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12月初旬まで

京都 臨済宗興聖寺 にて紅葉と秋の特別公開開催中。

フィジーへ2002〜2011年まで通い

まさか京都に飾られるとは

ここは侍で茶人(利休の弟子)古田織部さんと

共に家康に切腹を強要された息子たちが眠り

江戸時代の画家曽我蕭白さんの菩提寺

織部さん亡きあとは、伊賀の延寿院に御位牌のある

城造りの名人、藤堂高虎さんが彼らを弔いこの寺の大檀那に

臨済宗は鎌倉建長寺をはじめ、北条や侍達の気質にあい

当時の国の推奨というか認可に近い形で、座禅と般若心経が

溶け合った

伊賀の初めてのお参りは偶然?滝音に包まれる、高虎の御位牌の

ある祈願所、現在は天台宗 延寿院

今から700年前からのそれぞれの人生と、不思議な風が流れている

北条、織部、曾我蕭白、高虎

曾祖父さんは北鎌倉の円覚寺の横で

子供の頃の散歩コース

いつかわかる時が来るのかもしれません

生きたふり

この日はボートで沖へ行った

山から吹く風と

波は轟音をたてて崩れていた

水面から4〜6m

行くか?

行かぬか?

死ぬかな?

逃げれるかな?

端っこにいれば大丈夫かな?

妄想と予想で

しばらく波から離れた場所の小舟で見ていた

やっぱり行くから近くまで行ってくれる?

とフィジーアンの仲良しのセブに言う

わかった

俺は波から離れた場所にいるから

帰るときに呼んで

怖いと思うことは大切

その怖さと溶け合うことが何よりの幸せ

人の息の続くだけ、足ひれと

片手にカメラ、片手クロールで泳ぐ

緊張と研ぎ澄んだ野生と、街で生きたふりをしていた自分を超える喜び

これこれ!

これですよ!

と、一人波の中で大笑い

一時間ほど波の中を泳ぎ潜り回転し

目が回り、気持ち悪くなった

小舟に向かい泳ぐが、水中の渓谷の先は

深い群青の底の見えない海

サメが来ないか帰りも怖い

小舟のセブにカメラを渡し、上に這い上がるとほっとする

冷たいシャワーを浴び、波を望む小屋で本を読む

写真

ノーファインダー、色乗せななし

ありのままの海といいつつも、人間の目も補正しているので

本当の色がわかりません。

だいたい撮るときに見ていないので

現像の方に、そのまま出して

黒は閉めてください

とお伝えするだけ

海の色や不思議など永久にわかるわけがない上

わかる必要もありません

人は美しい海に恐々寄り添うだけ

その本質を観る

己の力を知り

過信せず

常に怖さを観ること

海で山で命を守ります

自然に山河を思いやることもに

全て自己判断と自己責任

そこから先は運と天命

人生も自由自在

地球のボスは人間ではないのです

Fiji

現像場が移転する

作品をたくさん預かったままですと

何か問題ある作品?

いえ 

忘れましたお互い

フィジーの大波の裏

波とは間合い

水面で沖からくる波に向かいながら泳ぎ

崩れる少し前に、鋭く潜り波を頭上にかわすと

同時に水中で回転し太陽に向けおす

1瞬の出来事に集中する

遠くても近くてもダメ

波は決まったところで

崩れない為、潜ってかわすのが精一杯の時の方が多いい

試し合いではなく

果し合いに近い

宇宙の波動と心して遊ぶ

城南ジープ 40周年!

