STAFF : Uncategorized

禅の方丈

京都 臨済宗 興聖寺の方丈と織部の茶室を
6・12日に限定人数ですが
特別公開します。

拝観、お布施 2000円

家康にうとまれ、切腹させられ
文句1つ言わなかった、大名で茶人織部さん,と息子さんご命日6/11.13
ここが60歳の時に天海と建立した菩提寺

そんな武人で茶人で美意識を遊んだデザイナー
古田織部さんの菩提寺に
青波の襖14mがあります。

ここは織部さんご家族、江戸時代の画家 曽我蕭白さんが
眠る安住の地

407年後織部さんが斬新だったように
海の襖絵がここ京都に奉納させていただけたのも
不思議なご縁です。

フィルム撮影したポジを6mに引き伸ばし

若冲などの掛け軸を直す職人
漆や螺鈿細工など伝統工芸で
NHK大賞を取った人見祥永先生に貼っていただく

そんなことあるんだ〜と感激。

そんなわけで
京都にいますぜひぜひ
ふらりと起こしください

一般公開はしていません

100畳の座禅瞑想の祈り場です

白隠さん、一休さん、達磨さん
皆さん修行された方々と織部さん溶け合う
世界でここだけの空間は

瞑想すると
皆さん不思議な体験をされています。

斬新な芸術家のふる里へ

1枚から

写真1枚が次々と
自分を新たな世界や勇気に向け
背中を押すものだとようやく気づいた

写真は人生を教えてくれます
写真は生きているものです

コダックのVSという低感度のビビッドなフィルムが生産中止になり
コダックは元々軍需産業だから、フィルム事業はやめてもなんでもない
だから、2011年からデジタルにせざるえなくなった

1枚撮って海岸から上がり、すぐ見れて
フィルムより、早い時間で胸が揺さぶられていく
だけどフィルムで散々苦労したから
あれを経験してるのと、してないのでは
写真が違うと思う
余計な楽で余計な安易
余計な写真を余計に押す

ファインダーは見ないで、感覚で押すから
そもそも、何が写ったかわからないんですが
海外の海から現像するまでの数週間後

ライトボックスに光るスリーブを見るのが
ドキドキ楽しみだった

待つこと

昔は青い波に心を押されていったのだけど

今は、もはや波という姿でなく
太陽を水から撮る人なんだから

凝り固まったものが、どこかへ抜けた

そもそも波という物はなく
無い物を写し
観ていた
とある日気づくのですが

無い物
ある物をない場所から
見えやすい形に代わりに表す

人は視覚的に見て押す
対象物が存在して
目で見て、ファインダー見て、考えて押すため
遅い

海の中は普通の撮り方では押せません
自己の思いや念や、思惑は持ち込まない
写真は鋭い瞬間的な行為だと信ずる

あるチャンネルというか
時間のズレにある物を残すのが写真の怖さ

1つの空間というか水間にある階層
の人間には見えない瞬間のズレ
そには水と光だけが入り込める

影の話は朝までかかりそうですから
今はしませんが

祈り
その場や
そこを大事にし
何かを尊び生きた、違うのは時間だけで
ここに同じくいた
昔の人々や神様
その声を聞いていた、海の水や岩

そんな場の持つ力
証人として見聞きしているのは石と水

写真を撮ることと同時シンクロが
光が滞った場や侍や忍たちの供養
神様の丁稚というか指令?
に素直に動くよう心を傾けています

独自の世界観とこの1枚は成り立っています
関係ないようですが
押す人の生き方や生き様も世界観も1枚に多少なりと残ります
が、誤解してはいけないのが、人間界の思念の構図を入れない

祈りと供養って
決して宗教ではないんです
宗教は誰かの(どっかの人間とか絶対な神デウスとか)言ったこと
やったことを、真似したり強制され、誘導され。

新興宗教だと、ひつこく勧誘され、さらっと新聞送りつけられたり、小さな頃から洗脳したり
弱みにつけ込まれたりして

あれらは手段だと思うんです
勝手にやればいい

それぞれ比叡山で、勉強して、修行して考え抜いて
いろいろ参考にして、揉んで、練り上げたその宗教者の世界観
それはそれですごいんですが

じゃ
万人にすっとナチュラルに溶けあう、薬じゃないんです
やはり宇宙と海の自然治癒力にはかなえない

人の教えは定期的に飲まされたり、飲まないといけない感じになる
「自然」天然とかネイチャーではない
自然は不自然な造られた言語ですから、個人的には自然は人間様の型枠に感じます

薬も一時的にケミカルな抗生物質でバイキン殺すことはあっても
ずっとではいけないんです。
体は弱っちゃいます
毒を毒で制するだけです

健康がないと

自然界の見えない魂の呼吸を、身をもって感じ取る力

誰かのためとか
そんな、壮大なことではなく
昔の方々は日本も100人に一人は行者でしたから
祈りの道の霊道というか浄められた神様の行き来する道が
張り巡らされていたんだと思います

そんな数千年続いた、信仰心が明治政府の作戦で
ずいぶんと無理やり絶滅させられたのが今の日本

ある方もこう言ってました
神様とは例えば遠い遠い先祖が神様のようなものです

例えば
自分が死んで500年後に見ず知らずの人が来て
自分が泳いでいた場所やお墓に来て
供物置いて、手を合わせてくれたら
それだけで嬉しいわけです

気持ちなんですね
祈りって、どんな格好でもいいんです
役の行者が白装束着てませんし、木の葉の衣装らしい

念仏唱えればそれが全てを救う妙薬で
他力本願でいいとか
そんなわけないです

独りで旅して悟って
自分さえ良くなればいいのでなく
人救わないといけないとか

それは全く別なことですから
まづは自分
他人は次回です

ライフガードも鍛えないと自分が死にます
他人どこではないです

誰かかから、誰かに伝えると最後の100人目は
違うこと言うように
教科書的に言ったことを伝えていくのは所詮無理なんです

海は冷たい
怖い、暖かい
魚の色綺麗とか
あおい、雨や台風で濁るとか
美しい夕日だなとか
鳥が雨上がりの森で鳴いてるなとか
いいな〜
怖いな〜って
雑味がない陰陽
光と影です

純粋って言葉以上にピュアなんです

人間様の思惑や意志が介在できないのが
宇宙の黄金律で生まれたネイチャーですから
1年、100年経っても感じ方や
香りや水の硬さや柔らかさは
同じなんです

天然の鮎の塩焼きは
やっぱり養殖とは別で
100年後も同じ味なんです
苔の香りがして、臭みがなくて
脂にクセがなくて
海に行って旅して川に戻り清流で苔を食べる
そんなこと数億年やってるから、鮎も修行者です。
だから食べる分だけ捕まえ
命をいただきます
です

やはり自分で
胸で理解し、怖さや美しさは目の当たりにし
体験を積まないとスッキリしない
だから修験という

体験を修めていく

学校は養殖場ですから
粒揃いに言うこと聞く大人は作れますが
いざと言うときには心配です

子供達にやはり海や川や魚を存分に好きになってもらう日本が必要
雨降ったら、バックから安い折りたたみ傘出して
風で壊れてゴミになる

いいんです濡れて
自由自在、臨機応変
宇宙の状況に合わせ変げしないと
地球の環境ではなくこれからは
宇宙の環境をかんなみないと
既に宇宙は衛星のゴミ捨て場らしいですが

地球も大事にできない人が
宇宙を征服しようなんて、マゼランやクックやルイスフロイトと同じ

修験が唯一無二とは言いませんが
自然界を大切にしますし
そこでの体験で、迷いや怖さや乗り越えていく部分は
現代の中では一番鋭く早く体得できる手段と物語だと感じます
最もその過程や、宗派により多少仏教的要素も溶け込んでますが
基本は頭でないんです

金峯山寺の行者さんに会う機会がありますが
本当に皆さんすごい、気合と奉仕の祈りを地球と宇宙へ捧げてます

自分がスッキリ
ふに落ちた生き方すれば
みんな助け合い、心に余裕ができて譲り合います
生きがいのある今に生きてないと
自信も失って
自分の迷路で迷う

正心をつくる
忍術書にもまづは、正心がなければ全てはないと
そこだと書いてあります

プールで早く泳ぐことなんか
選手になるなら別だけど、海では危険でしかない
子供の頃、よくわからない序列と順位社会が本当に嫌いだった
競争させる 勉強も記憶術の大会

