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Kamakura

波は台風の影響はなぜか受けず
小さかった

午前中がよかったね〜と海の仲間

海に夕陽が反射し
美しい時間

平和な世のありがたさ

由比ヶ浜で命を終えた
源氏の侍の武道と警察のような役目だった
和田義盛さん一族を祈る

倍音

人間のいない海
原始的な力

いや
ごく自然なアミノ酸も開発もない

地球に海が生まれた頃から
宇宙と海とが、自然力だけで
自然に形成しあった黄金律

海自体が御神木

生命樹はアジアの考えでは宇宙を表す
太陽に向かい
大きく伸びた一本の木は
花が咲き、身が宿り
動物たちが集まる
1つの宇宙

インドネシアやアジアの布や絵の
木の両サイドには聖獣が描かれている

成獣は2体で1つ

日本で言えば
狛犬
1匹が あ と口を開き 
1匹は ん と口を閉じている
と言う

神社の狛犬も
ほどんどこれ

あ は始まり
ん は終わりと始まり

回転するトーラスであり
タオの世界

波も同じ
回転し
生まれては消えて
またそのエナジーが
自然界や宇宙に波動を促す

もちろん
海岸や海にいる人間様にも平等に
その波動やメッセージは届いているが

ずいぶんと怠けた我々は
昔の人に比べたら
感じ取れなくなったものだ

海へ行くたびに
新しい美しさと
新しい怖さを知る

振動し続ける海

ファイヤーキング準備

月日は流れ
2006年の初めてここで
展示の機会を頂き、もう16年

毎回、海から撮りたての新作15枚

今回は2002年~の未公開の膨大な青いフィルムから

最新の出雲の日御碕神社の海を、代々木上原でご対面

海はつながるが
海に住まれる神様が違う?
太陽や水の記憶は違います
色も様々

言葉の壁もない
海の悠久の時間

神社という可視化できる人工物がない
フィジーやクック諸島
も古来は岩や月や海に祈っていたのだから
同じです

それにしても日本はキリスト教の力
に飲まれることなく、数千年も神社を通じながら
大衆から祈りのプロまでよくも
脈々と祈りの足跡が、こうしろ!あ〜しなさい!

経典がなくとも、お賽銭や供物やお酒に真心を添え
自然に続いてきていることが
実は凄いことだな〜と思います

気になるのは昨今、本来は何人でも、本殿の端でもいいのに
本殿の前に1組づつ並ぶ
妙な間違えたルール?が横行してます

どこの神社の方も
並ぶ必要もなく
並ばなくていいんですが
どうもここ数年
こうなった
とお聞きする

水天宮や東京大神宮、伊勢や戸隠も
この感じが最近目立ちます

大声でいいんですよ
並ばなくても!

と言って拝むから
割り込みした!
とずれた白い目
にも負けず

どうも自己的な利己的な
願いごとは1組づつが効く?と
思っているのでしょうか?

神社さんにも紙に書いて
見つけたら言って欲しいものです

変です。

神とて遠い遠い先祖のようなもの
と思えば同じじゃて

恐ろしい海

祝詞を詠んだ

吸い込まれるように沖へ流れた
ワクワクして薄暗い海に一人

しかし怖いなここ
戻れるだろうか?

波は来るが岸の岩場で崩れる
困ったことにこれでは撮れない
水中は巨大な丸い石がゴロゴロ
薄く濁って海藻が揺れ動く

ここでダメなら他は撮れない

5分ほど防水カメラを握り
流されては戻り
波を探しカメラを正対に待っていると

くぐもった音で
勝手にシャッター連写し始めた

この場合は水没!

案の定みるとどこからか海水が
数センチたまりコネクターがショート

どこから入ったのだろう?

ガッカリだな〜

余計な気持ちを捨てて

取り急ぎ、カメラ本体にかからないように
ケースをレンズ側に傾け
水を一か所に溜めながら
岸へ向かうが

崩れる波が危険で戻れない

間隙をついて一気に戻ると
波に押されながら
肘で石でブレーキをかけ
戻る
ケースの位置はそのまま
片手は使えない

急いで足ヒレのまま
巨石の裏に身を潜め
崩れちる真っ白な、波濤をかわした
 
安全な場所までアヒルのように
戻ると膝から血が出ている
いわばの貝殻で切ったようだ
でも
深くはなさそうだ

太陽の輝く中

ケースを開けると
カメラは奇跡的無事だった

謎に満ちた海の時間

恐るべし

沖へ


海は盛り上がるが
波になるのはインサイド

流れがきつい

水中は少し濁っている
雨のせいか、プランクトンか

朝焼けの水面を移動して
波の入り口を探す

怖いな〜

波が近すぎて
巨石にヒットしてしまう?

考えるの面倒だから

とりあえず出るだけ
出てみる

出れそうな場所を探し
打ち付ける波のあいまに
足ひれを履いて

引き波で沖へ

聖域

人間のいない
オゾンに満ちた
海岸

潮の霧の中
波音と風音だけ

遠く大島の街の明かりが
ゆらめいている

朝4:30
3時半過ぎに起きたが
体が目覚めてない

夏は水は暖かいが
水も濁り
太陽が来る時間が格段に早い

しばらく海を
見ていた

波が来るかな?
出れるのか?

戻れるのか?

崩れては磯にとびちる
白波を目の前に

シュミレーションする


あくまでもイメージ

怖いな〜
ここ

いつきても
独特な雰囲気だ

なんだろう?

