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DM

色構成をし
あと10日もすれば
仕上がります。

順次郵送いたします。
新規ご希望の方には
メールよりご連絡くだされば
お送りさせて頂きます。

miki@umi.bushi.jp
株式会社 umibushi
杏橋幹彦マネジメント事務所

旅の途上

遠く遠くに透明な水と大波を探していた
2002年、フィジーの離島まで2日かかった
セスナと小舟で青黒い水の外うみの小さな島の輪郭を
包むように50mくらい遠くから崩れてくる波がある

ドミノ倒しのように
包む波
時には垂直に切り立ち
この体験がなかればいまはない

なんて大袈裟のように書くが
ちっぽけな人間には、紙一重であの世へ

この怖さと見えない青い線が
今を生かしているのは間違いない
この怖さが胸に染み込んだまま抜けない

僕以外は全ての黄金比と調和とハーモニーで
成り立ち、何とも心地よい優しげな青いもう1つの地球の宇宙

魚たちも珊瑚もすべてが
完全なる世界
ネイティブアメリカンでいう コヌングやプト

明らかに明白に
人間だけが地球と海のいらない異物だと感じた

都会で生きていたら
一生知り得ない美しくも恐ろしい時間に
人は身を置くと良いに決まってる

真剣になる
感覚を澄まさなければ
死ぬ可能性が相当に高い

同じ時間
街を歩いている自分をバカだな と
妙な幸せ感に笑みが溢れた

これこれ
これ
この感覚が大好きだ!

誰もいない海
は禅問答もす暇もない
正直でしか成り立たない

その19年後日本の出雲夕暮れ
闇と光に全てはあると知る

全てはこの2つの、いや1つのバランスの円運動に付属しなかればならない

闇にも鏡があり
光のも影がる
水にも立体面があり影が生まれる

全てを削ぎ落とし、持ち込まず、捨てた世界

写真的にギリギリの闇と明るさ
どっちも撮るのは人間の目だが
これが本当の色と景色
人間の目はいわば、瞬時に調整するソフトで見る

人の目は無視
気にしない

自分が、自力でいって観てきた世界が全て

引くとか足すとか

良いとか、悪いもなく

香りもなく匂いもなく

その瞬間に強烈なレイで自らを切る

陰陽であり忍と侍の世界に通づる

独り海を泳いでいくうちに
気づいていくこと
身についていく力がある

見えないものが見えてくる

夢で香りや味
あったこともない人の顔を鮮明に覚えている

ここち良い感覚で川やうみを俯瞰して見ている自分の
胸に残る感覚に驚いて起きる

現実?
夢?

ともかく
旅は面白い
同じ時間生きるのなら、好きなことや興味のあること
に体を運びやってみるといい

バカなネット社会はどうでもいい

すぐには分からないが
やがてそれは向こうから前触れもなくやってくる

終わりはない
完結も完成もない

無限にたくさんの少し先の未来が
待っている

決まり事も
競争でもない
自由だから

心配しないこと
考えすぎないこと
後悔は捨てること

全ては中立

前へ前へいくための準備

何度溺れても泳ぎきれば
死ににきれる

生きたいか
死にたいのか

やるしかないのだから
何も心配も問題もない

ドーンといくしかない!

明日の命は誰も分からない
今の命を自由自在に呼吸する

思い出

鎌倉の波は意外にも小さく
海へ行かず

木曜日の夕方が大きな波だったようで
波は瞬時に姿を変えた生き物

ふと
宇宙を見上げた

一呼吸
落ち着いて
足を止め
手を休め

今までの感覚をずらす

都会のビルの隙間から見る宇宙も
昔とはずいぶん狭くなった訳だ

太陽も夕焼けも海も
変わらず数十億年

人間模様を見てきた

太陽や波に意識や意志、心が
あってもおかしくない

雲水のようにじっと日々を
淡々と刻んでいる

昨今のアメリカからカーブで入り込んだ
インド発祥?のヨガの軽さ

日本で何億人もの人が、人から人
師から弟子へ
心でわたしてきた時間はきっと昔と
何も変わってないのだろう

これこそが文化遺産
臨済宗、曹洞宗と若干の先生の言い回しが
違うにしても
根幹は不立文字

「文字では言い表せない」
言う必要もない

ごちゃごちゃ
うるせー!