学校のブランド力を高める必要最低限の維持するための商売の部分と
子供たちに夢をのバランスが微妙

某環境保護団体と同じで
クーラきいた都会の家賃の高いオフィスが入りますか?
と同じ。

その場や海に敬意を通し義理を通し
惹かれ感じあい、結果ご褒美に心が1枚の写真でゆさぶられる

だからまた、感謝ってきな臭いけど
ありがうとございました
またよろしくです
のループです

人々の未だ残る憶いでを(怨念でも地縛霊でもないです 笑)
大切に整え維持する,共有して次世代へ手渡すイメージ
雑味を加えないこと、食べ物や水や日本酒の供物は大切

神界の指令やら、神様の代わりに動くとか
人間界の言葉だとそこで、祈りとか供養とか
シャーマンとかプロの宮司とかおぼう様とか役目の方がいまして
日本はある意味、祈りのプロの館が
ひしめき合ってる
交番より多い

世界中行ったけど
こんなに綺麗大切にみんなで維持して
神様や仏さんや狐さんや龍神さんや石や木を
数千年レベルで人から人へ大事に守ってる国はない

神社や寺は通信施設の役目
石でも巨大な珊瑚でも木でもいいですが

あーいった荘厳な家があると感情移入しやすいですから
それは大事です

水族館(ネーミングは過激で異常だけど)
あれは海や自然の階段の1段目かもしれない

現実はすごくて
薬撒かれて、失神して弱ったところを網で救われて
酸素つめた狭いビニールで何時間もかけ送られてくる
もちろん到着したら袋のなかで死んでいるのもいる(死着)
ストレスや薬の後遺症や傷

彼らは2度と海に戻れない
家族とバラバラ。
でも狭い水槽で生きていくしかない
島流しより牢屋に近い
イルカはそうした感情があるから噴気孔閉めて自殺すると
確か、イルカの知性を研究していたジョンリリーが書いていた

お釈迦さんは魂も霊魂もないと言ってたようですが
僕は何かはあると思います
言葉にすると誤解とズレを生む何か

思い出とか、その時の想いは
もう1つの周波数の違うというか
パラレルワールド?に記録されてる
そこにアクセスし元に整え
若干の修正はできるかともいます
デジャブがよくあります
あれ?こここのシーン鮮明に夢で見たとか
多い

侍というと
品行方正な武士をイメージしますが
実は士農工商でないですが、威張り、騙し合い、親兄弟も殺し合い
基本領土の取り合いや、利権や神社の奪い合いをしていたようです

今の人より物がない中で
宇宙と呼応し生き、国土の寒さ怖さ強さを今より
厳しい環境で生活し
草鞋の痛さを知理、車も電車もない途方もない距離を
歩いたり修験もし

茶道や坐禅や武勇を練磨したのに
歴史的に今の我々には考えられない特殊な生き方だったんでしょう
利久さんは豊臣
織部さんも家康の嫉妬や恐れで切腹へ
ひどい話です

襖を修めさせていただいた京都の興聖寺には織部さんのお墓があります
僕も今週末は御供養に行きます
どうぞ、その時なら襖絵や織部三畳の茶室もお見せできます

5/7 五男重久 大阪城の戦いで討死
6/11 織部さん72歳と長男 重嗣37歳
6/13 次男 重尚35歳と 三男 重広 28歳
6/24 四男 重行 27歳興聖寺のお墓の前で切腹

お母さんの仙さんは仏門に入り
理不尽な日本にさ様々な思いを胸に
息子たちを祈り続けていたそうです

没後407年後に斬新な織部さんの場へ
青い波の襖がおさまったのもご縁と何かあるんでしょうね

拝むと祈るは何が違うのか?
 
祈る方が自己のことや現生利益ではない
純粋で手裏剣のような厳しい感じがします
中途半端だとやられてしまいますし
拝むって想念や思惑やこうしたい!が強い気がします

神頼みってやつです

小野田寛郎さんは僕は尊敬してます
南の島で、ずっと戦い戦友がどんどん殺されていき
最後は独りでジャングルで
よく健康を維持して、頑張っていたな〜と

精神力をあれだけ維持してきちっと保っていたのは
南の島で寝るときは斜面に寝ていて、あり細くかじられたとか
電池は磁力で放電しないように、頭と尻に漏って大事にしたとか

神仏は信じるが頼らないと言っておられました

投稿のビラを巻いても、戦争が終わったことを伝えに家族も行っても
姿を表さなかった
小野田さんに日本が負けたことを伝え
帰国させたのは、一人テントを張り小野田さんに会いに行き
小野田さんが見つけ不審がりながらも夕陽を背にちかずき
テントに泊まって話した奇跡を起こし
最後は山へ雪男を探しに行き
亡くなってしまった鈴木青年です

その時もマグネシウムのストロボとフィルムでとった1枚の写真が
日本を驚かせました

カメラって何でしょう
師匠は所詮道具よ、
お前さんカメラにとられるんじゃないぞ!

とよく言っていた
本当そうだそうだ!と
自分で言葉にできなかったけどしっくりした

昔は車と一緒で舐め回すように
観てうっとり
鉄でできていて、シャッタ押すとチーンと響く
35mmのCanonNew F1が大好きで
何台もありました

今やプラスチックで数年毎に
メーカーは車と同じく今世紀最高!のでき!と
ワインのようなこと言い放ち
僕らはその犠牲になり買い替えてます

本当はもっといいカメラ作れるのに
ちょっとだししてきます
正直カメラ自体の機能は単純なため

違うのは多分が画素だけ。
あとはそれだけじゃまづいから程度
形もスペック的は何も変えようがないから

そんな愛着湧かないハイブリッドカーのような
デジタルカメラは電気製品です

だからか
俺は明日から
写真家はやめるぜ!
と1999年に写真の師匠 柏原のオヤジは笑いながら
決断の目で言った
あれは斬新だった

1枚がすぐみれ
次の撮影の技術的青写真がイメージしやすくなり
露出やシャッタスピードを組み合わせやすくなった
失敗が減った

酢酸臭い服に穴が開く現像液の薬品や銀も流さなくてすんだ

比例して緊張感がなくなり、単価が安くなり
まとめてちょーだいとか
昔じゃ殴られる、クライアントの暴言も普通になった

プロの腕の見せ所が見せにくくなった。

1枚の価値が落ちた

スタジオでも
あと何枚撮れるかな?と本当に撮れたかな〜
お客さんに分からないように
±2段ずつ押しておこうとか
特にストロボ撮影は怖かった

心臓が強くなった
小さなポラロイドで確認したり、メーターで測ったり
専門的に覚えることも多く、道具も高かったから
カメラマンとしての職人的要素があった

半ば強制的に「これでいいですね!」と小さなポラロイド
お客様に見せたり
して空気で押したり

だけど常に残りの枚数を気にしながら撮るのは、
1枚押す指と心もちがデジタルより大切に
していた

詰め替えるフィルムの本数やポケットに入れた
パトローネ(プラスチックの入れ物)を確認し
撮った物を落としてないだろうな?〜気をつけていたのが
懐かしい
旅の取材なんか落としたら大問題だから怖かった
海外だと税関のX線でフィルムが感光し真っ白にぶっ飛ぶ迷信があって
みんな鉛の袋に詰めていた
あれに入れると中身が映らないとか
挑みたけど輪郭は写ってたけど
中身がなんだかわからなかったし
フィルムだから。X線なしでいいよねと
自分で持ち込んでた

誰かがアルマイトの弁当箱もうつらないとか
セキュリティーが甘かったから

話は戻るとフィルムは
海の場合はいちいち 泳いで陸地まで戻り(20ぷんくらい)
車か宿か岩の隙間や砂に埋めて隠していたフィルムを詰め替えに
泳いで歩いた(とはいえ撮るのも、せいぜい3本で5時間泳いでた)

そんな、当たり前の行動が要らなくなり、そのまま波に集中でき
いつ消えるか読めない波や
枚数が500枚とか撮れるからチャンスが増えた
本当に
信じられないこと

戻るのが当たり前で
たまにフィルムを入れ忘れたり
うまくカメラの中の巻き取りの歯車に噛んでなかったり
びっくりとがっかりが凄かった。

でも自分が悪いわけだし
焦った自分が悪いんだから
忘れて前に

いい憶いでです
3回やらかしました

パイプラインの横で水中ケースが曇り
立ち泳ぎして蓋を少し開けたら
海水を被り海で白煙吹いて
新品のカメラは燃えたこともあります

写真やではないと思ってます
水中写真家とか紹介されてたけど
あれは間違えだった
帰省の言葉や文脈に合わせていた
全っくいけない

箇条書きしたら
海、祈り、供養、ネイチャーへの溶け合い
過去のネイティブ的な感覚の呼び醒まし

だから海伏と言ってます
海武士だと瀬戸内あたりの海賊になっちゃいますし

グダグダ書きましたが

また
頑張ります

伊豆大島へ挑戦!

