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とうとうと

身をもって
この体を海に浸し
足をつけ
温度や流れを感じること

やがて1つの真理を知る

神や仏はひとまづさて置き

宇宙の儚さを知ること
神羅万象の無限な風を知ること

するとやがて
正しい道に自然に則していく

己がどんなの小さな石ころか胸でしる

未来の子供たちが綺麗な
海や川で遊べる様に願う

木製の日本

日本の神社の前の海

人の作った写真機でしか見れない1瞬の姿
波動の動きを高速で止めたわけだ
 
古来の人々は今の人間より
感受性、信頼性、強い真っ直ぐな道理、自然界の美と怖さの理解

数えたらキリがないというよりは
今の我々には到底知り得ない感覚と生きていたであろう

日本の波を旅をする理由は
神様が立ち寄る銘スポットが点在しているに
他ならない

妙な雰囲気がある
囲まれた景色が
普段住む水槽の中と違い
昔からのままだからいいと感じているのかもしれないが

神社は別荘で交信場であろうが
どうしても人の色が積み重なっている

人々は色々なものを置いていく

現生利益をする場所に変わった神社、各神社の特異な性能や効能
もあるからで、これは神社を維持するための方便で手段

国土と呼んでいた自然に包まれ
その風景としてそこにある物を超えた

ある有機的な感覚と美意識があり
神がそこに降り立ち、仏は輸入されながらも

この宇宙の地球じまの日本島には必要だったから
神様も、多様な仏たちや僧侶を受け入れ、育ててきたのだと思う

寛容

例えば本地垂迹と言って
仏=神 

牛頭天王は素戔嗚とか
少々荒っぽい解釈を作ったわけだが

それも何か
時はやがてくる乱世の世を乗り越える人という修行の者に
与えられたきっかけかもしれない
末法という思想を生むわけだ

日本は武家から庶民へと美術、芸術と呼ばれていない頃の美術=美意識=道 が生まれ
刀、器や茶道、浮世絵や様々が花を咲かせた

その道に精進し
時間と根気、揺るがぬ信念へ胸と動き
魂が宿るという、アミニズムの根底の力を持つ彼らがいて

世界に類を見ない様々な頂きへ向かう、鮮やかな道が幾重にも交錯し月へ向かった

海を通じ
海や山へ自然に祈る行為を
たやした時に、地球は終わる

早いばかりの現世
簡単にレンジで料理が蔓延の現世

自分の指先
目で見たこと
歩いた感覚
水の感覚
火の暖かさ
ローソクの揺らめき

遠い月を見て
風の音を聞く時間を忘れてはいけない

始まり

幼い頃
海の始まりは真鶴と
山口の無人島

特に山口は壇ノ浦を望む山の一軒家の植物園の園長で画家の爺様と
いつもなぜか神様の様に
全身真っ白なステテコ姿の仙人の様な ひいじい様は
ちょっと怖かった

あんまり話さなかったけど
小学生の僕にベッドの下からほら
と1万円!

僕は
なんでベッドの隙間なんだ?
なんで隠すんだろう〜とミステリアスなじい様

お婆は穴子の頭や骨を焼きつめまで作る料理人で
クロスチャンだったが、キリストやマリア姉さんを押し付けることも
アーメンと祈って魚介を食べることもなかった
台所の横で、捌かれ魚が料理になるいくえを見
味見をさせてもらう時の
婆さんが真剣な顔でどう?と聞く

一人前の料理人の気分
山の冷たい水でまな板を洗い次の魚へ

島は
渡船で渡る透明でちょっと冷たい海
水中眼鏡だけで1日中網で魚を追い
サザエやとこぶしやたこをつかまえた
これを毎日1週間
片道1時間通うのが楽しみだった

もちろん

僕は海で捕まえたあらゆる魚や
朝市場で買った、おこぜやウニやひらそを食べた

バスとディーゼル機関車の引く木の床の列車、文字通りゆられ
どっと疲れた帰りは居眠りをして窓枠の金属に、何度もごつんと頭を打ちながら

魚を活かして持って帰る為、ビニールのバケツに電池の酸素ポンプをつけ
るが、このビニールが水の重さで形をなす程度でよくこぼした

片手に釣竿と網、片手に海水と小魚の入ったブクブクを持ち
汽笛のなる汽車とバスで、腕が潮で白くなりながら

また船の汽笛が聞こえる、100段の階段の山の家へ
歩いて帰った

すごい荷物を海に当時から持っていた

当時は賑やかな城下町長府の書店街の釣具屋で
初めて1眼の金属の銀の縁で黒いゴムの水中眼鏡は
何よりも嬉しかった

海の始まり

皆さんも
それぞれに海の始まりがきっとあるんでしょうね

受けたもう

朝暗いうちに
冬の海へ行く

やる気がなければ1枚も撮れない

人間が見たこともない景色を
様々な奥行きと、無限な美で伝えている

僕は伝えているというのは人間側の言い分で

海や宇宙はそんなもんじゃない

もっとおおらかで、大胆で意味はない
伝えたいとも思っていない

と感じる

独りで海の中へ

命の駆け引き
命の使い方
を教わった

地に足がつく世界のことなんか
大したことはない

どんとこい!

羽黒山伏星のさんのいう

受けたもう!