と言う訳です

日々重ねていく
無欲で余計なことは考えず
期待も不安も捨てて
何もない空間に漂う

坐禅する方々には敬服する
座ることすら本当に辛い

6歳位の頃
北鎌倉の円覚寺の横に、ひいおい爺さんの家があり
円覚寺を横から入り、犬とおじさんと散歩していた
歴史も何も知らないまま
何だか好きだったと言うか
行きたくなる場だった

ずっと後に
北条が元寇の戦いで亡くなった
防人や敵を供養するために建てた
鎮魂の場だと知る

手を合わせたのはずっと後

禅は
古武術
波の裏を泳ぐこと
に似ている

全て自力で切り抜け
体から動き
夢中になること

刻々と移ろう国土
こんな景色を
昔の人々はどう見ていたのだろう

ローソクや行灯や提灯に火をつけ
夏のひぐらしや、カジカガエルの声を
聞いていたのだろう

今とは違い
国土がまだ生き生きし
人よりその闇の深さも濃かった時間

人々の心も自然に情緒に心を振動させらてた
また、そうした感覚が今の僕たちより、強かったのだろう

同じ景色

変わって観ていた訳だ

そんなに遠いところでも
難しいことでもない

きっとそれぞれに
少し振り返ると

気づくことがたくさんある

それが国土を大切にし
先祖を敬い
他人を思いやることに

自然になるのでしょう

海はいつも待っています

ついつい17年

Fire King Cafe

DM ウェブなどずっとお世話になっている
フォームプロセス 八木さんにデザインを依頼

流石のデザイン

「光陰の影」

光陰にも、動いている以上影があると思います

輝き透明な水にも影が生まれるように
屈折や青くなるレイリー現象も含め

謎に満ちた宇宙と地球

頭で考えるより
体から入れ

鎌倉の臨済宗建長寺のお坊さん
禅はアクティブであり
鎌倉仏教の祈祷ではなく
その生き方に合う(超現実感、リアリズム)
それを先導してくれるものを求めたと

生死の迷い超えて己を悟るもの

禅は
人に認めてもらうものではなく
日々の今を一生懸命に尽くす

これは理にかなった自然な事

強い意志と
噂や人にかどあかされない刃の心

禅宗の雲水さんには頭が下がります

根性が違う

阿弥陀さんの、念仏や法華経唱えただけで
全て叶うという、他力本願では
他人が介在しどうしてもズレや濁りが

宗教ではない自己の力で体験をしみ込ませ
胸で知る

修験道にも近いです。

鎌倉武士、北条時頼の推薦で
比叡山により土佐に流された浄土宗法然さんをよそに
国家の軸となった臨済の禅
だるまさん、富士山の噴火を見て西行に憧れ旅に出た白隠さん
初め多くの求道者を導き、未知の領域へ誘った臨済禅

厳しく自己を律し
この宇宙と自然に溶け
己を鎮め、己を律してきた
茶道と共に武士たちの「いのち」の危うい
生き様に胸を突き動かした禅
武術と自然にとかあい錬磨していく

臨済宗の栄西が中国から持ち帰って育てたお茶
京都で栽培を始めたらしいです

やがて、茶は健康飲料と位置づけられ(喫茶養生記)
喫茶店ここから来てます

武士の生き様や、イメージに
好まれ様々な物語が生まれます

栄西は比叡山で修行するも物足りず
また比叡山の強力な武力を持つ増兵に追いやられ

政治的力を利用しなければと
当時の執権 鎌倉へ
臨済禅が国の教えとなる事を目指し

尻を自分で拭かない徳川の江戸時代まで
禅と武士政権の指針と柱となり
成長した日本

今やその教えは
どこへ消えた?


禅の本に全ては捨てろ!
と書いてあった

そうだな…


また買えばいいやと
黄色い1970年のポルシェ914−6を売り
身を海に投げうった20年前
そのポルシェは今や1000万
僕は何も変わらない謎

しかし今年、京都の臨済宗 興聖寺に14mの襖になりました
(利休の弟子古田織部と江戸時代の画家曽我蕭白さんの菩提寺)
一般公開はしない禅の坐禅道場ですので、普段は見れません

一部お寺の坐禅会に参加された方であれば
拝観できます。

来年1月から3月初めまで
JR冬の旅で一般公開をします。

海は還すとは本当です
南の国で修行する海雲比丘という修行僧の話につながります
襖は南を向き、本堂の龍神様と達磨さんに向かい合います

仏道も海道も神道も同じ

振り返ると
今年で17年目の展示に

お店もスッキリ23時までOPEN

フィアヤーキングカフェ阿部さんや皆さん
のお気持ちのおかげです。

謝辞御礼

海の中はコロナなし
悠久の太陽と海の息吹を感じてくだされば幸甚です

今回は未公開の青い南太平洋の波と
今年の出雲大社近く 日御碕神社の夕陽

ここは古来 朝日の伊勢
夕日の出雲として出雲族に祈られたなびき

天照の大神と子孫 スサノオを祀り
祈られた場で
海底に沈下した祈り場や滝の跡があります

こんにちでは遺跡と呼びますが
何だか生きている感じがしました
呼吸と今も祈られてます

23年ぶりに酸素ボンベを背負い、目の前のダイビングサービス
でこの遺跡を見つけた岡本さんに
潜らせていただくと
不思議な時間が留まっていました

(アクア工房 出雲 体験ダイブもできます)
水中へご参拝してください)

日の沈む19時暗闇から海から戻る日々
撮れないと思いながらも、不思議な写真を
撮らせていただきました。

どうぞよろしくお願いします。

ファイヤーキング17年目

9/6〜10/10 代々木上原駅前ファイヤーキングカフェの展示に向け
写真をセレクト中

過去のフィルムを引っ張り出し
見ると、まだまだお見せできる写真が

今年は浮き世にいろいろありますが
原点の青い波を多めに飾らせていただく予定です

もちろん全て未公開!

