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安心

ここで写していた

泳げること
カメラの知識はいらない
レンズは一つ
あまり余計な道具がない方がいい

足ひれと
水中眼鏡

足ひれがなくても帰れるが
水中眼鏡をなくしたら
水中の岩や波が見えないから
一気に危険度が上がる

そもそもが遊泳禁止で
ライフガードもいない

いると甘えるから
自力で行ける範囲で写す

浄土宗の他力では戻れない
ホトケ頼みはしない

道具が体の1部なくらい
身に着ける道具はこだわる

数ミリ
数秒の手や体の入れ方で
波から戻れない場合もある

そんなキリキリの緊張感に身を投じ
身を委ね
身で感じる

頭はおいてくる
知識は邪魔なゴミ屑

ここでは今まで
使い忘れた忘却の彼方を観る

生きるとか死ぬとか
考える暇もない

死ぬと考えたら死ぬ

余計な考えが胸に入り込んだら
すぐに捨てて
胸で切り替える

無念はなし
生き甲斐のために生きることを知る

1つづつ
水の粒子を味方につけ
時には切る

絶体絶命の中に身を置くと安心が生まれる


挑むが
挑まない

怖いと言う物は
修行を重ねると薄まるようかと
思ったが

薄まるどころか
急に何処かから来る

それは頭ではなく胸

胸に怖さが集まりすぎると
パニックになるが
その怖さを瞬時に散らすと
パニックは消える

電気信号のような
寄せては引く

胸で感じ
胸が信号を出すようだが

経験と見えない心の鍛錬は静けさが消す

静けさを鍛えると強くなる気がする

静けさとは何?

黙って泳ぐしかない

受けたもう

撮影に行くもなかなか天候に恵まれず

あるプロジェクトが始まり
毎日打ち合わせ

2月末にはご報告できるかもしれません。

羽黒山伏
受けたもう!

なんでもどんと
受け止める!

いい言葉です。

天災、人災、疫病
今年は事代主神様が
国を改め、国を守り、悪をただし
正しい道へと誘っていただけるよう

人々の安寧を祈り

旅から旅へ

エビス様です

伏見稲荷

伏見稲荷

稲荷山はその昔は
渡来人秦氏の大切な祈り場であり
やがて空海が祈り

実は狐は神様の眷属で
この山の場合は狐=龍神の山である

仏教の荼枳尼天や神仏が
微妙にブレンドされながら息づきてきた

鳥居にぶら下がる観光客や
アジアの観光客も0

本来の姿に戻りつつ

静かに調律されているお山

比べないこと

常にピリピリ

神経?と感覚をあらゆる方向に伸ばして
感じてないと
怖くていられない

レーダーの輻射のように
跳ね返ってくる感覚で動く

海では触覚?的に生きることが命を救う
というか
危険を避ける

危険を予測して
早めに動いたつもりでも
あっという間に波に飲まれている

人間界の陸上の地に足がつく日常では
忘れた感覚
全く違う動きをしないとあの世へ

浮いてること自体不思議な話で
浮きながらあらゆる方向へ行くのですが(水面八方と水面下しか行けない制約)
上にはジャンプできないから行けません
足で蹴っても水は空振り
逃げるには、潜るか、水面を泳いで移動するか、体を丸め、体を捻るしかない

恐ろしく遅い移動しかできませんが

体の幅だけは
動けます
その間合いの中存分に鋭く速く動くことが
できないとダメです

その時はしかも片手は防水ケースとカメラを持つので
片手です

片手にカメラを握り
片手、両足で泳ぎ
胸で浮力を利用し
胸から体を動かす

何を言ってるやら
よくわかりませんが

今こうしてかきながら
検証しています

まっすぐ泳ぐのも最初は難しいです

マ〜海で幸せです

楽しくないといけません

極限の一人旅は波の中へ
片手で向かうこと

全部捨てて
正直でいないと
怖さに潰されます

怖さは自分が造る
本当はなかったもの

怖さを消す訓練をしたら

怖いものなどなくなります

場数と経験
水の温度や硬さ

時間がかるものですから
どんなことも焦らず
できなくて当たり前だから
自分のペースでゆっくりと

続家ていくと
ある日、自分だけが知る足跡が
海岸に残っています

いつの間にかできてたな

旅ってそんなもんです

ドーンと行きましょう

一振り

よく波の中へ独りで怖くないですか?
と聞かれる

古い命のかかる武術に重ね
命がかかるからこそ存分に動くしかない

命がかかることを考える暇などない
そのくらいに体が動かないと死ぬ可能性が高い

そんなことより
人かきでも片手で泳いで逃げたい

考えているうちはダメで
無意識?
夢中の方がわかりやすい

古武道に似ているのは
無というか、無心というか
水や見えない水中にも風が吹くから
その風の感覚
波のきっ先を読み
体をその時々に合わせて入れ込む

基本的水泳の基礎が何よりだが

水をズルく無駄なく使うダセイを使えるかできまる

船が急に止まらないように
水は意識の素の生まれるある方向の動きを運ぶ

無駄なく水面や水中を動くのだが

水面と
水中だと
水の掴み方が違う

例えるなら
水中は硬い

水面より怖くないが
大波に巻かれたら真っ暗な泡の中
それは切ない
顔をあげたら空から波が崩れている時もある

経験と体験を鳥肌の数でで知るしかない

怖い時
心が乱れる時

胸にスッーと八方から
絵も言えない怖い電気回路のような何かが
集まる

そこを諫め消さないと
どんどん怖くなり
体が硬くなる
これが俗にいうパニック

陸でできることの
わずかしか海ではできない

陸でできたことは関係ない
海に合わせ、波のなかへ思い切り入るしかない

そこで回転してパチリ!