先代の安江さんとのお付き合いは、1台のシボレーエルカミーノから

古武士の様に生きろと

ジャーナリストで華道や焼き物の窯も持ってたオヤジに命付けらえてね

そんなオヤジさんが急逝したのは数年前

しかしながら遥か昔からの、お客さんが今も、アメリカのトラックやジープと

オヤジの魅力に40年続く老舗の城南ジープさん

先代と働いていた、息子さんが今もその暖簾を守る

シボレーは江戸時代、日本が飛脚と籠の時代

すでに馬車を設計

今も1987年の最終のエルカミーノのステップには、水色の幌馬車の絵とFIsherと書いてある

写真はアメリカで1991年に販売されたシボレー サバーバンV2500

これでローダーやキャンピングカーを牽引する様に

エンジンのトルクや、タイヤも8穴のヘビーデューティーな作り

で1500に比べ低トルクもあり4速のオートマ

マニュアルが欲しいところだが、当時の最上級モデルは700万を超えたらしい

定年退職したカリフォルニアに住むアメリカ人の夫婦が約10年アリゾナなど旅をし

やがて奥さんが病気になり、病院へいくのには小さな車になる為

その思い出を先代が見つけて日本へ運ぶ

そして、お店の常連さんのスキー連盟の親子さんが大事に20年乗り

お父さんの別なシボレー を受け継ぐために

僕のところにきた

雪に巻く環境には毒の塩化カルシウムのせいで錆さびで眠っていた車

つくられたからまだ33年だが骨董に近い物語が、1990年台までの車には生きている

車は人生と共に生きるう現代のうまの様です

今の部品がなくなり、すぐにジャンクなゴミになるハイブリットやらの、作っては売りつける日本車

には永遠に育まれない物語を買うのが骨董の醍醐味

どうせ自分が死ねばただの車や掛け軸ですが

人生を豊かに死ぬかが大切です

伊賀忍たちが伝える様に

必死即生

死ぬ気で物事にかかれば、かえって生きる

刀は2本ではなくあえて一振りにして

余計なことを考えず敵に向かう

波も同じく迷わず、一気に向かい潜ればなんとかなる

波の刃先の間合いが古武道や忍術と同じだと感じています

だから今古武道を習っています

余談

安江さんは平家の家紋で琵琶湖

うちの母がたは琵琶湖付近や甲賀

忍者とは全く関係ない、当時はなかった

信長軍が殺戮と焦土作戦の後に作った邪魔な物、伊賀上野城

その以前は平楽寺という平家系の宗教的な伽藍の並ぶ聖地

今も平楽寺のあった当時をしのぶ供養の五輪塔や墓跡が入り口付近にあります

是非お参りを。

安江さんと深い過去の何か関係があるのか

そういえば少し前に

信長側の若い忍 安江彦三郎さんというかたが

活躍する前に伊賀忍に返り討ちにあい死に

無念で恥ずかしいと言い

僕に供養して欲しいとあらわれました

秋の公開 禅寺と京菓子司 柏屋光貞

京都 臨済宗 興聖寺デカイの特別公開が始まりました。

期間 11/9~12/8

10::00~16:00

京都市上京区堀川通寺ノ内上ル

堀川通沿い 清明神社の少し上

交通 バスは天神公園前、電車は鞍馬口から徒歩15分、タクシーは京都駅から20分

注意(同名のお寺曹洞宗 興聖寺が宇治にもあります)

そんなお寺の落慶式のお返しに

お願いした、八坂神社の通りに佇む

柏谷光貞さん

1806年から大峰山で霊夢をみたまま

お菓子を作ったのが始まり

菓子司

江戸時代には白い和三盆を使っていいという許可証も

以来、その日の手作りで売り切り

の同じお菓子おっきになどを

作られています

寒天と和三盆との不思議な食感

養老孟司先生も大好物で

原稿を書きながら、京都の山居でつまんでおられる逸品

そんな10代目の修験者の85歳の中川さんが

先生の襖が、京都の新聞に出てましたわ

お送りします。明日は東京におられますか?

いつも飛び回ってらっしゃるから

と元気なお声

お取り寄せも可能です。

甘味の黒砂糖、四国のゆず、最上級のキナコや和三盆

で作られたお菓子です

柏谷光貞

京都市東山毘沙門町33−2 八坂神社の通り沿い

10:00~16:00 売り切れ次第終了。

075-561-2263

一人ではるか沖まで泳いで行く

小舟で連れて行ってもらう方が多いいが

ふねがないと泳いで行く

緊張と独特な海や大昔と変わらない

まだまだ自然が強いありのままの景色

に自分だけが異物だと感じた

数十おくねんかけ、風や波や太陽や引力や月により

自然形成された完全なる美

そんな景色は日々地球から消えている

タロイモを山で育て

女性は一日中海につかり魚を釣り

引き潮になると珊瑚の磯に時計もないのに現れて

それぞれに、漁の得意なおばちゃん

高齢で海には入らず海藻をとるおばあちゃん

皆楽しげに、生きるための食べ物を生け捕りに来る

山には妖精もいる

そりゃいるうだろうな

海にだって何かがいる

生物学的な生き物ではない何かを感じる

だから人は自然へ畏怖を持ち

敬い捧げ物をし

バランスがごく自然に取れていく

人間には厳しい海から上がると

島の優しい彼らが

家に食事に来い

教会へいこう

大丈夫か?うまいか?