ご案内状や小さな作品集を作っています

またご報告いたします。

響くこと

昨日の夕暮れの七里ヶ浜

江ノ島は今、島民やオリンピック関係者以外誰も入れません

鎌倉の由比ヶ浜、材木座も海の家はないので
自由に本来の夏の海のまま
静かに過ごせます

サーフィンも海の家があると
朝8時から夕方5時までサーフィンできませんが
今は一日中できます

由比ヶ浜の目の前の
レイブサーフでは
レンタルのボードやウェット
サーフィンスクールもあります

由比ヶ浜は市がにも清掃車で海岸を掃除してくれているので
綺麗です

僕が子供の頃の海岸はまだペットボトルもなく
空き缶や食べたゴミや漁具程度でした

目には見えない
排水の洗濯の合成洗剤の排水など(千葉の海沿いはいまだに垂れ流しですが)
基準もなく、工場の排水や、塩素など毒が流されていたのは後で知りました

水俣のチッソという会社が流した水銀は
いまだにその後遺症を残しています

その写真を撮ったのは
僕の写真の師匠がアシスタントやプリントをした
ユージンスミスでした

子供の頃北鎌倉の、円覚寺の横に住む、曾祖父さんの日本家屋と池で遊ぶのが好きでした
湘南電車の中もみかんの皮や落花生の殻やワンカップや新聞紙
が散乱し、何とも言えないカオスでした。
日本人に環境や海へのモラルや教育がなかった時代を越えたはずですが

日本中の海岸は今や砂浜や磯にプラやペットボトル
発泡スチロールのゴミだめに

子供の頃、海の帰りは
潮のままシャワーは浴びずに帰りました
それが普通でした

人がいない岩場で二本の網を持ち
魚をつかまえるのが好きでした
あの深さだと息がもつかな?〜
苦しいな〜と
素潜りの日々

同じ歳の子供が、何で海の家の汚い海で
遊ぶのか?魚もいないのに
と本気に不思議に思ってました

だから僕は海の家にはいかないし
魚のいない濁った海は不機嫌になるから
おじいさんや、親は大変でした

水槽で買えそうなサイズと種類の魚を入れ

帰る間際に新鮮な水に入れ替え
酸素のブクブクを持って帰り
家の水槽で飼う

魚が大好きだった

渾身のキャッチ!
黄色いナベカやベラと
メジナの子供

ベラは輸送が難しく
途中で死んでいてかわいそうだから
ベラはやめました

しかしこれが子供には重かった
途中で居眠りをして電車内でこぼしたり

それでもあのビニールバケツの
電池式の空気を送る機械をそのポケットに入れた
入れ物には夢があった

当時は釣竿に網に水中メガネに浮き輪
を両手でもち
ビーサンが流されたり、足を切ったり

今は機材と写真で旅をしてますから

常に両手が塞がった移動で
重かろうが、何だろうが
独りでやるしかないから大変だとは
思いもしませんでした

きっと今もその下地があるんでしょうね

足元の水のチャプチャプするビニールのバケツを
のぞき
生きてるかな?
大丈夫かな?
といつも気にしながら
電車とバスで家路についた

おじいさんの家は、2メートルや様々
手製の水槽に囲まれてました
器用な人で、戦争に2度行き
ステンレスの職人でしたが
大工や料理もでき、何をしてもその道になったような人で

全て独学でした
想像と物の構造と摂理を知っていたんですね

今思えばプラスチックのバケツの方が丈夫でよかったです
が柔軟な発想がなかった僕は多岐に渡り創造性にかけた子供でした

家に帰りホースで水を浴び
網や水中眼鏡を洗い

五右衛門ぶろにドボン

ドロボー五右衛門さんは
京都の鴨川の河原で油で煮た特性?の窯に
投げ込まれ
死刑に

その時のよんだのが
心頭滅却すれば日もまた涼し

山梨の武田信玄の菩提寺
臨済宗 恵林寺の
快川おしょうに信長が
かくまっている武田一族をわたせ!
ときた際に

バカか!貴様のような
ヤカラにわたすようはない!