自分に正直に生き
黙って繰り返すうちに
他力を捨て
限界を決めず
自力で無限な可能性に向かうのみと知る

世のいう困難は
人間が頭で造化した困難という幻

世間的な大人の社会の点数や結果ではない
過程に過程を重ね
一生懸命やった結果がその時の自分にふさわしい自然な答え

大切なのはそこに後悔がないように
大胆に行く!

死んで悔いのないように

発言を撤回します

全てがなかったことにできる日本の大人を見た
子供たちはどう思うんだろう?

言ったんだから
いいんじゃないかな

本当にそう思ったのなら

海で身も心も裸で
泳げば嘘なんかつけません

ゴミを捨てようなんて思いません

電気製品に囲まれた暮らしの時間だけ

人間が宇宙と約束をし
海や山に滝に心を傾けた時間が
失われていく

車のナビを見て目的地についても
道なんて覚えちゃいない

こうして
人間の野性的な感覚や
自然との調和や調律が失われ

やがてギスギスしていく

静かな時こそ
気がつくこともある
答えは遠くになく
捻り出すものでもなく

案外身近にその鍵はある
既に自分の中にある

手を使い海をひとかき
手を使い風をひとつまみ

水のだせいを感じ
深い呼吸をして
太陽を浴び
月を浴びる

よくわかりませんが

群れないで自然に
独りでいた方がいいです

神仏を尊び
修行を重ね
自然と身の丈を合わせていく

嘘つきな大人が増えたら
青い海がこのままでは消えてしまうかもしれませんね。

水の不思議

日本の夕方の海
近くには事代主様を数千年祀る神社が
海を望む

事代主は出雲の大国主の長男(恵比寿様)
天照に追い出され、戦わず
どうぞ譲りますと、未練なく
伊豆へ移り住んだらしい

弟のタケミナカタ(龍神)は戦い、タケミカヅチに
追いやられ、長野の諏訪へ
諏訪神社、諏訪大社と呼ばれるようになる

海の神(ワダツミ)を祀る
九州の志賀海(しかうみ)神社
の祈りては安曇族
安曇野も長野だ

宇佐神宮は土持氏から隼人族や伊藤氏やら(伊豆伊東の部族)
伊豆から来た伊東氏は、仲良くなるフリをして近づき
政略婚やらしつつ
幾度も土持氏を騙し
結局は戦で分捕った。

出雲も古来は出雲族という
祈りの部族がいたのだが

結局は領土の取り合いで
負けたらしい

よくよく見ると古来から日本は神国であるが
神様も戦と欲の入り混じる世界に生きてきた
ようだ

人の庭を欲しがらず
黙って他人に迷惑かけず
国土(自然)を大切にし
瞑想して
自力で頑張る

神頼みも願いのお札も必要ない世界が
その昔はあったのだろうが

そんな時間を知るのは海や山や雲
雲こそ元は海の水
元は山から滲み出た水

唯一地球を絶えず動き回り
古来からの全ての記憶や音を知る地球の証人かもしれません

龍宮の前

稲取龍宮神社前の1枚

人が社を目印として作り
習慣的に来やすく
神様が雨風しのげるようにと
作った小さな家が、日本中にあるなど
海外には全くない歴史

目には見えないが
たまに自然現象で感じたり
夢を見たり

目には見えないからこそ
尊いものがある

物質金銭に永久に汚染されない
生き方が日本に光をあててきた

そうした物ではないものを
大切に疑わずにいられた
からこそ今がある

何かを感じたから
建てられた神社は特殊な風合い
ご朱印帳も買えない
お守りもない
ひっそりとした山や海辺に
こうして呼吸してきた神社こそ
土地の人々の気持ちが代々守り守られた証

数千年も前から
維持されてきたことが
日本人の日本の美意識と憶い

こうした1枚を海から見ると

目に見えぬ何かが
この1枚に生きていると思う

作られた写真ではない
三脚もストロボもない
作為の介入する余地がない
ファインダーも見ない1枚

写真や先生の意図もきな臭さを捨てて
勇気を出し切り暗い冬の海へいく

全てを捨てて
裸な自分で海と調律する

聖域

美しい海も
昔はもっと透明だったと
地元のおじさんに聞いた

西からの冷たい風
波もなく、潮が引きすぎて泳げず

なんだか怖い
というか
神社の目の前だからか
心正しいかねば
いけないと誰もが感じるであろう場

世界にはこうした聖域が
いくつもある

風が強く、沖は白波

風の影響は受けないのは太陽だけ
ご来光は久しぶりに見えましたが
波がない

鳥たちが、魚を求め風の中を舞っていた

裸足で磯に降りて
うみで体内の乱れた電磁場を放出
大地や海はアースの役目をする

土居先生

6歳から四国の臨済宗の禅寺の和尚さんに剣術(疋田新陰流ー熊本藩上泉氏〜疋田文五郎の剣術)を習い
3年間はひたすら6本の振りという
基本のかたしか教えてもらえず
ひたすら振っていたと言う
以来67年生き死にを超えてきた土居清師匠は
長曾我部の末裔

数年前
侍の末裔の会でお会いし
毎夏ふらりと一人でファイヤーキングへ来てくれた

66年弟子はとらない約束が
1年前に弟子をとる約束に

俺の師匠は水面の月を刀で切れたが
俺には出来なかった
でも俺は寺の軒下から落ちる水滴を切れた
師匠は俺には出来ないと
行っていたな

と懐かしくも優しい笑顔に

今じゃもう俺も体がボロボロでな
言うこと聞かんがな

そんな師匠に
刃筋が立ってない!ぞ

と怒られる

波を泳ぐ体術と心
古武道の動きと精神性は
同じだと思うと昔から感じていた

カメラが刀になっただけ
いくと決めたら踏み込み
引くときはひき
心清浄
相手に合わせ、自由自在、融通無碍
無の世界

勉強中

師匠たち

カメラはなんでも同じだ
写真機に撮られるなよ!