波探し

島根小波海岸

テトラポットが風景も壊してますが
場の雰囲気のいい海岸で
しばらく眺めていました

西へ向いて開けた湾
で、強い西風でこの日は水は濁ってました

こんなところまで浸食

デウス=天帝=絶対神

恐るべし
ポルトガルのザビエル

海を見ていれば
全てが教えてくれるのに

デウスはキリストの絶対神

日本風だと天帝らしい
絶対神は日本にはいないですからね

戦訓

6/5ミッドウェー海戦で空母飛竜艦長の山口多聞さんはじめ
多くのアメリカの若者たちも
故国に戻れなかった日

江田島の海軍兵学校には、その時の形見の戦闘帽と
特攻隊約3000名へのお香が絶やされないように
されていた

同時に行われた(牽制の意味で)
ダッチハーバーに不時着失敗したほぼ無傷の(草原に見えた場所は実際は湿地帯だった)
足が引っかかり横転した、ほぼ無傷の零戦をアメリカは徹底検証し
自分たちの戦闘機と分析し対抗できる飛行機と戦法をつくった

先を見た、謙虚な研究

訓練を重ねる
焦らない心
自己の力を正直にみる
柔軟な対応
2兎は追わない
徹底的にやる
合理的な判断
冷静な正気な状況判断

あとは運

波へ独り行く時と同じ戦訓のようなもの

誰かと行っていたら
判断が鈍り
死んだかもしれない

だから常に一人で波へ行く

ありがたいことに、今年で17年目?
9/6から10/11に開催する
ファイヤーキングカフェの展示

オーナー阿部さんのおじいさんは空母信濃の艦長で(熊野灘で艦と運命を共に 享年48歳)
ミッドウェーでは、尊敬する山口さんと加来艦長と月見でもするか
と残った空母に、介錯の魚雷を放った,当時は駆逐艦の艦長
 
日本軍は陛下の艦として、責任を取り生きていても
艦と運命を共にする慣し

せっかくの経験も人材も全て失うが
阿部俊雄さんも、常々奥さんに、部下が死んでしまったら腹を切らねば

毎回の話に奥さんも「そんなに何回もお腹を切ったら、お腹がたりませんね」と
代々木上原のご自宅でお話ししていたと
お聞きした。
山口さんと同じ武士道

アメリカはその逆で生きてまた戦う
おおらかで合理的だった

1999年頃 お世話になった写真の師匠 柏原誠と深い交流のあった
戦争写真家で、水俣を写したユージンスミス

ユージンはいいオヤジだった〜
が口癖
彼の現象をずっとやっていたという

そんなユージンも砲弾で怪我をする

サイパンや沖縄戦で傷つくお母さんと子供たちを
涙しながら撮影した
戦争の無意味さに
この戦争や野郎ども!

撮影したフィルムの
そのほどんどは軍に焼かれたと

ドキュメンタリーを写しに行くが
プロパガンダ写真を撮らされていた訳だ

怪我が癒え
自分の子供達の後ろ姿を
セントラルパークの森で写した写真で
再び脚光を浴び
人を撮り始めたという

どこかで当然
写真は嘘はつけず
ドキュメンタリーであると
知っていたユージン

そんな師匠たちの思いを胸に
海のドキュメンタリーでいかなきゃ
と泳いだのは2001年のオーストラリア

わざと命をかけれる、平和に感謝し
彼らを忘れないこと

右とか左ではない
誰もが感じる真ん中です

組写真の部

津上神社の瀬織津彦、瀬織津姫様

美しかった海岸線はもう戻れないことを見ている

しかしこの漁村の人の暮らしや船はを
守る意味で、防波堤デザイナーにより
固められていくのを見ている

先生の目線は山の神様へ
もうちょっといい写真を撮ってあげてください!
 
密漁は行けませんが
そもそも海のもは誰のものでもありません。

稚貝を撒いた?
貝殻に番号をお願いしたい

海で生き物を捕まえ
食べることで
海の怖さや楽しみの恵みと味を知り
海を大切に守る大人に成長します

じゃ何百匹もつる
釣りはいんですか?

なぜモリと素潜りはダメか?

フィジーの村のオバちゃんの刺し網でも
ボンベの潜水漁や観賞魚のシアン化合物や洗剤を
サンゴ礁に巻いて浮いた魚をとるのでもないのだから

最も大量に取り
船の下にフックを作り
網をひっかけ隠す密漁者もいますから

仕方ないのやら

虎やさいの角をとるんじゃないのだから

神様、防波堤、、プラゴミ、密漁者
色々おありですが
お願いします。

もはや地球は、磯に絡み合った海に溶けない釣り糸のように
ひっちゃけめっちゃか!

地球人ではどうにもできません
宇宙人か神様のお力しかないと思います。

溶け合わないもの

島根原発
順調に着々と拡張工事中

ありがたい電気

中国電力といえば
多大な恩恵の仕事や原発交付金を、近くに漁村に
お振り込みし。
反対派神社の宮司まで入れ替え
カンムリウミスズメや白イルカの住む
山口県上関の原発建設予定地で大揉め

そこでで行った
漁労長へやおさへのお金にまつわる相談や様々な仕事
道の駅には3億円

上関の自然を守る会の方々と
今ではパタゴニアも反対運動に参加

稲佐の浜
防波堤と現代アート

都会人の使い捨て×お願いの置き去り×出雲

数日間いろいろを探した

雨なのか?
どこに泊まる?
撮れるのか?
夕日は出るのか?

そもそも出雲は波があるのか?
どこに入るか?

今回はロケハンでもいいのだが

可能であれば撮れたらいいな

手探りが欲しかった
行動あるのみ

問題は決められた日数と自然状況

どこに入るのか、で全ては決まる

焦らず自然に任せること

謎だらけの毎秒
宇宙の法則に従うしかない人間

ドキュメンタリー
山陰の港もどこも魚網、コンクリートの防波堤で船との緩衝材で使う
発砲スチロール、プラスチックブイ、イカ釣りの電球、ふねに塗る錆止め材のペンキ缶や筆
お決まりの、日韓仲良くペットボトルの山
入り組んだ海岸線と、緻密で複雑な防波堤デザイナーの仕事のおかげで