と言い放ち、怒った信長に
僧侶数70人と寺ごと焼かれた際に

先の五右衛門の辞世の句を読んだのは
創作らしいです

怖いですね昔の日本

在常戦場です

海は人を育ててくれます
海の中に住まなくてもたくさんのことを
陸地に足がついて空気吸ってハンバガー食べてコーラで流し込んで

海の凄さとバカな自分を内観できます
現実を知ります

真理と真如はこの自然界にあり
そこで人は、心身をさらけだし
己を見つめ、浄化され元気になります
そして海へぺこり

間違えないです

大事なのは潔い悔いのない生き方でしょう

生きがい
と生きないと
嘘のテレビや噂や周りに流されます

テレビは捨てて人の波ではなく
海にもまれ流されたほうが
尊い時間になります

人さまに迷惑をかけず、御膳が回ってきたら1つだけいただき次へ回し
挨拶をして
自然を大事に神仏と先祖を胸に

自分はどう生きるか
何が大事かです
比べて競争社会は人が渇きます

夏冬の通信簿という査定表
「協調性のない子供」

これが子供時代の数十年の座右の銘

胸に響かない先生の声
しかし、背比べも競争も強制もしない
フラットな
海は胸に響いたわけです

一昨日の七里ヶ浜
波が残りそれぞれに
楽しんでいた
僕は由比ヶ浜の波にいた

和田義盛さんの供養をし
海へ

夕暮れの海は情緒ある

海はいい

僕は茅ヶ崎で生まれ育ち
北鎌倉の円覚寺の横に曾祖父さんがすみ
円覚寺と山があ遊び場

円覚寺は臨済宗

元寇の乱でフビライのモンゴルが攻めて
戦った、鎌倉幕府にも所属しない
地侍たちが国土を守るため
対馬や壱岐の人々や侍の仇のため
鎌倉幕府の命ではなく
まさに命を張って護った

その侍たちと
共に供養するために、源氏の看板を利用した北条がおっとり刀でたてた
いわば供養の寺

九州志賀海神社
筥崎宮で神々と
共に祈り
亀山天皇が敵国降伏の額を納めた

すると夜半結果神風が吹き
モンゴルの船は翌朝消えていた
らしい

この奇跡の天佑神助「神様の助け」
と神風は
数百年後、大東亜戦争で当時の政治家、大本営東條英機らに
悪用され
神風特攻隊が生まれた

そんな彼らを見送ったのが
モンペ姿の女性なでしこ隊

サッカーの女子のなでしこは
何か意味があるやら、ないやら

結局
自前の資金や
石の塀や
武器で戦った九州の
侍たち、神社の宮司には何の恩賞も給付金もなく

そんな恨みを背青い
ながら、由比ヶ浜の源氏の侍頭、和田義盛さんたちを
斬首した北条は、やがて武士の思いを裏切り
お世話になった源氏を裏切り

土地を与えず、ねぎらわず、自己の保身と名誉に走り
後醍醐天皇の南朝に攻められ400を超える郎等と
鎌倉の鶴岡八幡の近く東勝寺で自刀した

鎌倉は時代が変わり
都から古戦場へ

後醍醐天皇の息子が幽閉され
無念で殺された鎌倉宮も然り

未来永劫消えない歴史と侍たちの様々な
思いと血が染み込み

鎮魂のために
残る神社仏閣と共に
祈らざる得ない場所であることは
変えられない現実

現実とは中立である必要がある
必要がある以前に中立だ
受け止めなければいけない今である

数秒前から過去へつながる
呼吸する歴史であろう

鎌倉は盆地で
実は鎮魂のために残る

観光協会はそんなこと言うと
観光客が来ないと信じ、何となく蓋を伏せているが

鎌倉の僧侶や、神使いの方々の
尊い祈りの真心に
国土を護った侍たちの魂が
安らかになられていることで
バランスが保たれているのでしょう

本当です。

皆様ご苦労様でした。

海は全てを見て聞いて
知っています。

Kamakura

波は台風の影響はなぜか受けず
小さかった

午前中がよかったね〜と海の仲間

海に夕陽が反射し
美しい時間

平和な世のありがたさ

由比ヶ浜で命を終えた
源氏の侍の武道と警察のような役目だった
和田義盛さん一族を祈る

倍音

人間のいない海
原始的な力

いや
ごく自然なアミノ酸も開発もない

地球に海が生まれた頃から
宇宙と海とが、自然力だけで
自然に形成しあった黄金律

海自体が御神木

生命樹はアジアの考えでは宇宙を表す
太陽に向かい
大きく伸びた一本の木は
花が咲き、身が宿り
動物たちが集まる
1つの宇宙

インドネシアやアジアの布や絵の
木の両サイドには聖獣が描かれている

成獣は2体で1つ

日本で言えば
狛犬
1匹が あ と口を開き 
1匹は ん と口を閉じている
と言う

神社の狛犬も
ほどんどこれ

あ は始まり
ん は終わりと始まり

回転するトーラスであり
タオの世界

波も同じ
回転し
生まれては消えて
またそのエナジーが
自然界や宇宙に波動を促す

もちろん
海岸や海にいる人間様にも平等に
その波動やメッセージは届いているが

ずいぶんと怠けた我々は
昔の人に比べたら
感じ取れなくなったものだ

海へ行くたびに
新しい美しさと
新しい怖さを知る

振動し続ける海

ファイヤーキング準備

月日は流れ
2006年の初めてここで
展示の機会を頂き、もう16年

毎回、海から撮りたての新作15枚

今回は2002年~の未公開の膨大な青いフィルムから

最新の出雲の日御碕神社の海を、代々木上原でご対面

海はつながるが
海に住まれる神様が違う?
太陽や水の記憶は違います
色も様々

言葉の壁もない
海の悠久の時間

神社という可視化できる人工物がない
フィジーやクック諸島
も古来は岩や月や海に祈っていたのだから
同じです

それにしても日本はキリスト教の力
に飲まれることなく、数千年も神社を通じながら
大衆から祈りのプロまでよくも
脈々と祈りの足跡が、こうしろ!あ〜しなさい!

