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小冊子 入稿

昨年の今頃、作りかけていた小冊子を
京都のサンエムカラーの松井会長にお願いし
8K印刷(通常170線)1000線という
高精密な印刷で再印刷をしています

デザインはシトロエンやチャンピオンなど有名ブランドの
ウェブやデザインをされている、フォームプロセスさん

松井会長いわく
なんと手製本になる事実
1冊16ページ1000円を予定し
初回3000部製作中です

来年京都のお寺に襖絵公開する
JR冬の旅ようにはまた別なものを企画します

昨年からお待たせしていた
お客様には、本当にすみません。

言の葉

写真の柏原誠 親父が写真の仕事を
キッパリやめて7年後手紙が届いた

戦場カメラマンで水俣病や人々の奥底にひめる光を
表に出してきたユージンスミス

そんなユージンのアシスタントをし
広告写真や人を写したオヤジ

キャパの写真の世界に似ている

波に命を賭す!と決める直前は
キャパ、一ノ瀬泰造さん、小柳次一さん
の本や写真を見ていて

戦場は臨場感と距離感がすごいな
命が消え、カメラマンも命が消えないように
情熱と動物的間で被写体に近づき
50mmの単玉でいく

被写体に近づかなくては

キャパも書いていた

まづは位置が大事だ。

柏原誠も、戦場カメラマンで最後は人(その人の本物、ドキュンメンタリー)を写したユージンの
そばにいたから、何か同じものを感じていたのだろう

オヤジらしい気持ちのこもった
初めての敬語の文章が嬉しかった

写真は単純明快であること

気力体力感性をギシギシ

ロバートキャパ(本人が彼女と広告的につけた偽名で本名アンドレ)沢木耕太郎さんの著書ロバートキャパに詳しくは

当時の憧れ
写真集団マグナムに所属した戦場カメラマン
ライカやニコンで望遠ではなく、50mmレンズで近づいて押していた
最後はインドシナで、危ないと言われながら地雷を踏んで死亡

名取洋之助は自分で撮ってない戦場写真(小柳次一さん撮影)も
所属させると、ライフなど自分のクレジットにしたが
マグナムは違う

キャパは人やヨーロッパ戦線のDadyの写真はぶれながら、現像ミスしても
何かがあると感じる写真だ

熱海の写真も何か人間の力を感じた
だから
僕も本物は戦場にしかない?と感じ

写真の真実は生死にある!

2000年に戦場へ(湾岸戦争)に行く?
と思ったが、パラオで30年前にホームステーさせて
いただいたレイモンドアキオさんの墓前で
 
いや
人の血や悲しみは違うな
パパラッチだな

俺はやはり
海から逃げてはいけないな

海で単純な道具(裸に近い生身)で行き
死ぬ可能性はどこだろ?

?あれ
波の中かな?

そんなことを思い
命は儚いから
死ぬ気でやる!

と墓前で誓いこの波が始まった

人の一言は深い

ここは気にも家だから、パラオのお父さんだから
いつでも来なさい
海へいつでも連れて行ってあげるからね

パラオは小さな島だから何もないけど

と言って大きなシャコガイを
ロープで縛り、中学生の僕に持たせてくれたアキオさん
本当に嬉しくて
今も部屋に

生きてる中で関わってくださった
暖かな先輩方のお気持ちが
迷いそうな道に一条の光を照らしてくれるものです

黙って
やり続けること
あと先、考えず決めたら行く

中途半端は行けない
迷っては行けない
迷わせるのは自分の頭の妄想だから

心配も自分が作る妄想

怖さを感じ
単純明快な身体の動きで
胸から入ること

そして
自然界を祈り
仲間や祖先を憶う

それだけで
人の霊験が上がり
世の中が幸せになると感じたのは

今から1232年に道徳と理念を記した
鎌倉北条はじめ侍の
御成敗式目に書いたように同じ

神さまを敬う人の
純粋な真心にふれ、神さまの御威光は
さらに輝きを増し

神さまのひろき厚き御神徳
のおかげで

人は導かれ運を開く

神さまと人は
一方通行ではなく

お互いがお互いを
高めあう存在である

神は人を敬によりて
威を増し
人は徳によりて運を添う

自然感覚だ

と、こんないいこと言いつつも
800年前の事実は誰もわからないが

憶測では領土や利権の取り合いをした、北条や秀吉や徳川
の武士政権(本当は北条も平和のためだったのだろうか)

国は違えども歴史は違えども
誰もが感じ、憶うことは同じはず

終戦記念日と呼ぶ謎はさておき

こうして命を捨てて
国に殉じ、また戦果に飲まれた方々がいて
今の国土がある事実

そもそも神社は
縁結び!商売繁盛!合格!
など現生利益を願う場ではなく

祈りを通じ合い
たまに神様からの指令を受け動き

自然と過去を敬い、自らを見つめ
浄めはらう場である

極々自然な行為にたち戻れる場である

伊勢は南を向き
出雲は西(夕陽を向く)

人は器 写真の教え

写真の師
いや
生きる哲学を教わった

柏原誠

事務所にもあらゆる写真、芸術の本
ユングやフロイトや様々な本がや山積み

まだデジタルカメラのない時代
1枚に秘める、魅力と魔力を存分に表した人

LIFEで活躍した戦場写真 ユージンスミスのアシスタントをした
その後ユージンは軍に歪めらた写真を捨て
誰もが見ない、水俣へ本当のドキュメンタリーと人の内に光をあてた

デジタルカメラが押し寄せた1999年
ある日、いつもの明大前のスタジオへ

こう言った

変わらぬ笑顔で
俺な
明日から写真やめるわ

えっ!
オヤジさん!
やめるの?

あのなデジタルな
今にみんなデジタルになるぞ

あれはつまらね〜
車な1枚撮ってパソコンで色変えて
走らせて

もう写真じゃないな
俺たちの腕を馬鹿にしてる
仕事もうんと安くなるぞ

その時はわからなかったが
今思うと人を呼ぶ運と妙な千里眼があったオヤジ

お前な
やっぱり海へ行け
あと人だ

なんかうつる気がするぞ俺は

人の中にあるものを
バット!鷲掴みにして
バ〜ン!と押せ!

いいな

いいかカメラは所詮機械だ
こんなもんハッセルでも写ルンですでもなんでも同じよ
これはただの機械だ

カメラに撮られるんじゃないよ

いいかな

ここにあるな
ハッセルでもなんでも
使うんなら使え!

カメラはどんなカメラも所詮一緒よ

ファインダーは見るなよ

勢いよく行け!

