STAFF : Uncategorized

古武道


千葉の東京湾側、金谷
久里浜とのフェリーの航路の
岩場にひっそりとその神社があった

静かで何も感じないな
とお堂に行くと

お堂の屋根は破壊され
中は空っぽ

きっと台風でそのままの壊れたまま

いくつかの石仏だけが、誰もこないお堂の前で
寂しげだった
お酒を備え、神様のうみの別荘で祈る

雨が続き
163年からこの地にある
浄土宗の本覚寺
鋸山の石で作られたのが始まり

ご住職のお気持ちにより
金色の阿弥陀様のお堂で特別に
幼い頃から禅寺のある住職に武と心を
練磨されや
古武道の師土居師匠に
稽古をつけていただけた。

古来の日本人が瞑想をし
こうした歴史を吸い込んだ場で
真摯に修行を重ねた時間は
どこかに錆び付いたドアを開けてくれたようだ

海で泳ぐ
刀を心とうごこかす

きっと同じことがたくさんある

ある日の
1歩

ある日の一振り

必ずそこには自然と呼ぶ前からの
人工的味付けも雑味ない自然と

ある人が介在している

納品

ファイヤーキングカフェでオーダーいただいた写真を取り付けに。
アーティストのお客様の美しいご自宅に
リビングとも考えましたが
まづはどこからもみれる室内の
中心的な入り口に飾り全体に海が行き渡るように。

ありがとうございました。

ファイヤーキング終了

おかげを持ちまして
ファイヤーキングカフェでの展示も終わりました。
期間中皆勤賞で、友人知人をお迎えし、その数300人以上
その足で稲取の龍宮神社へご挨拶に行き
貝を吹いてお祈りしました

今月は古武術の合宿で千葉鋸山
山梨の七面山の滝と山寺
来月は出雲大社神在祭
と神様仏様へのご挨拶が続きます

海外も行けないので
冬は国内を撮影し

展示は来年です。

みなさまどうもありがとうございました。

伊賀

伊賀
日本が66の国に分けられた時代の遠い過去
ジネン=自然という造擬語もない昔から

自分たちの国を守り
祈りと地球や宇宙を尊び
己を錬磨し修行してきた伊賀の民

攻めてきて2度負け
恐れから物理的圧力で
この地球から伊賀の歴史をも消そうとした
信長の伊賀殲滅にも耐え
その翌年、信長は消えた

人間は五行の成り立ちの
四季の移ろいとともにあり

真理は全て円運動で
空の中に有り
形は空であると悟っていた彼ら

今の日本人を憂いていることだろう

忘れてはいけない時間と命の積み重ねに
この大和敷根はある

歌枕

仙台藩が領内の歌枕の調査再興を
芭蕉の知り合いの加右衛門に頼み
その感性と足で、言わば、良い絵の撮れる写真スポットではないが
俳句の題材となる心うつ景色、名所を設定したという

そそして芭蕉と同行した曽良を案内し
お土産に、仙台名物干し飯、焼きのり、紺の染め緒の草鞋をプレゼント

彼の風流な心遣い
簡素な外観の中に込められた
精神の贅沢を感じたという芭蕉

風流の世界に酔いしれた加右衛門に
面目深い共感と親愛を感じたわけだ

そうだ
海も撮る場所の設定には
目に見えない雰囲気や周囲の海岸の風景
など、歌枕の設定とおなじ心うつ何かを
観ることから始まる

いいですね
歌枕を探す旅

おくのほそ道
えばらたいぞう、尾形つとむ訳注より

そくす

きっかけは
突然やってくる

写真は子供の頃
35mmのピントもいい加減なコニカのカメラ
に親がフィルムをつめ
渡してくれた

近所のスーパーカー?
アルファロメオの
マークやホイール

とても見れたもんじゃない

特別写真が好きでもなく
青い帽子が欲しくて
野球に興味はないが
中日ドラゴンズのキャップをかぶり
誰かのお土産のグアム島のtシャツ

とにかく勉強と集合写真
学校のプールの時間と先生
とりわけ運動会が大嫌いだった

椅子に固定され
競い合うこと
順位がどうやら

どうでもよかった
水槽のめだかじゃないんだぞ!