すべての宇宙の色が無限に溶け合って
生きている
動いている

動くこと
そこに独り旅をすること
人とは群れない

初めて星野さんに会い
僕の写真を一眼みたときに

なんだか俺たちと同じことしてるね〜

とおっしゃっていた

山の修行者

説明をしないこと
うみや宇宙や自然美を
説明ができるわけがない

説明する必要がない

人間の及ばない叡智というか

叡智というとカッコつけた感じで

歴史がある
時間

通ううちに
通じ合える何かがある
生きていて、聞いて見ていると思う様になる

今日、平安時代の狛犬を見てきましたが

平安時代から続く
いやもっと古くからだが
例えば
物質でないから風化していない
陸上の風
海の波は
当時と見た目はかわらない

風も水も見た目はない

見た目は透明

木々が揺れ
波に現れ
頬にあたる感じ
体感する寒さ

で風や波を知る

数億年変わらないものは只者じゃない
記憶が深くなっている

神系の狛犬も祈りを聞いている
仏像に比べて、同じく厳しいが
白い透明な感じがする
祈り

個性と役割の違う仏像は重いというか
願いが染み込んでいる

あら
地震だ!

波は生まれて消えていく

海外の展示は全くできないですので

今年の個展は9月〜10月 代々木上原ファイヤーキングカフェ
11月 汐留 の パークホテル東京

詳細は追ってまたご報告いたします。

チョコチョコ海へ行ってますが
天気や波の影響の最前線な為
気長に撮ってます

出雲の波も考えていましたが
別な場所を探しに行こうかと

夏までにはプリントをしないと
間に合わないので実は今から少しずつ
選んでいきます!