目の前には龍宮神社

古来からの祈りを聞いた海

威厳高い
聖域

見られている

誰もいない
タヒチの近く
 
さっきバイクを止めた海岸は
重力を感じ歩いていたのに

そのまま歩いて水に入ると
体が浮いて無重力で足の使い方が水平になる

陸からは頂上付近しか見えなかった
切り立った緑の山の全容がはっきり見える

もはやこれまで
の覚悟で集中力と勇気を集める

だから浮き世で怖いものなど何もない

ギリギリの中に何かがあると信じ

黙って沖で俗気を捨てていく

人生の大切なことを
宇宙は示してくれる

海は生きている
海は見ている

Fire King Cafe


Fire King Cafe 9/6 mon-10/10 sun

いよいよ準備に入ってます
徐々に写真をセレクトし
撮影も行きながら
最終的に16枚に絞り込みます

フィジーの未公開のKodak フィルム
日本の出雲を混ぜながら
色とりどり

印画紙
カナダ ライトジェットプリント

瞬時の瞑想

雨の中独り
水中も水面もどこのいても
びしょ濡れ

誰もいないはるか300沖の南太平洋
何かあれば終わり

何もないように努力と瞬時に
体を入れ替え工夫する
死なないように尽くすことの尊さを
胸で知る

雨で水中眼鏡越しの視界も
水面を打ち付け跳ね返る水で
見えにくい

波はお構いなしに
50mくらい先から
島の形に添い、包み込むように
水面を飲み込んでは
次から次へ

これほど高速の波は知らなかった
人間界の生活では

体験できないスピードの
水の塊

風の吹くスピードに似ているのかもしれない

水中に横の竜巻が起こり
クルクルと回転して岸へ向かう

水深が1.5m海底は数億年かけ作られた
珊瑚の化石

床が硬いから
波のエナジーの反発が凄いため
高速になるのだが

魚たちはどうしているやら?
こんな波の人間には厳しい
場で、食事をしながら1日中泳ぐ
体力はどこから来るやら

よ〜くみると魚を波に向かい
波の下を潜っている
巻かれている魚は1匹もいない

気持ちよさそうに
恐怖もなく泳いでいる

誰もいない透明な海で
音も遮られ
人間様は小せ〜な〜
と人間界のことなど
どうでも良くなります

怖いが消えない
自分の中で生成されていると知りつつも
溢れ出る(心臓から)怖さが消せない

何かがいて見ている
なんだか
帰らないとまづい気がした
引き潮になると戻れないかも?

お感覚的な思考が巡り
胸がソワソワ

海は道場です
今思いましたが

瞑想体験を瞬時にし
その感覚が夜に夢に現れてきます

瞑想はじっと座ってます
僕は苦手だから
動いて動いて
瞑想の感覚や扉を持ち帰り

寝ながら開く?

陰と陽
タオ

何かもう少し
この日に体験した
体内かどこかに染み込んだが
気づいてない感覚が
現れることを楽しみに

寝ます!

人はうつわ

この人は村の頭の一人

偶然同じ日蓮宗の学校を出た
(僕も先輩もサラブレッドなお坊さんではなく、行き場がなく入れてくれたパターン)

今だに街で職務質問はやめてくれ〜
と笑う 職人

この数年祭もなく神様のご挨拶と感謝は
ひっそりと

普段の祭りの時には
神輿の鼻で周囲を目くばせし
事故や輩をはじき出す

村人は武術、精神を鍛え
日々自己を錬磨する、伊賀の地侍や忍者
修行僧のような人

行者さん

忍や地侍、修験者が大切に祈る
役の行者さん

様々な魔法や験力を使える
祈りの人

信長に、神社仏閣に火をかけられ
焦土とかした
伊賀には今だに数百体の行者さんが
残っていると言う

伊賀赤目延寿院の先代住職も滝に打たれ
広重や国芳の版画にも残る古刹
目黒不動へ参拝

しかし15年ほど前からか
お寺が、庭屋さんと相談し
様々オブジェや新しい石像を
増やしすぎる真意はいかに?

大丈夫ですか?