小学生のひそかな格言

やがて
カメラをもらい
オーストラリアへ1年行くぞ!
とチケットだけで行く

不可思議なきっかけに乗っかり
その日に家まで見つかる

人生はなんでもやってみないと
わからないもので

頭でぐちゃぐちゃ考えてた自分が
馬鹿だと知る

そのたびのスタイルは今も健在
ガイドブックも下調べも一切したくない
その時の流れと、自分で選んだベットと景色が
何より

車にもナビはつけない
クーラーは外し
電子レンジはいらない
マクドナルドとコンビニの弁当は絶対食べない

波の旅の始まりは2001年

波の旅の始まりの予兆は40年前の数日間お世話になった
パラオのホストファミリーあきをさん

海の男でざっくりしながら、瞬時に周りに気を使える
暖かさ満点の男

死は突然スコールのようにくる

後悔は先に立たず

会える人とは会い
なりふりかわまず旅へ行く

カメラの師匠はこれまた大胆な哲学者で武士
お前さんはやっぱり海へいけ!
と、あの人懐っこく笑った笑顔を忘れない

俺は1年な
ユージンスミスのアシスタントだったと
ある日聞いた

戦争の報道写真、そこで悲しみ苦しみ笑う人を
フィルムに焼き付け
最後は水俣へ

海を知ったかぶりをして
海にしょんべんてれて
好きな時に、宇宙服を纏い酸素ボンベで
魚に眩しいストロボを当てパパラッチしていた
自分をクソだと思い
やめた

パラオのオヤジの死を感じたら
やはりいなくなっていた

エナジーの糸が突然切れたのを感じた

海の真髄を知りたい

条件は四つ
海に全てをさらけだし、教えをこう
命のかかる場へ行く
酸素ボンベは捨て、全て裸で行く
頭で考えない

そして海へ片手にカメラを持ち
冬のハワイで泳いだら、やっぱり溺れた

おかげさまで
死ぬ間際の自分とあの世を観た

思わず波に巻かれながら
パニックを変化させると
わざとやっても、気道が閉まるほど溺れないな〜
と嬉しくて水中で胸が躍った

全ては考えようだ
困難も限界も実は自分が決めてしまう
逃げである

死ぬ気で行けば
かえって死なない

数年後写ってしまった青い波
見てはいけないものを見た

きっかけを見過ごさず
自分一人の力で漕いで、泳ぐ三途の川

自分の足と手で
水1かき1かき

水の重さ、温度や流れ
全てを感じてその流れに乗り
流れを利用し前へ下へ上へ
呼吸を合わせる

過去の古い武術の隠された感覚の再来

やがて自然に祈りが則していく

皆勤賞

ファイヤーキングカフェは連日大盛況です。
個展のせいではなく
本格的なアジア料理と美酒を求め
それぞれの時間がゆっくり流れています

本日雨ですが
20時からいます。

皆勤賞目ざし頑張ります

夜はこれから

ファイヤーキングスタート!

<

代々木上原駅前 ファイヤーキングカフェ 展示始まりました。

深夜の設置を終え
1100~24時まで初日はたくさんの皆さまに
おいでいただきました。

また老舗の銀座久兵衛
女将さんには、昨年同様コレクションしてくださり
お写真はその場でお土産に

いつもお気遣いありがとうございます。

久兵衛さんは三代続く老舗の江戸前寿司

丁寧な脈々と受け継がれてきた味と
武道や茶道にも通じる
職人さんの動き
お店の茶室の間のような空間は他にはありません

敷居が高いと思われがちですが
決してそんなことはありません

決まりものであれば
10000,15000円であの雰囲気と
江戸前の味を堪能できます。

ぜひ!
www.kyubey.jp/shoplist/

では残暑が続きますが
みなさま、心晴れ晴れ、今日も良い1日を!

www.fk-cafe.com/

1枚でいい

そこに行けば撮れる1枚

そこにいてもさらに何かと合わせないと
撮れない1枚

この数年の写真は闇と光

青い世界は、そこに行けば撮れてしまうから
簡単と言うか、物足りなくなってしまい
青い海から足ひれが離れていった

はじめはそれは恐ろしく
青い波の恐ろしさは
いつも沖で独り胸が潰れる思いを楽しんだ

映像がないですか?
撮ってる映像があるともっと宣伝になりますよ
とありがたいお言葉もいただいていますが

映像はビデオが色を補正してしまうし
だらだらしてしまう
電気や機械がいるが

1枚の写真がその場で、日々見る気持ちや感情で
呼吸し続け、読める1枚になれる

1枚にかける
普段は使えない感覚やフォースを集中し
海へ覚悟を捧げる1枚が自分にはしっくりする

死ぬときは死ぬ

写真屋先生の個性を消した1枚こそ
ずっと見ていられる心地よい1枚だと信ずる

それぞれに信ずるものが
少しあればいい

足ひれも
水中眼鏡も
カメラも信じている

この三つで撮れないのであれば
海へ飛び込んだ意味がない

意味は後からついてくる
五里霧中の武者修行のキッサキにあるのは無

その切っ先を研ぐのは自身の心である

写真は素晴らしい
と僕自身もこれからも教わり続けるでしょう

1枚の写真が居心地良い、自分の部屋にあるだけで
1日の始まりも終わりも
素晴らしいものになるでしょう

そんなことを思いました。

ここで撮影した1枚
こんな荒れた状態では海に入れません
出ても戻れません
船が岸に接岸できないように
岩に叩きつけられてしまいます

海に出る前には
陸地とおさらばする場所
海から上がる場所
をまづ確認します

それでも帰れない場合は
どこから上がるのか?

もし天気や風の変化潮の満ち引きで
水深が浅くなったり、深くなったり
想像と経験を巡らせます

あとは考えすぎず
迷いなく楽しむ

覚悟なんて言葉は
ずっと跡でそうだったな
と思う程度です

夢中になるが
夢中になりながら冷静な感覚も
所々に釘を刺して、付箋を貼るよいに忘れずに
ここは異国の地

いつかは見切りをつけて
帰らないと死んでしまうと

僕の写真の師匠は柏原誠
コッポラににた独特な雰囲気のある芸術家で
大胆で豪快ながら、周囲や人を思いやる繊細さを知る暖かで
明朗快活なおやじでした

やっぱり海にいけお前さんは
とある日言われたのは2000年頃

そんなオヤジが親父と呼ぶのは、大東亜戦争のミクロネシアや沖縄を駆け巡り
記録を残し、水俣を撮ったユージンスミス

ユージンスミスが日本に来た際の
プリントや助手を引き受けていたと聞いた

いいオヤジだった〜な〜
とよく話していたのを覚えている

ユージンは写真はドキュメンタリーでなくてはと
当時マグナマウフォトの、伊江島で戦死したアニーパイル、同時期にヨーロッパ戦線にいたキャパ
と同じ、フィルムカメラで戦場やそこにいた、日本の島人を写していた

しかし、戦時下の軍の厳しい検閲と、戦意を失うような暖かな子供達の写真や、アメリカ兵の写真は
全て没収され、こんな写真を撮るならば太平洋から追放すると
言われたと
自分の子供と同じ子供たちが戦争でこんなひどい思いをすることに衝撃を受け
戦争屋どもくだばれ!と矛盾と葛藤に包まれていた

写真はその99%が軍により捨てられらたと言い
その後サイパンで砲弾を受け重傷を負い

写真を撮れなくなるも
セントラルパークで自分の子供たちを
写した写真を機に復帰をし
人物を撮っていく

そして彼の行き着いたのは当時
九州有明の、水俣の飼料会社チッソの水銀の垂れ流しによる
汚染と人的被害

当時チッソはしらを切り
ゴマカシ続けたが
ユージンが邪魔なため、千葉のチッソで
反対住民もろとも、暴行を受けた

日本人さえ普通は目を背ける部分に溶け込み
本来彼が撮りたかった、ドキュメンタリーに戻るわけだ

写真は一瞬を止める
不思議な術で

記憶に残るが
記憶はそれぞれの、残像であり誤差や曖昧さが生じるが

写真は嘘をつけず
その1瞬を焼き付け、残る時の証人である

その1枚に入り込む、生きた何かや
人物ならその人の背景や生き様
まで残せるかが、写真家であり
いい写真だと思う

波と人
実は同じ波動だと最近気づきました
波も人もうんと近づく前に
近づいてあって押す場所まで
体を持っていき押す!

