あの世。
験
文明が進み自然の破壊が進み
インターネットのせいで静かだった海岸も
SNSの投稿で砂糖に集まる蟻のように混む
海も年々僅かながら汚れ
マイクロプラスチック以前に
人が海とのそもそもの
関係と利用法を大人たちにも教え
変えなくてはいけないのだが
もちろん世界の足並みがそろう訳はなく
いずれ奇麗な海は無くなるでしょう
こっちで海にゴミをすてなくても
あっちでこっそり捨てて
今の時期に広島は牡蠣養殖で使い終わったプラスチックパイプも
ゴミもタバコもポイ!と2部の漁師が投げれば視界から消えるから
罪悪感のみじんもない
いったい何が足りないのか?
ストローをやめることではないんです
美しい海で
死ぬかもしれない体験を
する!
ちょっと強めですが
怖さを知り、畏怖の念を知ることしかないです
海に入らない人が
どんな事を書こうと、見せようとしても
表面的なポスターでしかありません
自然の暮らしから遠ざかれば
遠ざかる程
人は地球を大切にしなくなります
いい悪いではなく
地球を破壊し今の都市とビルの隙間の蟻塚の様な生活があります
快適な暮らしになればなるほど心は忘れ
海辺のリゾート
山のリゾート
微妙……
だな〜
リゾートって何?