本堂お裏に鎮座する大日如来さまの化身
お不動様これからも
どうか悪を成敗してください

波の撮影の前後には
必ずお参りに

近海

地球の威力は凄まじい

「光と闇」2つがないと
見えない影を

我々は忘れがちだ

ずっと昔の爆発を見ている
星と呼ぶあたかも物体を見ているつもりで
実際には物はなく
ようやく地球に届いた光を夜空に見ている

人はうつわ

人は器
人は海

人は波に似ている

一寸しかない
一瞬ではない

わずかな時
先を感じて
カメラを降りパチリ

ファインダーは見ない

少し先を読むというときな臭いが

少し先を押す

見ていたら

モデルは撮れるが

普通の人は顔を作り心が硬くなる

人はうつわ

出雲で唯一のダイビングサービス
海や山の怖さも美しさも
勇気で観てきた海の男

岡本さん

ぜひお会いしに
ダイビングショップ アクア工房 社長

海底遺跡を発見研究する
すごい方です

旅の馬

日産の逆輸入のトラック
マニュアルです

こんな車で海へ行きたい
車は馬です

僕もまたアメリカのトラックに乗ろうかな

先代の安江武士古オヤジさん
から、本当によくしていただいている
目黒通り等々力不動をこえ
玉川の突き当たり
城南ジープさん

ぜひ!
品の良い大人の四駆やベンツファ並んでいます。

www.johnanjeep.jp/

心 得

雨降られても
どうせ水の中です

水面でマスク越しに
視界が悪くなり、波が見えにくい

水温が冷える

海が荒れ始める

など気をつけないと

常に帰る事
帰れる気力と体力を温存

風邪ひいたり
具合が悪い時は
絶対に行かない

独りで沖へ泳ぐ時点で
ただでさえ
戻れる確率が低くなるから

心身脱落
全てを捨てて
全てを観る

波の中の心得

この日も怖かった

何度もおきで立ち泳ぎし
海を浄化し、大声で手を水面からだしくじ切りをし
叫んでいた

沖合300m独り太平洋
クック諸島

人間の雑味も気配がない
昔のままの海は生きて
見られていると感じた

この日の怖さは今も体のどこかに
止まって抜けない

美しさの反対は荘厳な怖さ

捨てる


もはや姿形ではない
そこに行くだけ

ファインダー一切見ない

感じた瞬間に押すだけ

だから写真家である必要がなくなった

えたい

円運動
指から体の律動を流し動く

爆発する海の中で水の圧力を逃して
ひらひらとかわす

なんていうのは無理で

水中で動けるのはほんの1m
先に波のきっさきを読んだ瞬間
にもう手と頭から突っ込む

怖いとか
思うまももったいない
ほど先に動かないと手遅れに

魚が水中で考えて泳いでないように
自然によけなことは捨てて
考えず思い我が身を手裏剣にして投げるだか

面白いほど
あの世に近い

宇宙を読む

経島 出雲
はかりしれない時間
無心で祈られた海

海と夕陽はセットです

なくてはならないもの同士が
創り上がるのが宇宙の法則と生命の潮流

人間様は余計なものばかり作り
海も宇宙を破壊

限りある時間を大切に

方丈より

プリントを特殊な和紙に行うこと2週間
35mmのフィルムを5600mmまで引き伸ばす

当然荒れますが
コンピューター処理はしません
取り込むスキャナーの精度と取り込む人の技術

印画紙を板に貼って貼る?
しかしゼラチンの表面のコーティングをしないと傷や水に耐えられない
から、薄いビニールを貼る?

結局は、京都の伝統工芸士の経師屋さんの人見祥永さんに
ご依頼をし、切ってぴったりに貼るいうが

人見さんの数十年の仕事で一番難しい仕事になるから
時間と、もし失敗したらプリントしてください
との事

印画紙は貼れないので
表面も傷がつきにくく、尚かつ水張りできる特殊な紙を探し
今回は吹き付け塗装(インクジェット)で仕上げるしか
ありませんでした。

あっという間に1ヶ月
職人さんたちが、それぞれの技術を凝縮し
茶人で武士の古田織部さんと、江戸時代の画家 曽我蕭白さんの菩提寺の100畳の瞑想場に

工房まで車で何度も運び
取り付けていただきました。

斬新な織部さんの死から
407年後

南に建つ龍神様の本堂に向かい
南の華厳経にある物語。海雲比丘という修行者の国へ
14mの蒼海の方丈が開きました

一般公開はしていないのですが
JR冬の旅で特別公開されます
来年1/7~3/初旬

またご案内いたします。

みなさまありがとうございました。

大島

筆島
毎日毎日、海岸はゴミがあつまる

1970年代田舎の海岸は綺麗だった
こんなにも、日本中の海岸が岩の数より
ペットボトルや漁具など落ちてなかった

自然に戻れない
人間の大発明プラスチックは使うまでは大事にされるが
つかい終わればその辺にポイ!

日本中、地元の人はmぅ
無関心な事実

拾いきれない
毎日拾いたくない
行政も及び腰などなど

放置されている現況
プラスチックの海という映画を見たが
根本的に世界が共通に代替え素材に変えないとですが
安く早くがモットーなズレた昨今

自分の生きている間だけよければ
いいのではないのだが

なかな奥深い問題

鎌倉の由比ヶ浜は
毎日のように鎌倉市のゴミを集める車や
係の方が歩いて拾ってくださっている
がそれでも
波が運ぶゴミは膨大

海が全滅する未来が来るのだろうか?

筆島


波を探しに東から西へ
筆島の海岸には飲める滝があるらしい

昔は堤防もなく美しい海岸でしたと

地元のおじいさん

それでも古来から息づく
この海岸の持つ気は良かった
洞窟も見え
祈りをしていた聖域じゃないかな?

波が上がるのは冬らしい

波浮


波浮港 
江戸時代に秋廣平六さんにより
石をどかしつくられた
当時は国家事業

船乗りで栄えた
旅館や遊郭の跡の細い路地
は当時の賑わいはない

岡田港が栄えた今
ひっそりと神社が海に佇む

流れる

大島

波浮比咩命神社は事代主さんの奥様(奥さんは100人とも)
出雲と島根美保神社事代主さんへ先日参拝の流れのまま
この地と出雲を結ばせていただく

そもそもは伊賀忍の供養に行くと
滝である修験者にあった

その修験者の宿、古民家ささゆり庵に
出張で腕を奮っていた
奈良の割烹 万惣長田さんに会う
数年後お店に食べにお邪魔すると
イタリアに数十年前に修行した牛尾シェフ

そしてミラノの展示2019年2月11

牛尾シェフの一言
(今は京都アートモンゼンホテル料理長)
すごいシェフがいますから
お時間があれば会ってみては?

そして
お店に帰国前2日間通い
食べた味と人柄に感動した
オーナーシェフ松本ヒデさん

そんなヒデさんがイタリアのお店をコロナでやむなく
閉め、日本でお店を開く前に
長野八ヶ岳高原ロッジで期間限定のレストランを開くから
展示しませんか?と

展示に誘っていただいた

その時に来ていたスタッフが
人形町でイタリアンレストランを開く
事代堂さん

まさか?
事代主さんと関係があるんですか?