波も人も少し先を予見して
ファインダーは見ないで押す

モデルさんはいい
うまいからカメラを向けても
自然に撮れる

しかし
普通の人はカメラを向けると身構えてしまう

波も同じく、見て写したことはないが
見て写したら、撮影者の意図や念が海の何かを汚染してしまう

大海原の中に一人
海の神様や魚たちの幸せな住まいに
お邪魔するのだから

すみませ〜ん
すみませ〜ん
入ります
撮らせてください
帰ります
またきます
ありがとうございます

なのです

柏原誠
ユージンが心と体を張った1枚の
先に多くの教えと勇気を分けてもらえた
僕がいたことは、彼らも予想外であり

よくやった!と
あの世から彼らの意思と気概を受け継いで行けたらと幸甚です

先のことなど
考える暇があれば泳げ!

どうでもいい先のことは

今と言う1枚1枚のライブな時を
心のままに動き自分に焼き付けていくこと

いつか
自分なりのいい写真になっていればいい

評価や順位ではない

海にはじない生き様
山にはじない
ご先祖に恥じない生き様

一かき
一かきゆっくり泳ぐ

人生もスポーツじゃない
競争でもない

綺麗に生きることでもない

目の前のでかい墨壺をひっくり返し
自由に描く

よくわかりませんが
これが今のドキュメンタリーです

由比ヶ浜

鎌倉由比ヶ浜も今では穏やかな観光ビーチだが
その昔は壇ノ浦ばりの古戦場である
.

和田義盛の親戚である三浦義村は起請文まで書いて味方することを約束したが
寝返り、そのせいで、和田一族は由比ヶ浜に追い詰められ
全滅した無念と怒り。
.
ここは古戦場であり、多くの侍の終焉の地

数百の和田一族の首級が並べられたという
近くには和田塚もある
.
そんな由比ヶ浜は鎌倉市が
海岸の名前を売り出し(そんなことができるのか?)鳩サブレーさんが購入
.
購入した企業、鳩サブレさんは
明日から由比ヶ浜改め、サブレ海岸や和田義盛一族討ち死の海岸と
名付けてもいいのだが
.
由比ヶ浜という名前を守るために
命名権なる権利を年間1200万円で
10年購入したという
変な人に購入されらたら大変で

すごい粋な話だが

望まなくても、へんな広告よりも
絶大な宣伝効果が出てしまう
.
そもそも何故か海岸の権利がある?
海岸名を鎌倉市が売り出すことがおかしな話
.
最初から出来レースなのか?
不思議な鎌倉の魅力

数えきれない時間の富士の噴火や岩や貝の粉末の海岸の砂に
目論見とお金が溶けてしまっている

人の命は儚いが砂は全てを知っている

人間の破壊により
年々そんな砂が海に飲まれ
海岸が狭くれば目論見は木阿弥
.
今年は海の家もなく
正しい海岸の姿です
.
静かでサーフィンも1日中できる
.
以前は朝8時〜17時まで禁止
海は日焼けオイルの油と海水浴客のおしっこがないから綺麗?
.
本来は海岸に、侍たちの供養碑を建てるべきだが
それはちょっと「イメージがね」と
作らない鎌倉市
.
裏切りと様々な利権や支配欲と数十万、数千万
の命がこの夕日を見て、積み重ね染まった鎌倉であることは変わらない
.
北条さえ鶴岡八幡近を左に出た
突き当たりの山
東勝寺(現在跡)で4~500の家来家族と自決している
(別名腹切りやぐら)
.
鎌倉は正直そんな侍たちの墓場である
.
過去の先人に頭を下げ
平和ないまを感謝する
.
狭い鎌倉の狭い土地の尋常じゃない数多くの寺や神社が
かろうじて彼らの、無念や今の日本のうれいの御霊を抑えているとお聞きした
.
光と影
.
しかし今は鎌倉を舞台に数百年存在し続けた権力がないから
平和である
.
北条さんたちが作った、人間の道理の書、御成敗式目は
なんだったのか?
言ってることと、やってることが違う
.
建前と本音?
.
浦安の漁師に廃業を勧めた
ディズニーランドと夢?
.
着ぐるみを着たネズミになぜか大人が狂喜乱舞
.
ハイブリットカーとエコ?
.
あまりに大量に作り続け
日本島はゴミの島になる日もくる
ウルグアイのだムヒカ大統領の
国連でのスピーチのシンプルな台本のない言葉は
素晴らしかった。
.
エゴや地位と名誉を
捨てれば自然に地球は平和になるわけですが
なかなかどうして
.
夕暮れの由比ヶ浜で
変わらないのは太陽と海と
侍たちが命をかけてまで
権利と利権を取り合った鎌倉の魅力と魔力は
いまだに佇んでいる

印画紙プリントこそ写真

伊豆から赤坂の現像場へ
印画紙プリントの確認へ
1日間違え
おおあわてで、海の森からビルの森へ

安くて早いものなんていいわけない
インクジェットの吹き付けは、プリントと呼ぶべきではなく
塗装です。

色も深く出ず
インクジェットプリントと呼ぶのはまるで
浦安なのに東京ディズニーランドと同じ

はっきりしろ!