写真の師匠柏原誠に言われた言葉が
染み付いて抜けなくなった

ユージンスミスが日本に撮影に来ると
フォードの宣伝やら日本中を周り
その現像を全て任されいた

いいオヤジだったな〜

よく語っていた。

ユージンは、サイパン、沖縄の戦場から
大怪我をしニューヨークに戻り
しばらくは撮影ができなかった

セントラルパークを歩く子供の後ろ姿を記憶にとめ

ドキュメンタリーな人を写していく
戦場で多くの写真が軍の検閲を受け捨てられ
ドキュメンタリーを写し
世界に現状を伝えるつもりが

会社組織の写真やになっていく

結局は
ドキュメンタリーに戻り
誰もが見たがらない現実
チッソの引き起こした水銀中毒
水俣病を写していく

写真機が人生を還ることがある
1枚の写真が自分を変え
人生に大きな意味を焼き付けていく

きっと同じなののは
命をかけてその場にいったこと
そこに優しく入り込み、潜り込み
失礼のないように気を使い押す。

パパラッチにならにように
宴席でお皿が回ってきたら
一つだけ取り次へ回すようなもの

今やお神輿も天皇陛下もスマフォで写す世界

それはさておき人間は一度
便利になれると、どんどん更なる楽を商品化し
売り付けては、また作り

車もいい例だが、あれだけ前回、最高傑作と広告を打ちながら
数年後、また最高だと売り付ける

いい触媒を作れば
いいのに
新しいものを作り、ハイブリッドを作れば環境に良いなんて
嘘はやめてくれ

再生紙が聞こえは良いが
塩素を山ほど使い白くして造る現実

今やオゾンホールも自然に復活!
科学なんていい加減なものだ

数年ごとに新機能をチョイ出しする写真機は嘘をつくが
1枚写真は嘘をつけない、はずだっフィルムの時代

今では写真屋が後で加工して嘘をつく

その嘘を見抜けない

頼山陽の書は中国かぶれで中国臭いが
庭や武道、建築や美的センスを磨いていた
利久や遠州など茶人の字には
豊さと、自然美があると行っていた魯山人


生前、写真集に文章を書いてくださった
池内紀先生
1度見たら忘れるばかな映像慣れした我々は
1枚の写真を読む訓練をしないといけないと
書いてくださった

今度海外の展示や
写真集をつくるときに
文章が費用なら書いてあげますからね

と約束したまま
先生の出番にふさわしい展示ができなかった事が
悔やまれます

青い波の裏側の写真を通じ
あの世まで染み込んだご縁と人生を左右する言葉は
1枚の写真のようでした

波の裏へ独り
向かった結果のギフトです

ありがとうございました。

汚染

ワックスなんかかけない
洗車場で金はらい
カーシャンプーで洗車する人を見たら
笑われるだろうな

荷台には椰子の実とコーラのペットボトル

海が好きでよく見にくるという

車は船でニュージーランドから運ばれ売られる
島にはガソリンもないから
全て輸入の暮らし
ゴミは野焼きか
その辺にポイ!

自給自足で神々や星々に祈って航海した
人々の少し前の暮らしと
大きく変わり

歩かなくなり
太った

魚や芋の素食
ゴミは自然に還る
適度な運動
自然に祈り
海を見て
裸足で海へいき
海につかる

ハンバーガーや唐揚げ
コーラやスプライト
変な色のお菓子に
洗剤やシャンプーは海へドボドボ
ペットボトルだらけの海岸や山

車に乗り歩かなくなり
自然に祈らなくなり
変わりの髭のおじさんキリストがいつの間にか居座る謎

世界の南の島が汚染されている現実

探しもの

グーグルアースで波を探し
来てみたクック諸島

宿に荷物を置き
歩いて来てみたら
磯だった!

ガ〜ン!

岩がとにかくとんがって座れもしない
誰もいない荒磯に
釣りのおじさんが来た!

見てるとその辺の海藻を針にかけ釣りをする
ざっくりだな〜
それだけ?

こんにちは
釣れるのですか?その餌で

釣れる時があるよ
へ〜

ここで誰かサーフィンしてますか?

見た事ないな〜

やっぱり
ここは危ない!
水が濁ってるな〜

サメが小魚食べに来るよ
人は食べないと思う
ははは〜

初めてきた期待した場所がサメの住処の奇跡
に動揺して
いきなり鋭い岩で足を切る

ダメだな〜
ここ
笑ってバイクでスーパーを探し
自炊
タロイモを日本から持ってきた出汁で煮て食べた

翌日くると
あれ?
ボディーバーダーがいて
波があった

一か八か
宿に戻り
カメラを準備しウェットを着た

戻れるのかな?

ローカルのボーダーに
どこから入るの?ここ

ここです!
ここ?