波は生まれて
消えていく様に見え

人間様目線の生まれるものではなく
たまたま水が反応しただけの
もっと広大な時の波形の1瞬

あるけれども
無い
無いけれども
ある

波という固有の1つの物ではなく者

過去の記憶を持ち常に振動し変化する
地球で唯一古来からかわらない海風

なんていうかな・・・・・

朝早起きは嫌だ
真っ暗な海へ行くのは気が引ける

寒いなんてもんでない
海で流され沖へ、右へ左へ

泳ぎっぱなしでも寒い

ウェットきていても震え

すぐに温泉にドボン

でも日本ならではの1枚が待ってるから
行きます

サメもいないですし


アメリカ車
A-Carsさんの取材記事です

エーカーズ中野さん、ライター本間薫さん、佐藤カメラマン
城南ジープ安江さん
ありがとうございました。

87年まで作られたシボレー エルカミーノ

トラックのキャデラックと呼ばれ
乗用車の足回りで車高が低い独特なデザイン

当時は顔やサイズは同じで
ライトバンとセダンのマリブの
3種類を出したがマリブは84年に生産中止

この辺がアメリカの遊び心

濡れた荷物も放り込み
デザインがとにかく美しい

旅の馬

フリーダム

人は器

2000mの山寺で年に数回会っていた
宮大工の望月さん

皆徒歩で3時間から5時間
この龍神の住む山に来る

独特な野生動物の様な雰囲気と
優しさが溢れた人

祈りの人々が夕方つくと
夜の7時ごろまで
この囲炉で旅の人が杖に
記念に押したい

焼印を鉄のコテで押してくれる

炭火で大きなヤカンが沸く
囲炉に独り静に座っている

そのままの美しさ

一年に一度きり
9月の中頃

闇の中に祭りの光と笛の音が聞こえると
どこからともなく集まるオヤジたち

神主
部品製造職人
謎のオヤジ
魚屋

人生の波を呼吸した時間は顔に出る

そして今はチャコットでバレエの美女達をパチリ

極めて 危険

カメラは所詮道具

どんなカメラでもいい

持った感触や、シャッターと指の距離
と重さは大事だ
カメラが軽いと押すとブレる

今はフィルムでないので解像度は大きい方がいい

ピントだけ片目でみるが
あとは見ない

手裏剣を投げる様に
潔く押す

ファインダーを見ていると
1枚の写真にカメラマンの意図が入り込む

写真教室なんかいくべきでない
みんな大先生と同じ1枚になる

自由でワクワクする1枚は無限にある

地球人のみんなで押しても
同じ1枚がない様に

絵にも書けない
未知の可能性が待っている

自分為に撮る
黙って押し続け

クソみたいな1枚でもいい

たくさん撮るとある日わかることがある

学校で仙人を目指す様に教えたら
地球は幸せになり
自然は守られるだろう

いい学校
いい会社なんか意味がない

自分と太陽の影がずれずに生きてるか
見るだけ

写真機はその影を知らせてくれる1つの証明だ

手段なんか1つじゃない
臨機応変
体を動かし自分の道を行く

危険極まりない世界に美の根源と真髄がある気がする

天の気分

天の先には宇宙なる闇の世界
 
それは海の中と似ている

太陽の光が縦横無尽

水中か空中か宇宙空か

全ての物質にも隙間がある

常に振動し動いている

言葉や文字では表せない時間の隙間を観ることが美意識

ここにきたら全てがわかる

頭は捨てろ

稲取

海は風雨で濁り
波もない

竜宮城の入り口と出口

何かを感じた
古来の人々

電子レンジやファストフォード食べ
消えていく、備わっていたはずの
野生の感覚

人は波

人も波も同じ
物体ではなく

振動し感受し
波動で動いている

動いているとは変な表現ですが

少し先を読む

少し先にカメラを向ける

僕は写真はこんな風に思います

三脚立てた
写真は凍ってます

生きてないというか
その人がラップされてしまっている

流れを1枚に止めるだけ
見るのはファインダーではない

そんな風に思いました

決めない

海の話へ

世界中にはまだまだ美しい波がある
それは永久に知らないまま
それでいい

なんでも征服したり
欲しがってはいけない

波の表面は人間界

波の裏はもう1つの地球の世界

息ができない
飛魚が一瞬水面を飛ぶ
ボラがジャンプする程度の時間
波の裏にいられる

度胸が自分に試される
海は独り

何気なく修行ですと言っていた2003年ごろ

歳を重ね
上手に力まず波の裏側で笑えるようになったが
体力は激減したのだろう

プールで毎日3〜4キロ泳いだ高校時代
お前に夏休み5コース貸すから
やる気があれば来い

と言ったS先生は泳ぎの恩人

特殊な泳ぎ方基本を
手だけ
足だけで延々泳いだ

海はいつも怖い

という感情はどこから来るのか?
すでにあるのか?

科学ではセルトニンの意地悪というが
それでだけではない

体内の
いや胸のあたりに(多分心臓)に
いつだって集まる
あの感覚を思い出すと

やはり自分の中にある

怖いという思いは自分が捏造する弱さ

怖いと思うと
体が素直に固まったり
動きが悪くなるの2時的なパニック

海で腰ぬけは
 
腰の軸がぶれ
指先や体が流れて動けなくなる

偉そうなこと書いても
今だに怖い

怖いおもいを人の何十倍もしても
まだ足りない

その分人間界で何が起ころうと
怖くない

あの絶海の海に独りに
比べたらなんでもない

死ぬわけじゃないし

経験
体験を自分でする

頭で考え
決めつけない
1つの正解も答えなんかどこにもない

ガイドが最初は必要だが

あとは自分の動きや心の動揺を正直に観る

以上

自分を欺瞞しないように生きること

やるしかない状況へ
自分で自分を押すこと

大自然で体験を心中、体中に染めていくだけ

胸から入る

写真はその証明に過ぎない

世界一早い波の裏側で
死と生の線を大笑いした

飯食って充実してぐっすり寝る

興聖寺 臨済宗

京都の美術印刷にかけては日本一とも伝わる
サンエムカラーさんのご縁で
始まった織部さん、曾我蕭白さんのご縁

ありがとうございました。

今日の冬の旅
JRそうだ京都行こう
で12000人もの方がこの青襖の前へ
望月住職は在家から
心に昔から引っかかっていた思いを
自らに伝え 禅の道へ飛び込んだ

住職はやはり山梨の早川町の近くの血筋
望月性は身延山や七面山の近くに多い

銀座和光前で1000日以上修行されていた
今は亡き高野山の阿闍梨 望月さんも同じ

織部さんが自分の安寧の地に
天海と様々、この水の暴れた水脈と
菅原道真さんを祀る水火天神の地に
お寺を作ったのは1603年

堀川通もなく
地続きのこの地に何かを感じたに違いない

織部さんは
緑の釉薬で自然美の絵を、変わった器や茶器に残した
本人は焼き物や絵は描かず?
いわゆる現代でいうプロデューサー

魯山人は成型やろくろは職人で
絵は自分で絵描いたから
ある時自分の作品ではないとも書いていた
織部を想像し織部焼も作り
自ら赤坂に星岡茶寮なる料亭を後援中村竹四郎、はじめ協力者と作り(最後は裁判にもなり関係は破綻)
器から着物、料理まで企画運営した

京都丹波 山中和知川の釣りあゆを生きたまま
67時間かけトラックの生簀で赤坂まで運んだ話はすごい

数カ所で清水を補給し
人夫が柄杓で新鮮な冷たい水を変えながら
京都で郵便車両にのせ東京まで11時間

途中、名古屋と清水で水を入れ替える

加賀の料亭 山の尾(現在は全く関係ない経営者)太田多吉の
料理と器を作らせていたこだわりを吸収し
再現し、数満点とも言われる
自らが器を作った例は魯山人しかいない

懐石の始まりや、海や山のものを山海かこう盛りとして
草花や花を艶やかに盛り付け大皿で出したのは魯山人というが

織部も茶室で刺身や様々
もてなしたのだから元祖は織部ではないか?