そんなわけで
はっきりしないと
海ではあの世

プロの写真家で作品をお見せするなら
印画紙で焼いて初めて写真展です

稲取

伊豆稲取ホテル浜の湯さんへ仕事に
湖のような目の前の海

個展のご案内を置かせていただきました。
よろしくお願いいたします

海の幸

小言は独り言で

独り言は遠慮なく

クヨクヨする暇があれば泳ぐ

腰に力が抜けると波に必ずやられる

サメがきたら向かっていく

海蛇がきたら友達で神様だから邪魔しない

独り大海原で、独り占めして
幸せだな〜と
フィジーの離小島で
まさか加山雄三さま降臨

見渡す限り
誰もいない海は絶好の幸せが充満
生きてる心地を大満足に味わえるのです
世界でおれ1人だけしか
ここのいないぞ〜
(遠くに誰かいたら怖いですが)

生きがいがないと
人はダメだと思う

生きた心地を知ること

シャッターは見ないで潔く押す

仮に死んでも潔く
三途の川のお婆と世間話しを楽しむ

趣味を嗜み
海を味わう

海の幸になれますよう
頑張ります

一言

写真はみてとるな!よ

1年だけですが写真スタジオを構えてた
柏原誠のオヤジに言われました
不思議な関係で、友達であり師匠のような関係が
数年、基本的なスタジオのライティングや現像や4の5などの
使い方を教わり

あとは感覚的な言葉と心を
遺してくれました

いいか
写真機に撮られるなよ!

お前さん
がバシッと!気持ちで押せ!

ライカもなハッセルもいい味はあるけどな
所詮機械だからな
カメラなんかなんだっていんだ!

おい!キムチできたから
食べにおいで

おい
スモークをね
作ったからな
正月は何をやっとるんだい君は

いつも気にかけてくれたオヤジでした

お前ね
海へいけ!やっぱりな
なんか写るよ
お前なら

ある日の一言

海のこと

海で怖いおもいは
ありますか?

と聞かれますと

決まって答えるのは

常に怖いです。

上手い言葉ではありませんが
怖い以外に心に隙間がないんです

全部が怖い

真剣に集中し
波のかわしかた一つ(何千通りとある体の動き)の
迷いもない、ズレも遅れもない
波をよける一体感が
死なない工夫の一つ

余計なことを考える隙間があると
おそらくその時は終わりです

全部の波が危ない訳ではないので
油断しやすく

隙がだらけでもあります

死にそうになった
って人は死にそうになってません

海の生と死は大切な御守りでもあります
その感覚を持っていることが
大切で、より深く毎回毎回海を好きになります

海で溺れ死ぬ時は心臓発作や突発的な病気でない限り
諦めて心が負ける時です

限界を自分で決めて
あまりの苦しさと、慌ててパニックになり
その今の苦しみから逃げる=泳ぐのを自発的にやめる

結果あの世へスッーと行く感じです
もったいないです。

浮き世でも海世でも限界はなく
柔軟に臨機応変

冷静に心を一生懸命鎮めると
笑みがこぼれ

切り抜けます

大波がきた!

怖い!
まずい!
ダメかも!

はダメです

怖い
まずい!
行くぜ!エイ!
は大丈夫

中途半端なスイングはしない事
メリハリをつけ
行くか行かないか
腰に気合を込めていく

結果を考えず
結果に甘えず期待せず

あの世で後悔しないためにも

大胆に行くしかないのです
所詮海様の力は人間様の数億倍です

所詮無理な場所で
片手で泳いでいるのですから

いいんですが
死に方が、後々問題になります

足を踏み込んだ時点で
覚悟と達観しないと
いけません

誰かの枕元にでないように

三途の川の船を出すお婆に
6分銭を旗印に描いて根性を決めた真田家にはグッときます

海は怖いです
が美し絵も言えぬ不可思議な
包み込む浄化力と魔力が生きて動いています
どうも、対話に近い、不思議なやりとりから
人生を学べます

地に足がつかない場で溺れてくれば

この世の出来事はなんでもないです

風は帰ることができません
が水が流れ、波が押し寄せるように
人間があらがえないながらも
いいことも必ずやってきます

目の前にきたことは
おむすびコロリンのように
意味がある訳です

意地悪と
嘘をつくと

悪い顔つきのじじいになり
必ず天罰と信長のように冥罰がきます

真理はそこかしこにありますが
風の種類が違うだけで
同じです

幸せに楽しみ
わざと命をかけて
海で酸素ボンベを捨てて
海様に誓って泳ぐと

目に見えない力で
シャッターの先に1枚が現れ

たくさんの出会いと
物ではない、皆さんからのギフトをいただいています

ありがたい
のが海です

海ってなんですか?