潮が来たときに
飛び込まないと
磯と海面は2mもあるから

帰りは
あっちに遠回りして
浅瀬から上がるんだ

う〜ん

危ないな〜
上がれないんじゃないかな〜

とにかく準備をして
海の水が打ち寄せた瞬間に飛び込むと
あっという間に沖へ
あっという間に掃除機で吸い込まれるように流された

日本でよく釣り人が海に落ちて死ぬパターンだ

海中はにごり
浅い

サメが来てもわからないから
なるべく海底の見える場所で
岩に当たらないように
動き続けが
浅すぎてでかい波がきたら逃げきれないかも

シマハギの群れが、流れにひらひら
海藻をつばむ

結局30分
危ないわ、水は濁ってるわで
戻る

ここももう2度と泳がない海の1つ

いつか世界の波の裏のガイドブックが作れるかもしれない

日本から3日かけ来た
泳げない海

撮影はこの繰り返し
ポイントを探すのが大変なのです

撮れる場所を世界の島で探す一人旅

街びと

自分の写真がないのですが
以前も載せましたが
ここで泳いでました

小舟で連れてきてもらい
ここまで泳ぐ海が
青黒く何も見えず怖いのなんの

海底が見えると少しホッとする

水深は満潮で3.5m程
干潮で2m

雨だろうが風が吹こうが
状況に合わせてとにかく行く!

この日は曇り空
さっきまでいた山
から300mか400m?

周りは何もない海原
泳いでここまで来る日もあるが
それは怖い

独りでここにいると
全てが真っ正直になる
ならざる得ない

戻る時間のこと
サメのこと
体温
潮の流れ
大波が連続できたら潜るしかない
浅瀬のサンゴに打ちつけられないように
波が来たらきたで、一つとて同じ波がないから
その個性ある波に合わせて移動し潜り
息を吸い、また潜る

撮る波と
撮らない波があり
撮るよりも潜って逃げるばいいの方が多い
大体1時間前後
長い時は2時間半
午前と午後で5時間いたこともある

その都度フィルムを変えに泳いで戻る

たまにフィルムが巻けてなかったり
しばらく押して30分
なんとフィルムが入っていなかった事もある

ショック!を隠す必要もないから

ガッカリしない!
クヨクヨしない!
自分が悪い!
なんだ坂こんな坂と
水中で唱えながら泳いで帰ったことを思い出す

紙一重であの世

だからこそ
シンプルに自分を知れる
海を知れる

海は生きていて
こちらを観ている

どんな心待ちか
試されている

とにかく
恐怖が脱ぎきれないが
それ以上に幸せで心地よい

でも怖いから
入って嫌な時はすぐ帰る
それがどんな基準か?
いたらどうなったか?

そんなことは関係なく
嫌な気がしたら潔く帰る

ルールも教科書も他人の意見は関係ない

感覚的に溶け合い
自分を信じ
海に全てを委ね

死んで悔いなし
ひたすら諦めないこと

諦めは自分が作る限界

無限な時間と暖かな未来の
それ以上のギフトが必ずある

行を重ねていく
自分の感覚と速度
体の使い方とは
手の水の入れ方
腰の動かし方
鋭く水中へ潜る方法
など
一連の流れを絶やさないこと

心の軸をまっすぐに
問いかけ
後で気づけば無だったな
でいい

己の小さな力を恥ずかしげもなく
己に披露すること

波はいつでも待っている

ジャンクなものを纏わされた街びと

本来の野生の姿に戻れる聖域

そこで誰もが思うことは同じ

宇宙に即す

他力は嫌い

1日は1日で終わらせて
明日は明日気持ち入れ替える

真っ直ぐに嘘は捨てること

嘘は自分についてから人につく
1度嘘をつくと嘘を重ねていくしかなくなる

海、山で川で嘘をついたらおしまい
取り返しがつかなくなる
戻りたくても戻れない

自分を強くしないと
恥ずかしいことに目を背けず観る

何事も体験です

謙虚な気持ちで
0にしないと
神仏は国土(自然)は観てます

話はそれますが
親鸞さんが南無阿弥陀仏と唱え
他力でよく

修行は一切いらないと
信じていたようです

日蓮さんは両親を弟子にしたて名前まで逆につけ
法華経以外は邪教で地獄へ落ちろ!
と、鎌倉北条幕府や侍、他宗の門徒や僧侶に叫んだのが立正安国論

比叡山で籠もりすぎて
頭おかしくなったのか?

現況もかんなみると
あの山が魔境のなのか?

それはさておき
国土(自然)や海は強制も恣意も押し付けません

死ぬか生きるかの中で
日が昇り
日が沈む

余計なことを複雑に
考える必要も

他人に自分の考え抜いた考えを
あ〜だこうだ
こうしろと押し付ける必要は
必要ないのですが

何かが足りなくて
心配なのでしょうか?

正直、誰かが編み出した宗教はいらないと思う
そもそもが人間が考え抜いた事だから
どうしたってどこかでズレが生じる

自立泳法
自立歩行

心と体の軸を合わせる
太陽に映る影と自分がズレないように
空気吸うだけ

ありがとう
ごめんなさい

神仏は祈るが
神仏によりかからない

神仏によりそうが
程々に付き合う

ほとけほっとけ

神様は遠きご先祖

地球のボスは人間じゃない

無色

正直にいないと戻れません
自分の力の量やスピードをしっかり知る
知るとは実に難しい

ギリギリの状況の前後にその雰囲気を知ることから
知る

もう泳げない
息が続かない
海に流された
体温が無くなりかけた

怖い
いや前回より怖い

ここで負けると死にます

自分に心が折れたら
諦めたら終わり

それでも
大波や大宇宙は手加減はないので

身の丈の波へ

大きさのことでなありません

写真は絶対に覗いて撮らない
覗いた瞬間に、人間様の思惑と雑味を一振り

大自然に対して失礼とは言わないが
無意味です

覗かなければ撮れないのは
信頼と無になれないからで

心配だから覗くのかな?