はい実は子孫になります

神様の子供はやはりいらっしゃるんだな〜

数日後
事代堂さんが2階の展示場へ
見るからにイギリス風のご紳士を連れてこられた

ご縁ですから写真集を記念にいただきましょう

そのかたは大島の港を作り、神社を建て直した
秋廣平六さんのご子孫の
九段で弁護士事務所をまとめる大先生

先生に後日、いろいろな話しをかね
お会いしに行くと

急にあなたに
大島や伊豆七島を
撮って欲しい

大島へ行きませんか?

その場で飛行機を予約され
不思議な流れで、神社と平六さんの墓参へ

島中をご案内くださり
子供の頃泳いだ海
住んでいた村の話しなどと

泳げそうな海を探した

冬はここに決めた。

気が良かった

古代の祈りばかな?

先生
子供の頃よくとび込んだな〜

でもサメいるよたまに

大自然ですからね

人は器

出雲日御碕神社前、海底遺跡のけ経島
ダイビングツアー会社
アクア工房 岡本さん

夕陽神事の海底遺跡を発見研究する
海の男

18の時にバイクでこの島を見て
まだ松林の残る独特な空気が胸に

やがて時は流れ
出雲で仕事をするうちに
出雲や島根をフリーダイブしながらキャンプをした

とある縁で、土産ものやだったこの地で
ダイビング会社を20数年前に開き
潜ると、何やら人工的な遺跡を見つける

そんな岡本さんは
スキーで同じ大腿骨を折る
骨友

船を操り
海を知り尽くしても
謙虚に知ろうとする姿は

マウイの、サーファークリバンダーボートが行っていた
海を愛しみ、リスペクトできる人は
ウォーターマンというんだと思う
と話していいたのを思い出す

あれは2003年の12月マウイの西の聖地、ホノルアベイのあの日

海の男たちにたくさんの夢とギフトを手渡された

海の男の話し

同時進行

出雲の海は、天照の夕陽神事は出雲族
伊賀の山は 陰陽師と役の行者と赤目不動を尊び 天台法華経を背負い全国に納経した、赤目滝参りの衆=伊賀忍と地侍

歴史と多様性の祈りが染み込んだ日本

水中か空中か

魚か人か
どちらも住めない

水だけは行き来できる

H2oだから同じ

宇宙につながる雲は海の水
海の中の雲は空気

海を大切にしないと
大地は死ぬ
大地も同じ海が死ぬ

このバランスがこれ以上崩れたら
地球も住めなくなるのだが

なかなかどうして
なってみないわからない

思いを通し続ける

いかなければ何も写らない
ゼロ!

行けば写るかもしれない
写らなくてもういい
やるだけやったのだから

海はそこに少し命がかかるが

「かもしれない」に
自分を乗せること
流すこと

ネット社会で
人間界は結果を先に知りたがる
スイッチオフして空を見上げ
海を眺め

体験こそが尊い結果

結果は1つでもない
結果に結果が重なるうち
いいことが起こる

気持ち強く
古武道を通じ
神仏を尊ぶ
先祖を尊ぶ

自然界に感謝し
体から入ること

以上
 

1つにかける

出雲中、島根中800キロ探したが
波は諦めた

この場の持つ雰囲気にかけた

梅雨の隙間
太陽と海が荒れるタイミングに
磯で泳いだ

独り少し怖い神秘的な場

祈り
御神酒を注ぎ
ゴミ拾い

経島 

ウミネコが舞う
天然記念物 の経島

物語というよりも
表面的な形や存在につけられた
賞のようなの

本筋なら
世界遺産とか物語を大事に汲み取って欲しいが
勾玉や、土偶矢皿とか何か神事に使う
連想させる物が出ないとダメらしい

ウミネコもこの島と隣の島以外には
巣は作らない
蛇?の外敵から守るためか?
見えない磁場を感じるのか?

それでも一日中、陣地の取り合いで
喧嘩している感もある

こんな海一望の良い気の、安全な島
心が和まないのかな?
鳥はそんな心をもたないのか?

この島の下は空洞で古来からの祈りば
夕陽神事の場だった

沈下したのだが
岸から数十メートルの近場で
潜れる神殿の跡など世界を探してもないだろう

潜るとその左右に伸びる回廊や
沖縄の御嶽のような洞窟もある

古来の人々(出雲族か)
が太陽の女神 天照とその父スサノオを
祈っていた理由は
ここに来ればわかる

独特な静かな聖域(美しく、神々しい)

人間にわかりやすい
モニュメントな社もないが

海に沈んだだけで
悠久の場の持つ力のようなものは
今だに存在する

見えないもの
見えない時間をを
大切に祈れるのが日本人

目の前に海底遺跡を発見した
アクア工房、岡本さんのダイビングツアー会社もあり
レンタルやライセンスの講習もされてます

ぜひ!