美意識とは果てしない
終わりも始まりもない
悠久の自然美の再現に過ぎない

興聖寺は一般公開はしていません
先日の特別後悔は40年ぶりの公開でした。

織部三畳の茶室、矢織部デザイン(茶室までの途上身を清める)降り蹲など

江戸時代の奇才な画家 曾我蕭白さんも見ていたのでしょう

また静な新緑の紅葉の苔寺で
青い波が寄せては返しています

みなさまありがとうございました。

曽我蕭白1730~1781 1/30享年51才 幼くして亡くなった息子1777年と
死んだら一緒にしてくれと 行っていた通り
息子さんと一つのお墓に
 
京都に生まれ孤独の旅をした蕭白さん
池大雅と親しかったそうです

画が欲しいなら俺に
絵図が欲しいなら応挙がよいだろう

法名 一輝蕭居士

織部さんへ
花瓶へざっくり迷いなく

自分より有名になることに嫉妬し
徳川に嫌疑をかけられ切腹
織部の仲間も皆斬殺

師匠利休も秀吉に強制され切腹
首は一条戻り橋へさらし首

恐ろしい日本人

72才の織部さんは

かくなる上は
入組み難き候
さしたる申し開きもなし

一切の言い訳も、何もなし

と・・・

古田織部正 重然  長男重嗣と差し違え自刃 72才 伏見の屋敷
古田せん奥様 仏門に入り弔う1629年 5/29 72才

息子
古田山城守 重嗣 織部と差し違え自刃 6/11 1615 37才
古田佐助  重尚 6/13 自刃 江戸
古田小三郎 重広 6/13 自刃 江戸 兄弟で差し違え自刃
古田九郎八 重行 自分の子供を興聖寺のお坊さんに託し お墓の前で屠腹 6/24 27才
古田左近  重久 大阪城の戦いで戦死 5/7 25才 取った首にお父さんの名前を示したという
 
お墓にはおじさんと一緒だから墓石は織部を意外に6基

どう生きるか
自分に嘘なく
潔く生きた彼ら

美意識のもののふ

蕭白さん没後241年
織部さん没後407年

蕭白さんも参り語りかけたであろう
織部さんの墓前で

僕も二人に語りかけた

新緑の風に揺れ鳴く
もみじと彼岸桜の中で

出雲大神宮

京都亀岡の山の麓
出雲大神宮は出雲大社よりも
1万年とも2万年とも言われ
古くから山が神として信仰されていたと
岩田宮司さん

出雲族の祈りてたちにより
崇め、尊ばれた神は今もしっかりと
その信心で受け継がれているのは
物凄いことです

神社には大国主(神様の幽世かくりょを鎮る神)
と100人はいる奥さんの一人ミホツヒメミコト
少な彦さんを祀る

息子事代主さんも祀られています

岩田宮司のご挨拶では
311の震災とウクライナで亡くなった方々の御霊へ
黙祷から始まりました

すると急に風が吹き始めました

鎮花祭も1000年以上続き
宮司さん達も頭に花をつけて
祈られてました

旧暦3月は花が散る時期であり

それとともに疫神も分散し広がると言い伝えられ
その疫神や疫病を鎮め国の安泰を祈る荘厳な儀式です

1000年の歴史に立ち会えた
素晴らしい体験でした

崇敬会の席までご案内くださり
神社関係各位の皆様に
この場を借り御礼申し上げます。

一度山を下り
100年続く茶店青山タバコさんへ

名物は(ぜんざい、冷やし飴、甘酒)
僕は歴史を無視し ソフトクリーム!バニラ!
といった暴挙にも

おばちゃんは横に座り、延々と不思議な稲荷山のお客さんの体験談
を物語のように話す

来るたびに聞く
不思議な体験談や見た!話し

何かあるんだなこのお山は・・・
古来からそもそもあった力や魔力なのか
それを感じた秦氏

祈りをすることで、そうした秘密めいた力が集まったのか?