茹でたタロイモと

サンゴ礁の茹でた魚に

塩と椰子の果肉のコプラを削って水でもんだ汁に

とんがらしをかじりながららたべる

最近はそれでもオーストラリアから輸入された

中国製のアミノ酸のケミカルな即席麺や缶詰やコーラが

食文化を汚染している

日本もしかり、順番なのだろうが、風土の中に育まれた歴史ある食文化が

耐えると、人もダメになると思う

食物を作り、獲物を採るのは大変な時間と根気と自然に呼応して

何とか採れるもの

好きなことをして、時間をかけずにスーパーで買うだけの僕たち

は宇宙の真理からはずれている

この地で生まれ、この地の生き物を食べて死んで行く

これが本来の野性的な自然な生き方はどの国もなじだが

輸入されたピエロと新しい味を知り、レンジでチンをし細胞破壊された

一見暖かい、簡単で安い物はそれなりで

当然、濾過機腎臓や血管やシナプスや心臓がダメージを受けるのは当然

青い空が消えたから

江戸の美しい干潟や葦の生えた青い海が消えたように

最果てのフィジー の青空と海もいつかは無くなるのだろうか

彼らの優しさが

この怖く強いありのままの海へ背中を押す

強い山河へ身を置くことの大切さと

己や人間という物の小ささを知る

海の異物ができるだけ、海に即し寄り添えるように撮るには

最低限の道具でいくしかなかった

酸素ボンベを買うだけ、すでに無理があるわけですが

過剰に便利なり全てが霞ぼけの曖昧に

そのために人は、座禅や瞑想をとりいれ、宗教が惑わしてきたのかもしれません

ありのままの宇宙の海へ行けば、宗教も座禅も入りません。

鎌倉武士 和田義盛さんご家族

20年前妖精レッカの住む山

太古のままの海岸と海は人を知らず

地球が自然に収まるところに収まった

究極の美のままの或る

人はその小ささと、傲慢さと

いつまでも欲しがる欲望の愚かさを知る

一寸たりとも、適当にしたら死ぬだけの世界は

言葉や学校や政治や宗教の意味のなさを

胸に落とす

これが腑に落ちるという言葉以上の体感

体感と体験に勝るものはない

畳に上の水連と人間界では例える

自然と名付ける前から或る海と地球は

宇宙と繋がり、ここも宇宙だと知らしめる

フィジー の空港でたまたますれ違い

たまたま同じ島へ行くハワイアン

ラルフ福本のおじいさんもひいお爺さんも日本人

お母さんが白人だから日本人の血が濃い

正義を整え、ハワイの警察官だったラルフ

先祖のことを全く知らないというが

家紋は豊臣だった

アンシスター

祖先は大切

祖先が見て聞いていて、感じた海の音

神とて、鎌倉武士とて同じ祖先

個性はいまだに生き続け

そこにある

輪廻ではないと思う

が、全ては円運動のトーラスだと説明したかったのかもしれない

日本的に感じるのは、始まりも終わりもない

広大な円

武道ではまろばし(転し)という動きと精神性に似ている

武士が全て、清廉で実直で正しかったわけではないのは

見てのとおおり

領地(土地)権威、地位と名誉や妬みやと裏切りの連鎖が

数百年続いた御霊が鎌倉にも留まっている

ラルフと城南ジープさんに寄り道

この5年ほどハワイが来ると人口が増え

朝の4時から夜まで大渋滞でどこに行くにも

数時間かかるという

10年前でもまだこうした、アメ車やピックアップが

走っていたが、今は燃費の良い軽自動車に移り変わっているらしい

北条にたばかれらた

和田義盛、畠山重忠、比企一族、安達泰盛、梶原景時

どんなに悔しかっただろう

最後のまで戦った武勇の時間をしのぶ

箱根神社

九頭竜を祀る箱根神社の宮司に

刀を授かり、自分の亡き後は頼みますと命をすて

大磯の遊女のお虎さんは権宮司を頼り

兄弟亡き後、長野善光寺へ供養へ

親の仇を打ちに大雨の、源の巻狩りの宿泊所に

夜襲かけた曽我兄弟を祀る(一説には黒幕がいて頼朝を狙ったとも)