禅の方丈

京都 臨済宗 興聖寺の方丈と織部の茶室を
6・12日に限定人数ですが
特別公開します。

拝観、お布施 2000円

家康にうとまれ、切腹させられ
文句1つ言わなかった、大名で茶人織部さん,と息子さんご命日6/11.13
ここが60歳の時に天海と建立した菩提寺

そんな武人で茶人で美意識を遊んだデザイナー
古田織部さんの菩提寺に
青波の襖14mがあります。

ここは織部さんご家族、江戸時代の画家 曽我蕭白さんが
眠る安住の地

407年後織部さんが斬新だったように
海の襖絵がここ京都に奉納させていただけたのも
不思議なご縁です。

フィルム撮影したポジを6mに引き伸ばし

若冲などの掛け軸を直す職人
漆や螺鈿細工など伝統工芸で
NHK大賞を取った人見祥永先生に貼っていただく

そんなことあるんだ〜と感激。

そんなわけで
京都にいますぜひぜひ
ふらりと起こしください

一般公開はしていません

100畳の座禅瞑想の祈り場です

白隠さん、一休さん、達磨さん
皆さん修行された方々と織部さん溶け合う
世界でここだけの空間は

瞑想すると
皆さん不思議な体験をされています。

斬新な芸術家のふる里へ

1枚から

写真1枚が次々と
自分を新たな世界や勇気に向け
背中を押すものだとようやく気づいた

写真は人生を教えてくれます
写真は生きているものです

コダックのVSという低感度のビビッドなフィルムが生産中止になり
コダックは元々軍需産業だから、フィルム事業はやめてもなんでもない
だから、2011年からデジタルにせざるえなくなった

1枚撮って海岸から上がり、すぐ見れて
フィルムより、早い時間で胸が揺さぶられていく
だけどフィルムで散々苦労したから
あれを経験してるのと、してないのでは
写真が違うと思う
余計な楽で余計な安易
余計な写真を余計に押す

ファインダーは見ないで、感覚で押すから
そもそも、何が写ったかわからないんですが
海外の海から現像するまでの数週間後

ライトボックスに光るスリーブを見るのが
ドキドキ楽しみだった

待つこと

昔は青い波に心を押されていったのだけど

今は、もはや波という姿でなく
太陽を水から撮る人なんだから

凝り固まったものが、どこかへ抜けた

そもそも波という物はなく
無い物を写し
観ていた
とある日気づくのですが

無い物
ある物をない場所から
見えやすい形に代わりに表す

人は視覚的に見て押す
対象物が存在して
目で見て、ファインダー見て、考えて押すため
遅い

海の中は普通の撮り方では押せません
自己の思いや念や、思惑は持ち込まない
写真は鋭い瞬間的な行為だと信ずる

あるチャンネルというか
時間のズレにある物を残すのが写真の怖さ

1つの空間というか水間にある階層
の人間には見えない瞬間のズレ
そには水と光だけが入り込める

影の話は朝までかかりそうですから
今はしませんが

祈り
その場や
そこを大事にし
何かを尊び生きた、違うのは時間だけで
ここに同じくいた
昔の人々や神様
その声を聞いていた、海の水や岩

そんな場の持つ力
証人として見聞きしているのは石と水

写真を撮ることと同時シンクロが
光が滞った場や侍や忍たちの供養
神様の丁稚というか指令?
に素直に動くよう心を傾けています

独自の世界観とこの1枚は成り立っています
関係ないようですが
押す人の生き方や生き様も世界観も1枚に多少なりと残ります
が、誤解してはいけないのが、人間界の思念の構図を入れない

祈りと供養って
決して宗教ではないんです
宗教は誰かの(どっかの人間とか絶対な神デウスとか)言ったこと
やったことを、真似したり強制され、誘導され。

新興宗教だと、ひつこく勧誘され、さらっと新聞送りつけられたり、小さな頃から洗脳したり
弱みにつけ込まれたりして

あれらは手段だと思うんです
勝手にやればいい

それぞれ比叡山で、勉強して、修行して考え抜いて
いろいろ参考にして、揉んで、練り上げたその宗教者の世界観
それはそれですごいんですが

じゃ
万人にすっとナチュラルに溶けあう、薬じゃないんです
やはり宇宙と海の自然治癒力にはかなえない

人の教えは定期的に飲まされたり、飲まないといけない感じになる
「自然」天然とかネイチャーではない
自然は不自然な造られた言語ですから、個人的には自然は人間様の型枠に感じます

薬も一時的にケミカルな抗生物質でバイキン殺すことはあっても
ずっとではいけないんです。
体は弱っちゃいます
毒を毒で制するだけです

健康がないと

自然界の見えない魂の呼吸を、身をもって感じ取る力

誰かのためとか
そんな、壮大なことではなく
昔の方々は日本も100人に一人は行者でしたから
祈りの道の霊道というか浄められた神様の行き来する道が
張り巡らされていたんだと思います

そんな数千年続いた、信仰心が明治政府の作戦で
ずいぶんと無理やり絶滅させられたのが今の日本

ある方もこう言ってました
神様とは例えば遠い遠い先祖が神様のようなものです

例えば
自分が死んで500年後に見ず知らずの人が来て
自分が泳いでいた場所やお墓に来て
供物置いて、手を合わせてくれたら
それだけで嬉しいわけです

気持ちなんですね
祈りって、どんな格好でもいいんです
役の行者が白装束着てませんし、木の葉の衣装らしい

念仏唱えればそれが全てを救う妙薬で
他力本願でいいとか
そんなわけないです

独りで旅して悟って
自分さえ良くなればいいのでなく
人救わないといけないとか

それは全く別なことですから
まづは自分
他人は次回です

ライフガードも鍛えないと自分が死にます
他人どこではないです

誰かかから、誰かに伝えると最後の100人目は
違うこと言うように
教科書的に言ったことを伝えていくのは所詮無理なんです

海は冷たい
怖い、暖かい
魚の色綺麗とか
あおい、雨や台風で濁るとか
美しい夕日だなとか
鳥が雨上がりの森で鳴いてるなとか
いいな〜
怖いな〜って
雑味がない陰陽
光と影です