瀧場や力のある祈り場が伏見稲荷の向かって右の山奥にあるという

そこは大岩に神様がいらして
行場の瀧もあると

そして何より若冲さんのお墓へ行く途中の
おじそうさん前の、京都府の共同墓地(無料)に
伏見稲荷の元祖 秦氏さんのお墓がありますよ

これはいかねばと
神馬にきゅうりをお供えし
根上りの松の反対の山へぐぐん

竹の子畑を抜けさらに山へ行くと
あったあった

全ての瀧をお参りをし

最後の末広の滝へ

1日に何度も瀧場の落ち花や葉を掃除する
お守りしているお姉さんに
若い頃のモノクロの写真を見せていただいた

綺麗な着物姿ですね

若い時はね
夜酒飲みに行ったわよ
お茶もしていたから

山を着物で降り、タクシーを呼んでね
街へ行ったのよと・・・・

1枚の写真はすごいな
と改めてその奥深さの静かな時間が流れた

瀧が打ち付け、若い鶯が鳴く山
この景色は昔のまま全てを聞いて見ているんだな
古来から変わらぬ音と景色に
人間の命は儚いですね

岩瀧神様は
磐座の山が御神体のすごい気の場所でした

伏見稲荷の喧騒とは正反対の
昔の賑やかさが偲ばれる今は寂しくもある
美しい山道でした

幾億の人がこの山奥で
この場で何かを求め
また浄め祓い願いをかけ
参られた聖域です

お供えは末広さんで買い求め
お供えできます

今度は秦氏のお墓

青山の茶店のおばちゃんの説明がいまいちわからず
全然関係ないお墓を拝んでいた!
ことがわかり

また探しに行くと今度は見つけました。

鳥居をくぐらず右に行くと
ぬりこべ地蔵があり
その右前の奥にあります。

ぬりこべさんのその先に
石峯寺(江戸時代の画家伊藤若冲さんのお墓があります)
お墓へ行くだけなら無料ですが

裏の若冲さんの浄土の石仏群を見るには
お金がいるようになりました

お墓まいりに
いかれる場合は社務所に必ずお声かけください

2000年後自分の絵の価値がわかるものが
現れるといった黄檗宗の僧でもあり
独身で妹さんとこの地に住んだ若冲さん

そんな若冲さんの絵も
高いものは数億円
精密な鶏で3000万
墨絵だと200~500

若冲と印は
特徴は左が切れている印

しかし弟子の若エン達が書いて押したものもあり
いまいちプロの骨董商でも鶏の墨絵は微妙ですと聞いた

しかし
業界では一応若冲としている事実

今となってはわかりません
が過去に何幅か見ましたが
線というか若干筆の流れが違う感じがします

絵にあざとさがある感じというか
ある法則で売れる絵を描いた感じ

購入する場合は気をつけてください

もちろん蕪村や白隠、蕭白のように、全て贋作もあります

神保町のフィフティー画廊さんか、青山の紅谷さんなら
間違いないですので
僕の名前を出してお電話してみてください。

稲荷山

狐は龍神様とも伝わります

狐の穴がたくさん昔はあり
その場所に塚を作ったそうです
安倍晴明のお母さんは狐
落語の王子の狐も同じく
古来、今の僕たちには見えにくいですが
そうしたある霊力をひっぱんに見れた時代であったのでしょう

天皇の儀式では
羽衣の衣や隠蓑
いろいろな魔法の鏡が存在し
呪詛から守り、儀式に使用していた記録も残ります

今の科学者や僕たちの尺度では
お呼びもしない、不思議な世界が地球にはまだあった時代の
美しい話です

元は渡来人 秦氏が祈った霊山も
時代を超え、いつの間にやら美しいオレンジの鳥居を販売

これが山を不自然に華やかにし
人を集め
外国人にはインスタで爆発!

数年ごとに値上がりする
鳥居は今は21万から、目立つ入り口のでかいのは数千万です

政治的な部分がないとお金だけでは買えない場所は
日本中にありますね
(今も順番待ちで朽ち果てたら終わりで、空いたら次の人へ販売)

今後ロシアやウッドショックも影響も出て高くなるのか?

腐らない素材だといけない都合もあるので・・・木でなくてはいけません

昨今の神社は現生利益=商売繁盛、縁結びやらのスポットに
なり、効きは同じなのに真ん中に1組づつ並び、願を懸ける
行いは、有名な神社ほど多くなってきた

出雲でもどこの宮司さんも、周りからお参りされて
並ぶばなくていんですけど
と言いつつも、それを皆さんに言わない

代わりに僕に言ってください〜と

言われ

並ばなくてもいいんですよ

効き目は一緒ですと戸隠神社の奥社で
完全な変な空気に飛び込むには
貝を吹いて入り込み

いいんですか?という人

99%は静かな沈黙で並び続ける

言うと大抵
変な空気になり

端から拝むと
なんでこのおじさん
並ばないんだの視線

でもめげずに
正しいことですので
釈然と

江戸時代に商業が生まれ
全国の神社で広告的に参拝者寄せのため、維持するために広がった
願掛け信仰

白装束の講や(お祈りのチーム、団体)行者さんも
めっきり減りました

特に稲荷系の神社は
いまだ全国から商売繁盛の執念とも思える熱は凄いです

ちなみに豊川稲荷さんは、入口の石の鳥居はありますが
仏の曹洞宗なため二礼二拝一礼ではなく
手を合わせ、般若心経

人間の心臓を食べる荼枳尼天が神仏習合の
混沌の中人間の都合で稲荷イコールになった

しかし古来の祈りとは違う、神様へのご挨拶で
数千本並ぶ鳥居は集客力は強烈です

お賽銭や奉納金もダントツの伏見稲荷

宮司さんも大丈夫でしょうか?
人間界色々おありでしょうが・・・・

以前に目にした外人は鳥居にぶら下がり
インスタ用にパチリ
一部の中国人は御神酒やお供えを持ち帰る

その昔は
岩や瀧や全ての万物への祈り=宇宙や海につながるわけですが
一般人も今より霊性の高い人が多かったのでしょう
それは世の中の常識や人への思いやりと比例しています

元気な人がシルバーシートに座るなど
キリがありません

明治の神仏分離や修験道禁止まで
100人に一人は行者だった日本人
全国の神社や寺へ祈りの回路が自然に生まれていたわけです

この山に命を注いだ
砂澤たまえさんにご挨拶に
おにぎりと御神酒を

一升瓶は山の御膳谷の社務所へ
ご奉納すると3ヶ月後に取りにいけばいただけます

稲荷山にはいくつも瀧と地図にありますが
皆さんの考える自然な瀧ではなく
配管やとよで落下させる人工的なものです

あるお坊さんも若い時は瀧行もしたけど
シャワーも同じです
と・・・・

そうかも


言ったらなんですが
やった人しか理解できないことがあります

大自然の厳しい修行を超えると
ある領域にしっかりした自分がいるのでしょう

大事なのは何か?
瀧に打たれるとは何か?