ありがたい場所です

今日はこう答えます

淡々と独りで浮き世を泳ぐ

人が宇宙と地球に配置された理由は
森羅万象、風、波、雨、太陽胃、石など心をよせ

人工物
人工仏
ではない時間への祈りであろう

人々が噂やデマ
心の信心が弱まり
そそのかされた結果

祈りが変質し悪用され
お金と上手にまぶされてきた訳だ

理由はいらない
数字もいらない

胸にスッーと入り出る各々の感覚でいい

スポーツという競技や経典でもルールもない

ただとうとうと揺れ動き
全てをまづは受け入れる海に漂うのがことの始まり

それがジネン

頭で考えず
無心で一人で執り行うこと

全ての存在に頭を下げる
感謝とか尊重とかいう
言い回しの出来上がる前の海で
黙って漂えばいい

Fire King Cafe


個展のお知らせです

今年で16回目 16年 
代々木上原 ファイヤーキングカフェさんで個展を開催します。

9/7月ー10/4日 

平日 11:30-深夜2:00
日曜祭日 12:00-2:00

渋谷区上原1−30−8
代々木上原駅前、徒歩3分
車でいらした際も、付近にコインパークもたくさんあります。

TEL 03-3469-7911

どうぞよろしくお願いします。

デザイン

海の撮影を続けると
海は変わらず打ち寄せていますが
人間の人生は様々、年々変わり
作品も月日が不思議と背中を海へ突き落とし
変わってきます

第2作目の写真集も数年後には作りたいと思いますが
まづはこんな浮き世がふわふわしてますが
「僕はこんなことしております」
名刺がわりの紹介冊子を

WEBから写真集やらいつもデザインしてくださっている
フォーム プロセスの八木さんと立石さんに
デザインしていただきました。

9月には出来上がる予定で
楽しみです

八木さん、立石さん
いつも素敵な手裏剣のような切れ味の
デザインありがとうございます。

www.form-process.com/

鎌倉

鎌倉の海は日本海の台風の影響で風が強かった
波は夕方サイズが上がり、ボヨボヨの荒れた水面ながら
サーフィンは楽しめました。

電気クラゲ(青い猛毒)カツオのエボシが1匹すぐ近くに
周りにサーファーがいたが、誰も気づかず
これは運です。

膨らんだ風船は
豆腐屋の青く透明なビニールのような浮きで
風で移動、実はいつの生物ではなく、たくさんのヒドロ虫の集まりで触手はだらんと数メートル〜10mらしいが
そんな長いのは見たことがない
打ち上がったエボシも毒があるので触ってはいけません!

これにはまだ刺されたことはないが
相当猛毒で危ないらしいです。

友人は海に飛び込んだ真下にエボシがいて
電気ショック!が
頭にきて
気絶しそうに痛く

救急車と救急隊員さんのお世話に

それはさておき
鎌倉に海の家がないのは30年ぶりという
サーフショップオーナー

人もまばらな海岸は静かでいい
海の家は正直不自然な日本独自の夏風景

荷物やシャワーを浴びるがために借りるもの
日本の名産

どこでも頼ることばかり
個人でしっかりしないと

子供の頃、海の帰りは
シャワーなど浴びず電車にゆられ
ガラス窓の硬い金属のフレームに
うたた寝をして頭をゴチン!

海の家がある時期は
朝8時まで
夕方17時からしかサーフィンできませんが
今は絶好の日々

浅瀬は風のせいで
黒い細かな木屑と海藻やビニール袋のまみれ

地引き網で掬いたいゴミでした。

渋谷ラジオ

ナビゲーター 早川千秋さん、長谷川尋美さん
ディレクター 斎藤さん
この度は貴重な時間をありがとうございました。

海の怖さと美しさを
伝えていくこと

あっという間の1時間
また出演させてください。!

【FM87.6MHz 渋谷のラジオ生放送アーカイブ】

note.com/shiburadi/n/nd2017cf126e4/

ゲスト 海伏・写真家 杏橋幹彦
スペシャルトーク アーカイブ。
全て試聴可能です!

Bobby

アメ横で16年!
浅草雷門で10日!

雷門の神輿会のボビーさんが自ら仕入れる
デウスやアバクロなど1点ものお店

ハーレー乗りで偶然
僕の地元のお祭りのオヤジと知り合いだった
高野さんは建築屋さん
しかも娘さんはオンワード!

う〜ん

小さいですがお店に
写真を飾っていただいてます

近くには日本家屋の料亭のような甘味処もあり

どじょうの飯田屋さんからも近いです

靴のケア商品の輸入元
R&D静社長のショールームも歩いてすぐです

ぜひ!

浅草雷門1-9-2

水のご縁

大雨の中
雷門にあるR&D静社長にお会いしに

銀座三越などに靴のリペアーや、靴のケア商品を扱うお店も開いていらっしゃる

そんなR&Dさんの商品は日本中のシェアを独占!

先代のお父様が、イギリスやドイツなどを旅をして
見つけてきたのが始まり

雨を弾くスプレーや
様々な男心を揺さぶる品々が満載の
お店FANsにも
僕の写真を飾っていただいています

数年前
人眼
見て決めていただいた静さん

いつも紳士な雰囲気と
ビジネスは
こだわりと一つないとダメですね
と声優さんのような声で
お話しをしていただいた

独占講義を聞かせていただいた
お客様と靴を大切に代々してこられた
道を振り返り

あっという間に数時間

浅草雷門に御用の際はぜひ

この並びで友人ボビーさんもBobby2ndという
アバクロやデウスなど1点もののアウトレットのお店を開いています
そこにも写真が!

是非是非

命を守る道着

鎌倉は波がない
稲村ヶ崎のウェットスーツZERO
の磯田さんに採寸していただき

出来ました!
と早速海で試着?

今までもZEZROのウェットは
上腕部が絶妙なゆとりで
サポートを受けさせていただいている
石油を使わず、裏地がメリノウールのパタゴニアのウェットとはまた違う
動きやすさ。

このブラックエディションは
新開発のゴムに相待って
まるで着ていないようなフィット感

主に波の中は冬を除いて
このロングジョンが僕のスタイル

これは命を左右する道着
黒帯である

実はパタゴニアのアンバサダーでもある
あのジェリーロペスさんも
仕事や契約を抜きに着ているお気に入り

ぜひお試しあれ
今までのウェットとの差が歴然です

ちなみにこのタイプで定価は78000円
由比ヶ浜レイブサーフショップで受け付けてます

静物に動

クック諸島の滝

昨日、沖あい300mで
海が急に浅くなり、腿ぐらいの水深で20分
あと5m先の砕ける波の向こうへ
出れば泳いで波の裏へ出ないと沖の波へ行かれず
幾度も頑張るが波がすごく
出れずについに巨大な波に弾き飛ばされた

頭をカバーし体もまるで人形のようにとび
深い穴に足から落ちると
足に激痛が!

瞬時にガンガゼウニの毒針だ!

足の針がひどくならないよう
足の状態も見ないで足を足首でクロスし
海岸へ片手で泳いで戻ること30分

恐る恐るフィンを脱ぎブーツをめくると
人生初!
黒い点々の針が30針以上入っている!

ウニも相当とげ折れて怪我したな〜
ごめん!と謝るも

ガッカリ!