そんな強運なオヤジも数年後
急に病魔で他界した

数年後海の個展で
手紙をもらった
次回はそれを

あの世で1番先に会いたい人

本人は無意識で言った
一言が

一生懸命努力し走った事が

人を勇気づけ変える

生き様という事を教わった男

人は器よ

いいな


天国で笑ってるオヤジへ

オヤジやユージンの真髄
己とのドキュメンタリーを貫く

人は器

人は器

大徳寺はお寺の集合体
臨済宗の祈りが、遥か昔から毎朝、毎夜、脈々と続く聖域
ここは22ヶ寺ある1つ
キリシタン大名大友宗麟が、22歳で得度を受けた菩提寺

白砂は海を表し、しまは斜めに見ると十字架に
奥にはワビサビの黒い利久の茶室もある

瑞峯院 前田昌道 住職

優しく、独特な語り口

雨の朝突然雨に濡れた
緑に輝く苔と飛び石の先の玄関へ

お〜
 
まっ上がりなさい

あんたが家が近ければね

毎朝、抹茶を飲みに来たらいいいいのに・・・・

禅の厳しい修行を超え
自らを律し、宇宙と心の平穏を生きる

人は器よ

自分が小さく見えた

飾れない1枚

こんな雨の日は海は怖い

よく聞かれること

怖くないんですか?

一人で沖まで行くんですか?
誰もいない?

溺れたことありますか?

酸素ボンベないんですか?

片手で泳ぐ?

波の中?外?ここはどこですか?

太陽?宇宙?

なんですかこれ?

その通り
自分も考えてないから

体を海に入れるだけ

頭は捨てて

胸を押して
無念ないように
全力で使ったこともないアンテナや魚の声を聞いて動くだけ

前人未到の世界に審美と真如がある

写真家は今や撮った後に色をのせたり
好きに作る

お手本にならない生き方はいけません

写真家は夢を見て
夢を与える生き方です

殺虫剤のない、わきまえる時間

日本を知る
日本をよむ旅
日本を各地で教わる旅
人生あっという間に過ぎ去り早くも52年

海の付き合いは
どうも茶道や武道にもつながり
坐禅や瞑想は切っても切れません
やはり禅がそのヒントになる鍵をたくさん
共に生きています。
 

昔の言葉がいいのは
きっと国土と呼ばれ自然というゾウギゴがない時代
インターネットも、電子レンジも、TVも携帯も
ばかな殺虫剤もない時代

美しい日々、静かな緩やかな時間
木々が生き
今より川や海が行き来していた

静かな場所はそこかしこにあり
人々は自ずと
そうした時間に心を傾け

鎌倉彫りや茶道や武道や、浮世絵など
全ての物づくりに時間をかけ
丁寧に畳んでいた時代

一人一人がしっかり強く
正しく生きようと弁えていたであろう環境

死を感じる自然の力
武士政治の周囲の環境
戦乱の世で命の儚さと潔さが共存した時間

個々の日本人の感覚が研ぎすんでいたわけだから

今の政治家先生を見て
あの世で呆れてます

前にも書きましたが
臨済宗の大徳寺というのはお寺の集合体

昔は52,3
あったものの
明治の廃仏毀釈で22かじに減ってしまう

本尊は釈迦如来1323年頃に
発生した聖域

秀吉に内緒で
大徳寺入り口の門に自分の像を設置した利久が
怒りをかい
切腹させら

そんなお寺(塔頭ーたっちゅう)の1つ
キリシタン大名 大友宗麟の菩提寺
海を表す白砂と岩の枯山水は

斜めに見ると十字架になっています
 
薄暗い黒とグレーのワビサビの真骨頂、利久さん
の茶室も見せていただきました

若いころは鎌倉で御修行なされた
瑞峯院の、まるでダライラマのような前田昌道さん

前回、剣の師匠と行くと
師匠に向かって
おじいちゃん!こっちへおいで
と言い大笑い

玄関の飛び石が濡れる静かな
雨の朝

突然にもかかわらず

お〜

きたか・・・・

まっ
おあがんなさい・・・

あんたの家がちかければね
・・・
毎朝こうしてうちはね、お茶を立ててるから

きたらいいのにな・・・

背筋を伸ばしてね
呼吸をしていくこと
血の流れが良くなって

目が生きて美人になる
ふふふ

お互いに自分の人生心がけてね

朝ごはん食べる時は
背筋をたてて
腹式呼吸をして
80過ぎのおじいもね
歴代のお経を読めば
自然に酸素が入って

大きな声でお経を読めばね

1日生かされていることです

お菓子とお茶を立てていただき
しばしお話し

門の外
雨滴る声

ちょうど今日の
これのことやな
円覚寺の方が
がかかれた

ちゅうどかけたところや

あんたになんかあげたいな
そうやまっててね

色紙に
こうかいた

渓声洗耳清「けいせい みみをあらいて きよし」
 
清らかな渓流の音は
耳からはいり、心やすべてを清め
正しい本来の自分に気づかせてくれますよ

いうわけだ

海で一呼吸
日々忘れがちは静けさと自分の間を大切に

焦らずゆっくり、自分の順をふんで海へいかないと
戻れません

全ての教えはこの宇宙と日々にあります

禅は道なる領域への鍵

この写真も9/6からのファイヤーキングカフェで展示します
ただいま印画紙で現像中

小さな1滴でいい

出雲
出雲は夕陽信仰

大国主は黄泉の国を祈る神々の、呪詛払い、鎮魂をするシャーマニックな存在とされていた古来

やがて
出雲大社が神集い、縁結び、商売繁盛、大黒様など
民衆の嗜好と興味を引く布教(御師による)を明治維新ごろに始め
時代の変化に対応した

そもそもは天皇に並ぶもう一人の生き神として
宗教的権威と民衆の崇敬の人
千家尊福(せんげたかとみ)さんという方がいらした
今でいう日本国中の人が知る、ダイラマのような存在だった