古来から行場として
白衣やふんどしで禊ぎ、水に打たれる方もいます
そうした方々の思いで瀧場が大切に神聖に保たれています

人によりお不動様の瀧が何かを感じるとか
どこどこの滝がいいとか
あるようです

僕は今回はしなくていいなーと思い
瀧はしませんでしたが
祝詞を捧げました

以前は自分の疲れや止まっている何かを
流し祓う感じでした
ので。瀧場にはいいものも、悪いものもありますし
それなりの気持ちと作法で入ってください

瀧場も立ち入り禁止と書いても

近くに必ずある神様へ挨拶もせず
勝手に開けて写真を撮るハイカーの
じい様、婆様やトレイルランニングの方もいて
本当にだめよ今と
瀧場のおばちゃん

自由に浴びれますが
軽い気持ちでやらないように
お塩を撒いて浄め
ふんどしか白衣など白装束でお願いします

霊場のルール、いや人間界のモラルですが
薄れてしまっているのが今の日本の現状です

波の中で波を潜り抜けると同じ感覚です

甲賀稲荷

昔は明治記念館の入り口左付近にあった(権田原)
甲賀稲荷も政府の地上げに遭い
明治初期に千駄ヶ谷の鳩森神社内に

4/15は大祭の日

10年に一度位は雨で拝殿で儀式です
と宮司さん

数年前に崇敬会に入らせていただき
地元の町会長の方々にポツンと
関係ない場所から一人
毎年参加させていただいてます

玉串を捧げ
祝詞を聞いた雨の中

甲賀から江戸城警護の出稼ぎと任務を帯びた
甲賀の地侍と忍たち
古里を思い、毎日お稲荷さんへ拝んでいたんんでしょう

雨の中なんだか感慨深く
涙が湧いてきました

おそらくは
甲賀の人々を誘い、徳川とつなげたのは
京都知恩院の奥に眠る、甲賀の毛牧城の山岡景友三(道阿弥)さん

そのご兄弟、山岡景光さん
甲賀21家の多喜一族(瀧飛騨守)さんの
お墓も甲賀の称名寺にありました

過去から来る時

全てに色はない

しかし全てに色がある

刻々と移ろうから
ないものもあるものも存在できる
と般若心経

波だけでは透明な水

宇宙から来た太陽光が物に反射して
その反射情報で
様々な色が見えるのだが

水は透明だ

水にはきっと
水分子のくっつきあう
隙間がある

また分子がH2oが離れる瞬間にも
隙間ができる

水分子同士が海を満たしている
理由はくっついても離れるから
海に落ちても支えられ、クッションになるのは密度がある

空から落ちたら落ちるが
鳥の羽は空気を掴むから動ける

魚は水を利用しているから動ける

なぜ水中で僕たちは移動できるのか?

水の不思議は、水素と酸素の分子が
まるでで生きているように

ハンガーというか
やじろべいのような水分子は

電気のプラスとマイナスがくっつく
4つで1つ
正四面体(ピラミッド)の形に

しかもそれはさらにくっつき
温度が冷えると隙間が広がる

冬の海はそうした隙間が
南の島の25度くらいの海水温と違い
隙間があ流から光が入り込んだり屈折したりする
するのだろうか?

まだ解明されていない水

水をこぼしティッシュで拭くと
水が移動するからで
ティッシュが水を吸収するのではなく
水が平面の硬い素材では動けないが
移動しやすいティッシュの隙間に移動するから

数えきれない水の分子が四方八方の知らない
分子と無作為にくっつくから

水という密度とある均等が保たれている

この辺は数学者の話だが正四面体が20個くっついたり
するとある形になる

イギリスに多い
ミステリーサークルも
点と点を結ぶ結局は
トーラスの形になる

宇宙やこの世の全ては
中心に向かい回転している
トーラス、リンゴや梨もトーラスの形

波が無ければ見えない色
だが、波という姿を生まれては消しているのは
水、その隙間にさらに塩分や様々な物質が溶けているから
川の水よりも色々な隙間ができたり
拡散したり、反射したり起こるのだろうか?

水の持つ不可思議な透過やプリズムや反射

太陽の高熱と光が届いているが

ちょうどいい具合になる不思議
遠すぎても、逆に近すぎても眩しすぎる
誰かが配置したような月や太陽の関係

月が地球の1部というが実は嘘で
月はほぼチタンでできていて
カナダだったかTNT火薬を爆発させるとかまるで
中が空洞の鐘のように音がなり響いたらしい

それはともあれ
太陽に生かされている地球を知る
魚たちの1日も太陽の光で始まる
人間は魚たちより後から来た外来種だ

そのさらに昔からある海は全てを知っている

感応ことにしきりに覚えらる

と芭蕉が黒羽城の浄法寺の知人を急に訪れると
主人は大喜びで昼夜語り合い、数日間滞在した

家に招いたり、色々と連れられ
ある神社で
那須与一が扇の的を射た時、「わけてもわが生国の正八幡よ」
と祈誓をこらしたのも、この神社であると聞くと
ありがたさもひときわ
ひしひしと身にしみて感ぜられる

と日記に書いたという

海でたくさんの人に暖かくしていただき
独り海へ行くと

海の威徳が人の心に感じこたえる


独りこの身で知った

連接する時間が
さらにやってくる予期しない次の時間で
いっそう色濃いものにしてくれる

旅が教えてくれる
過去と未来

やがて数百年後
芭蕉がきたこの地で

未来の人我々が芭蕉を偲ぶ

海は生きていて
全てを見て感じている

魅力

ここまで泳いで来た
こんな沖で独り不思議だ

遠いな〜
よくきたな〜
自画自賛

何してるんだ俺?