雨の中、バイクで戻るが
持っていたピンセットで全くとれない細かさ
細い針には返しがついていて抜けない仕組み

熱湯をかけ解毒し
化膿止めを塗り

翌朝、どうしようもないから病院へいった
なんと聞いた病院は津波を避ける為、怪我した海の目の前の山に
あった

受付らしきところでシーオーチン!
と見せた

30分ほど待つ

コバヤシ〜
コバヤシ〜
と呼ぶ
コバヤシさんがいるのか?

なんだ
おれか?

こっちにきてと
立ったまま
アフロのおばちゃんに腕に
ペニシリンを打たれ

コバヤシ〜
待っててね
と笑顔

南の島の病の緩さに笑みがこぼれる
大丈夫かな〜 笑いながら
と疑うが

先生は見るからに
インテリジェンスで
コバルトブルーの診察着から
腕にはポリネシアの刺青

あれ〜
これはひどいな〜
痛いでしょ〜

昨日ならとれたけど
今日はもう取れないんです

毒針が柔くなり
水分が抜けるんだ

とって欲しいけど
無理ですか?

うん〜
1年ぐらいすれば徐々に取れてくるから

化膿止めと痛み止め
出しますよ

みなさんとても親切な方々に感謝

治療20ニュージーランドドル、薬20ドル、診断書20ドルの良心価格

薬は喉に詰まりそうな、蛍光ピンクの玉で
腎臓に悪そうだから捨てた

流石に水中は休んだ

滝が地図に書いてあり
セージを炊いてお祈りした

するとさっきまで黒い水面に
太陽の光が当たり
周囲の森が水面に反射する角度を見つけた

夢中で感覚で20枚ほど写し
あとで見たら、不思議な水の振動に水面が生きたように
うねっていた。

そんな2度とない

まるで、水神様がいらっしゃるような
動いても見える不思議な1枚

フィジーの空港で乗り継ぎ待ち5時間
街の外に出てもmフィジーの街はこれといった場所もなく
重い荷物も預ける場所もない為
値段交渉して乗るインド人のタクシーに積みっぱなしは
熱くなりフィルムが心配だ

街はインドの寺院とインドカレーのお店しかない
美しい海があるのかと思ったが

海岸の海は輸入された洗剤をはじめ生活排水や工場排水
ビニールゴミで正直、悲しいほど汚れている

僕が撮影に行くのは汚染のない
ここからセスナと小舟で2時間いった
離島

そんな空港でボードを持ったハワイアン達がいた
彼らと自然と話をすると、同じ島へ同じ日程で行く偶然

2002年の5月のこと

数年後
彼らのハワイの家に泊めてもらい
共にサモアに未知の波があると誘われた

ハワイから5時間アメリカナイズされたサモア島の隣
1泊し翌朝20分で古い伝統的な暮らしを残す
ウポル島へ
そこから車で悪路5時間

島の裏側に
川の注ぐ遥かおきに波があった

その川がある朝妙なクリーム色に
水中眼鏡で覗くと驚いた
カメラにフィルムを詰めて下流から上流へ
足を使うと濁るため
片手で泳ぐ

死んだか?と思い
顔をつねった

あまりの不思議なグリーンな世界にひとり

36まい写し
川の横のバンガローでフィルムを詰め替え
川に入ると、普段の赤土の泥の川

翌年も来たが
2度と見られない時間

写真は忘れえぬ時間を
いつまでも残してくれる

後で知る

海に浮かび
一面が雨に包まれた
水面を叩く音
休まず迫りくる波

ここは南太平洋の沖合400m
誰もいない昔のままの地球と海

これ以上の無常の幸せ感はない

フィジーのタバルア島の波も早かった
がそんな速さを超えた
回転する波

水深2.5m
そこは一面のサンゴの岩盤
潜って逃げる波の下は70〜80センチ
少しでも高いと波に巻き込まれ海底に叩きつけられるだろう

経験が邪魔をする
恐怖を脱ぎ去るために
あらゆる呪文や祝詞を唱える

野生の感覚再来!
都会で忘れた周囲に張り巡らせるセンサー
5感なんて気持ち悪い

人間は大自然で生死が関われば
幾重もの感覚があると知る

大事なのはやる気!
気力
楽しむこと
泳力
体力

あとは茶碗のサイコロ

自らが飛び込んだ茶碗で
チンチロリンと
暴れまくる波をかわす

サイコロは一つ

激流れに乗り
その流れを利用し

回転して茶碗から飛びださぬよう
水中で動き回り

元の姿勢
水面立ち泳ぎに戻る

礼を尽くす

礼を捧げる

これがアイヌをはじめ古来の人々が
ごく自然にたむけてきた日常である

誰かが一生懸命考え出した
教科書や教えは
蚊帳の外へ

生きるか死ぬかは運と感覚

その感覚を知れば知るほど
体は自由に動く物だ

無心とは
ずっと後で知ること

思い出の道筋

昔アメ車のトラックの屋根に積んだパイン材は
日本の柿渋を塗り、昔の家でフローリングとして使っていた
ものを外し、壁に

大工さんの道具をお借りし
ランダムに切り無心にまる2日

写真はあてもなく
行ったクック諸島
どこかといえばニュージーランドの右
オークランドで1泊し

機材のオーバーチャージを断固請求され
片道6万円也

バイクを借りた後
警察署で、雨の中採点表をもった警官に
運転の実地試験を受けた
何がパーフェクト!かわからないが
彼は親指を立てた

波が一周50分の島に見当たらず
笑いながら、海一望のホテルでハンバーガーを食べた

もときた道を戻ると
海岸の公園にさっきはなかったレンタルバイク
もしやと思い
海岸へ行くと、すっごい遠くにサーファーと波

嬉しかった。
海は海の神様が完全にいらっしゃる
聖域で独特な怖さが、今も胸に染み付いている

数日後海岸のゴミを拾い集め
海へ再度ご挨拶

遥か沖あいで、腰ほどの水深
後5mで深くなるのだが
全く波の壁で出れないが頑張ること20分
戻れるのかな?