自然と人工物がせめぎ合う
不自然な現代風景

中でも劣化したスチロールの、数億の粒々は正直拾えない

局部的には無意味ながら

気持ちの問題

恒例になった
まづは撮らせていただく海岸の
ゴミ拾いに1時間

しかし正直拾いきれない

トラックがいる
どこに捨てる?
意味がない?
ここだけ、ちょこっと綺麗にしてもね

頭をよぎる雑念の石油的脳内

竹竿と発砲スチロールの、網の目印にするブイや
テトラポットに挟まるは、太いロープはからみ合いながら
テトラポットと美の共演やら

海岸は見慣れたせいか
ゴミも海岸とセットのように
自然に溶け合う現代アート

地元の方に聞く

もうどうでもよくなった
慣れた
拾いきれん
誰も拾わん
独りで拾うと周りから変な目で見られる
今更なんやね〜

考えてもいなかった
漁が忙しい
などなど

都会人間には見えない事実

行政が廃棄に金がかかる理由で
ゴミを集めたがらないのも大問題らしい

子供の頃から見ていると
一部だと思いたいが
漁師はよく
タバコを海へポイ

日本もフィジーも目の前から
消えてなくなる感じだから
ポイ

水に流す

有刺鉄線と監視カメラの中にある放射能施設の冷却水
を海に流す
ただここからあっちに行くだけ

魚や海亀や鯨が飲み込んで死ぬ
やがて人もそれを食べる

正直、網ですくえず、顕微鏡のいる
マイクロプラスチックなんか
よくわからない物より

目に見えるものを拾うこと

無理な話だが
本当は作り売り付けないこと

人間界の生活や、安価なすぐ壊れる物、持続して使えない物
作り続ける企業が変わらないと
受け身の我々はどうしようもない

宇宙を汚染しているのは人間
環境問題のなかった神様の時代から変わったことだらけの地球

神様の地にお願いばかり置いていく
のと同じこと

「もうわしらは聞き飽きた」

都合よく生きてしまった
電子レンジのような俺たち

電気の循環モーターのいらない
地球という水槽にいるだけなのだから

怖さの種類

昨年秋、神在祭のご縁をいただき
出雲の神の波の裏へ

来るまでは、まさか日本海の海で撮れるとも
撮ろうとも頭になかったが

どうしても気になりご縁を辿り

出雲教、出雲大社、日御碕神社、美保神社、日御碕の海へ
御神酒(地元の作り酒屋、出雲富士)をご奉納させていただき。

事代主さんの本拠地、美保神社では宮司さん方が
拝殿でご祈祷までしてくださった。

「どうぞご祈祷のご希望を」

「国家安泰」

出雲北島家の血を引く、地元の語りべ
中筋さんにご再会

さすが代々語り部の
なんとか撮らせて下げたいな〜
と、出雲を愛する経験と思いの乗ったストレートな語り口
は、その場のみなを毎度暖かに溶けこませる

単刀直入!
「日御碕で撮られてください。」

「出雲はそもそも伊勢神宮が朝日の信仰で
日御碕は鳥居も向き合って流ように夕日神事の場です
もしくはその近くの無人島へ、船は手配します。」

山中鹿之介や後醍醐天皇が島流しにあった隠岐島でと
海の壮大な旅の話しに胸が躍った

西の風の波はあっても砂浜で、どこも白濁
鬼の洗濯岩のような磯は浅すぎて撮れず

結局は
太陽を水から押すのだから
気の良い(多分昔の祈り場?)の
水がかき混ざる日御碕の磯に飛び込んだ

怖いのはいつも同じ
怖さの種類がまた違う

磯は帰れなくなる
あまり深いとうまく撮れない
地形や太陽や風の方角の勉強から

いろいろな種類の怖さを克服し
怖さを忘れず
怖さを忘れる

宇宙の怖さを知れば
何が正しく
何がおかしいいか
胸でわかる

腑に落ちる生き方を
していた古来の人々へ感謝

経島

日御碕(ひのみさき)の経島
沈下した海底には
沖縄のセイファー御嶽のような祈り場

見つけたのは
目の前でアクア工房というダイビンクショップを営む
情熱の塊、岡本さん。

聞けば18歳の時にバイクで旅をし
当時はあった古木の松の先に見えるその姿が
心に焼き付いていたと言う

そしてその数十年後、自然に
この島の前の土地でダイビングショップをやることになる

きっと神様が岡本さんに
海底遺跡を発見し
世につたるお役目の鍵をお渡しになったのかな

そんな岡本さんのご好意で
2度も2箇所に枝分かれしたようにある
巨大な岩の下の祈り場へ

不意に起きた
もうやるまいと思っていた
まさかのダイビングは23年ぶり
全く道具の使い方も忘れていた

なんとかついていくと
光のさす洞窟の底には玉石が敷き詰めてあり
人一人通れる回廊のような参道
ここを通ると自然に
浄化されるのだろうか
なんらかの意味がこの全体図にはあるようだが
今の僕たちには読めない

まさに聖域

水中に没しても
その当時の祈りの真心が留まり
ここにある気がした

水から上がると水圧のせいで
相変わらず耳がパキパキ音がして、鼻血が出る。

天敵もこない島は
ウミネコの生息地
国に天然記念物に指定されたと聞く

ウミネコは物でないから、島だけが記念物なのか?
島も人間のご都合でどうでもいい賞をもらう
古来の人々はどう感じているやら

そんなウミネコの白い糞だらけの島に
一年に1度神官だけが島の鳥居にお祈りに行く

鳥の糞には、激戦地ナウル島のように
リンがあるはずだが
草木一本生えてない

天然記念物の神聖な場にくっつけたような防波堤から
おみきを注ぎ、お赤飯を供え
祝詞を捧げた

古き良きことを
新しく良くない場所から祈る矛盾

出雲探索

出雲へしばらく調査へ

波はない?
海が西を向き夕陽しか撮れない?

いろいろ頭で妄想するより
やはり現地に行けば全て透明に

出雲で昨年お世話になった、とあるかたから
お電話をいただきご一緒にと
おすすめされた場は

今思えば昨年あの奥はなんだろう?
と気になっていた漁村と夕陽を祈る神社だった

そもそもの始まりは
稲佐の浜で泳いでください
昨年の神在祭の一言

波が撮れるなど
思いもよらなかったが

その一言を
しまったまま

車を借り7日間で800キロ
山陰の海岸線を行き来きし
聞き込みをしながら

山陰の海と神社を巡る

AAランクの水質をうたい、波もある?松江の古浦海岸は横が港で、川もあり濁りやすく
その場の雰囲気も人工的でピントこず退散

海岸線の持つ雰囲気や気が良い場所が
まづは始まり

言葉では難しい
感覚を観る

神仏習合の日本
で大国主さんは海原を旅する大黒さん
息子の事代主さんは海に住む恵比寿さん
長野の諏訪に追い払われてしまった弟タケミナカタさんは龍神とも

古来からはこの地を納め
守った土着の出雲族の方々の聖地

大国主さんは
国津神として国土を治めていらしたのだが

天界の天津神 天照が自分にこの場を譲って欲しいと
交渉やら、戦いやら、古事記や日本書紀の謎へ
入る訳です

出雲も、昔は1つでしたが
今は千家さん=出雲大社=北島さん出雲教
は隣同士

北島さんは、大国主さんはもとより
滝のある社に大国主さんを手助けした
少名彦を祀る(信長が伊賀忍から狙撃された、戸隠流忍術の望月三郎ゆかり、伊賀敢国神社と同じ)

神様と皇室の溶け合いはなかなか深い。
神代の神界と浮き世の人間界は色々です。

夕陽は一日の感謝と明日への光と再生を祈る
夕陽に良くきてくださいましたと
祈る出雲

京都出雲大神宮が出雲の元
山が御神体で2万年前から祈られてきたと岩田宮司さん
今の僕たちよりも、はるかに感性豊かでシャーマニックな方々がいた事実を
いつもさらりとお話しくださる

大国主の先祖?父親?須佐男さんは
暴れん坊でしたが
出雲で心改めたらしいです
そこが奥さんクシナダヒメとすんだ須佐神社とも

でもよくわかりませんが
日御碕神社の横のお山に
ここがいいと一人で住んでいた場所もある

「我が神魂はこの柏葉の泊まるところに住まむ」
と投げた場所がここ、美佐枝なる隠々丘(日御碕神社の始まり)
実際に柏葉の化石も出た不思議な気の場所

現実に戻り
須佐男さんの子孫が代々仕えている須佐神社へ
ここも気に入り、自分の御霊を鎮めたらしい
神様がすみ良いとこである
と言ったとか言わないとか

スピリチャルブームで色々な方も見受けます
由緒がきの看板には

戦国時代尼子晴久さんたちが大切にしたと書いてあり
それは御礼に行かねば!

須佐神社から30分、どじょうすくいの安木(やすぎ)
の近く松江に移される前の城下町広瀬の月山富田城へ

山城は凄かった
元は仲間の毛利に押し潰された尼子
お寺にある堀尾氏とその奥様が建立された
山中鹿之介さんのお墓に供物を捧げお祈りに

実は先日京都の禅寺で山中さんのご子孫の、書道家の杭迫さんにお会いしたばかりでした

そして急激な斜面の月山富田城の山頂には
大国主さんを祀る勝日高守神社が

ここでもご縁

裏切りと分捕りを繰り返した侍も
神仏を大切にしていたが
どうもその振る舞いは辻褄が合わない

尼子とて1486年に塩谷掃部介を滅ぼしぶん取り
正月に暗殺したり

もう神も仏もない世界

そんな尼子も元は甲賀の佐々木、六角氏の血を引く
後醍醐天皇を隠岐に島流しの警護をしたと言われ
た得体の知れない佐々木道誉を祖先に持つ
(甲賀忍の影あり)

尼子の再起を願い
信長や秀吉に見捨てられ

三日月に「我に七難八苦を与えたまえ」と
祈った武勇の男 山中鹿之助さんも
出雲の神々を祈ったのだろうか?