生涯をかけ自ら巡教し、出雲大社教会は全人口の1割433万人が信者だったという

明治10年代神道事務局神殿で、大社の祭神、大国主大神を祀るか否かで
全国神道を2分する祭神論争が勃発

拒む伊勢神宮の田中頼庸大宮司が伊勢派

尊福の支持者が出雲派
と呼ばれ
13万人以上を巻き込む対立に

収束をはかるべく介入した政府は

「神道は宗教にあらず」
と国家神道路線へ舵を切る契機へ

教法の信念をねじ曲げる政治の力を知った尊福は
自ら教道の守護者たらんとし、政界入りを決意し
埼玉、静岡、東京府知事を歴任した。

天津神と国津神

天津神は高天原とそこから地上に降臨した天照を中心とする神々

国津神は天津神の降臨する前から、葦原中国=地上界にいた大国主大神を中心とする神々

討幕派の王政復古の目論見
により神武天皇が橿原宮で即位し人皇第一代になったという
伝説の回帰を演出し天皇の神権的絶対性を確立すべく

皇居内の紫宸殿に上座を設け
神をおろしをし

そこに招き寄せた、天津神、国津神に対し睦仁天皇が
公卿や百官を率いて誓うという
祭政一致の儀式で発布された
王が神占いや夢の中で聞いた神の声に従い

政治判断をしたという古代に倣ったのである

天津神、国津神の祭祀を司る神祇官が行政を司る太政官より上の官庁
という構図は王政復古だった

政府は神祇官を通じて全国の神社を掌握(管理、上納金など)
天皇が天照大神の子孫だと民衆に広めた

神道の非宗教化へ転換し、もともと出雲、伊勢の二大柱を止め
伊勢、靖国を柱とする国家神道へ向かった

「千家尊福と出雲信仰 岡本雅享著」より抜粋

神様も、人間界の思惑や政治力により
塗り替えられ、勝手な人間様解釈で拝まれている現実

いんだか
悪いんだか

それもこれも受け入れていただいているやら
いないやら

夢のお告げがない以上わかりませんが

天照は神武の伝説があるのだから
天皇は天照の子孫だ
という解釈は荒っぽい

何を言いたかったかというと

古くはヤマト王朝が、侵略と略奪をする以前に
祈っていた古代の出雲族をはじめとする
きな臭い順位や政治とは、そもそも祈りは交わらない

純粋な祈りてたちがいて

この海で天照大神、いや
もっとソリッドにすれば
人間風ではない太陽そのものに対し
感謝と命の循環や叡智に頭を下げていた人々がいたわけです

現実には経島が御神体で、ウミネコのうんこだらけの岩に
鳥居が1つ
日御碕神社の宮司さんだけが、入ることを許される聖域

うんこも自然の1つと考えれば
プラスチックと違うから雨が降り綺麗に自然界にも戻り
海藻の栄養リンを雨海へ

そんな島の中は空洞で
佐州には祈り場の跡や滝のあと
亀の姿に彫った石に
滝が当たるようにした、人為的構造物があります。

海底遺跡としてその研究と発見をしたのは
出雲に1軒だけあるダイビングサービス「アクア工房の岡本さん」
物凄い胆力と海好きな岡本さんと、前回山道の草刈りへ(海底の道のワカメをカマで刈る)

海に御神酒をささげ
祝詞を詠み
貝を吹きました

出雲島根を1週間で500キロ車で波を探しましたが
実際行くと、出雲はあまり波がない
途中、辺中な警戒と監視カメラの島根原発があったり

波がたつ場所は砂地でまづ水が透明でない
神社の関係の方に杏橋さん稲佐のはまでどうぞ
とも言ってくださったが
濁っていました

これは
岩場しかないな
もう波という概念は捨てて
太陽と水を撮る!

大事なのはその場の持つ呼吸
というか雰囲気
見た目もそうだが、感じとる気のようものが大事で

世界中で僕が写すのは
そうした、条件というと人間臭いですが
そうした、古来からの祈りや神様が住まれていて
という目には見えない雰囲気が整った場所

その海の夕陽にかけよう
何も撮れなかったらそもそも

やらなければ0
やれば何かが起こる

そして、島の岩場で写させていただきましたが
とにかく初日は怖かった

岩にぶつかる怖さもありますが
足を海に入れた場からその工程が怖い

聖域というか
生半可な気持ちでくるところではない

これは個人的な感覚ですが
でも、古来の人々が
なにかこの海岸で儀式をしていた?

そんな今だに祈りが続いいているような
空間と水間でした

場所により、神様の島の周囲を埋め立て
くっつけてしまった、コンクリートの防波堤が全てを台無しで悲しい風景ですが

そこに港をそもそも作ったのが間違えで

港がある以上波を避けるには仕方ない!
という、漁民と誰かの力ある発言の公共事業な風景

神様の聖域を破壊した業者さんは大丈夫か?
心配になるほどの工事

伊勢神宮の五十鈴川にテトラポット入れませんが
ここは田舎だから、目が届かないうちに、海洋土木で固めてしまった
のでしょう

わかっている限りでは
夕陽を祈り
天照とその子孫スサノオさんを祈り
数万年?前から祈られた場

出雲では朝日ではなく
1日の終わり
闇がくる=黄泉の国の祈り手大国主さんと祈る

また夕日は1日の始まりでもある
という解釈で

夕日信仰だと言われています

最も朝日は東ですから
山からしか見れません

海に沈む太陽の力は、現代の僕たちより
感受性があった古来の方々は何を感じたのだろうか?
と感慨深いです

ともかく
時代や政治、つまりは神様の後から地球に寄生した
人間様の余計な解釈の昔からの
純粋な宇宙と太陽と海の約束と契約を
思い出す場所は、世界中にあり

ハワイアン、マオリ、アボリジニ、イヌイット、アイヌ
と皆同じ胸のうち

フラやハカ
ティーリーフで石を包み岩や滝壺に置き
貝を吹き、チャント(祝詞)を捧げる胸の内は
同じです

これ以上もこれ以下もない
うちより自然発生する
人間の宇宙への義理とご挨拶に他なりません

現代人という
ネットやテレビの欺瞞の社会

そんな思いを日々忘れずに
胸に憶いを大切に・・・・

僕は1つの方法として
海で泳ぎ、祈る人として
何が変わるとか
世界を変えるとか、ビーチクリーン!ではなく

海に義理と仁義を通したいと思います

そんな見えない小さな1滴を
大海に注ぐことでいいのです

尊福さんの軸のある、神々への憶いを
忘れずに

この宇宙と海は全部聞いて見ています

DM

色構成をし
あと10日もすれば
仕上がります。

順次郵送いたします。
新規ご希望の方には
メールよりご連絡くだされば
お送りさせて頂きます。

miki@umi.bushi.jp
株式会社 umibushi
杏橋幹彦マネジメント事務所

旅の途上

遠く遠くに透明な水と大波を探していた
2002年、フィジーの離島まで2日かかった
セスナと小舟で青黒い水の外うみの小さな島の輪郭を
包むように50mくらい遠くから崩れてくる波がある

ドミノ倒しのように
包む波
時には垂直に切り立ち
この体験がなかればいまはない

なんて大袈裟のように書くが
ちっぽけな人間には、紙一重であの世へ

この怖さと見えない青い線が
今を生かしているのは間違いない
この怖さが胸に染み込んだまま抜けない

僕以外は全ての黄金比と調和とハーモニーで
成り立ち、何とも心地よい優しげな青いもう1つの地球の宇宙

魚たちも珊瑚もすべてが
完全なる世界
ネイティブアメリカンでいう コヌングやプト

明らかに明白に
人間だけが地球と海のいらない異物だと感じた

都会で生きていたら
一生知り得ない美しくも恐ろしい時間に
人は身を置くと良いに決まってる

真剣になる
感覚を澄まさなければ
死ぬ可能性が相当に高い

同じ時間
街を歩いている自分をバカだな と
妙な幸せ感に笑みが溢れた

これこれ
これ
この感覚が大好きだ!