経典がなくとも、お賽銭や供物やお酒に真心を添え
自然に続いてきていることが
実は凄いことだな〜と思います

気になるのは昨今、本来は何人でも、本殿の端でもいいのに
本殿の前に1組づつ並ぶ
妙な間違えたルール?が横行してます

どこの神社の方も
並ぶ必要もなく
並ばなくていいんですが
どうもここ数年
こうなった
とお聞きする

水天宮や東京大神宮、伊勢や戸隠も
この感じが最近目立ちます

大声でいいんですよ
並ばなくても!

と言って拝むから
割り込みした!
とずれた白い目
にも負けず

どうも自己的な利己的な
願いごとは1組づつが効く?と
思っているのでしょうか?

神社さんにも紙に書いて
見つけたら言って欲しいものです

変です。

神とて遠い遠い先祖のようなもの
と思えば同じじゃて

恐ろしい海

祝詞を詠んだ

吸い込まれるように沖へ流れた
ワクワクして薄暗い海に一人

しかし怖いなここ
戻れるだろうか?

波は来るが岸の岩場で崩れる
困ったことにこれでは撮れない
水中は巨大な丸い石がゴロゴロ
薄く濁って海藻が揺れ動く

ここでダメなら他は撮れない

5分ほど防水カメラを握り
流されては戻り
波を探しカメラを正対に待っていると

くぐもった音で
勝手にシャッター連写し始めた

この場合は水没!

案の定みるとどこからか海水が
数センチたまりコネクターがショート

どこから入ったのだろう?

ガッカリだな〜

余計な気持ちを捨てて

取り急ぎ、カメラ本体にかからないように
ケースをレンズ側に傾け
水を一か所に溜めながら
岸へ向かうが

崩れる波が危険で戻れない

間隙をついて一気に戻ると
波に押されながら
肘で石でブレーキをかけ
戻る
ケースの位置はそのまま
片手は使えない

急いで足ヒレのまま
巨石の裏に身を潜め
崩れちる真っ白な、波濤をかわした
 
安全な場所までアヒルのように
戻ると膝から血が出ている
いわばの貝殻で切ったようだ
でも
深くはなさそうだ

太陽の輝く中

ケースを開けると
カメラは奇跡的無事だった

謎に満ちた海の時間

恐るべし

沖へ


海は盛り上がるが
波になるのはインサイド

流れがきつい

水中は少し濁っている
雨のせいか、プランクトンか

朝焼けの水面を移動して
波の入り口を探す

怖いな〜

波が近すぎて
巨石にヒットしてしまう?

考えるの面倒だから

とりあえず出るだけ
出てみる

出れそうな場所を探し
打ち付ける波のあいまに
足ひれを履いて

引き波で沖へ

聖域

人間のいない
オゾンに満ちた
海岸

潮の霧の中
波音と風音だけ

遠く大島の街の明かりが
ゆらめいている

朝4:30
3時半過ぎに起きたが
体が目覚めてない

夏は水は暖かいが
水も濁り
太陽が来る時間が格段に早い

しばらく海を
見ていた

波が来るかな?
出れるのか?

戻れるのか?

崩れては磯にとびちる
白波を目の前に

シュミレーションする


あくまでもイメージ

怖いな〜
ここ

いつきても
独特な雰囲気だ

なんだろう?