日本は神様自身も妬み、恨み、恋愛で戦争し
戦国時代も。領土と地位の取り合いの
ばかしあいと、殺し合い

テトラポットのない
海は動き
風が吹き

人間がそのリズムを打ち壊している事実

その全てを太陽は黙って見てきた証人である
祈るのも当然で、戒律も経典もいらない
ごくシンプルなことが大切だと思います

祈りとはきな臭い事でも
宗教でもなく
純粋な感謝と供養
その土地の浄化と見えない時間に委ねること

見返りは期待なしで
祈ることができない昨今の日本人

明治政府の西洋化と天照=天皇家はその子供
としつつ
修験道禁止、廃仏毀釈で
どんなにもの尊い祈り場や祈りてが
絶滅したことか

日本は神話と祈りの循環
太陽の浄化と再生に生きています

よかったこと

魚にストロボの光線を浴びせたら
きっと眩しくて目に悪い!
見えなくなっちゃう?

海に限られた時間だけ
誰かと必ず群れで行き
宇宙服のような格好で行く時点で
もはや不自然!

すみませんも言わず
土足で人に家に入る感覚がある日来た!

独り海で大笑いし
それ以来酸素ボンベも、BCジャケットもウェイトもシュノーケルも
全部捨てて
裸で行きます!
と海と約束したのは32歳

気づくのが遅かった。

ま〜それはそれで

よかった
あの日があって

自分で気づいて
「そのこと」に没頭し
他を見ない

自らによく独居すること

体から海へ入るように

海水の温度をまず感じ
水の潮流を足で感じ
波に合わせて、波をどうしたら
一番効率よくかわせるのか
体をひねり、水中でジャンプする

もうすぐ
鯉の滝登り

未水

梅雨入りが早いようだ
雨の撮影も、恐るべし透明度の南太平洋なら
ともかく

日本の海ではなかなか難しい
不透明なグレー一色
プランクトンや
砂浜は濁る

事代主神様の
出雲へ行くか!

宮崎へ行くか?

以前も海を探したが
未だ場所はみつからず

探すところから始まる
波の撮影

旅から旅

神話と波の旅へ

由比ヶ浜

鎌倉由比ヶ浜
雨が続き撮影はできないけれど

波をくぐれば
調律されていく

時計のない時間へ

仲間の山井さん
海沿いのレイブサーフショップ
レンタルボード、ウェットなど
手ぶらでサーフィン
ぜひ。

源頼朝の侍頭
和田義盛さん一族のお墓にも
お供えと御供養へ

茶室

茶室とつながる広大な海
外国からきた茶売り
売茶翁
若冲や富岡鉄斎が絵に描き

栄西が宇治の山で
養殖に成功し
楽しみと健康に
武士好みの死生観や瞑想坐禅と結びつく

臨済宗が特に足利の後押しを受け
京都発のセンセーショナルをいっそう色付けた

日本の風土、武士により
独自の作法と空間づくりが息づいてきた

現代は流派が増えて
宗家やら家元やら
弟子がいい茶碗を買うと
茶碗屋と先生が蜜月の中へ

お茶の世界はなかなかどうして

利久が「にじりくち」を考案したらしいが

刀を外す場
密談の場
心を整える場
息抜きの場
楽しむ場
考える場
習い事の場

小さな和室に
削ぎ落とした美意識を空想ししつらえ
茶道という独自の宇宙が
織り成されてきた場は

黎明の海の中に似ている
出入りを繰り返しては
自己を見つめさせられる自由な茶室

世間知らず

青い寒天のような波の中に
ずいぶんいたから
もういいや
と思ったのは2011年

青い波の誘惑から10年が立っていた頃

浦島太郎のように海に住んでいたわけではないから
全部足してもせいぜい数ヶ月だが

海に独り漂っていた時間は世間の人よりは長かった

命をかけざるえない時間こそ
人を正しい心に戻す

集中力のオンオフの入れ具合
体と心は一体な事
どんなに泳げても、海で生まれた小さな魚には敵わない事

数えきれない
波の崩れる破壊音と
全身を波とすれ違わせ
波に擦れないようにしてきた

普通生きていたら
そんな必要はないのだが
日常から逃げた分だけ
普段では知り得ない胸がワクワクする
水が蕩々とあることを知った

自由に旅をしないと
人間は世俗の養殖池で弱ってしまう

真っ暗な真冬の海へ独り
勇気を総動員して向かった記録

世間知らずの方がいい

坐禅

400年にわたり坐禅瞑想を伝え
実践してきた場だ
臨済さんという中国の修行僧から数え達磨さん、白隠さんも
その徹底した坐禅により悟りの風を
見つけてきた

白隠は旅に生きた元京都御所の武士で
ある日、思うことあり出家した西行に憧れ
(知恩院、円山公園近くに西行庵あり)

宝暦の富士山の噴火を目の当たりに
旅へでたらしい

輸入された仏教の
他力でも念仏で救われるでもなく
実践型の自力と不可思議な記憶とチャンネルを開くのが禅らしい

人間の個性がある以上自然と同じく
当然、同じ結果ではないからこそ
瞑想の魅力と魔力はあまたの修行者を引き留めた

「全てを捨てろ」

禅の本を読んだのは2000年頃

1970年製の黄色いポルシェも売り

身を1つ波から波へ
入れてみた

地に足がつかない時間こそ
禅の場だった

宇宙の法則となぜ雨が降るのか?
のように
教科書ではない

言葉を超えた体験が
体で感じ
胸で感じたら
来世でも忘れないだろう

自分の奢りや
身の丈を知らずにいけば
一瞬であの世へ行くであろう場に
逆に生きがいを感じ
笑っていた

「これだ!」

海も地球も太陽も宇宙からのもの
所有するものでも
征服するものでもない

数百年後この京都を訪れた人々が
あれ?海って青かったのか?〜
など言わせないためにも

青空のように
青海

青は太陽の仕業
水の仕業で
透明な仕業

丸い地球を巡る
水の惑星

自然が背中を押す
利久が織部に言った
「人と違うことをしなさい」

そんな
身近な人の一言が背中を押すこともある

自らが、ふと思うことを大切に
水の旅をすれば、全ては腑に落ちる

全てを捨てるとは
物質の呪縛を捨てることはもとより
執着を捨て水のように変幻自在、融通無碍

まづは黙って
全力で夢中になれる事をすること

織部さん、蕭白さん

京都は織部時
古田織部が1603年に建立した菩提寺
お墓のお骨は大徳寺 玉林庵(現三玄院)

おそらく徳川にうとまれ、嫌疑の末
みな切腹させられた

織部重然 享年72歳
長男重嗣
次男、3男共に

彼らの死を悲しみ4男も墓前で切腹

利休の弟子となる前には
藪内剣内に茶道を学び

わびさびを吸収し
独特な器や
絵や紋様を茶碗や器に描き

茶室で様々な料理を出し共に食し
楽しむ
懐石の始まりとも

そんな織部さんのお墓もある
興聖寺に山居ならぬ海居が

坐禅瞑想の100畳の方丈で
この蒼いあめに打たれる

自然という言葉の前からあった海と風と
宇宙からの光に包まれる

江戸時代の画家
曽我蕭白さんのお墓もある
代々斬新な芸術家の眠る場

400年後に現れた青い波

襖絵は残り続け
 
京都に海鳴りがこだまする

虚 実

天候に左右上下
というよりも人は
この宇宙の法則と風に即していくしかない

ハイブリットカーにしたら
温暖化が今まで既に作った車よりは
進まないらしい 
本当かどうかは別として

ずっと持つ電池や
直す部品もなくなり壊れない車は
作れないらしい

地球にあるもう1つの宇宙が海の中

海はこの陸と同じ素材ででき絶妙に
相互関係?を回転させ生まれて消滅し
自然分解しあい

自然分解されまた生まれていく

プラスチックや放射能物質など
地球に還れない人間が化学や科学を使い
余計なことをしてしまった以上
なくすことは不可能だ

そこで問題

どうすればいいのやら?

狭いガラスのケースの砂時計の砂のような例えも
今の地球人が行っている事なのやら

美しく厳しい宇宙の流れに身を委ね
胸でその極限の破壊美を
感じることが手っ取り早い

神社の神様に頭を下げ
いろいろお願いするが

本当はその前に
海や山にも頭を下げてもいいんじゃないか?