誰もいない海
は禅問答もす暇もない
正直でしか成り立たない

その19年後日本の出雲夕暮れ
闇と光に全てはあると知る

全てはこの2つの、いや1つのバランスの円運動に付属しなかればならない

闇にも鏡があり
光のも影がる
水にも立体面があり影が生まれる

全てを削ぎ落とし、持ち込まず、捨てた世界

写真的にギリギリの闇と明るさ
どっちも撮るのは人間の目だが
これが本当の色と景色
人間の目はいわば、瞬時に調整するソフトで見る

人の目は無視
気にしない

自分が、自力でいって観てきた世界が全て

引くとか足すとか

良いとか、悪いもなく

香りもなく匂いもなく

その瞬間に強烈なレイで自らを切る

陰陽であり忍と侍の世界に通づる

独り海を泳いでいくうちに
気づいていくこと
身についていく力がある

見えないものが見えてくる

夢で香りや味
あったこともない人の顔を鮮明に覚えている

ここち良い感覚で川やうみを俯瞰して見ている自分の
胸に残る感覚に驚いて起きる

現実?
夢?

ともかく
旅は面白い
同じ時間生きるのなら、好きなことや興味のあること
に体を運びやってみるといい

バカなネット社会はどうでもいい

すぐには分からないが
やがてそれは向こうから前触れもなくやってくる

終わりはない
完結も完成もない

無限にたくさんの少し先の未来が
待っている

決まり事も
競争でもない
自由だから

心配しないこと
考えすぎないこと
後悔は捨てること

全ては中立

前へ前へいくための準備

何度溺れても泳ぎきれば
死ににきれる

生きたいか
死にたいのか

やるしかないのだから
何も心配も問題もない

ドーンといくしかない!

明日の命は誰も分からない
今の命を自由自在に呼吸する

思い出

鎌倉の波は意外にも小さく
海へ行かず

木曜日の夕方が大きな波だったようで
波は瞬時に姿を変えた生き物

ふと
宇宙を見上げた

一呼吸
落ち着いて
足を止め
手を休め

今までの感覚をずらす

都会のビルの隙間から見る宇宙も
昔とはずいぶん狭くなった訳だ

太陽も夕焼けも海も
変わらず数十億年

人間模様を見てきた

太陽や波に意識や意志、心が
あってもおかしくない

雲水のようにじっと日々を
淡々と刻んでいる

昨今のアメリカからカーブで入り込んだ
インド発祥?のヨガの軽さ

日本で何億人もの人が、人から人
師から弟子へ
心でわたしてきた時間はきっと昔と
何も変わってないのだろう

これこそが文化遺産
臨済宗、曹洞宗と若干の先生の言い回しが
違うにしても
根幹は不立文字

「文字では言い表せない」
言う必要もない

ごちゃごちゃ
うるせー!

と言う訳です

日々重ねていく
無欲で余計なことは考えず
期待も不安も捨てて
何もない空間に漂う

坐禅する方々には敬服する
座ることすら本当に辛い

6歳位の頃
北鎌倉の円覚寺の横に、ひいおい爺さんの家があり
円覚寺を横から入り、犬とおじさんと散歩していた
歴史も何も知らないまま
何だか好きだったと言うか
行きたくなる場だった

ずっと後に
北条が元寇の戦いで亡くなった
防人や敵を供養するために建てた
鎮魂の場だと知る

手を合わせたのはずっと後

禅は
古武術
波の裏を泳ぐこと
に似ている

全て自力で切り抜け
体から動き
夢中になること

刻々と移ろう国土
こんな景色を
昔の人々はどう見ていたのだろう

ローソクや行灯や提灯に火をつけ
夏のひぐらしや、カジカガエルの声を
聞いていたのだろう

今とは違い
国土がまだ生き生きし
人よりその闇の深さも濃かった時間

人々の心も自然に情緒に心を振動させらてた
また、そうした感覚が今の僕たちより、強かったのだろう

同じ景色

変わって観ていた訳だ

そんなに遠いところでも
難しいことでもない

きっとそれぞれに
少し振り返ると

気づくことがたくさんある

それが国土を大切にし
先祖を敬い
他人を思いやることに

自然になるのでしょう

海はいつも待っています

ついつい17年

Fire King Cafe

DM ウェブなどずっとお世話になっている
フォームプロセス 八木さんにデザインを依頼

流石のデザイン

「光陰の影」

光陰にも、動いている以上影があると思います

輝き透明な水にも影が生まれるように
屈折や青くなるレイリー現象も含め

謎に満ちた宇宙と地球

頭で考えるより
体から入れ

鎌倉の臨済宗建長寺のお坊さん
禅はアクティブであり
鎌倉仏教の祈祷ではなく
その生き方に合う(超現実感、リアリズム)
それを先導してくれるものを求めたと

生死の迷い超えて己を悟るもの

禅は
人に認めてもらうものではなく
日々の今を一生懸命に尽くす

これは理にかなった自然な事

強い意志と
噂や人にかどあかされない刃の心

禅宗の雲水さんには頭が下がります

根性が違う

阿弥陀さんの、念仏や法華経唱えただけで
全て叶うという、他力本願では
他人が介在しどうしてもズレや濁りが

宗教ではない自己の力で体験をしみ込ませ
胸で知る

修験道にも近いです。

鎌倉武士、北条時頼の推薦で
比叡山により土佐に流された浄土宗法然さんをよそに
国家の軸となった臨済の禅
だるまさん、富士山の噴火を見て西行に憧れ旅に出た白隠さん
初め多くの求道者を導き、未知の領域へ誘った臨済禅

厳しく自己を律し
この宇宙と自然に溶け
己を鎮め、己を律してきた
茶道と共に武士たちの「いのち」の危うい
生き様に胸を突き動かした禅
武術と自然にとかあい錬磨していく

臨済宗の栄西が中国から持ち帰って育てたお茶
京都で栽培を始めたらしいです

やがて、茶は健康飲料と位置づけられ(喫茶養生記)
喫茶店ここから来てます

武士の生き様や、イメージに
好まれ様々な物語が生まれます

栄西は比叡山で修行するも物足りず
また比叡山の強力な武力を持つ増兵に追いやられ

政治的力を利用しなければと
当時の執権 鎌倉へ
臨済禅が国の教えとなる事を目指し

尻を自分で拭かない徳川の江戸時代まで
禅と武士政権の指針と柱となり
成長した日本

今やその教えは
どこへ消えた?