親の仇の工藤祐成を斬り殺した後に

頼朝の寝間の場所へ斬り込んでいるらしい

真実は誰もわからない

実は数年前

ここで小さな蛇が現れた

全く逃げず

不思議に思い調べると

曾我兄弟とお虎さんが会いたいと

いうことらしく

数日後、供物や酒をもち

大磯のお虎さんの眠る寺から

箱根の3つの五輪等のある供養塚と神社へ

お連れしたら

またここのすぐ横の階段の横に同じ蛇がいて

驚いた

今日は不思議な雲が現れてすぐに消えた

今から9年前

たまたま伊豆にいると

僕が住んでいた1992年のオーストラリアの海岸に

1年前まで住んでいたという、伊豆に移住した小川さんから電話がなった

もしかして来てるのこっちに?

いるよ

サーフィン来ない?

小さめな波だが風もなく

午後3時半で太陽が金色に輝いていた

おれサーフィンしないで写真とってみるよ

撮れないかもしれないけど

そんな一時間ほど海の中を泳ぎ回り

波の中を逃げまくり押しては

逆光の中小川さんを写した

そんなに上手く撮れなかった感じだが

海から上がってみて写真を見たら

驚いた

銀河だ!

小川さんは優しい人で

いつもニコニコ、海から上がると浴びる水をくれたり

(僕は子供の頃から海からはそのまま帰るが普通だから水を持っていかない)