実に神様も海や山があって生まれた訳で
誰かが書いた空想の姿とも
実在しのかはさておき

聖徳太子や比叡山大学で勉強した
宗教学者や中国のお坊さんに
仏さんは船でどんぶらこ
輸入され蘇我と物部の戦争になり

いつもまに
made in japan 風に落ち着いた

不自然が自然に
しかし天然風は拭えない

芥川龍之介が
神々の微笑で書いたように

日本の力は造り変える力である

誰だお前は?
日本の霊として現れた老人(神様)が
神父オゥガンディノに

「まあ 一緒に歩きましょう」

戦国時代に日本で布教しているキリスト神父にこう言った

お爺
「あなたはキリストを広めにきてますね
それも悪いことではではないかもしれません
しかしデウスもこの国へ来ては
きっと最後は負けてしまいますよ」

神父
「デウスに勝つものはありません」

お爺
ところが実際にあるのです。まあお聞きなさい」

そう言って老人は
「中国の礼子や孟子の教え、インドの釈迦の教えも結局は
この国の中では変わってしまった」
デウスのようにこの国に来ても、勝つもはないと断言する

神父
今日も侍が2、3人キリスト教に入信したと反発する

老人は穏やかにいう

それは何人でもキリストに帰依するでしょう

ただ帰依したと云う事ならば
この国の土人(日本人)は大部分がシッタルダー(釈迦)の教えに帰依しています

しかし我々の力というのは、破壊する力ではありません
造り変える力なのです

造り変える力、それこそが日本人の心の奥底に今も生きている宗教感情である

事によるとデウス自身も、この国の土人に変わるでしょう
支那や印度も変わったのです

西洋も変わらなければなりません
我々は木々の中にいます
浅い水の流れにもいます

中略
どこにでも、また何時もいます
お気をつけなさい
お気をつけなさい…..

この造り変える力が日本の霊等の持つ力なら
その力によって守られるべき日本の宗教上の永遠のテーマとは何か?

これこそが怨霊信仰である

そして
怨霊をなだめ鎮めること

釈迦は怨霊も霊もいないと最初は言っていたそうだが
その前提として怨霊が実在し
この世の不幸の全ての原因であること

これが日本の宗教の根本原理であり

儒教、仏教、キリストもこの根本原理の守護神に
造り変えられてしまうのだ

ま〜ぐちゃぐちゃ言わず
海へ行こう
そんなことです

旅とは

朝、白樺の森から光が
支配人の御便宜でお世話になっている
八ヶ岳高原ロッジ

暖炉やおいしいフレンチレストランを抱えた
別荘地にくる常連さんや別荘の人々の
楽しみな場所。

写真は2002年フィジーを泳ぎ
ポジフィルムを詰めたカメラでパチリ
まさかあの時の写真がこうして飾られるとは
夢想だにしな買ったから
こうなった

夢想は微妙だな
信念とか難しい事ではない

ただ本当に自然に正しく
自分の心に正しい
やりたいことを、鋭く続けること

自分の影がずれないように
波で、本来の本当の自分に重ねていく

スッキリ
生きがいを自分の力で乗り越え楽しむ

一人旅の醍醐味
不安や様々
押し寄せないように頭で考えすぎたり
決めつけない

ば〜ん!といきましょう

海で溺れ死ぬわけでもないし
地に足がついているだけで
安心です。

受けて立つ!

流てん

2019年2月
コロナはよその国の話しだったイタリアミラノ
ミラノとローマの展示へ行った
2/10.11と
伊賀であい、奈良の割烹万惣さんの
ある方の一言でお店へいき
出会えたヒデさん

イタリアで連日予約の取れないレストランで有名だった
ヒデさんの味と真心は皆さんを魅了

ダビデさんと2つ星レストランを開き
イタリアで二十年も修行し
お店もお持ちだったが

イタリアはロックダウン
政府の税金65%など見通しがない為

近いうちに日本でお店を開く予定です。

写真は友人で
ミラノで偶然実家が同じ街で
数々のブランドモデルだったステファノと
小松美羽さんのPR佐久間さん

遠路八ヶ岳まで来てくださった。

佐久間さんのご縁で出雲の海でも波をとってくださいと
預けっぱなしの話も実現せねば

梅雨前に1度出雲へ

海も浮き世も波にどう乗り
流れるか
自然にとにかく行動したら
きっと
不思議な良いことが待ってます。

1部ですが
モッツァレラと何かのたね?の冷たいトマトスープ
鴨のラグーとブルーベリーを練り込んだ手打ちパスタ
塩キャラメルとアーモンドソース、カカオのとうもろこしの粉で焼いたポレンタ添え

ミラノで食べてはや二年
素材を邪魔しない
日本料理のような食べたことのない味でした

古田織部の息子さん

5/7は 古田織部の息子
5男重久さんのご命日
(25歳)

兄弟、父が徳川に嫌疑とおそらく嫉妬をかけられ
捕らえられたのを知り、お兄さんに遺書を書き
取った首にお父さんの名前の札をつけたという
そして大阪城の戦いの流れの中、討死

そんな織部一族が眠る
京都興聖寺(織部重然が60際に時に作った菩提寺で、臨済宗)

後醍醐天皇の兄弟争いの為に50数年間続いた
天皇家の内紛の流れの中

利権と欲得の保身を大切にし力で土地や金を強制徴収した
東大寺の荘園と同じく(伊賀から強制搾取し、忍の祖先に抵抗される)
武家集団鎌倉の北条幕府5山制度と同じ仕組みを作った京都の足利の
祭事や外交は主に臨済宗にさせたのは1300年代

琵琶湖の利権や様々な財力と武力(武装した僧)
の比叡山に対抗すべく

武家社会は臨済宗を特別扱いし
利用したという

元は織部も岐阜の武家で、信長につき、その後秀吉の御伽衆
当時はそんな力添えがあったのだろう

興聖寺の和尚を推薦した天海も豊臣時代は織部を応援し?西と東にいい顔?
やがて徳川の御伽衆=相談役になる

豊臣が鴨川で一族死刑にされ

江戸時代になると徳川が天台宗を国家宗教にし
家康にみそめられた 黒幕天海は
西の琵琶湖と比叡山にちなみ

1624年
江戸に呪術や占星術を用い
京都の都と同じく
鬼門としての東の延暦寺モデルを造る

不忍池=琵琶湖に見立て
竹生島=弁天島
延暦寺=寛永寺とし
藤堂高虎(伊賀延寿院を菩提寺とし目白の南谷寺と同じく基地とし織部の弟子で友)につくらせたと
天台宗の赤目延寿院の住職から聞いた

法華経以外は地獄に落ちろ!
日蓮宗以外は邪教で
浄土門徒の首を由比ヶ浜ではねろ!
といった日蓮と浄土宗の争い
と同じく

幕府が絡む
天台VS臨済の代理戦争?
として宗教は独自に戦争を繰り返し

宗教は権力に悪用されてきた事実

忍者を使った楠木正成を責め
後醍醐天皇を裏切った足利尊氏
が自分の弟に責められ
後醍醐天皇亡き後
南朝に泣きつき無条件降伏した

北朝として戦った死んだ兵士が浮かばれない
そして一年後また裏切る

お寺の話しに戻ると
このお寺は1603年に織部の財産を投じ
作られ、天海がその隣の水火天神(菅原道真さん)を祀る地の
庵に10年前から住んでいた「こおうえしじ」禅師を開祖とした
当時は臨済宗ではなく
顕密兼修の道場で
臨済になるのは1701年

いずれにしても
ここは
瞑想を含めた修行場として
脈々とした時間が今も漂う

その時の龍の天井絵と本堂が残ると言われている
本堂には鎌倉時代のダルマさんと「こおうえんしじ」さんの木像
弥勒菩薩さんが鎮座

織部設計 織部下り蹲など
国宝が維持されてます

現在も興聖寺は一般公開していませんが
京都観光局の夜の瞑想坐禅から
限定人数で予約できます
来年2、3月には一般公開予定

波の襖絵
織部さん達が亡くなった
約1615年から2021は引いて
406年後
波の襖絵が完成したのどういったことが
裏で働いたやら

いずれにしても
茶湯や庭を通じ
美意識と自由な遊びと大胆な筆捌きを
追究された織部さんとの不思議なご縁は
僕が死んだ後もの頃襖絵が語り続けていくことでしょう

人の命は儚いが
どういった光陰を引くかと

真珠湾から戻らなかった
空母飛龍搭乗員清村勇さん(享年19歳)
の遺書を読んで

彼らの分も死ぬきでやるぞ!
と思ったのは
2002年
この写真がうつされた時

年をかさねていくと
繋がることがある

足跡が交錯するのが人生

お城?

展示場所は
有形文化財の巣鴨にあった
徳川さんの洋館
その昔は宿泊しせつを改築

竹中工務店さんが
運んで移築した贅沢なお話しと
古い車や骨董品のようにお金では買えない貴重な国の宝

まるで、昔展示した
ラトビアのお城のようでした。

八ヶ岳高原ヒュッテ

山の別荘地八ヶ岳は雪!