禅の本に全ては捨てろ!
と書いてあった

そうだな…


また買えばいいやと
黄色い1970年のポルシェ914−6を売り
身を海に投げうった20年前
そのポルシェは今や1000万
僕は何も変わらない謎

しかし今年、京都の臨済宗 興聖寺に14mの襖になりました
(利休の弟子古田織部と江戸時代の画家曽我蕭白さんの菩提寺)
一般公開はしない禅の坐禅道場ですので、普段は見れません

一部お寺の坐禅会に参加された方であれば
拝観できます。

来年1月から3月初めまで
JR冬の旅で一般公開をします。

海は還すとは本当です
南の国で修行する海雲比丘という修行僧の話につながります
襖は南を向き、本堂の龍神様と達磨さんに向かい合います

仏道も海道も神道も同じ

振り返ると
今年で17年目の展示に

お店もスッキリ23時までOPEN

フィアヤーキングカフェ阿部さんや皆さん
のお気持ちのおかげです。

謝辞御礼

海の中はコロナなし
悠久の太陽と海の息吹を感じてくだされば幸甚です

今回は未公開の青い南太平洋の波と
今年の出雲大社近く 日御碕神社の夕陽

ここは古来 朝日の伊勢
夕日の出雲として出雲族に祈られたなびき

天照の大神と子孫 スサノオを祀り
祈られた場で
海底に沈下した祈り場や滝の跡があります

こんにちでは遺跡と呼びますが
何だか生きている感じがしました
呼吸と今も祈られてます

23年ぶりに酸素ボンベを背負い、目の前のダイビングサービス
でこの遺跡を見つけた岡本さんに
潜らせていただくと
不思議な時間が留まっていました

(アクア工房 出雲 体験ダイブもできます)
水中へご参拝してください)

日の沈む19時暗闇から海から戻る日々
撮れないと思いながらも、不思議な写真を
撮らせていただきました。

どうぞよろしくお願いします。

ファイヤーキング17年目

9/6〜10/10 代々木上原駅前ファイヤーキングカフェの展示に向け
写真をセレクト中

過去のフィルムを引っ張り出し
見ると、まだまだお見せできる写真が

今年は浮き世にいろいろありますが
原点の青い波を多めに飾らせていただく予定です

もちろん全て未公開!

ご案内状や小さな作品集を作っています

またご報告いたします。

響くこと

昨日の夕暮れの七里ヶ浜

江ノ島は今、島民やオリンピック関係者以外誰も入れません

鎌倉の由比ヶ浜、材木座も海の家はないので
自由に本来の夏の海のまま
静かに過ごせます

サーフィンも海の家があると
朝8時から夕方5時までサーフィンできませんが
今は一日中できます

由比ヶ浜の目の前の
レイブサーフでは
レンタルのボードやウェット
サーフィンスクールもあります

由比ヶ浜は市がにも清掃車で海岸を掃除してくれているので
綺麗です

僕が子供の頃の海岸はまだペットボトルもなく
空き缶や食べたゴミや漁具程度でした

目には見えない
排水の洗濯の合成洗剤の排水など(千葉の海沿いはいまだに垂れ流しですが)
基準もなく、工場の排水や、塩素など毒が流されていたのは後で知りました

水俣のチッソという会社が流した水銀は
いまだにその後遺症を残しています

その写真を撮ったのは
僕の写真の師匠がアシスタントやプリントをした
ユージンスミスでした

子供の頃北鎌倉の、円覚寺の横に住む、曾祖父さんの日本家屋と池で遊ぶのが好きでした
湘南電車の中もみかんの皮や落花生の殻やワンカップや新聞紙
が散乱し、何とも言えないカオスでした。
日本人に環境や海へのモラルや教育がなかった時代を越えたはずですが

日本中の海岸は今や砂浜や磯にプラやペットボトル
発泡スチロールのゴミだめに

子供の頃、海の帰りは
潮のままシャワーは浴びずに帰りました
それが普通でした

人がいない岩場で二本の網を持ち
魚をつかまえるのが好きでした
あの深さだと息がもつかな?〜
苦しいな〜と
素潜りの日々

同じ歳の子供が、何で海の家の汚い海で
遊ぶのか?魚もいないのに
と本気に不思議に思ってました

だから僕は海の家にはいかないし
魚のいない濁った海は不機嫌になるから
おじいさんや、親は大変でした

水槽で買えそうなサイズと種類の魚を入れ

帰る間際に新鮮な水に入れ替え
酸素のブクブクを持って帰り
家の水槽で飼う

魚が大好きだった

渾身のキャッチ!
黄色いナベカやベラと
メジナの子供

ベラは輸送が難しく
途中で死んでいてかわいそうだから
ベラはやめました

しかしこれが子供には重かった
途中で居眠りをして電車内でこぼしたり

それでもあのビニールバケツの
電池式の空気を送る機械をそのポケットに入れた
入れ物には夢があった

当時は釣竿に網に水中メガネに浮き輪
を両手でもち
ビーサンが流されたり、足を切ったり

今は機材と写真で旅をしてますから

常に両手が塞がった移動で
重かろうが、何だろうが
独りでやるしかないから大変だとは
思いもしませんでした

きっと今もその下地があるんでしょうね

足元の水のチャプチャプするビニールのバケツを
のぞき
生きてるかな?
大丈夫かな?
といつも気にしながら
電車とバスで家路についた

おじいさんの家は、2メートルや様々
手製の水槽に囲まれてました
器用な人で、戦争に2度行き
ステンレスの職人でしたが
大工や料理もでき、何をしてもその道になったような人で

全て独学でした
想像と物の構造と摂理を知っていたんですね

今思えばプラスチックのバケツの方が丈夫でよかったです
が柔軟な発想がなかった僕は多岐に渡り創造性にかけた子供でした

家に帰りホースで水を浴び
網や水中眼鏡を洗い

五右衛門ぶろにドボン

ドロボー五右衛門さんは
京都の鴨川の河原で油で煮た特性?の窯に
投げ込まれ
死刑に

その時のよんだのが
心頭滅却すれば日もまた涼し

山梨の武田信玄の菩提寺
臨済宗 恵林寺の
快川おしょうに信長が
かくまっている武田一族をわたせ!
ときた際に

バカか!貴様のような
ヤカラにわたすようはない!