帰れるのかな〜

くっくっくっ
と笑いが湧き上がる

元気な証拠が現れると
細胞も元気になると思う

人間にも研ぎすんだ感覚のあることを思い出し
日常の人間界の暮らしの
あれやこれやはどうでも良くなる

太古と変わらぬ地球に触れると
誰もが嬉しくなる

触れ方は様々

これは上級編というか
普通は安易に行かないように
ライフガードも誰もいない絶海です
誰も助けてくれません

自由の極地に生と死のはざまに
身を置く尊さ

アドレナリンがきました

クック諸島のラロトンガ島
グーグルアースで波を探し
ありそうだから来たら
たまたま一カ所だけあった

しかし!

遠いな〜
と不安に笑ったのが
始まりの一言

沖へ流れるカレントがあり
15分くらいで着いた
(実はこれは帰りが大変を意味してます)

目印が海はにはないから
自分がどこにいればいいのかは
海底や波の崩れるポイントの観察と
神経質なまでの波の崩れる端っこへの出入り

あとは己の泳力と体力の真上に立つこと

ポリネシアの神々に見られているような
怖さと、やたらな気持ちでは来るべき場所ではない
と感じた

浅いサンゴ礁の岩の上に
滑るように現れては消える
波は透明で、どこよりも超高速

街のおかしな暮らしから
本物の天然の海へ

こんな場所に独りいると
生きてる心地がしてこみ上げる
妙な笑いと嬉しさに酔っぱらう

動物というか魚というか
水鳥というか

人間のいない海は
どこかで野生性を思い起こす

時間と共に海の水が減り
どんどん水が浅くなる

あとどの位この場に入れて
果たしてまたあの島へ帰れるのか?