広大な別荘地の白樺の森
33万本を植林したらしいです。
平安時代に噴火した土石流の跡を昭和四十年代に西武、堤さんが開発。
(ちなみに300坪〜 1000万!昔の4分の1の価格です。西武さんで販売してますのでぜひ、見に行ってください!)

そんな羨ましい
山荘からふらりと
来てくださった方々は紳士で上品で
どこか風流な方ばかり

今までの会場とはガラリと
違う雰囲気

聞けば昔からここが好きで
山荘で暖炉にまきくべて
ボーッとしてます
とのこと

山には管理人さんいて
美味しいレストラン高原ロッジや
音楽堂もあってね

八ヶ岳高原ロッジ 江川支配人様、藤原様、みなさま

ヒデさんはじめ、イタリア帰りのスタッフの皆さん
人形町のイタリア料理のトラットリア コルディアーレ
オーナー事代堂さん(なんと事代主さんのご子孫)

こんな時期ですが
みなさまありがとうございました。

ヒデさんは東京でお店を新規に開く予定です!
またお知らせします。

先を考えないこと

きっかけは突然来る

1999年 偶然写真展が青山スパイラルの2階のエレベータ前で
2001年 8/14から東オーストラリアのバーレーヘッズに行くと海岸でいとこに会う、波の撮影の始まり

当時強く思ったことが
当時のメモに残っていた

死んでも構わないが
悔いの残る死は×
準備、心、状況により致し方ない
散りかたの問題

競技は全く興味なし
山や海に競いごとを持ち込むべきではない


今の道が作られたのは
きっかけは1999年だが

実際には子供の頃からの
海の時間が作ってくれた

青いなみはあたり前に撮れるから
興味が薄れ
日本の波へ向かったらこうなった

作品?
作ったものでも
捻り出したものでもないから

作品には違和感がある

カメラのファインダーは一切見ない
スタイルで20年

何が写っているかは
後でわかる訳です。

自由
古武道
死生観
体術
心術
感覚と感応力
瞑想

波の撮影をこんなふうに
感じてます

やがて山に

数十億年かかり
盛り上がった海底に新芽のように
太陽に向かうサンゴ

一年で数センチしか伸びないらしいが
ここフィジーのサンゴはもう少し、成長が早い気がする

舟のイカリや
浅瀬を小舟が座礁しように木のの長い棒で
ゴリゴリとついてバリバリと

長い年月に生きてきたのに
壊されてかわいそうなサンゴたち

緩やかに

海に入れてません
仕事や山寺やら
お呼びがかかり

一つ一つこなしていく

どんどん太陽は早起きになり
海の目の前にいても朝4時起きは辛いものがある

散歩ならまだしも
命がけで泳ぐのに暗いうちに(夜)
1時間準備して行くのですが
経験上生理的に体が、起きてないので危険です

ゆっくりやります

海は逃げませんし

海岸へ戻る

不思議なことに
描き終わるとしばらくして雨が降りはじめ

さっきまでとは別人の
笑顔の小松さん

緊張と全てを背負い
やり終えたお顔

身延山×小松美羽

身延山には龍神がいるという
日蓮さんが地元の侍 南部公の庇護を受け
この地を祈り場としたのが始まり

小松美羽さんがライブで描くと聞き
駆けつけた

前夜加山又造の龍神図の天井画の下
50人ほどの僧侶に囲まれ
お経の波に彼女はいた

翌朝冷たい雨は
海を泳ぐ前の決意と似ているのか?
など思いながら

久遠寺に並ぶ僧侶たちの精一杯のお経と木剣
(9字ぎりと同じくその場を浄め、ごう魔を降伏させる千葉の中山の寺で100日間の寝ずの修行を終えた僧侶だけの法力)
が終わることなく

小松さんは
祈りの後、取り憑かれたように
絵具をかじり、投げ、動き回り
3枚の無地の円を
一つにした

雨が不思議と止む中
トランス状態で手で塗り付けた

長野で生まれ
子供の頃
山で迷うと山犬が現れ
彼女を導いたという

銅版作家から変身し
2014年出雲大社にご奉納し
てから活躍が増えたという

大和力
とネーミングされ
白い道着を汚しながら一心不乱に描く姿
は人々の心を打つ

雨と共に
久遠寺がさらに浄められたのかもしれない

己の魂のまま脇目も触れずに生きる力
時計や周囲を気にせず一つ見据え
過ぎていく時間が多くを自らにも指すことこそ

世界中のファンが
彼女を見ていることで
希望や光が行き渡ることでしょう

八ヶ岳高原ヒュッテ

4/29~5/5

長野八ヶ岳高原ヒュッテ
展示会をします
同時に
イタリアミラノでお会いした
ELLEなど様々メディアを飾り
フェラーリの会長、サッカー選手はじめ世界中のファンが
ミラノまで食べに行く味を、この期間だけコラボレーション!

師匠と開いたレストランはミシュランを獲得
日本で食べられるのは今だけの
すごい事です。

もちろんランチ、ディナーだけでも大丈夫ですが
八ヶ岳は広大な自然に包まれたリゾート地で
高原ロッジには宿泊も可能です

ご希望の方は、僕の関係者であれば
高原ロッジ支配人の特別プランがあります。
ので僕にご一報ください。

ヒデさんありがとう!
楽しみですね〜

杏橋幹彦も期間中はずっといます。

やる気

瞑想は大事

フィジーのはるか沖
俺何してるんだ?
と錯覚さえ覚える

大波が島を飲みこうと島づたいにくるんでくる

漫画の中にいる自分を大笑い

笑おうと
泣こうが

やるしかない
つべこべ言わず
強い気持ちと気合もろとも
波のタイミングを合わせる為水面を片手でクロールし
一気にジャックナイフで潜る

躊躇なし
何も考えず

やる

やる気があるやつしかいない

前後左右瞑想


行けば行くだけ
何かが起こるのはこの世の常

焦ることなく
無意識の先の絶妙なタイミングが
待っているから心配なく

海へ行く前には必ず瞑想をするようにしてきた

昔、マウイで知り合いのプロサーファーが朝早く
ドアをノックした。
変な英語で
ミキちゃん〜!good wave ~! パーフェクト〜!

今は亡きクリスバンダーボードが呼びにきた

泳いだのは岩だらけの濁ったホーキパビーチ

クリスはロングボードを抱えて
ラジオ体操もしないで
楽し気に海へ滑るように
沖へ沖へ

僕も促されるまま
カメラをセットし軽い運動で水へ入ると
あれよあれよという間に、遥か沖に流され

目の前にきた波にのまれ続けた

問題は飲まれるの仕方ないが

波を目の前に先月パイプラインの横で溺れかた感覚と
恐怖が胸にざわざわ集まったという事

今でも、あの怖さの電気信号?か液体?が

胸にスーーッと集まりながら
呼吸を乱しながら支配する感覚が残っている

目の前2mくらいで崩れた大波に
気持ちが引けると
腰の軸がぶれる、上半身と下半身がつながらない
結果弱越しで
鋭く潜れずに

泡の中でボコボコにされる
また空気を吸おうと水面を探すと
波の白い雪崩が勢いよく、水面を潰して弾けながら
迫る!

嘘でしょ〜
と大笑いできなかったあの日

またもや逃れず

真っ暗な海でグルングルン
ボッコボッコに引きずられ
殴られ、苦しいのと恐怖で胸が潰れそうになる

胸が潰れる思いとはこのことか!