と言い放ち、怒った信長に
僧侶数70人と寺ごと焼かれた際に

先の五右衛門の辞世の句を読んだのは
創作らしいです

怖いですね昔の日本

在常戦場です

海は人を育ててくれます
海の中に住まなくてもたくさんのことを
陸地に足がついて空気吸ってハンバガー食べてコーラで流し込んで

海の凄さとバカな自分を内観できます
現実を知ります

真理と真如はこの自然界にあり
そこで人は、心身をさらけだし
己を見つめ、浄化され元気になります
そして海へぺこり

間違えないです

大事なのは潔い悔いのない生き方でしょう

生きがい
と生きないと
嘘のテレビや噂や周りに流されます

テレビは捨てて人の波ではなく
海にもまれ流されたほうが
尊い時間になります

人さまに迷惑をかけず、御膳が回ってきたら1つだけいただき次へ回し
挨拶をして
自然を大事に神仏と先祖を胸に

自分はどう生きるか
何が大事かです
比べて競争社会は人が渇きます

夏冬の通信簿という査定表
「協調性のない子供」

これが子供時代の数十年の座右の銘

胸に響かない先生の声
しかし、背比べも競争も強制もしない
フラットな
海は胸に響いたわけです

一昨日の七里ヶ浜
波が残りそれぞれに
楽しんでいた
僕は由比ヶ浜の波にいた

和田義盛さんの供養をし
海へ

夕暮れの海は情緒ある

海はいい

僕は茅ヶ崎で生まれ育ち
北鎌倉の円覚寺の横に曾祖父さんがすみ
円覚寺と山があ遊び場

円覚寺は臨済宗

元寇の乱でフビライのモンゴルが攻めて
戦った、鎌倉幕府にも所属しない
地侍たちが国土を守るため
対馬や壱岐の人々や侍の仇のため
鎌倉幕府の命ではなく
まさに命を張って護った

その侍たちと
共に供養するために、源氏の看板を利用した北条がおっとり刀でたてた
いわば供養の寺

九州志賀海神社
筥崎宮で神々と
共に祈り
亀山天皇が敵国降伏の額を納めた

すると夜半結果神風が吹き
モンゴルの船は翌朝消えていた
らしい

この奇跡の天佑神助「神様の助け」
と神風は
数百年後、大東亜戦争で当時の政治家、大本営東條英機らに
悪用され
神風特攻隊が生まれた

そんな彼らを見送ったのが
モンペ姿の女性なでしこ隊

サッカーの女子のなでしこは
何か意味があるやら、ないやら

結局
自前の資金や
石の塀や
武器で戦った九州の
侍たち、神社の宮司には何の恩賞も給付金もなく

そんな恨みを背青い
ながら、由比ヶ浜の源氏の侍頭、和田義盛さんたちを
斬首した北条は、やがて武士の思いを裏切り
お世話になった源氏を裏切り

土地を与えず、ねぎらわず、自己の保身と名誉に走り
後醍醐天皇の南朝に攻められ400を超える郎等と
鎌倉の鶴岡八幡の近く東勝寺で自刀した

鎌倉は時代が変わり
都から古戦場へ

後醍醐天皇の息子が幽閉され
無念で殺された鎌倉宮も然り

未来永劫消えない歴史と侍たちの様々な
思いと血が染み込み

鎮魂のために
残る神社仏閣と共に
祈らざる得ない場所であることは
変えられない現実

現実とは中立である必要がある
必要がある以前に中立だ
受け止めなければいけない今である

数秒前から過去へつながる
呼吸する歴史であろう

鎌倉は盆地で
実は鎮魂のために残る

観光協会はそんなこと言うと
観光客が来ないと信じ、何となく蓋を伏せているが

鎌倉の僧侶や、神使いの方々の
尊い祈りの真心に
国土を護った侍たちの魂が
安らかになられていることで
バランスが保たれているのでしょう

本当です。

皆様ご苦労様でした。

海は全てを見て聞いて
知っています。

Kamakura

波は台風の影響はなぜか受けず
小さかった

午前中がよかったね〜と海の仲間

海に夕陽が反射し
美しい時間

平和な世のありがたさ

由比ヶ浜で命を終えた
源氏の侍の武道と警察のような役目だった
和田義盛さん一族を祈る

倍音

人間のいない海
原始的な力

いや
ごく自然なアミノ酸も開発もない

地球に海が生まれた頃から
宇宙と海とが、自然力だけで
自然に形成しあった黄金律

海自体が御神木

生命樹はアジアの考えでは宇宙を表す
太陽に向かい
大きく伸びた一本の木は
花が咲き、身が宿り
動物たちが集まる
1つの宇宙

インドネシアやアジアの布や絵の
木の両サイドには聖獣が描かれている

成獣は2体で1つ

日本で言えば
狛犬
1匹が あ と口を開き 
1匹は ん と口を閉じている
と言う

神社の狛犬も
ほどんどこれ

あ は始まり
ん は終わりと始まり

回転するトーラスであり
タオの世界

波も同じ
回転し
生まれては消えて
またそのエナジーが
自然界や宇宙に波動を促す

もちろん
海岸や海にいる人間様にも平等に
その波動やメッセージは届いているが

ずいぶんと怠けた我々は
昔の人に比べたら
感じ取れなくなったものだ

海へ行くたびに
新しい美しさと
新しい怖さを知る

振動し続ける海

ファイヤーキング準備

月日は流れ
2006年の初めてここで
展示の機会を頂き、もう16年

毎回、海から撮りたての新作15枚

今回は2002年~の未公開の膨大な青いフィルムから

最新の出雲の日御碕神社の海を、代々木上原でご対面

海はつながるが
海に住まれる神様が違う?
太陽や水の記憶は違います
色も様々

言葉の壁もない
海の悠久の時間

神社という可視化できる人工物がない
フィジーやクック諸島
も古来は岩や月や海に祈っていたのだから
同じです

それにしても日本はキリスト教の力
に飲まれることなく、数千年も神社を通じながら
大衆から祈りのプロまでよくも
脈々と祈りの足跡が、こうしろ!あ〜しなさい!