自由と大胆
と野生を取り戻し
海の水と溶け合いたい

古武道に近い間合いと感覚
刃先が立つということに近い

戦いではない
征服でもない
着色剤のないままの人生に漂いたい

テレビは捨てて
天然の地球へ行けば
気にならなくなる


毎日古武道(新陰流)の稽古で
海のカメラの振りや
体の波への入れ方など
新たな発見があればそれはそれで
楽しみ。

海が荒れ
天候悪く
撮影はしばらく放置してます

映る時は写せ
映らない時は何をしてもダメ

胸で行こうと決めないと
どうも心身、胸がパッとしない時は行かない方がいいと思います

野生の感覚
と禅のバランス?

始まり

24歳の4月15
あてもなく降り立った海岸で
泊まる家も、行くところも全く不明

それがあてもない旅なのだが

日本の誰かが新聞を買うと
部屋貸紙の欄があるよ
と聞いたのを思い出す

ブリスベン空港からバスに乗り1時間半
朝8時に着いた海岸で
スーパーの開くのを数時間待ち

待ってました!と
新聞と当時日本ではなかった熱処理をしない
100%オレンジジュースを買う

道端で広げるが
そんな欄はなく
家の販売しかない!

やられた!

数件の不動産屋に行くと
ジャップかえれ!
と言われ

あんまりうろうろしてると
狙われるな〜

どこに行けばいいやら
アイデアが出ず

海のベンチに座り
ふと空を見上げると
太陽が

今でも覚えているのは
なんだ日本の友達もみんな同じ太陽を見ている

俺はどこにいても俺なんだ

と感じると、勇気が湧いてきて笑った

そうか
ハードルが高い!わけだ

疲れたから
数日でもモーテルでも泊り
落ち着いて作戦だな

と海辺の宿二つに行くが
レセプションは鎖がかかりお昼休み

ダメか!

そうだ
行きたくはないが
遠くにそびえるビルが見える
その
サーファーズパラダイスという街の
日本食マーケットがあり
そこの看板にシェア募集が
書いてあると聞いたのを思い出した

日本人とシェアは嫌だが
もう仕方ない

バス停を探し
裸足の刺青の兄ちゃん二人組に
聞くと教えてくれた

英語が聞き取れず
どこで降りるのやら

親切な兄ちゃんが
次だよ
と教えてくれ

降り立つ止まるで
新宿の高層ビル群

いや〜
嫌だな〜都会

どこいけばいいのやら
でかいバックを背負い
キョロキョロしていると
サングラスのおばさんが近くにいた

あなたどこ行くの?

あれ
日本人だ!

いや〜
わからないんです
あてもなくきたから

日本食マーケットに
家の看板がある
と聞いたんですが

どこでしょう?

あら!
連れて行ってあげるわ
ついてきなさい

よかったな〜
親切なおばさんに着いていくと
怪しいアーケードに

あの奥にあるわよ
お礼を言い行こうとすると

その前に
私はこの和食屋で働いているの
ここでさよならだけど

この向かいのお店に
なんかきいいてみたら

でもあ〜早くあの外に置いてある看板みたいな〜

と思うより先に
ね〜
なんだか悪いけど聞いてあげて
この子あてもなくきたみたいなの

ドアを開けて入ると

白髪頭の角刈りの方がいた
日本人らしい

その人は横井さんという
日本人むけの結婚式の
コーディネート会社の社長さん

メガネをずらしながら
「何〜
あてもなくきたの?
どこか知り合いもいないの?」

いません。
すみません〜ほんと

「どこから?」

品川です
「えっ!
俺の家高輪だよ」

えっ?

「実家が?」

はい

「学校は?」

白金小学校と

おっ!

えっ?
中学一緒だと!

「担任は?」

えっ!
「担任まで一緒だぞ!」

うわ〜

横にいた奥さんもびっくり!

そんなことあるのかね〜
不思議だな〜

「おいおい
なんとかしてやるよ
どうすかな〜」

すると
奥にもう一人おばちゃんに
聞いてくれた

「す〜さん
どっかないか家?」

あらま!
ちょっと待って聞いてみるわよ

しばらくどこかに電話

大丈夫そうよ
パスポートもあるし

あのね
うちの家ね
1部屋空いてるのよ

オーナーがいて
その息子と私がシェアしてるんだけどね
オーナーがね
1週間100で良ければ
住む?

ほんとですか!
もちろん助かります!
お願いできますか?

そして息子が車で迎えにきてくれた

それがこの家
プール付き

あのね
私たち仕事があるのよね

夕方そうね18時に帰るけど
部屋ここね

家の鍵これね
自転車ガレージにあるから
乗っていいわよ

じゃね
バイバイ!

え〜

行ってしまった
シーンとした家

そんなことがあるんだ〜
うーん
ありがたい
より
不思議だ〜

う〜ん
どん底から奇跡が起きたな〜
 う〜ん

あの時のシャワーは忘れない
早速自転車で街へ

信じられないが
現実

やっぱりやってみるしかない!