懐かしいオーストラリアの旅の話しや

新島行きたいね

伊豆に行くと一緒に移住された

暖かなご両親に会うのが楽しみだった

手を繋いで歩いた4歳から知っている子供も大きくなっている

時間早いね

ある日伊豆でキャンプをしていると、来週また来るからその時あって海へ行こうよ

話していたが

近くの海で素潜りしてたから

来るまで待ってるから会おうよと

0ぷんくらい下田で待ってくれていたが

僕は気持ちがバタバタしていて車から降りず

また来週波乗り行こうねと

バイバイと別れてしまった

するとその数日後

珍しく台湾にいるはずの、弟さんから電話がなり

神妙な声で

兄が亡くなりまして

杏橋さんにはお伝えしないと

・・・・・・

あれはお別れだったんだ

無意識なのか知らせなのか

聞けば急に心臓の血管は破裂する、動脈性乖離

海で苦しいと上がってきて、そのまま

ライフガードがドクターへりを呼んでくれたんですが 

・・・・

サーフィンは血圧が上がるからな〜

息を止めたり、波巻かれたり

すぐに家へ行くと

僕が写した波に乗る小川さんの写真が飾ってある

お母さんが、杏橋さんに撮ってもらったんだよ

って喜んでいてね

飾っていたのよ

もっと撮ってあげればよかった

まさかな〜・・・・

波の中を泳ぐと決めたのも,子供の頃にお世話になったパラオのホームステー先の墓前だった

失って、見えていなかったその道に光を射してくれる人がいる

今も仏壇には2枚の波に乗る彼の写真

まさかね

私たちより先に行くなんてね

残されたまだ中学生の孫たちが心配なんです

言葉が出ない

小川さんが誘ってくれなければ

日本は水も濁り、波も小さく撮れないと決め付けていた波の裏も

実はやってみると、撮れる日がある

条件的にも波のサイズも透明度も南太平洋の波とは格段に難しいが

それ以来、日本の波に夢中になり

日本で写せたらいいな〜神社の横など日本でも祈りながら撮れたらな〜

と思っていたから

不思議な1枚

友の誘いの「一言」から撮れていることに、改めて御礼を言う

人の命も波も儚いが

そこに、そんな小さな事、を気にせず

楽しんで夢中になることに尽きます

気になったらやってみる

人生1度で、ある程度は決まっているのかもしれません

人間には過去からの記録

アカシックレコードがあると

あるアメリカ人の本を読みました

地球が破壊され、人の心も殺伐としていく中

日本人が世界で最も祈りや霊性が高いとも書いてありました

それが全てで正しいとかではなく

そういう事もあると思います

互いが生きてきたわずか50年の中の数年ですが

どこかにそれらの時間は記録され

また来世があるのなら

その人生に影響が出るのだろうか

海が好きだった男が

存分に楽しんだ海で死に

知らなかった海を教えてくれた

1枚の写真は、この世でもあの世でも人生に寄り添い

瞬時に繋いでくれます

去年と今年

誰とも話さず、神輿から付かず離れず、担いでいる男の人がいた

寡黙な雰囲気から漂う独特な目

今年お宮で、時話かけてみた

去年のお写真もあり、お渡ししたいのですが

よければ送り先を教えてくださいますか?

はい

いいですよ、いいんですか

ありがとうございます

自分は下村と言います

地元でしたが4年生までで

菅原文太のような話し方と、よく通る声

写真とお兄さんにお線香をお送りすると

電話がきた

ありがとうございます

あの夜

自分は遠くに引っ越しても

兄貴とこの神輿に来ていて

その兄貴が数年前死にまして

兄貴の写真を持って一人で担ぎに来てるんです

深いな・・・

そうなんですか

思い出が人を神輿が癒し、何かを忘れないようにさせている

あおいしたいですね。

そして今日再開しました

無口ながらも、満面の笑みで

自分は1日神輿についていて

今年は足がもうやばかったです

兄貴もこの氷川の神輿が好きで

誰でもかつげて

江戸前とかきまりもなく

自由に右に左に担いで

とにかくこんなでかい神輿はありませんよ

だから自分も、生きてる間は氷川だけの神輿に

来たいと

子供の頃、町会の小さな子供神輿を担ぎまして

子供は危ないから大きな神輿は禁止でしたから

いつかあの大きな神輿を大人になって

担ぎたいな〜と

それで夢だった大きな神輿を

兄貴とずっと担いで

夢でしたから・・・

台風の日も自分は出ないから

家にいたら

兄貴が横浜から氷川に来たら出るから

来いっ!て言われましてね

故郷はいいですね

ほんとですね

氷川神社とお風呂屋さんだけは変わってないですね

ほんとですね

神社の祭礼がこうして人をつないで

思い出を

なんていうか

残していってくれますから

日本っていいですね

自分も酒は飲みません

と二人で天ぷらそばを食べ

また来年お会いしましょう

と別れました

それぞれの夢があり

たいそうな大きな夢でもなくとも

子供心の夢を大切に叶えた男の話し

この身一つ

幼い頃、透明な海で魚たちを追い回す事が何よりも好きだった

やがて酸素ボンベと、ダイビングのセンスを買うも

人間のいけない場所へ行く

様々な制約と、人間側の都合の無理に嫌になり

もう一度、裸で海へ行くと決めたのは

2000年頃、パラオで昔ホームステーで3日だけ

お世話になったレイモンドさんの墓前

死ぬ可能性のある場で

こそ本物の1枚が写るのかもしれない

海で0から、人からではなく

海から教えをこい

海の真髄を知るべきだと

自分を恥ずかしく思った

グダグダ都会の暮らしでなまった自分の

わけのわからない写真

を捨てるように

「全てを捨てろ」と

禅の本に書いてあった

いづれにしても

動機は自分で1歩方向を大胆に変える事

大胆に繊細に

海や自然や生き物に

滝や石や風にも敬意いを伝える

波に巻かれても、自分を叱咤し前へ行くしかない

黙って一人で旅をする

日本

日本の波の裏

日が沈む頃に毎日起きている

波のエナジーが海に戻る瞬間

そこに様々な不可思議な太陽と宇宙の光が

彩りを放つ

祭礼の男

海に行こうとしたが、来週も天気が悪く

神事の合間のオヤジ達を見ていると

なんだか微笑ましい

みんな村のいい人

昔悪かった人もいい人になる

伊豆大島を背に西に消えゆく太陽と波

生まれては消えていく

霧散する水と空気

ノートリミング

ノーファインダー

色も足さない

印画紙で焼く

本物の写真

海が汚れていくように

写真も現代の塗装写真に汚染され絶滅の道へ向かうのか

伊豆大島、浮生姫神社を祈ったご先祖のお宅へ

竹本葵太夫さん

45年ぶりの歌舞伎座へ

伊豆大島ご出身の 歌舞伎にはなくてはならない

指揮者であり、その場の空気を、象牙のバチと猫の皮?の三味線を弾く

方と一時間近く正座したままで、空気を作る独特な声の竹本葵太夫さん(人間国宝)