経典がなくとも、お賽銭や供物やお酒に真心を添え
自然に続いてきていることが
実は凄いことだな〜と思います

気になるのは昨今、本来は何人でも、本殿の端でもいいのに
本殿の前に1組づつ並ぶ
妙な間違えたルール?が横行してます

どこの神社の方も
並ぶ必要もなく
並ばなくていいんですが
どうもここ数年
こうなった
とお聞きする

水天宮や東京大神宮、伊勢や戸隠も
この感じが最近目立ちます

大声でいいんですよ
並ばなくても!

と言って拝むから
割り込みした!
とずれた白い目
にも負けず

どうも自己的な利己的な
願いごとは1組づつが効く?と
思っているのでしょうか?

神社さんにも紙に書いて
見つけたら言って欲しいものです

変です。

神とて遠い遠い先祖のようなもの
と思えば同じじゃて

恐ろしい海

祝詞を詠んだ

吸い込まれるように沖へ流れた
ワクワクして薄暗い海に一人

しかし怖いなここ
戻れるだろうか?

波は来るが岸の岩場で崩れる
困ったことにこれでは撮れない
水中は巨大な丸い石がゴロゴロ
薄く濁って海藻が揺れ動く

ここでダメなら他は撮れない

5分ほど防水カメラを握り
流されては戻り
波を探しカメラを正対に待っていると

くぐもった音で
勝手にシャッター連写し始めた

この場合は水没!

案の定みるとどこからか海水が
数センチたまりコネクターがショート

どこから入ったのだろう?

ガッカリだな〜

余計な気持ちを捨てて

取り急ぎ、カメラ本体にかからないように
ケースをレンズ側に傾け
水を一か所に溜めながら
岸へ向かうが

崩れる波が危険で戻れない

間隙をついて一気に戻ると
波に押されながら
肘で石でブレーキをかけ
戻る
ケースの位置はそのまま
片手は使えない

急いで足ヒレのまま
巨石の裏に身を潜め
崩れちる真っ白な、波濤をかわした
 
安全な場所までアヒルのように
戻ると膝から血が出ている
いわばの貝殻で切ったようだ
でも
深くはなさそうだ

太陽の輝く中

ケースを開けると
カメラは奇跡的無事だった

謎に満ちた海の時間

恐るべし

沖へ


海は盛り上がるが
波になるのはインサイド

流れがきつい

水中は少し濁っている
雨のせいか、プランクトンか

朝焼けの水面を移動して
波の入り口を探す

怖いな〜

波が近すぎて
巨石にヒットしてしまう?

考えるの面倒だから

とりあえず出るだけ
出てみる

出れそうな場所を探し
打ち付ける波のあいまに
足ひれを履いて

引き波で沖へ

聖域

人間のいない
オゾンに満ちた
海岸

潮の霧の中
波音と風音だけ

遠く大島の街の明かりが
ゆらめいている

朝4:30
3時半過ぎに起きたが
体が目覚めてない

夏は水は暖かいが
水も濁り
太陽が来る時間が格段に早い

しばらく海を
見ていた

波が来るかな?
出れるのか?

戻れるのか?

崩れては磯にとびちる
白波を目の前に

シュミレーションする


あくまでもイメージ

怖いな〜
ここ

いつきても
独特な雰囲気だ

なんだろう?

目の前には龍宮神社

古来からの祈りを聞いた海

威厳高い
聖域

見られている

誰もいない
タヒチの近く
 
さっきバイクを止めた海岸は
重力を感じ歩いていたのに

そのまま歩いて水に入ると
体が浮いて無重力で足の使い方が水平になる

陸からは頂上付近しか見えなかった
切り立った緑の山の全容がはっきり見える

もはやこれまで
の覚悟で集中力と勇気を集める

だから浮き世で怖いものなど何もない

ギリギリの中に何かがあると信じ

黙って沖で俗気を捨てていく

人生の大切なことを
宇宙は示してくれる

海は生きている
海は見ている

Fire King Cafe


Fire King Cafe 9/6 mon-10/10 sun

いよいよ準備に入ってます
徐々に写真をセレクトし
撮影も行きながら
最終的に16枚に絞り込みます

フィジーの未公開のKodak フィルム
日本の出雲を混ぜながら
色とりどり

印画紙
カナダ ライトジェットプリント

瞬時の瞑想

雨の中独り
水中も水面もどこのいても
びしょ濡れ

誰もいないはるか300沖の南太平洋
何かあれば終わり

何もないように努力と瞬時に
体を入れ替え工夫する
死なないように尽くすことの尊さを
胸で知る

雨で水中眼鏡越しの視界も
水面を打ち付け跳ね返る水で
見えにくい

波はお構いなしに
50mくらい先から
島の形に添い、包み込むように
水面を飲み込んでは
次から次へ

これほど高速の波は知らなかった
人間界の生活では

体験できないスピードの
水の塊

風の吹くスピードに似ているのかもしれない

水中に横の竜巻が起こり
クルクルと回転して岸へ向かう

水深が1.5m海底は数億年かけ作られた
珊瑚の化石

床が硬いから
波のエナジーの反発が凄いため
高速になるのだが

魚たちはどうしているやら?
こんな波の人間には厳しい
場で、食事をしながら1日中泳ぐ
体力はどこから来るやら

よ〜くみると魚を波に向かい
波の下を潜っている
巻かれている魚は1匹もいない

気持ちよさそうに
恐怖もなく泳いでいる

誰もいない透明な海で
音も遮られ
人間様は小せ〜な〜
と人間界のことなど
どうでも良くなります

怖いが消えない
自分の中で生成されていると知りつつも
溢れ出る(心臓から)怖さが消せない

何かがいて見ている
なんだか
帰らないとまづい気がした
引き潮になると戻れないかも?

お感覚的な思考が巡り
胸がソワソワ

海は道場です
今思いましたが

瞑想体験を瞬時にし
その感覚が夜に夢に現れてきます

瞑想はじっと座ってます
僕は苦手だから
動いて動いて
瞑想の感覚や扉を持ち帰り

寝ながら開く?

陰と陽
タオ

何かもう少し
この日に体験した
体内かどこかに染み込んだが
気づいてない感覚が
現れることを楽しみに

寝ます!

人はうつわ

この人は村の頭の一人

偶然同じ日蓮宗の学校を出た
(僕も先輩もサラブレッドなお坊さんではなく、行き場がなく入れてくれたパターン)

今だに街で職務質問はやめてくれ〜
と笑う 職人

この数年祭もなく神様のご挨拶と感謝は
ひっそりと

普段の祭りの時には
神輿の鼻で周囲を目くばせし
事故や輩をはじき出す

村人は武術、精神を鍛え
日々自己を錬磨する、伊賀の地侍や忍者
修行僧のような人

行者さん

忍や地侍、修験者が大切に祈る
役の行者さん

様々な魔法や験力を使える
祈りの人

信長に、神社仏閣に火をかけられ
焦土とかした
伊賀には今だに数百体の行者さんが
残っていると言う

伊賀赤目延寿院の先代住職も滝に打たれ
広重や国芳の版画にも残る古刹
目黒不動へ参拝

しかし15年ほど前からか
お寺が、庭屋さんと相談し
様々オブジェや新しい石像を
増やしすぎる真意はいかに?