目の前には龍宮神社

古来からの祈りを聞いた海

威厳高い
聖域

見られている

誰もいない
タヒチの近く
 
さっきバイクを止めた海岸は
重力を感じ歩いていたのに

そのまま歩いて水に入ると
体が浮いて無重力で足の使い方が水平になる

陸からは頂上付近しか見えなかった
切り立った緑の山の全容がはっきり見える

もはやこれまで
の覚悟で集中力と勇気を集める

だから浮き世で怖いものなど何もない

ギリギリの中に何かがあると信じ

黙って沖で俗気を捨てていく

人生の大切なことを
宇宙は示してくれる

海は生きている
海は見ている

Fire King Cafe


Fire King Cafe 9/6 mon-10/10 sun

いよいよ準備に入ってます
徐々に写真をセレクトし
撮影も行きながら
最終的に16枚に絞り込みます

フィジーの未公開のKodak フィルム
日本の出雲を混ぜながら
色とりどり

印画紙
カナダ ライトジェットプリント

瞬時の瞑想

雨の中独り
水中も水面もどこのいても
びしょ濡れ

誰もいないはるか300沖の南太平洋
何かあれば終わり

何もないように努力と瞬時に
体を入れ替え工夫する
死なないように尽くすことの尊さを
胸で知る

雨で水中眼鏡越しの視界も
水面を打ち付け跳ね返る水で
見えにくい

波はお構いなしに
50mくらい先から
島の形に添い、包み込むように
水面を飲み込んでは
次から次へ

これほど高速の波は知らなかった
人間界の生活では

体験できないスピードの
水の塊

風の吹くスピードに似ているのかもしれない

水中に横の竜巻が起こり
クルクルと回転して岸へ向かう

水深が1.5m海底は数億年かけ作られた
珊瑚の化石

床が硬いから
波のエナジーの反発が凄いため
高速になるのだが

魚たちはどうしているやら?
こんな波の人間には厳しい
場で、食事をしながら1日中泳ぐ
体力はどこから来るやら

よ〜くみると魚を波に向かい
波の下を潜っている
巻かれている魚は1匹もいない

気持ちよさそうに
恐怖もなく泳いでいる

誰もいない透明な海で
音も遮られ
人間様は小せ〜な〜
と人間界のことなど
どうでも良くなります

怖いが消えない
自分の中で生成されていると知りつつも
溢れ出る(心臓から)怖さが消せない

何かがいて見ている
なんだか
帰らないとまづい気がした
引き潮になると戻れないかも?

お感覚的な思考が巡り
胸がソワソワ

海は道場です
今思いましたが

瞑想体験を瞬時にし
その感覚が夜に夢に現れてきます

瞑想はじっと座ってます
僕は苦手だから
動いて動いて
瞑想の感覚や扉を持ち帰り

寝ながら開く?

陰と陽
タオ

何かもう少し
この日に体験した
体内かどこかに染み込んだが
気づいてない感覚が
現れることを楽しみに

寝ます!

人はうつわ

この人は村の頭の一人

偶然同じ日蓮宗の学校を出た
(僕も先輩もサラブレッドなお坊さんではなく、行き場がなく入れてくれたパターン)

今だに街で職務質問はやめてくれ〜
と笑う 職人

この数年祭もなく神様のご挨拶と感謝は
ひっそりと

普段の祭りの時には
神輿の鼻で周囲を目くばせし
事故や輩をはじき出す

村人は武術、精神を鍛え
日々自己を錬磨する、伊賀の地侍や忍者
修行僧のような人

行者さん

忍や地侍、修験者が大切に祈る
役の行者さん

様々な魔法や験力を使える
祈りの人

信長に、神社仏閣に火をかけられ
焦土とかした
伊賀には今だに数百体の行者さんが
残っていると言う

伊賀赤目延寿院の先代住職も滝に打たれ
広重や国芳の版画にも残る古刹
目黒不動へ参拝

しかし15年ほど前からか
お寺が、庭屋さんと相談し
様々オブジェや新しい石像を
増やしすぎる真意はいかに?

大丈夫ですか?