今回は月岡芳年も浮世絵にした俊寛

京都の貴船の鹿が谷の平家暗殺の密談がなぜかもれ

鬼界ケ島に島流しになった坊様俊寛

大島、新島、八丈など伊豆七島は流刑地で流人が先祖と話す島の方

伊豆7島 郷友会のあきひろ会長にお誘い頂き

竹本さんを囲む会に

独特な声は修練と修行の熱意

中学生で大島に流れる音曲で好きになったという

そんな竹本さん

「口伝は師匠

稽古は花鳥風月にあります」

神仏と祖霊を敬うことにつきますね と

優しいお人柄

波の撮影も全てはこの宇宙と森羅万象にあり

よく聞いて、観て、自分の意識と決断で

溶け合ううちに、自然に頭が下がる

街であろうと、海であろうと

ゴミは捨てない

自分勝手は言わずに、人に押し付けない

宗教に頼らない

ごく当たり前のことは、四角い机と日教組の先生から

順位争いの渦中で強制的に教わるのではなく

海や山や川や森で自然に胸で感じて

身を以て怖さや、人間に作れない限度のない美しさに笑うこと

歌舞伎役者は、ご存知の通り色々ありますが

今回大人になり観ていると

太夫さんがいて、作られた芝居が生まれていく

指揮者のような存在

歌舞伎もあくまで、演目にそい、構成を考え

練習に練習を重ね

セリフを暗記し人工的に起こすショーなのです

役者とはよく言ったものです

足の運び、回転する体術、感情表現などプロはさすがです

ご縁がない歌舞伎ですが

実は七五三は赤坂の日枝神社で

昔の中村芝翫さんの息子さん(小太郎さん)の晴れ着をお借りした

ご縁を昔の写真で思い出しました

梨園とは縁の無い

しがらみも、家柄も何も関係ない自由な海の世界 龍宮神界へ

やっぱり

祭りのオヤジがドキュメンタリーで好きだ

賞はショーだしな

TVや映画のような、演技なし演劇なしシナリオなし

その先に真実の神事が鎮座する風には敵わない

波動が美しいオヤジたちは神様の使い

Chacott

個展の合間の昼間は代官山Chacottでバレリーナの撮影を

23年、24年とYAGP finalist classic Gold Meadalion , Silver Medalion

アメリカにバレエ留学中のMinaさん

ありがとうございました。

美しいひととき

皆様のお気持ちに感謝いたします。

海も幸せ

お花も残りの命を海の前で

花に捧ぐ海

海に捧ぐ海

ファイヤーキングカフェ 

現代アートのキューレター

オーストラリア三潴ゆかりさんより、深い海の紫のお花が

海の層のレイヤーのような花々も生きていて

海に花をたむけてくださっている

透明とは透明ではなく

様々な色や、水層の中に隙間に、海水の分子も同じく

記憶や言葉の思いや、気持ちがあり振動し生きています

手ですくっても海水は透明だが

目で見たり写真で撮ると色がついている

空が多いから海が青く見えるレイリー現象

光がなくては見えないだけで、人間は必ず光がまず物体に当たり

ナネ帰った情報の反射で見ている

写真が真実の色で、目に見えている色は嘘だというように

真を観ることは宇宙の心理と美意識と同じです

古来のネイティブアメリカンや祈り手たちや、侍や忍たち

の物質世界ではない精神的な宇宙心を

自らで読み取り、その思いを、祖霊や

神羅万象に伝え還すことを

祈りとも供養とも言葉ではいうのでしょうが

宗教ではない

  もっとシンプルな自然なことなのです

伊賀忍たちが伝えていた大切な「正心」

海は人の心のように

我々を透過光で見ています

む少しいえばイルカの頭のメロンから出る超音波のような

レントゲンのように全てを観ています

太陽光や複雑な立体的な波の分子や塩の隙間の光や

もちろん海底や水面や反射もあります

謎は謎のままでいんです

日本人ん特に、化学や科学でなはい世界をもっと大切に

すべきです。

その感受力も完成も魔法ににた技を持っています

話はそれましたが

遠い国から届いた海の花

嬉しかった。

ありがとうございました。