いすぎたかな?無理かな?
と思ったと同時に

大波に弾かれ
激痛がブーツを突き抜け
サンゴ礁の穴に落ち

ガンガゼウニの毒針が刺さったな
と見ないでも、あの独特の痛みでわかった

足をクロスし動かさず
片手クロールで
海岸まで30分泳ぎ、恐る恐るブーツをめくると
悲しいことにごま塩のように30針以上刺さっていた

ウェットを着たまま
雨の中バイクでやどへ30分

熱湯をかけ解毒したが
ピンセットより細い針は取れず!

でもあのまま出たら
潮が引きすぎて
戻れなかったかもしれないなと
思った

翌朝、病院へ行くも取れず
いつか全部出ると
ポリネシアのTatoの入った
綺麗な青い服を着た先生が言う

喉に詰まりそうなドピンクの痛み止め
は見るからに毒だから捨てた

2日後明け方の赤い光で目が覚め
目の前の海で水面を移したら
不思議な模様がとれた

3日目水がはいらない絆創膏をはり
波へまた向かうと

偶然、あの採点した蛭子さんのような警官と黒い犬が
海岸にいた

あの青い先生が言うように
本当に毒針は1年かけ
ポロポロ足から出てきた

この建物は昔
大阪堂島
で建築とアート展が開催される事になる
それもファイヤーキングカフェで個展を見た方からのご依頼

隈研吾さん、兄っシュカプーアさん、杉本博司さん
に坂本龍一さんの音など
必殺技の先生方に混ぜていただいたご縁

全て昔が今と成る

できることを
一つづつこなしていく
全力で向かう

道は無限に1本ではないのだから
自分の力を知りつつ
自分の心が信じる道を自分の歩幅で行けばいい

時に助けてくれる人も現れる
そうこうしているうちに
もう19年
波を泳いでよかったな〜と
思い出の道筋

これは一人旅の回顧録

そもそもが写真家ではなく
諸元である宇宙と海の雑味ない真理の姿を
お伝えするお役目なのかもしれません

これも皆様のおかげです

死ぬ可能性を行き来できる
滅多にない機会
自分を磨く魂の修行が波の中

自分を自分を押すこと
しかし自分で自分を縛らないこと

結果なんて
人間が頭で決めた点は最初からない

己の誠の道筋ができれば
それでいいのだから・・・

ファイヤーキングカフェ個展は9月です!

コロナで洗いざらい
展示会やイベントが足元からすくわれています

強い気持ちでいくしかないです

今年は海外の展示もいかず

9月の代々木上原ファイヤーキングカフェさんで
21回目21年目の展示の打ち合わせへ

過去の展示写真は実は15年前、MACが音をたて燃えたので
一切なくなりました
作品はフィルムでしたので関係なく残ってます

大体13~15枚 
常に新作!でしたので
約300種類の写真があったようです

こうして続けられたのも
海の神様や山の神様
はもちろん、現生で購入してくださった皆様の
おかげでです。

とはいえ300枚売れたわけではないのですが
240枚位は地上のお宅や会社に飾られています

お一人で10枚以上コレクションいただいている方や
オンワードさん、浜の湯さん、銀座久兵衛 今田様、ニューオータニ店さん
にも飾っていただき

独り泳いだ2001年頃の
溺れながら、行きつけのあの世の入り口にいた日々を思うと感慨深く
謎と嘘のような話です。

本当にありがとうございます。

「よく生きてますね」
足ありますか?

1年ぶりに会う方に笑われながら

展示に向け写真を選んでいます

なにぶん昨年冬から今年は
海外はもちろん国内も自粛していたので
写真が足りませんので
今まで19年間の未公開と混ぜながら
の展示をイメージしております

現像に入り8月にはDMを
ご発送いたします

よろしくお願いいたします。


杏橋幹彦

波形

災害を超えた災害が続々と押し寄せています
自然界と命名した言葉の彼岸

心、精神、命、海、山、全てを繋ぐのは風

合気道の道場へと思い
塩田剛三先生の自伝を拝読し終えた今日
ご命日が明日1994年7/17と知りました

源から甲府武田家に伝わり
子孫武田惣角氏より大東流気合い術となり
その門弟が合気道の祖である植芝盛平先生

その先生の門弟が塩田先生で
波乱の人生と
植芝先生の志と溶け合い
神を尊び、心を錬磨し、厳しい修行の日々を
まっすぐに心と体でご信行なされた方である

真剣で行う闇の鞍馬山の夜の稽古
など今でも考えられない荒業であったそうです

大正、昭和、平成と時は流れ
令和の今
いくつかの道場もコロナで閉鎖中とお聞きしました。

何よりも
ルールがあるスポーツや競技ではなく
そもそも試合がない
純粋に日本で生まれた和の武術

禅は静中に静を探す
合気道は道中に静を探す

この点がとび抜けて心を惹かれます

波の中の、間合いや円運動
心の軸や精神的瞬間の波を
どう諌めるかが、尽く似ていると思います
波を片手で泳ぐのもどこか、古い武道であるわけです

百聞は一見にしかず

なんでも頭で考えず
飛び込めば
一発で全てがどんどん呼び寄せあい
クリアーになります

とにかく教科書は捨て
全身で感じる

これは神行は
頭から入るな!
体から入れ!
と言われていた
川面梵児先生と同じである

今の僕たちはこうした
偉大な先人のまっすぐな日本の心を
忘れてはいけません

一瞬の迷いも捨てる

余計なことは頭の隅にもおかず

ひたすら集中し第七感を使う

サメは食べようときてないか?

大波がきたら潜り逃げれる水深なのか?

危険と安全な場所などないと知れ

絶体絶命の不思議な自分を笑えるか

楽しんでるか?

真剣かお前?

心に曇りやチリ一つないか?

なんて
考えてしまうのですが

状況判断と臨機応変で生き抜くしかありません
削ぎ落とした俺様をも捨てて
鼻水垂らしてごめんなさいと
波に叫ぶ!