純粋って言葉以上にピュアなんです

人間様の思惑や意志が介在できないのが
宇宙の黄金律で生まれたネイチャーですから
1年、100年経っても感じ方や
香りや水の硬さや柔らかさは
同じなんです

天然の鮎の塩焼きは
やっぱり養殖とは別で
100年後も同じ味なんです
苔の香りがして、臭みがなくて
脂にクセがなくて
海に行って旅して川に戻り清流で苔を食べる
そんなこと数億年やってるから、鮎も修行者です。
だから食べる分だけ捕まえ
命をいただきます
です

やはり自分で
胸で理解し、怖さや美しさは目の当たりにし
体験を積まないとスッキリしない
だから修験という

体験を修めていく

学校は養殖場ですから
粒揃いに言うこと聞く大人は作れますが
いざと言うときには心配です

子供達にやはり海や川や魚を存分に好きになってもらう日本が必要
雨降ったら、バックから安い折りたたみ傘出して
風で壊れてゴミになる

いいんです濡れて
自由自在、臨機応変
宇宙の状況に合わせ変げしないと
地球の環境ではなくこれからは
宇宙の環境をかんなみないと
既に宇宙は衛星のゴミ捨て場らしいですが

地球も大事にできない人が
宇宙を征服しようなんて、マゼランやクックやルイスフロイトと同じ

修験が唯一無二とは言いませんが
自然界を大切にしますし
そこでの体験で、迷いや怖さや乗り越えていく部分は
現代の中では一番鋭く早く体得できる手段と物語だと感じます
最もその過程や、宗派により多少仏教的要素も溶け込んでますが
基本は頭でないんです

金峯山寺の行者さんに会う機会がありますが
本当に皆さんすごい、気合と奉仕の祈りを地球と宇宙へ捧げてます

自分がスッキリ
ふに落ちた生き方すれば
みんな助け合い、心に余裕ができて譲り合います
生きがいのある今に生きてないと
自信も失って
自分の迷路で迷う

正心をつくる
忍術書にもまづは、正心がなければ全てはないと
そこだと書いてあります

プールで早く泳ぐことなんか
選手になるなら別だけど、海では危険でしかない
子供の頃、よくわからない序列と順位社会が本当に嫌いだった
競争させる 勉強も記憶術の大会

学校のブランド力を高める必要最低限の維持するための商売の部分と
子供たちに夢をのバランスが微妙

某環境保護団体と同じで
クーラきいた都会の家賃の高いオフィスが入りますか?
と同じ。

その場や海に敬意を通し義理を通し
惹かれ感じあい、結果ご褒美に心が1枚の写真でゆさぶられる

だからまた、感謝ってきな臭いけど
ありがうとございました
またよろしくです
のループです

人々の未だ残る憶いでを(怨念でも地縛霊でもないです 笑)
大切に整え維持する,共有して次世代へ手渡すイメージ
雑味を加えないこと、食べ物や水や日本酒の供物は大切

神界の指令やら、神様の代わりに動くとか
人間界の言葉だとそこで、祈りとか供養とか
シャーマンとかプロの宮司とかおぼう様とか役目の方がいまして
日本はある意味、祈りのプロの館が
ひしめき合ってる
交番より多い

世界中行ったけど
こんなに綺麗大切にみんなで維持して
神様や仏さんや狐さんや龍神さんや石や木を
数千年レベルで人から人へ大事に守ってる国はない

神社や寺は通信施設の役目
石でも巨大な珊瑚でも木でもいいですが

あーいった荘厳な家があると感情移入しやすいですから
それは大事です

水族館(ネーミングは過激で異常だけど)
あれは海や自然の階段の1段目かもしれない

現実はすごくて
薬撒かれて、失神して弱ったところを網で救われて
酸素つめた狭いビニールで何時間もかけ送られてくる
もちろん到着したら袋のなかで死んでいるのもいる(死着)
ストレスや薬の後遺症や傷

彼らは2度と海に戻れない
家族とバラバラ。
でも狭い水槽で生きていくしかない
島流しより牢屋に近い
イルカはそうした感情があるから噴気孔閉めて自殺すると
確か、イルカの知性を研究していたジョンリリーが書いていた

お釈迦さんは魂も霊魂もないと言ってたようですが
僕は何かはあると思います
言葉にすると誤解とズレを生む何か

思い出とか、その時の想いは
もう1つの周波数の違うというか
パラレルワールド?に記録されてる
そこにアクセスし元に整え
若干の修正はできるかともいます
デジャブがよくあります
あれ?こここのシーン鮮明に夢で見たとか
多い

侍というと
品行方正な武士をイメージしますが
実は士農工商でないですが、威張り、騙し合い、親兄弟も殺し合い
基本領土の取り合いや、利権や神社の奪い合いをしていたようです

今の人より物がない中で
宇宙と呼応し生き、国土の寒さ怖さ強さを今より
厳しい環境で生活し
草鞋の痛さを知理、車も電車もない途方もない距離を
歩いたり修験もし

茶道や坐禅や武勇を練磨したのに
歴史的に今の我々には考えられない特殊な生き方だったんでしょう
利久さんは豊臣
織部さんも家康の嫉妬や恐れで切腹へ
ひどい話です

襖を修めさせていただいた京都の興聖寺には織部さんのお墓があります
僕も今週末は御供養に行きます
どうぞ、その時なら襖絵や織部三畳の茶室もお見せできます

5/7 五男重久 大阪城の戦いで討死
6/11 織部さん72歳と長男 重嗣37歳
6/13 次男 重尚35歳と 三男 重広 28歳
6/24 四男 重行 27歳興聖寺のお墓の前で切腹

お母さんの仙さんは仏門に入り
理不尽な日本にさ様々な思いを胸に
息子たちを祈り続けていたそうです

没後407年後に斬新な織部さんの場へ
青い波の襖がおさまったのもご縁と何かあるんでしょうね

拝むと祈るは何が違うのか?
 