ファイヤーキングカフェ

早朝1:30 設置スタート

並べながら雰囲気を見て、写真をスタッフの皆さんとかけていく

オーナー阿部さんも、写真を設置し、照明を調整くださいました。

よろしくお願いします。

昼間は撮影の為不在がちですが、夜はなるべくいるようにします。

空も海も曇り

薄曇りの水中で

波と交わした瞬間

かわす=逃げるですが

波動が全身を突き抜ける感覚は滝行と同じで

こちらの方が自由に独り色々な角度や、受け方ができ

さらによいです

修験 とか経験を修めること

古来から残るこうした聖域で

宇宙のγ線や、太陽光と波を浴びて

そこに波という海の風が

全身を包み

良いに決まってます

ノーフアインだー押すだけ

写る時は写る

四角い窓を見てとると

カメラマンの思念が入り、わざとらしさが出てきます

構図、構図なんで馬鹿な話です

Izu

この数日伊豆の海は雨もパラパラ

風もほとんど波に影響な水面から2m~ 2.3mほどの良い波

水中は山の雨で川が濁り

海底が波で掘りおこされ濁り撮影はしないつもりでしたが

散々サーフィンをした後、泳ぎたくなり

朝と夕暮れ4時間ほど泳ぎながら、水面で神社に向かい祝詞を捧げ

御祓いをさせていただきました

海は心身を調律してくれる

唯一破壊され尽くした地球に残る、古来から変わらない場

石油製品のゴミや漁具は然り

人間都合のコンクリートの海洋土木をはじめ

海岸線の人間の侵食により、海が傷んでいるのも事実

海岸と海は繋がり、海の水さえ生きていて

海岸は打ち寄せては消える波動が届く場所で

聖域です

海だけで海では無いのだから

Chacott 名古屋

Chacott名古屋

気がつけば数々の賞に輝き

幼い頃から夢中になったバレエ

新しい更なるスタートかも知れません

お母さまの優しさと、好きなことを続けること

日本の、うなぎの養殖のような、ここの特性を無視し

個々の得意で好きなことをさせずに

狭い箱に入れ、左ならえの窮屈で、強制的な

一貫教育の悪事から

飛び出た僕も

海と影を観る、撮影スタイルでよかった、よかった

と鼓幸(こゆき)さんを見ていて感じました

同じ空間や時間に生きていて

ちょっとしたみのフリや、意識と行動で

こんな豊かな美しい時になるのです

誰みいない、ファイジーの最果ての海にひとり漂うと

おれ、街で何してたんだろう

もっと早くここに来ればよかったな〜

いや〜

生きてるな〜

ワクワクするな〜

これこれ!

生きた心地を存分に感じたのを

思い出しました

これからもバレエを楽しんでくださいね

Fire King Cafe 20th

今年で20回目,20年お世話になっている

代々木上原 ファイヤーキングカフェ さんの個展が始まります。

9/2月〜9/29日

11:30~深夜2:00

9/9月曜日 20周年記念パーティーも開催いたします。

人数は限定50名まで。(19:00~21:00の特別貸切り)

ファイヤーキングカフェのアジア料理と飲みもの付き 会費10,000円

お越しくださる方は

お手数ですが、僕に連絡か

miki@umi-bushi.jpまでご予約ください。

ただいま、DMと印画紙でプリントテストを繰り返しています。

間に合うのか?

インクジェット吹き付け塗装とは違い

写真は数ミリのゼラチン層の紙にから立体的に浮き出る

印画紙のプリントです。

写真家は本物の写真です。

よろしくお願いいたします。

ファインダーは見ない

色もいじらない

波へいき、もう23年がすぎた

24の時にカメラを下げオーストラリアへ

ワーキングホリデービザをとりあてもなく行った

家が見つからず、途方にくれたが

気を取り直し、太陽を見たら元気が出た

俺はどこにいても俺だ

レベルを下げ、前に聞いた日本食マーケットの

手書きの看板を見に行くか?

偶然、道で出会った人が紹介してくれた

人は結婚式の会社の社長さん

どこから来たの?

