織部さん
家康に家康と豊臣を京都で火を放ち暗殺という嫌疑をかけられ
もと信長家臣の古田織部さんと息子3人が切腹させられたのは1615年6/11(織部重然72歳、長男重嗣37歳)
6/13(次男重尚、3男重広)
4男重行27歳は独りこのお墓の前で兄たちの子供を和尚に託し自刃
5男重久25歳 大阪城で討死 徳川秀忠家臣
また織部の周囲の侍たちや茶人、連歌師たちも切腹
織部の奥さん仙さんが彼らを生涯、藤堂高虎さんと供養されました
高虎は徳川家康の御伽衆で城造りの名手
彼は織部の弟子で信長の伊賀の乱の後、伊賀に派遣
それ以前に元初藩の城主で、伊賀の赤目四十八滝の延寿院を自らの祈願所とし、今も位牌が残る
そのご位牌を持ちお掃除したにが2013年6/11
偶然?織部さんの命日の 6/11
ここ興聖寺にきたにも11/11ですぐに和尚さんが波の襖できるんですか?やりたい
と決まりましたのも、不思議です。
また、昨日分かったのですが
過日、形見分けでいただいた日本刀が来た夜
夢に白馬に乗り白い甲冑の勝軍菩薩が現れ
そなたに刀を進ぜようと
丁度縦に細長く楕円の形の中に
何人もの白い馬と武士がいて
その真ん中の白い馬と白い甲冑の武士が前に出てきた
あまりに鮮明で夢の中だが
忘れないようにしようと
しばらく夢を見ながら冷静に現実にいて、紙に書こうかな?しかしこの夢を覚めたくないな、
異常に心地よく眠いな(催眠術の時の同じ感覚)でも忘れないなこれなら
などグルグルしながら寝てるわけですが
昨日世界地図を広げながら、海の質問責めに遭いながら
修験道の本を見せてくれた和尚が
ここに愛宕山の勝軍地蔵(戦いの勝利の神)がね
うちにあります
と言い出した
え〜
また繋がった!
何が?
仏教と神道の混ざり合っていた昔
明治政府の廃仏毀釈で隠され、この寺にきたようで
仏教の言い分などでは多種な仏が化身として
現れたのが神々で(権現と呼ぶ)
神仏習合の仏教のいわゆる方便と解釈
(勝軍菩薩は勝軍地蔵でもあり=白い馬に乗った白い甲冑の侍)
神は同時に同体だったり、人間の解釈で神道は素戔嗚、仏教は牛頭
須佐男は天照で饒速日とか 同時に生きるパラレルワールドのイメージ
密教では宇宙の真理の大日如来が現世に現れると不動明王に
と、様々複雑な解釈と方便が定着し、それを守った修験者や仏教徒が継承してきた解釈
チベットやインドの本物の仏教と、日本の仏教は全く違うもので
作り変えを繰り返された別物です。お坊さんも妻帯したり、お金や女好きも多いですし
本地とは事情や状況で仏が(本来の境地=仏教が1番の始まりで宇宙の真理=大日如来)
この世に仏が神の姿で変身させ現れたもの(垂迹)
難しいですね。
神道では火伏せの神 ヒノカグズチの神
火伏せは秋葉大権現という天狗であり
愛宕山にも大天狗愛宕山太郎坊がいます
天狗の真言は
オン アロマヤ テングスマンキ ソワカ
オン ヒラヒラケンノウ ソワカ
その呪文の最初はまづ大天狗には愛宕山太郎坊、鞍馬山僧正坊・・・・と始まります
それはともあれ
昔堀川は暴れ川で、堀川通はなく
織部稲荷と呼ぶおいなりさんと地続きで(おそらくこの水火天満宮?)ここに興聖寺の最初のお坊さんが
庵を作り住んでいた(昔は臨済宗ではなく顕密道場)のを、天海、高虎、織部さんとで
織部さんが60歳の時に菩提寺として作ったそうです
一切の申し開きはなし
と親子で差し違えた織部さんご家族がいらしたこの場