いや〜
幸せだ!!
森田健作ばりに
自転車で叫んだ

人の暖かさに感謝した
初めての当てのない海外

ラッキーでした。

地球の歩き方も
ロンンリープラネットも

ましてネットも携帯もない時代

これが今の旅のスタート

だから今もガイドブックは買わない
車のナビは使わない
電子レンジも大嫌い

自分の足で歩き
感覚で宿を探し
飯屋を探す

これがなければ
今の自分はなかった

まさかの波の命がけの旅が始まる
9年前の1992年のオーストラリア
アイルオブカプリ(カプリ島)

足どり


93年ごろあてもなく
オーストラリアの住み

この車を借り、あちこち動いたな〜
ブロードビーチの古いギャランや色々
予約なしでも、笑顔でいつも貸してくれた
地元の方しか知らい車やさん

あてのない波の一人旅の
訓練中

足のひれたち

左から
2001年
オーストラリア、モルジブ、マウイ、オアフ、片足脱げて波にさらわれる。フィンがやらかすぎ、水中で動きがイメージとあわずやめる。
そもそもダイビング用だから波は無理

2002年冬 
オアフ、マウイ、フィジーへ。沖で外れて危ない為マウイで購入、適度に柔らかく、波に巻かれ脱げることもあり流れどめをつける。
それでも水中で粘りすぎて、柔らかく波を早く泳げない
所詮片手にカメラと帽防水ケース、片手、両足で泳ぐ為、泳ぐのが遅くなるのだが

2005年から愛用
魚がどうやって水中で早く泳ぐ?のかを観察するとハタだなと感じ
ハタの胸びれに似たフィンを探し回る

1件の店で小さくて硬く足の甲に合うものがみつかる。

恐ろしく硬く水をブレードがキャッチするから、水中で自在に動き波に逃げ遅れにくくなったのだが

足首やスネの負担がすごい。足首が柔らかくないと足首を痛めたり折れる。

2週間毎日5時間泳ぐと、足の指が擦れ血が出る。
撮影は天候にもよるが、大体毎日いくなら10日前後で体を休め、集中力を保つ。
旅は2〜3週間を1クールで世界を移動していた。

全て初めてのこと
体験に体感や研究を重ね
頭で感上げずにどんどん挑戦あるのみだった

今も、航空券だけ持ち、ついてから宿を探し
沖まで一人泳ぐ
そのスタイルは変わらない

      

必要最小限こそ最大の味方

今年はマネジメント会社
俳優、ナレーター、メイクアップアーチスト、ボディマッサージと多才な
チェン国際交流事務所の長谷川(チェンさん)さんと
世界へ!

既に台湾から数件オファーがあったと言う話し
独りヨーロッパ露天商は漫画のようでした

スポンサーの関係など
死んではいけません
危ないから撮影は控えてください

軽く吹き矢を刺された

ま〜確かに
撮りすぎても

まだまだ未公開の写真がたくさんあるから

ゆっくり行きます

波の裏の撮影
古武道
祈りの旅
瞑想
これでいいです

海の中
必要最低限
最小限
の道具でいく方が

もし問題が起きたら
何が理由かわかります

簡単な少ない道具こそ
体の1部となり動き
かえって命を守ります

忍の言い伝えで
脇差の目釘をわざと外し使えないように
しておくとあります

1本の刀に集中せず
脇差に頼ると注意が削がれ
よろしくないと

必死即生

必ず死ぬと思えば
必ず生きる

忍者の口伝

おうちの電子レンジは捨ててください

かしこ

コロナとは無縁な水の中
と水中の生き物たちに感謝

魚の気持ちがわかるから
最近、生きた魚をしめる
ごめんんさいが深く残る

そんなことより
魚と虫を生け捕ることに命を燃やした子供の頃

学校の夏休みの研究?が
ずっと昆虫の標本だった。

今では禁止?なのか
街の駄菓子屋で200円位で可愛い虫の絵の描いた箱を開けると
飲んではいけません!舐めてはいけません
というピンクの液が入った
シャボン玉の液体のような容器の謎の薬品と注射器セット

捕まえた虫に
躊躇なくぶすり

そんな残酷な少年は海へ
ゴミ拾いと祝詞をよむまで改心したわけです。

自分の目的(食べるわけでないのに)
昆虫の小さな命を奪う自分に
なんとも思わないのは
海を埋め立てる大人と同じ感覚だと知る

いけませんでした。

魚の撮影も数年しましたが
どうもあの宇宙服のような不自由さと
海に失礼だと
魚に眩しいストロボはクソだな俺

パパラッチだな!
恥ずかしくなり中止!

2000年で酸素ボンベは捨てて
裸で波へ向かいました。
命がかかることをしないと
本物の写真は写せないと信じ

0から海に懺悔し
裸で行きますから海の真髄を教えてくださいと
誓ったパラオの海軍墓地の横の
子供の頃のホームステー先の親父のお墓

大波が迫るとあまりの怖さに独り沖で
ごめんなさい!と叫ぶこと数回
そんな時は必ず軸がぶれて波にまかれます

やがて
ごめんじゃないだろ!

気合もろとも波へ突っ込むようになりました。

悪いことすると
帰ってきますね
とよくいうのは本当です。

記憶がある人生1度
どんなことにも
体当たり、受け流し

選んだ選択と
天命にわずかな、小さな俺様の想いに託し頭で考えず
やるしかない!

そして最新作
日本の真冬のご来光

もはや波でない

波という決められた形も言葉も
いらない

カメラの窓を見ないでパチリ!