目黒です

おれ高輪だぞ!

僕白金小学校です

え〜

猿町公園が遊び場でした

話せば、その社長さん息子さんと学校と担任まで同じ奇跡

結局、遊びに来ていた別なおばさんのシェアする家を借りることができた

旅は良きせぬもの

どんどん動き、やってみる

もうだめなんかない。

とにかく限界なんかないから

ドーンと行く!

必ずなんとかなるものだ

気持ちが負けて、引いたらだめ

負の連鎖を呼び込むのは、波と同じ

どんなに大きな波が来ても引き下がらない

引き下がれば大怪我か死

海にわら一本ない

他力はダメ

自力で戻り、死なないように工夫する

やめるならすぐ止める

海へ入らず戻るのも勇気

変なプライドは捨てる

いい時計なんかゴミ屑

感覚を大切に

古来の日本人が知っていた

超自然感覚と声を聴く

波へ前へ向かい潜っては、息を吸い潜る

物事に執着しない

畳の上の水連は、学校と日本の養殖社会

自然を敬い、尊び、頭を下げる

自己責任を貫き

自分の力に正直に

海に正直に話しかける

何はともあれ気合

日々、生きがいを生き

ジャンクなものは食べない

つべこべ言う人のいうことは聞かない

すべては写真が証明

嘘をつくのは人間

海へ行くなら、最低限のレスキューや救急法は必ず習う

助けるのは自分だけだ

困難もたのしみ、笑うこと

とにかく一人旅に限る

修行は一人

決して群れない

仏教に偏らない

嘘つきな坊主ばかり

毎日波へ行けば撮れるものでも無い

呼ばれるようにいけば写る

カメラをのぞかなくたって写る

そんなものだ

旅は

japan surf

日本の波は独特だ

優しげで、神様の国との、ごまかせない長いときの人々の純粋な慕う心の時間が

生きている

Chacott

連日、中国からもお客様がいらしてくださり

海を越え、ご家族の元に、人生の1瞬の1枚の写真が飾られ

豊かな時間になることを祈念します。

お子さんたちが、いつか大人になり

写真の奥深さや、影や光の在るのだけれども

無い(目には見えない、気づかない)隙間の1枚を見て

日本や、子供の頃の思い出になれば幸いです。

みなさま、遠路ありがとうございました。

波も人も波動

影を見ること

光を読むこと

ファインダーは見ない

色も一切いじらない

ありのまま、嘘をつけない1枚の写真のように

生きる

ポーズをわざとつけない1枚

その時なかった題名はつけない

自由自在

融通無碍

代々木上原 ファイヤーキング カフェ

今年でお世話になり、20年目のファイヤーキングカフェさんの展示

初期に写ったフィルム写真も現像し

展示したな〜と

ようやくなんとなくきまり、多めに印画紙のプリントを現像所にお願いしています

ドイツとフィジフィルムの共同開発したラムダジェットで

写真弘社さんにお願いしてます。

2002年の5月無風のフィジー の最果ての無人島の沖

山には妖精が住む、今は行かれない幻の波

海は生きていて、観ていると感じた

聖域

日本ならば間違えなくお祀りしたであろう場

人間界とかけ離れた、未だ残っていた本物の宇宙の海

ファイヤーキング準備!

感覚で毎日写真を並べ

実際に現像所で印画紙で焼いていただき

そこの大テーブルで広げて決める

作る写真より多めに焼いて

感覚で決める

撮ったときは見てないから

焼いてみるのは、僕も楽しみで

写真は昔からノーファインダー

感覚で押すだけ

色も足したりしない、ありのままの写真

そろそろ昨今のカメラマンはいじりすぎる

撮れてないからいじるのだから

プロとして恥ずかしい

フィルムの頃はそんな、ずるい後出しはできないから

撮ることに、もっと時間も、胸も目も傾けていた

早いとか

特にコスパという言葉の浅はかで馬鹿げた事

もう少し、日本人もゆっくり

いや普通に呼吸して、物事と漂う事が必要です

人間には作れない色彩と景色

海岸が健全で、水が綺麗で、太陽光が宇宙から8分19秒後に来たから起きる謎

謎は謎のままでいい

オゾンに満ちた海岸へ行けばいい

そこにどこへ行けばい良いか

教えてくれる風がある

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