結局さらに流され、巻かれ足を切り
片足のフィンは脱げてなくなり

何にも撮れずに
海を横に横に泳ぎ逃げ岩場からなんとか上がる

クリスは
後でどこいった〜の〜と
笑う

これも全て次へのタイミングで
この体験がなければ、数日後死んでいたかもしれない

そんな経験が
自然と瞑想や果てまで
忍者の呪文まで覚え
自分の持つ不可解な、生き残る可能性を宇宙に溶け合わせていく

人間は所詮小さな石ころだ

どうあらがおうと
無理なわけだが
どうしても人間様は肩を張る
意地をはる

全てを捨てて
旅へでろと

禅の本にあった
一言

なんだかたわかった気がした

死ぬときは死ぬ
大切なのは
死んでも悔いのない自分でいたかだ

海は嘘もつかず
掛け値もない
人間は嘘もつくし
肩意地はってカッコつける

海と宇宙は
ありのままだから美しい

怖いのは人間だけで
魚は海を怖いと思わないだろうな

限度がない美しさを
身を以て知った以上
もう逃げることはできないわけです

海の怖さは人間様の感想で

ただそこにあるのは
宇宙の法則に呼吸する無限な美しさ

もう一つ気づけば
そこには太陽が必ず必要だ

限りなく正直に海に頭を下げて
延々と泳いで潜る

教訓?戦訓?
他人の予定に合わせないこと
おいしそうな話に乗らない
キッパリ自分の感覚と歩幅で断固断る
ラジオ体操第一で海へ行かない

必ず海は一人で行く。
 
行くなら行く
行かないなら行かない

メリハリと
武術でいう拍子(間合い)を観ること

なんて
ぶつぶつ
うみで独り言を唱えて20年

俺は太陽を撮っていたと知る
のはあの日の4年後

くどいと言われようと
それが自分流の海への作法

存分とは無限

聖地とは目に見えぬ聖域

日本にもきっと数々のそうした場所が
あったのだが、徳川の埋め立てから
山梨の池大神のダム建設、都市の開発で
多くの瀧や河川、海が破壊され埋められ

オリンピックの開発で首都高速で埋められ暗渠になった川の銀座周辺

人間は都会のスイッチ1つの時間を
造れば作るほど
安易に物事を考え

面倒をさけ
過剰な便利と電化製品に飼われていく

ビルの暮らしで自然の怖さや
強さ、寒さ、暑さを
避ければ、避けるほど
地球の畏怖が薄れていく

だからこそ
見えるものや、何がゴミで
何が必要かもわかりやくなってきたとも言ます

なんて、原発や東京電力の火力発電の電気で
パソコンで書いているのも、辻褄があいません

豚も牛も鳥も
うなぎもハマチもサーモンもマグロも今やキジハタまで養殖です

米も養殖?
いやあれは自然?
いや、抗生物質や農薬?使うと養殖?

明日国民が一切、肉を買うのやめて
山へ鉢巻きとタスキで、魚や猪や鹿を取りに行けば
山や海はイナゴのように全滅
しますから

そういう点では四季に合わせ
地球で本来自然に育ち、収穫時期が違う生き物を
食べるのはもう無理でしょうね

生きたものの命を潰し
食べてくそして
生かされてるから

ご飯の時
命をいただきます
であり

アーメンではないと思います

そこが大切な時間

時間を観て読むこと
1枚の写真に似ています

儚さを知る
美しさと心の美意識を常に宇宙や海と対話
それだけで全ての鍵は埋まります

合鍵なし
いくと決めたら行く
けると決めたら帰る

人の意見は聞かない
自分の判断で海へ岸へ

すみません〜お邪魔します〜と
存分に楽しむ

胸を海へ

昔、スイスのロンジン社のダイバーウッチの広告でお世話になっていたとき
お会いはできなかったが、ちょうど同じ、ロンジンのグループがオメガの広告で
ジャックマイヨールさんを起用していた

ジャックさんがイルカのトレーナー時代
狭いところに彼らを入れる問題や
水槽の閉塞感の気持ちまで理解できたジャックさんは
海へ自らを向かわせていき
勇気と研究を重ね重ね
素潜りで100mを超えてしまうのだが

そんな彼の書いた本を夢中で読んでいたことを
土屋アンナちゃんと昨夜話していて思い出した

アンナちゃんも今
フリーダイビングをつうじ
大好きな海とさらに溶け合うことを挑戦し楽しんでいると

肺の肺胞のこと
食べないで潜ることや
呼吸やヨガのこと
怖さと、意識を酸素なくても大丈夫と脳に誘導する方法など

たくさんジャックさんのお弟子さんから
伝授されたことを話してくれた

なんだか忘れていた大事なことを
思い出せてくれました

科学ではない
人体のメカニズムと流れ
気とか瞑想、坐禅や、きっとヨガ(僕は不勉強ですが)がどうしたって
いいに決まってます。

僕も海で東洋的でネイティブ的な
アミニズム(自然信仰や畏怖の祈り)
がまず、軸になり、世界を見てもマオリ、アボリジニやアイヌ
ネイティブアメリカンが自然にしてきたような
儀式や言葉とその思いがなくては
海や山には行くべきではないと感じます
切っても切れない、誰もが自然にとおるべき道と禅のいう真如

よく書くが
海は競技場でも
スポーツという人間の妙なルールを
持ち込む場ではなないという事

1秒でも早く泳ぐ事が
海でなんの必要もない
学校が全てを競争と競技、比べる点に
躍起になってる部分がそもそも、ボタンの掛け違え

手や指の1かき
体の自然な律動と
胸で感じる自由を海や川で感じ
た方が自然であり、いいに決まっている

塩素の四角いプールの中で張り合ってどうするんだ?
と子供の頃思い、プールで泳ぐことが大嫌いだった
魚もいない不自然な人工の海がとにかくストレスだった

そのストレスという言葉も、あの空気がなんなのかは
子供の頃よくわかっていなかったが
 
説明もいらない嫌悪感と閉塞感が
あの塩素に匂いが倍加させる

そんな人間界のルールや縛りとは無縁な
素晴らしさと心地よさと
なんとも言えない幸せな自由な感覚がある海が好きだった

水面から下には別の宇宙があると思う

何よりも
一歩間違えたら
あの世という点が、人間には大切な鍵になる

その鍵は様々

自然という言葉がない時代からの
国土やネイチャーに身をおけば
都会人間の人間様の
愚かさと、ばかさ加減を知り

宇宙に謙虚にならざる得ない

海とは何か?

海は生きていて
全てをしり
全てを観ている

心と心身の浄化と
人が地球との昔、約束した事柄を思い出す場
電磁波の放電と調律

海と溶け合う、言葉でいう必要が
ないということを、しっくり感じ
自由をに戻る場

地球の中のもう一つの銀河であり世界

日本的に言えば神代の世界とつながるゲート
やまも昔は海の底で
海の中にも渓谷があり
そこが水間か空間の差
水と空気は一心同体

風も雨も雲も海も同じ成分であるから
人間は海に包まれ生かされている
のに、今やゴミ捨て場

ワダツミの神と塩土翁を常に胸に海へ

秋までは、天皇御世がわりのバタバタの中
大海原より事代主さん(恵比寿様)がこの国を浄めていかれるそうです。

この写真はアンナちゃんのお家に
飾っていただいている、ハワイの王族やヒーラーが祈った海岸の1枚
白い貝殻

青い襖

天海の命により、堀川の水火天神に10年前から庵を作り住んでいた円耳和尚
を住職に選び、古田織部さんが作ったのが興聖寺

この白隠や達磨大師の臨済宗の禅寺の方丈に13mの襖絵?(襖写真)が完成!
江戸時代の画家曾我蕭白さんのお墓もある、時の斬新な芸術家の集まるお寺です。
曾我蕭白さんの墓石は宮司で儒家の富岡鉄斎さんの直筆で彫られたものです。

現時点では一般公開はしていない、禅の瞑想坐禅道場ですが
苔のライトアップと夜の坐禅会
に体験してくださった方には特別に拝観可能です。

古田織部は千利休の弟子で、利久のワビサビのきらびやかも
飾りをとことん排除した、茶の世界を吸収しつつも、独自の斬新な美は日本中の大名や、茶人、芸術家を
魅了しました。

織田信長〜豊臣秀吉〜徳川家康を弟子にもつ
茶人でしたが利久同様、徳川に妬まれ、和平工作を嫌われ
島津家の連歌師と京都に火を放つ嫌疑の末、息子3人とも無理やり切腹させられました。
享年72歳
奥様の仙さんは仏門に入り彼らを弔ったそうです

織部さんの遺品や茶道具を始末したのは
伊賀延寿院に位牌があり、上野の不忍池を琵琶湖にもして、東の鬼門に延暦寺の代わりに
寛永寺や、日光東照宮を、天海と作った藤堂高虎です

利久は織部さんに
人と違うことをしなさいと
伝えたそうです

美意識とは何か?
青い波に包まれ瞑想できる
世界でここだけの、安らぎの旅の入り口です。

Act4

会員誌ACT4に杏橋幹彦の京都の青波襖絵を掲載していただきました。
佐藤真理子編集長、永竹様、中野様、ありがとうございました。

Sun set

サーフィンに誘われたが
なんだか、写真を撮ってみるよ


夕暮れまで波の中に
数百の太陽が水中で光を放った
日本の冬のうみ

ページの先頭へ戻る