大丈夫ですか?

本堂お裏に鎮座する大日如来さまの化身
お不動様これからも
どうか悪を成敗してください

波の撮影の前後には
必ずお参りに

近海

地球の威力は凄まじい

「光と闇」2つがないと
見えない影を

我々は忘れがちだ

ずっと昔の爆発を見ている
星と呼ぶあたかも物体を見ているつもりで
実際には物はなく
ようやく地球に届いた光を夜空に見ている

人はうつわ

人は器
人は海

人は波に似ている

一寸しかない
一瞬ではない

わずかな時
先を感じて
カメラを降りパチリ

ファインダーは見ない

少し先を読むというときな臭いが

少し先を押す

見ていたら

モデルは撮れるが

普通の人は顔を作り心が硬くなる

人はうつわ

出雲で唯一のダイビングサービス
海や山の怖さも美しさも
勇気で観てきた海の男

岡本さん

ぜひお会いしに
ダイビングショップ アクア工房 社長

海底遺跡を発見研究する
すごい方です

旅の馬

日産の逆輸入のトラック
マニュアルです

こんな車で海へ行きたい
車は馬です

僕もまたアメリカのトラックに乗ろうかな

先代の安江武士古オヤジさん
から、本当によくしていただいている
目黒通り等々力不動をこえ
玉川の突き当たり
城南ジープさん

ぜひ!
品の良い大人の四駆やベンツファ並んでいます。

www.johnanjeep.jp/

心 得

雨降られても
どうせ水の中です

水面でマスク越しに
視界が悪くなり、波が見えにくい

水温が冷える

海が荒れ始める

など気をつけないと

常に帰る事
帰れる気力と体力を温存

風邪ひいたり
具合が悪い時は
絶対に行かない

独りで沖へ泳ぐ時点で
ただでさえ
戻れる確率が低くなるから

心身脱落
全てを捨てて
全てを観る

波の中の心得

この日も怖かった

何度もおきで立ち泳ぎし
海を浄化し、大声で手を水面からだしくじ切りをし
叫んでいた

沖合300m独り太平洋
クック諸島

人間の雑味も気配がない
昔のままの海は生きて
見られていると感じた

この日の怖さは今も体のどこかに
止まって抜けない

美しさの反対は荘厳な怖さ

捨てる


もはや姿形ではない
そこに行くだけ

ファインダー一切見ない

感じた瞬間に押すだけ

だから写真家である必要がなくなった

えたい

円運動
指から体の律動を流し動く

爆発する海の中で水の圧力を逃して
ひらひらとかわす

なんていうのは無理で

水中で動けるのはほんの1m
先に波のきっさきを読んだ瞬間
にもう手と頭から突っ込む

怖いとか
思うまももったいない
ほど先に動かないと手遅れに

魚が水中で考えて泳いでないように
自然によけなことは捨てて
考えず思い我が身を手裏剣にして投げるだか

面白いほど
あの世に近い

宇宙を読む

経島 出雲
はかりしれない時間
無心で祈られた海

海と夕陽はセットです

なくてはならないもの同士が
創り上がるのが宇宙の法則と生命の潮流

人間様は余計なものばかり作り
海も宇宙を破壊

限りある時間を大切に

方丈より

プリントを特殊な和紙に行うこと2週間
35mmのフィルムを5600mmまで引き伸ばす

当然荒れますが
コンピューター処理はしません
取り込むスキャナーの精度と取り込む人の技術

印画紙を板に貼って貼る?
しかしゼラチンの表面のコーティングをしないと傷や水に耐えられない
から、薄いビニールを貼る?

結局は、京都の伝統工芸士の経師屋さんの人見祥永さんに
ご依頼をし、切ってぴったりに貼るいうが

人見さんの数十年の仕事で一番難しい仕事になるから
時間と、もし失敗したらプリントしてください
との事

印画紙は貼れないので
表面も傷がつきにくく、尚かつ水張りできる特殊な紙を探し
今回は吹き付け塗装(インクジェット)で仕上げるしか
ありませんでした。

あっという間に1ヶ月
職人さんたちが、それぞれの技術を凝縮し
茶人で武士の古田織部さんと、江戸時代の画家 曽我蕭白さんの菩提寺の100畳の瞑想場に

工房まで車で何度も運び
取り付けていただきました。

斬新な織部さんの死から
407年後

南に建つ龍神様の本堂に向かい
南の華厳経にある物語。海雲比丘という修行者の国へ
14mの蒼海の方丈が開きました

一般公開はしていないのですが
JR冬の旅で特別公開されます
来年1/7~3/初旬

またご案内いたします。

みなさまありがとうございました。

大島

筆島
毎日毎日、海岸はゴミがあつまる

1970年代田舎の海岸は綺麗だった
こんなにも、日本中の海岸が岩の数より
ペットボトルや漁具など落ちてなかった

自然に戻れない
人間の大発明プラスチックは使うまでは大事にされるが
つかい終わればその辺にポイ!

日本中、地元の人はmぅ
無関心な事実

拾いきれない
毎日拾いたくない
行政も及び腰などなど

放置されている現況
プラスチックの海という映画を見たが
根本的に世界が共通に代替え素材に変えないとですが
安く早くがモットーなズレた昨今

自分の生きている間だけよければ
いいのではないのだが

なかな奥深い問題

鎌倉の由比ヶ浜は
毎日のように鎌倉市のゴミを集める車や
係の方が歩いて拾ってくださっている
がそれでも
波が運ぶゴミは膨大

海が全滅する未来が来るのだろうか?

筆島


波を探しに東から西へ
筆島の海岸には飲める滝があるらしい

昔は堤防もなく美しい海岸でしたと

地元のおじいさん

それでも古来から息づく
この海岸の持つ気は良かった
洞窟も見え
祈りをしていた聖域じゃないかな?

波が上がるのは冬らしい

波浮


波浮港 
江戸時代に秋廣平六さんにより
石をどかしつくられた
当時は国家事業

船乗りで栄えた
旅館や遊郭の跡の細い路地
は当時の賑わいはない

岡田港が栄えた今
ひっそりと神社が海に佇む

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