写真家ではないと思う

山伏に山伏にならんか〜
と言われたが

俺は海で独りがいいですから

海に伏せる
海に即す

海伏と自らを命名

カメラ天国日本といった
戦場に散った
ちょっと策士キャパの言うとおり

1枚の写真はいいものです

なぜこの世の瞬間がとまり
焼けるのか?
いまだにわかりません

謎だらけの写真

一ノ瀬瀬泰造さんのように
写真の魔力と命のやり取りに
光を見つけてしまった理由が少しは
わかるような気がします

積もる


フィジーの離島2003年頃
村にはスーパーも電子レンジも携帯もなく
幸せな時間

大波の中にようやく入れ始めたのが
2002年の2回目
海の神様に認めていただかないと
簡単にあの世だな

と胸のあたりでふに落ちた日から
祈りを捧げる

幾ばくかの時間
幾ばくかの写真を撮らせてください

うまく海岸に戻れますように

日々鍛錬

我が海の道なり

海は青い
写真はいじらない
三脚に縛られない
ストロボ捨てる
国土の光で押す
瞑想し
怖さに自分を押しだす

黙って波へ
浮き輪なし、ワラなし
泳ぎる

仮に死んでも文句なし

単純明快に行く

天地清浄
我が心清浄なり

ガイドブックは買わない
事前に調べない
レンタカーで旅

今ではネットで宿の写真も見れクリック一つ
いんだか悪いんだか
安易にする仕組みやその時間が嫌い

ハワイ、バリ、ニュージーランド、フィジー、サモア、モルジブ、タヒチ、クック諸島
の波の旅から

ラトビア、アムステルダム、ドイツ、ニューヨーク、台湾、スウェーデン、ローマ、ミラノへ展示の
旅へ
延々独り梱包から運んで泳ぐ
途方もなく面倒な足跡

何度も死にかけたが余命延長してもらう

独りで全てやるから
撮影できない時間も多いのも現実ですが

32歳で人生が変身
波の人になる努力の結果
ようやく自分はこんなことしてますと
自分に嘘なく言える自分が見つかった

一重によかった。

51歳
世間ではジジイですが
どうも体が元気で丈夫らしく
気力体力がずっ〜と持続してます

常に戦場だと思えと
剣の師匠は言ってます

コンビニの弁当
マクドナルドや
薬品で漬けの養殖魚食べない
味の素避け
ラーメン食べない
コーラや炭酸飲まない
酒もほぼ飲まない
タバコ吸えない
ピザ嫌い

好きな仕事しかできない
よく寝る
自由に暮らす
あまり人といないで
静かに暮らす

この辺りがいいのかも?

このローテーション



古武道
波の撮影
ダンパーへサーフ
古い車で旅
お祈りと武士や忍の供養

その他興味なし

51年目の我が道

山神

38年前の車が凍った。
鍵穴も凍るほど寒い

昨年は芝生な山も
今年は真っ白に

山肌を削られ
木を切られ
除草剤を撒いた痛々しい山へ
祝詞をあげる

動物たちは
どこかに追いやられ
スキーヤーは感謝の微塵もなく楽しんでいる

現実を見る
現実を観る

ありがとう山神様

役目

茅ヶ崎に生まれ
柳島の厳島神社で遊んでいた
当時はジャングルジムがあった

大人になり数十年ぶりに行くと
そこが青龍、白龍出現の地で
市杵島姫(弁財天)鎌倉の天狗半蔵坊を祀るのだと知る

山口の下関で植物園の園長をしていた祖父は
壇ノ浦を望む山の1件家に住んでいた

子供ながらに
夜は真っ暗で怖い山で
平家の落ち武者が
逃げたやまである

赤間神宮によくお参りに行き
裏にある平家一門と忍者のお墓も
薄暗い森の中に線香がたなびく
怖いけど、なんだか行かなきゃと
手を合わせた

そこから1時間ほど客車と船で
無人島についた

ベラやカサゴのいる透明な海であるが
少し先は真っ青な暗いうみで
何がいるやら怖かった
砂地の海底には保護色のメゴチの仲間ネズッポがいた
そこで魚を一日中網で捕まえ、食べるのが目的

東京に5歳で移住するが
東京にいた爺さんはステンレスの職人で
家中に巨大な水槽があり
魚がたくさんいた

その爺さんは
海やスキーが大好きな
アクティブな人で
ワゴン車の屋根に荷物を積み
チェーンを鳴らし今より雪深かった長野の野沢温泉によく
連れて行ってくれた

そこで足を骨折2回!

そんなわけで
海との関わりが幼い頃から
あり

神様や、侍のお墓や物語の場所と深い縁があった

その縁は大人になりさらに色濃く混ざり合い

こうした1枚の写真が証明として残った

常に独り旅
独りで泳ぐ
酸素ボンベなし
水中眼鏡と足ひれだけ

防水カメラをに握り
片手で沖へ波へ

このお役目が
なんなのか
最近少しわかるってきました

では

写真はそのまま
ノートリミング(都合の良い絵にする為切ったり伸ばしたりしない)

とるときもノーファインダー
カメラを覗かない

決めたのだから
それでいい

ただそれだけ
やりつくす

海に礼を尽くす

独り独り

海外いけず
これもこれで
懐かしく思えたりと

よくもまーこんな場所で独り泳いだな〜と

昨年から新陰流の古武道を習い始めました
若い時、近所の古武士のような
柳生心眼流の島津先生に入門しました

お前は1年間俺がいう通りに歩け!
と言われ

言われたまま歩いていました
ちょうど1年経った頃
歩いてました

というと
そうか

よし!

お前に俺が先代がなくなる時に
教えてくれた口伝を教えてあげると
言われ、謎に1週間
先生は教えてくれました

そのおかげか
泳いでいるときも、不思議な力で
逃げ切れているのやら?