融通無碍の混在する世界
に心は明鏡止水
になるための行

やがて宇宙は隠と陽で成り立ち
人間の作った物以外は
この世界は全て、回転運動でできている

全てを知る

電気仕掛けのテーマパークでは
一生知り得ない心の宝

生で野生的に戻る

降りかかる波は
乗り越えるしかない

前へ前へ泳ぎ波に向かうしかない

人間の持ち込む物こそ人間をダメにする

那智滝は人間の記憶では2000年前から
神代の世界とつながる、聖域と祈り守られてきた

ここをクライミングした有名なクライマー佐藤の愚行は
今の一部の日本人の心根を象徴した出来事だった

山から湧いた水は滝となり川となり
人間界を通過したおかげで、利用され破壊され意味をつけられ
海とつながる

やがて雨となり山に染み込み数百年やら数千年やら濾過されて
山から湧いてきたり
そのまままた海へ流れたり

循環を繰り返すのだから
地球の水の量は変わるやら?減るやら?増えるやら?

必ずその全てを見ているのは太陽

こうして海の中からご来光を見ると
こうなる

完全に人間は生かされている

神仏が住う前からある
この宇宙と地球と呼ぶ有機体に

宗教は所詮人間が
体感しつつ考え出したアミノ酸のような物

だから宗教はいらない
人間が編み出した手法だから
必ず何処かに、ズレと雑味がある

美しい旭
美しい滝の飛瀑に包まれ
海岸で水中で潮に包まれたら

な〜んだ〜

本当だ

と水温や水の感覚と
とびっきりの幸せを胸で知る

宗教のある前からある世界こそが
教えであろう

別荘



青島神社

塩筒のおじい
彦火火出見の命(山幸彦)
豊玉姫 彦火火出見のしばしの妻

豊玉彦 豊玉さんのお父さん竜宮城に住む海の神(わたつみ)
少彦名 恵比寿さんとも

ニニギノ命
子供である富士山の木花開耶姫、磐長姫の姉妹

海の神様の聖地に
富士山の神様

海の海底と富士山は繋がっている

不思議な洗濯板のような岩盤に
独特な熱帯の植物と貝の砂が堆積した白い島

何日も朝にお参りに行き
自然と宮司さんにいつか
泳がせていただく許可をいただいた
ありがたさ

しかし恐ろしい岩の海と聖域だから
気持ちもしっかりと礼儀を尽くさねば
殺される

富士山に礼を尽くすと、人間界に霊験と和が行き渡るから
から令和という

御神体は山小屋と観光もうけで、便所も汚水も垂れ流し
御神体を富士の裾野と呼び名を変え
大砲を打ち込む日本軍(自衛隊)

めちゃくちゃな話し

そして人々は
個人的なお願いばかり
神社に置いていく

神様ももう疲れます

異常気象も科学や地球の環境破壊だけでは無い
ことを、忘れてしまった人間

目に見えない時間を
大切にしてきた先人と神代とのバランスを
取り戻せないものか?

地平線は絶滅

わずか100年前
日本もどこからも富士山がみえ
空が見えたが

今ではビルの日陰を
せせこましく移動する水のような暮らし
地平線など絶滅した暮らし
見えるのは、不自然な人工物

隙間から上を眺め
太鼓から僅かに残る時間を
知る

きっと
色々と気づく事がある

背中を押してくれる

刻々と過ぎ去る

西の空
太陽が海の水である雲を照らす

一生でどれくらいの
美しい時間をみて心に染み渡せるか

時間はあるようで無いのだから

一瞬にかけてみる事が
何より大切な事

感覚を大切に

波はなく雨も降り出したが
やはり海に浸かりたくなった

くじ切りをし
少し冷たい海へ沖に向かい流れる

波間に浮き
雨に打たれ

身も心もすっきりと浄化され
ワクワクする

海には不思議な力がある

外国からの親子も
海パン一つで波と遊ぶ

帰りがげ
水深10センチもない浅瀬で
マダラ模様のドチザメの赤ちゃんが足元を泳いできた

神社の参道でよくで会う小さな蛇と同じ
龍神様のお使い

ようこそおいでくださいました

胸の思いのままに動くこと

海にゴミを捨てるなんて恐ろしい
ゴミを拾えたら拾う

そんなごく自然なことと同じなのでしょうね

プラスチックにまみれた日常の心

海岸に無数に打ち上げられているペットボトルで気づかされる

入り口

白浜神社へご挨拶に
海に鳥居
つまり海こそが神の住う聖域
海神のかみの龍宮神界である

今よりも、鋭く野生的に
純粋に星や海の香りを
感じれた先人の残してくれた
大切な神世と人間界のバランスを知る入り口である

縮図

稲取の岩根神社
美しい海を望む
伊豆の溶岩が流れた荒らしい崖

台風19号で屋根や鳥居が破壊されそのままに
中には海の神 わたつみの大神のおふだ

土着の神社で昔は違う場所に
あったのを、電車の線路を作る伊豆急が
費用を出して移設したらしい

誰が直すのか?

それとも
この磯があまりに心ない釣り人の
わざと捨てた、ゴミやタバコの吸殻で
汚れ
もうこんな場所でみんなを護る気にもならないかな

伊豆海もペットボトルやら
何やら伊勢神宮では誰もゴミは捨てないが
見てないと安心して捨てる訳です

これが現代の正直な日本の縮図

道をつなぐ


連日の雨で海は濁り
波もなく

撮影はせずに
龍宮神社=綿津見の神
弁財天と龍神様に
ご挨拶

神様の道とは
古来は行者や、自分のお願いではない人々が
いた神社から神社への時間

海から海へ運ばせていただく

個人的なご利益ばかりを祈願する
いつの間にやら、お助けお守り販売所と
変身させらた神社

明治神宮や
金比羅山も
神社庁から脱退する理由

それはそうと
稲取浜の湯さんもいよいよ
営業再開!です

ページの先頭へ戻る