祈る方が自己のことや現生利益ではない
純粋で手裏剣のような厳しい感じがします
中途半端だとやられてしまいますし
拝むって想念や思惑やこうしたい!が強い気がします

神頼みってやつです

小野田寛郎さんは僕は尊敬してます
南の島で、ずっと戦い戦友がどんどん殺されていき
最後は独りでジャングルで
よく健康を維持して、頑張っていたな〜と

精神力をあれだけ維持してきちっと保っていたのは
南の島で寝るときは斜面に寝ていて、あり細くかじられたとか
電池は磁力で放電しないように、頭と尻に漏って大事にしたとか

神仏は信じるが頼らないと言っておられました

投稿のビラを巻いても、戦争が終わったことを伝えに家族も行っても
姿を表さなかった
小野田さんに日本が負けたことを伝え
帰国させたのは、一人テントを張り小野田さんに会いに行き
小野田さんが見つけ不審がりながらも夕陽を背にちかずき
テントに泊まって話した奇跡を起こし
最後は山へ雪男を探しに行き
亡くなってしまった鈴木青年です

その時もマグネシウムのストロボとフィルムでとった1枚の写真が
日本を驚かせました

カメラって何でしょう
師匠は所詮道具よ、
お前さんカメラにとられるんじゃないぞ!

とよく言っていた
本当そうだそうだ!と
自分で言葉にできなかったけどしっくりした

昔は車と一緒で舐め回すように
観てうっとり
鉄でできていて、シャッタ押すとチーンと響く
35mmのCanonNew F1が大好きで
何台もありました

今やプラスチックで数年毎に
メーカーは車と同じく今世紀最高!のでき!と
ワインのようなこと言い放ち
僕らはその犠牲になり買い替えてます

本当はもっといいカメラ作れるのに
ちょっとだししてきます
正直カメラ自体の機能は単純なため

違うのは多分が画素だけ。
あとはそれだけじゃまづいから程度
形もスペック的は何も変えようがないから

そんな愛着湧かないハイブリッドカーのような
デジタルカメラは電気製品です

だからか
俺は明日から
写真家はやめるぜ!
と1999年に写真の師匠 柏原のオヤジは笑いながら
決断の目で言った
あれは斬新だった

1枚がすぐみれ
次の撮影の技術的青写真がイメージしやすくなり
露出やシャッタスピードを組み合わせやすくなった
失敗が減った

酢酸臭い服に穴が開く現像液の薬品や銀も流さなくてすんだ

比例して緊張感がなくなり、単価が安くなり
まとめてちょーだいとか
昔じゃ殴られる、クライアントの暴言も普通になった

プロの腕の見せ所が見せにくくなった。

1枚の価値が落ちた

スタジオでも
あと何枚撮れるかな?と本当に撮れたかな〜
お客さんに分からないように
±2段ずつ押しておこうとか
特にストロボ撮影は怖かった

心臓が強くなった
小さなポラロイドで確認したり、メーターで測ったり
専門的に覚えることも多く、道具も高かったから
カメラマンとしての職人的要素があった

半ば強制的に「これでいいですね!」と小さなポラロイド
お客様に見せたり
して空気で押したり

だけど常に残りの枚数を気にしながら撮るのは、
1枚押す指と心もちがデジタルより大切に
していた

詰め替えるフィルムの本数やポケットに入れた
パトローネ(プラスチックの入れ物)を確認し
撮った物を落としてないだろうな?〜気をつけていたのが
懐かしい
旅の取材なんか落としたら大問題だから怖かった
海外だと税関のX線でフィルムが感光し真っ白にぶっ飛ぶ迷信があって
みんな鉛の袋に詰めていた
あれに入れると中身が映らないとか
挑みたけど輪郭は写ってたけど
中身がなんだかわからなかったし
フィルムだから。X線なしでいいよねと
自分で持ち込んでた

誰かがアルマイトの弁当箱もうつらないとか
セキュリティーが甘かったから

話は戻るとフィルムは
海の場合はいちいち 泳いで陸地まで戻り(20ぷんくらい)
車か宿か岩の隙間や砂に埋めて隠していたフィルムを詰め替えに
泳いで歩いた(とはいえ撮るのも、せいぜい3本で5時間泳いでた)

そんな、当たり前の行動が要らなくなり、そのまま波に集中でき
いつ消えるか読めない波や
枚数が500枚とか撮れるからチャンスが増えた
本当に
信じられないこと

戻るのが当たり前で
たまにフィルムを入れ忘れたり
うまくカメラの中の巻き取りの歯車に噛んでなかったり
びっくりとがっかりが凄かった。

でも自分が悪いわけだし
焦った自分が悪いんだから
忘れて前に

いい憶いでです
3回やらかしました

パイプラインの横で水中ケースが曇り
立ち泳ぎして蓋を少し開けたら
海水を被り海で白煙吹いて
新品のカメラは燃えたこともあります

写真やではないと思ってます
水中写真家とか紹介されてたけど
あれは間違えだった
帰省の言葉や文脈に合わせていた
全っくいけない

箇条書きしたら
海、祈り、供養、ネイチャーへの溶け合い
過去のネイティブ的な感覚の呼び醒まし

だから海伏と言ってます
海武士だと瀬戸内あたりの海賊になっちゃいますし

グダグダ書きましたが

また
頑張ります

伊豆大島へ挑戦!