よくわかりません。

信じた道を
身と心で感じながら
呼吸する

動いて
動いて確かめる

そんな感覚です
旅も
体の使い方も動いて初めて
わかってきます

自由な旅の扉が常にそこら中で
待ってます

泳調

フィジーの裏
日本の裏

ある時期青い写真はもういいかな

急に心が離れた
大きな透明な蒼波を求めて一人旅をしていた数年
武者修行だなと
海から戻り夕方、海の音を聴きながら宿で
ニンマリ

戻ると決めて
波から逃げるように変える
時の開放感と満足感
ほっとします。

波の構図を変えるには
海を変える
水中で波を交わしたいる位置
カメラのレンズの向きしかありません

波をやり過ごし
水中で回転し
さっきまで自分がいた位置に移動した波をパチリ!

自分の影を写しているのかもしれません

普通の写真やは構図を決めて
例えば三脚を立てたり、なんだかなんだ
ファインダーを覗いて
好みの絵を偽造するのだが

僕はファインダーは見ない
最も波が速すぎて見えない上
そんなことしてる時間がない

見ると必ず
人間ん臭さや恣意が意図が写り込む
だから写真がすごいのは気のようなものが入る点

話を戻しますが

沖から来た波を
かわして
振り返り写す青い絵が
なんだか似ていて
情熱が湧かなくなったのですね

贅沢なもので
あれほど怖くて近づけなかった波を
いつの日からか、そのど真ん中に溶け合っていた

下の1枚は日本のご来光と波の裏
冷たく暗い海へ泳ぎ出す

青いはるか沖の大波とは違う勇気と不安が
これまた、やる気をふるうのです

寒い!暗い!前から来た波を崩させて
押すから、逃げしろがない

かわして振り返ることより
実は高度な技?

そして、さらに早く水中で動かないといけません
無の世界
無意識に動く

前からの波はどうしても水面を見るため(目では見るので)
顎が上がり
首が折れる可能性が高いのです

あの死んで悔いなし
フィジーのはるか沖の撮影の経験があってこそ

コロナで海外は行けないので
日本で海の神様へお祈りしながら
ボチボチ
写していこうと思います

またご報告します。

今から18年前の波の裏側

はるかフィジーの離島へ独り
泳いだ日々の記録

一言
常に怖かった
常に美しかった
常に自然に祈っていた

あの独特な緊張感と
見渡す限りの全てが聖域だと感じた感覚が
体に染み込んでしまった

しかし同時にそれは
日本人が古来祈ってきた
神社というモニュメントと飾りがない時代の
感覚であったのだろうと感じた

今や日本の街は乱雑な統一感のない
ビルやネオンの人工的な世界だが

そもそもは、海や滝や川や御神木のような木々の
美しい大地であったのだから

見渡しても空の1部しか見えない
現代の暮らしでは
感じることができなくなり

それは結局
人の心を弱らせ
体も弱る
ことにつながっている

ニュースやデマで不安になる

電子レンジでチンした飯を食い
携帯に飼われ

変な電気が帯電し
人体の経絡や気の流れを
乱すのだと思う

だから
海や山へ裸足で放電!せねば

古来の宇佐神宮の神使いでもあった
隼人族、出雲族を始め多くの方々が
感じ得た大切な時間を

はるかはるか南の最果て
汚染もまだ少ない海でしかしれないことも
この地球の破壊と汚染の現状です

自然というゾウギゴの前には
国土と呼んでいた我々

心おだやか
瞑想し

恐るべし
命が危ぶむほどの美しい原色な時間に
身を委ねれば

きっとそれぞれに
それぞれに速度で
身を以って
心を以って感じれば

それは生涯忘れません

なんて下記かながらも

1枚の写真は瞬時に
あの日の感覚へ誘ってくれます

1枚の写真
のこと

どうぞ皆さんも
ご家族、また思い出の旅の1枚を
引き出しから引っ張り出して
忘れかけた大事な時間へ再訪してみてください

そんなことを今日は思いました。

電源のいらない写真はいいものです

足跡

4歳からスキーを始め
爺様の運転する、プリンスワゴンの屋根に荷物をつけ
鉄のチェーンを巻いた、あの金属音は懐かしい

両足を何度も骨折し
大迷惑ののち

1から基礎を学び
高校生たちに御苗代でスキーを教え
自らも日赤の雪上安全(スキーパトロール)の資格を所得

海の大事故は即座にあの世
雪山の事故の経験が海で生きている

海は手強い
地に足もつかず
サメも毒の生き物や
風や潮流も一瞬にして命を危ぶまれる

そう思えば
スキーやスノボーは自分のペースで休憩できる

しかし雪山は行く気にならない
山際淳一さんのアルピニストの死という本は
怖かった。

雪山から戻らなかったクライマーたちの記録

自然をなめてはいけない
人間には適度な自然の怖さに
触れ続ける日常が全てを丸くすると思う

KASHIYAMA DAIKANYAMA

お世話になりっぱなしの
オンワード
樫山代官山へご挨拶へ

天井の高い緑のカフェ
レストランコトー相変わらずの人気

ぜひ!

銀座久兵衛さん

お世話になり
写真をコレクションしてくださっている
銀座久兵衛さんの、女将さんと若旦那
いつもおいしいお寿司と、お心遣い
をありがとうございます。

銀座の阿闍梨

江戸に戻り
銀座和光前ではや七〜八年?修行される
望月阿闍梨にお会いできました

皆様もお声掛けください!

真言密教の修行者
1000日経ちますからすでに数う100日
すごい力のご祈祷をしてくださいます。

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