本堂お裏に鎮座する大日如来さまの化身
お不動様これからも
どうか悪を成敗してください

波の撮影の前後には
必ずお参りに

近海

地球の威力は凄まじい

「光と闇」2つがないと
見えない影を

我々は忘れがちだ

ずっと昔の爆発を見ている
星と呼ぶあたかも物体を見ているつもりで
実際には物はなく
ようやく地球に届いた光を夜空に見ている

人はうつわ

人は器
人は海

人は波に似ている

一寸しかない
一瞬ではない

わずかな時
先を感じて
カメラを降りパチリ

ファインダーは見ない

少し先を読むというときな臭いが

少し先を押す

見ていたら

モデルは撮れるが

普通の人は顔を作り心が硬くなる

人はうつわ

出雲で唯一のダイビングサービス
海や山の怖さも美しさも
勇気で観てきた海の男

岡本さん

ぜひお会いしに
ダイビングショップ アクア工房 社長

海底遺跡を発見研究する
すごい方です

旅の馬

日産の逆輸入のトラック
マニュアルです

こんな車で海へ行きたい
車は馬です

僕もまたアメリカのトラックに乗ろうかな

先代の安江武士古オヤジさん
から、本当によくしていただいている
目黒通り等々力不動をこえ
玉川の突き当たり
城南ジープさん

ぜひ!
品の良い大人の四駆やベンツファ並んでいます。

www.johnanjeep.jp/

心 得

雨降られても
どうせ水の中です

水面でマスク越しに
視界が悪くなり、波が見えにくい

水温が冷える

海が荒れ始める

など気をつけないと

常に帰る事
帰れる気力と体力を温存

風邪ひいたり
具合が悪い時は
絶対に行かない

独りで沖へ泳ぐ時点で
ただでさえ
戻れる確率が低くなるから

心身脱落
全てを捨てて
全てを観る

波の中の心得

この日も怖かった

何度もおきで立ち泳ぎし
海を浄化し、大声で手を水面からだしくじ切りをし
叫んでいた

沖合300m独り太平洋
クック諸島

人間の雑味も気配がない
昔のままの海は生きて
見られていると感じた

この日の怖さは今も体のどこかに
止まって抜けない

美しさの反対は荘厳な怖さ

捨てる


もはや姿形ではない
そこに行くだけ

ファインダー一切見ない

感じた瞬間に押すだけ

だから写真家である必要がなくなった

えたい

円運動
指から体の律動を流し動く

爆発する海の中で水の圧力を逃して
ひらひらとかわす

なんていうのは無理で

水中で動けるのはほんの1m
先に波のきっさきを読んだ瞬間
にもう手と頭から突っ込む

怖いとか
思うまももったいない
ほど先に動かないと手遅れに

魚が水中で考えて泳いでないように
自然によけなことは捨てて
考えず思い我が身を手裏剣にして投げるだか

面白いほど
あの世に近い

宇宙を読む

経島 出雲
はかりしれない時間
無心で祈られた海

海と夕陽はセットです

なくてはならないもの同士が
創り上がるのが宇宙の法則と生命の潮流

人間様は余計なものばかり作り
海も宇宙を破壊

限りある時間を大切に

方丈より

プリントを特殊な和紙に行うこと2週間
35mmのフィルムを5600mmまで引き伸ばす

当然荒れますが
コンピューター処理はしません
取り込むスキャナーの精度と取り込む人の技術

印画紙を板に貼って貼る?
しかしゼラチンの表面のコーティングをしないと傷や水に耐えられない
から、薄いビニールを貼る?

結局は、京都の伝統工芸士の経師屋さんの人見祥永さんに
ご依頼をし、切ってぴったりに貼るいうが

人見さんの数十年の仕事で一番難しい仕事になるから
時間と、もし失敗したらプリントしてください
との事

印画紙は貼れないので
表面も傷がつきにくく、尚かつ水張りできる特殊な紙を探し
今回は吹き付け塗装(インクジェット)で仕上げるしか
ありませんでした。

あっという間に1ヶ月
職人さんたちが、それぞれの技術を凝縮し
茶人で武士の古田織部さんと、江戸時代の画家 曽我蕭白さんの菩提寺の100畳の瞑想場に

工房まで車で何度も運び
取り付けていただきました。

斬新な織部さんの死から
407年後

南に建つ龍神様の本堂に向かい
南の華厳経にある物語。海雲比丘という修行者の国へ
14mの蒼海の方丈が開きました

一般公開はしていないのですが
JR冬の旅で特別公開されます
来年1/7~3/初旬

またご案内いたします。

みなさまありがとうございました。

大島

筆島
毎日毎日、海岸はゴミがあつまる

1970年代田舎の海岸は綺麗だった
こんなにも、日本中の海岸が岩の数より
ペットボトルや漁具など落ちてなかった

自然に戻れない
人間の大発明プラスチックは使うまでは大事にされるが
つかい終わればその辺にポイ!

日本中、地元の人はmぅ
無関心な事実

拾いきれない
毎日拾いたくない
行政も及び腰などなど

放置されている現況
プラスチックの海という映画を見たが
根本的に世界が共通に代替え素材に変えないとですが
安く早くがモットーなズレた昨今

自分の生きている間だけよければ
いいのではないのだが

なかな奥深い問題

鎌倉の由比ヶ浜は
毎日のように鎌倉市のゴミを集める車や
係の方が歩いて拾ってくださっている
がそれでも
波が運ぶゴミは膨大

海が全滅する未来が来るのだろうか?

筆島


波を探しに東から西へ
筆島の海岸には飲める滝があるらしい

昔は堤防もなく美しい海岸でしたと

地元のおじいさん

それでも古来から息づく
この海岸の持つ気は良かった
洞窟も見え
祈りをしていた聖域じゃないかな?

波が上がるのは冬らしい

波浮


波浮港 
江戸時代に秋廣平六さんにより
石をどかしつくられた
当時は国家事業

船乗りで栄えた
旅館や遊郭の跡の細い路地
は当時の賑わいはない

岡田港が栄えた今
ひっそりと神社が海に佇む

流れる

大島

波浮比咩命神社は事代主さんの奥様(奥さんは100人とも)
出雲と島根美保神社事代主さんへ先日参拝の流れのまま
この地と出雲を結ばせていただく

そもそもは伊賀忍の供養に行くと
滝である修験者にあった

その修験者の宿、古民家ささゆり庵に
出張で腕を奮っていた
奈良の割烹 万惣長田さんに会う
数年後お店に食べにお邪魔すると
イタリアに数十年前に修行した牛尾シェフ

そしてミラノの展示2019年2月11

牛尾シェフの一言
(今は京都アートモンゼンホテル料理長)
すごいシェフがいますから
お時間があれば会ってみては?

そして
お店に帰国前2日間通い
食べた味と人柄に感動した
オーナーシェフ松本ヒデさん

そんなヒデさんがイタリアのお店をコロナでやむなく
閉め、日本でお店を開く前に
長野八ヶ岳高原ロッジで期間限定のレストランを開くから
展示しませんか?と

展示に誘っていただいた

その時に来ていたスタッフが
人形町でイタリアンレストランを開く
事代堂さん

まさか?
事代主さんと関係があるんですか?