波探し

島根小波海岸

テトラポットが風景も壊してますが
場の雰囲気のいい海岸で
しばらく眺めていました

西へ向いて開けた湾
で、強い西風でこの日は水は濁ってました

こんなところまで浸食

デウス=天帝=絶対神

恐るべし
ポルトガルのザビエル

海を見ていれば
全てが教えてくれるのに

デウスはキリストの絶対神

日本風だと天帝らしい
絶対神は日本にはいないですからね

戦訓

6/5ミッドウェー海戦で空母飛竜艦長の山口多聞さんはじめ
多くのアメリカの若者たちも
故国に戻れなかった日

江田島の海軍兵学校には、その時の形見の戦闘帽と
特攻隊約3000名へのお香が絶やされないように
されていた

同時に行われた(牽制の意味で)
ダッチハーバーに不時着失敗したほぼ無傷の(草原に見えた場所は実際は湿地帯だった)
足が引っかかり横転した、ほぼ無傷の零戦をアメリカは徹底検証し
自分たちの戦闘機と分析し対抗できる飛行機と戦法をつくった

先を見た、謙虚な研究

訓練を重ねる
焦らない心
自己の力を正直にみる
柔軟な対応
2兎は追わない
徹底的にやる
合理的な判断
冷静な正気な状況判断

あとは運

波へ独り行く時と同じ戦訓のようなもの

誰かと行っていたら
判断が鈍り
死んだかもしれない

だから常に一人で波へ行く

ありがたいことに、今年で17年目?
9/6から10/11に開催する
ファイヤーキングカフェの展示

オーナー阿部さんのおじいさんは空母信濃の艦長で(熊野灘で艦と運命を共に 享年48歳)
ミッドウェーでは、尊敬する山口さんと加来艦長と月見でもするか
と残った空母に、介錯の魚雷を放った,当時は駆逐艦の艦長
 
日本軍は陛下の艦として、責任を取り生きていても
艦と運命を共にする慣し

せっかくの経験も人材も全て失うが
阿部俊雄さんも、常々奥さんに、部下が死んでしまったら腹を切らねば

毎回の話に奥さんも「そんなに何回もお腹を切ったら、お腹がたりませんね」と
代々木上原のご自宅でお話ししていたと
お聞きした。
山口さんと同じ武士道

アメリカはその逆で生きてまた戦う
おおらかで合理的だった

1999年頃 お世話になった写真の師匠 柏原誠と深い交流のあった
戦争写真家で、水俣を写したユージンスミス

ユージンはいいオヤジだった〜
が口癖
彼の現象をずっとやっていたという

そんなユージンも砲弾で怪我をする

サイパンや沖縄戦で傷つくお母さんと子供たちを
涙しながら撮影した
戦争の無意味さに
この戦争や野郎ども!

撮影したフィルムの
そのほどんどは軍に焼かれたと

ドキュメンタリーを写しに行くが
プロパガンダ写真を撮らされていた訳だ

怪我が癒え
自分の子供達の後ろ姿を
セントラルパークの森で写した写真で
再び脚光を浴び
人を撮り始めたという

どこかで当然
写真は嘘はつけず
ドキュメンタリーであると
知っていたユージン

そんな師匠たちの思いを胸に
海のドキュメンタリーでいかなきゃ
と泳いだのは2001年のオーストラリア

わざと命をかけれる、平和に感謝し
彼らを忘れないこと

右とか左ではない
誰もが感じる真ん中です

組写真の部

津上神社の瀬織津彦、瀬織津姫様

美しかった海岸線はもう戻れないことを見ている

しかしこの漁村の人の暮らしや船はを
守る意味で、防波堤デザイナーにより
固められていくのを見ている

先生の目線は山の神様へ
もうちょっといい写真を撮ってあげてください!
 
密漁は行けませんが
そもそも海のもは誰のものでもありません。

稚貝を撒いた?
貝殻に番号をお願いしたい

海で生き物を捕まえ
食べることで
海の怖さや楽しみの恵みと味を知り
海を大切に守る大人に成長します

じゃ何百匹もつる
釣りはいんですか?

なぜモリと素潜りはダメか?

フィジーの村のオバちゃんの刺し網でも
ボンベの潜水漁や観賞魚のシアン化合物や洗剤を
サンゴ礁に巻いて浮いた魚をとるのでもないのだから

最も大量に取り
船の下にフックを作り
網をひっかけ隠す密漁者もいますから

仕方ないのやら

虎やさいの角をとるんじゃないのだから

神様、防波堤、、プラゴミ、密漁者
色々おありですが
お願いします。

もはや地球は、磯に絡み合った海に溶けない釣り糸のように
ひっちゃけめっちゃか!

地球人ではどうにもできません
宇宙人か神様のお力しかないと思います。

溶け合わないもの

島根原発
順調に着々と拡張工事中

ありがたい電気

中国電力といえば
多大な恩恵の仕事や原発交付金を、近くに漁村に
お振り込みし。
反対派神社の宮司まで入れ替え
カンムリウミスズメや白イルカの住む
山口県上関の原発建設予定地で大揉め

そこでで行った
漁労長へやおさへのお金にまつわる相談や様々な仕事
道の駅には3億円

上関の自然を守る会の方々と
今ではパタゴニアも反対運動に参加

稲佐の浜
防波堤と現代アート

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