はい実は子孫になります

神様の子供はやはりいらっしゃるんだな〜

数日後
事代堂さんが2階の展示場へ
見るからにイギリス風のご紳士を連れてこられた

ご縁ですから写真集を記念にいただきましょう

そのかたは大島の港を作り、神社を建て直した
秋廣平六さんのご子孫の
九段で弁護士事務所をまとめる大先生

先生に後日、いろいろな話しをかね
お会いしに行くと

急にあなたに
大島や伊豆七島を
撮って欲しい

大島へ行きませんか?

その場で飛行機を予約され
不思議な流れで、神社と平六さんの墓参へ

島中をご案内くださり
子供の頃泳いだ海
住んでいた村の話しなどと

泳げそうな海を探した

冬はここに決めた。

気が良かった

古代の祈りばかな?

先生
子供の頃よくとび込んだな〜

でもサメいるよたまに

大自然ですからね

人は器

出雲日御碕神社前、海底遺跡のけ経島
ダイビングツアー会社
アクア工房 岡本さん

夕陽神事の海底遺跡を発見研究する
海の男

18の時にバイクでこの島を見て
まだ松林の残る独特な空気が胸に

やがて時は流れ
出雲で仕事をするうちに
出雲や島根をフリーダイブしながらキャンプをした

とある縁で、土産ものやだったこの地で
ダイビング会社を20数年前に開き
潜ると、何やら人工的な遺跡を見つける

そんな岡本さんは
スキーで同じ大腿骨を折る
骨友

船を操り
海を知り尽くしても
謙虚に知ろうとする姿は

マウイの、サーファークリバンダーボートが行っていた
海を愛しみ、リスペクトできる人は
ウォーターマンというんだと思う
と話していいたのを思い出す

あれは2003年の12月マウイの西の聖地、ホノルアベイのあの日

海の男たちにたくさんの夢とギフトを手渡された

海の男の話し

同時進行

出雲の海は、天照の夕陽神事は出雲族
伊賀の山は 陰陽師と役の行者と赤目不動を尊び 天台法華経を背負い全国に納経した、赤目滝参りの衆=伊賀忍と地侍

歴史と多様性の祈りが染み込んだ日本

水中か空中か

魚か人か
どちらも住めない

水だけは行き来できる

H2oだから同じ

宇宙につながる雲は海の水
海の中の雲は空気

海を大切にしないと
大地は死ぬ
大地も同じ海が死ぬ

このバランスがこれ以上崩れたら
地球も住めなくなるのだが

なかなかどうして
なってみないわからない

思いを通し続ける

いかなければ何も写らない
ゼロ!

行けば写るかもしれない
写らなくてもういい
やるだけやったのだから

海はそこに少し命がかかるが

「かもしれない」に
自分を乗せること
流すこと

ネット社会で
人間界は結果を先に知りたがる
スイッチオフして空を見上げ
海を眺め

体験こそが尊い結果

結果は1つでもない
結果に結果が重なるうち
いいことが起こる

気持ち強く
古武道を通じ
神仏を尊ぶ
先祖を尊ぶ

自然界に感謝し
体から入ること

以上
 

1つにかける

出雲中、島根中800キロ探したが
波は諦めた

この場の持つ雰囲気にかけた

梅雨の隙間
太陽と海が荒れるタイミングに
磯で泳いだ

独り少し怖い神秘的な場

祈り
御神酒を注ぎ
ゴミ拾い

経島 

ウミネコが舞う
天然記念物 の経島

物語というよりも
表面的な形や存在につけられた
賞のようなの

本筋なら
世界遺産とか物語を大事に汲み取って欲しいが
勾玉や、土偶矢皿とか何か神事に使う
連想させる物が出ないとダメらしい

ウミネコもこの島と隣の島以外には
巣は作らない
蛇?の外敵から守るためか?
見えない磁場を感じるのか?

それでも一日中、陣地の取り合いで
喧嘩している感もある

こんな海一望の良い気の、安全な島
心が和まないのかな?
鳥はそんな心をもたないのか?

この島の下は空洞で古来からの祈りば
夕陽神事の場だった

沈下したのだが
岸から数十メートルの近場で
潜れる神殿の跡など世界を探してもないだろう

潜るとその左右に伸びる回廊や
沖縄の御嶽のような洞窟もある

古来の人々(出雲族か)
が太陽の女神 天照とその父スサノオを
祈っていた理由は
ここに来ればわかる

独特な静かな聖域(美しく、神々しい)

人間にわかりやすい
モニュメントな社もないが

海に沈んだだけで
悠久の場の持つ力のようなものは
今だに存在する

見えないもの
見えない時間をを
大切に祈れるのが日本人

目の前に海底遺跡を発見した
アクア工房、岡本さんのダイビングツアー会社もあり
レンタルやライセンスの講習もされてます

ぜひ!

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