心配でたまらなかった

結局時計を見ながらわずか40分
美しいポリネシアの波の中でいた時間は
今も忘れえない心象と全身を滑る波の速さ

身を以ってし知る
大切な地球との約束

怖すぎてもう行かないかもしれない海

でも後ろ髪惹かれる海

魅力ってそんなものです

写真が示す

2002年のフィジーと2021年の日本

たまたまフィジーの離島で
大きな青い波を探しあて通った日々
毎日が命がすり減る感じがした
ここは明らかに聖域

手加減もまったもない
嘘のない世界に心が躍った

これこれ
これが本物の海だ!
と身体中に湧き出る嬉しさに元気が溢れた

圧倒的な巨大な波の圧力に
ひとかき間違えたら
大波に引き摺り込まれサンゴ礁で大根おろしになるか
頭を打ち、さようなら

ハワイで昔
頭から潜ったつもりが
一瞬で体が水中でくの字になり
ケツから海底の岩の隙間に落ちた怖さ

あの無重力で何もできない水流に
ひきここまれる感覚は今も残る

本当に胸に怖さが集まった

ここでも雨の中沖で独り
海も空も包む波が
全てを包んで暗い洗濯機に投げ込まれた

2発目で胸が押され
肺の空気が全部なくなり
雲の隙間から空めがけ
口から水面へ出ると
頭の上にまた波が来ていた

4発来たら死ぬかもな
と恐怖でつぶれる思いをした

記憶は頭でなく
胸だと思う

学校のちいちいぱっぱじゃ
知らない席に着く尊さ

海が学校

やがて
日本中を祈る旅と同時に、神社のある聖域へ

出雲の海
伊豆海で祝詞をよみ
くじ切りをする

海に流れ着いたゴミをたまに拾う

写真が変わったのではない
自分が変わったのだと思う

でも地球も海も毎年変わっている
地球が誕生して初めての破壊と汚染のスピードだ

写真は嘘をつけない
嘘をつくのはカメラマン

黙々と泳ぐ

1枚の写真は土居清
伊予の禅寺の師匠が剣の師匠

僕もわずか52年の人生でいく人かのガイドが現れ
また多くの人生の豊かさを教えてくれた

共通して言えるのは暖かな優しさと
凛とした生き様

古武道の柳生流心眼流竹扇舎 島津兼治
古武道の禅寺で修行した師匠 土居清
写真の柏原誠

頭でっかちな情報や
電子レンジは捨てて

黙ってやる
わからないことは聞く
黙ってやる

海では誰とも話さない
繰り返し泳いで20年

よく死ななかったな〜

改めて思う

必死に諦めず泳ぐ
精神的に負けない
今だに溺れる

人には普段
見えない1枚

皮肉なことに
人が作った機械カメラが

その1枚を残し

胸を振動させ続ける

頭は捨てて
黙ってやる

人とは群れないこと

継ぎ手


風は大事です

風も水と同じ水素結合して動く
波動だと感じます

海で言えば、風が波を押したり荒れたり
恐ろしい雲あり
情緒的であり、地球の温度管理をする呼吸

風の脈々とした連接で僕たちがあること

先祖は広島の小早川の城跡にある
祝詞八幡神社
隣接する浄土真宗の寺と神仏習合のままに残る

妻帯しない暗黙のルールの僧が
開き直り初めて嫁をとった斬新な親鸞さん

南無阿弥陀仏を唱えるだけで、善人も悪人もみんな極楽へ行かれる
とした

横から見ると阿弥陀さんは斜め前に傾いている
いつでもすぐに助けに行くよ
という姿勢らしい

実は生きている間の善行が極楽浄土の決め手の浄土への
特急切符ではない
細かい話しはここではしないが

絶対的な位置づけとし
はなから人間には到達できないレベルの仏さんへの
信心をしっかり担保させ
宗教は存在できないとう暗黙のルールがあって存在しうるのが宗教だ

人は出来が良くないが前提
阿弥陀さんの力は絶対的であるが基本

阿弥陀さんの他力本願を推奨した親鸞さんは
自力修行の末感じたやら
実は阿弥陀さんが現れて教えてもらったやら・・・
すごい哲学者だったんでしょう

死んだら鴨川に投げてくれと言ったはずが
本人の意思とは離れ
今や西と東にわかれ教団化した

人を巻き込み、あまり目がとんがると自ら洗脳され
絶対神的な思想になる危ないのも宗教のもつ癖

逆に言えば、精神力を養い
そうした「もの」から離れていくことが
僕は教えなのかもしれないなとも思います

「善人なおもて往生を遂ぐ
況や悪人をや」

他力では海では死にます
山でも死にます
他力は最後の最後と僕は思います

一方で他力の過去未来があり今があるのも事実

自力が今の最先端の今であるならば
過去未来は他力が存在し
予想しない、頼るつもりがなかったが
周りが動き、時が動き
良い結果になる事で世の中は在る

これは何というか?

神仏を尊び、神仏には頼らないと
真っ直ぐな正しいことを胸で言った

宮本武蔵やルバング島で戦後も29年戦った小野田寛郎さん
のような、命を崖に突き出して生きた人はそう多くない

何はともあれ
数えきれない人々の
悩みや迷いや困難な気持ちを解したのも仏教の
おかげな事実もある

日常生活だと
自力の限界を体験しないからかもしれない

先祖の神社八幡神社は九州の宇佐八幡が始まり
祭神が応神天皇(ほむだわけの命)になったのは人間の解釈

特攻隊や様々武人の神として八幡大菩薩や八紘一宇と
戦争に悪用もされていく

元は祈りの人々純粋な
隼人族の方々の物語り

ヤマト王権が隼人を毒殺し力で潰すも
屈せず戦わざるえなかった
シャーマニックな人々

熊襲ともの呼ぶのはヤマト側の言葉

宇佐八幡の反対の山には隼人族を供養するための
100体神社があります
お時間があれば、御心をたむけてください。

過去の祈りや、国に散った
もののふを鎮ることも
震災などの災いを鎮ることに繋がるようです

海の祓い浄めも
日本島には大切なこと

ゴミや嫌な気を海へ投げれば
地球をぐるぐる回るだけ

神社で願い事や嫌なこと置いていけば
そこにとどまるだけ

同じです

写真機で過去の尊い時間をよむ
現代の暮らしで本来の野性的な感覚を
濁ってしまいがち

だから海へいかねば
山でもいいのだけど

海は山も水もある
のっぴきならない状況に身を投じて
わかること

全ての教えは星と風にある

カガセオノ神(星の神)を祈った人々

星の神が封印された
茨城の大甕神社へまた行かねば

大阪の星田妙見にもまた

星が気になる日

水の記憶

冷たい海にいると
太陽光の暖かさを顔に感じる

日本固有の海には
言葉にはない色彩がある

ずっとここにいる海の水

悠久の時間
透明な水は様々な色を反射し
染まってきた

記憶を持つ水に
抱かれて

人は器

オヤジ達
祭りがないと会えません!
神様のお使い

神様に捧げる器を哉(ほこ)という

チャコット

代官山チャコットさんで
毎月第3週に限定人数で
バレリーナさんの1枚を撮影させていただいています。

波と人は同じだと感じています
プロのモデルではない方々を自然に写すことは魅力的です
何かキラッとする前に気配を消して?
移動して押す

昔、ユージンスミスのアシスタントだった
柏原誠師匠に言われてました

いいか
写真機は所詮道具よ
いいなカメラに撮られるなよ
モデルのなキラッとした1瞬をな
バッ!と鷲掴みにし引き出せ!

よく
遠くを見ながらユージンはいい親父だった〜と
言っていた

僕もようやくそんな気持ちがわかるようになりました

柏原はいい親父だったな〜
会いたいな〜

ユージンも命がけで戦場の人々や水俣で人の本心を観てきたから

彼らの憶いと意思を受け継いでいる事実は
選んでもなかなか選べません

彼らも
まさか自分たちが写真に生きた時間が
こうして数十年後、幾ばくか受け継がれていると
思ってもらえたら嬉しいですね

波と同じ野性的感覚

人は器です

人を写すのは難しくもあり
本当に楽しいと言ったらなんですが
ご家族の思い出となり、バレエを通じ手渡せれていくと思うと
感慨深いです

チャコットさんの美しい建物と
プロのバレエメイクさんと
何回もテストシュートをしてきました

一般の方が
自分にもこんな表情や雰囲気があったんだ〜
と喜んでくださるように
スタッフ共頑張ります。

どうぞよろしくお願いいたします。

思い出をチャコットと永遠に

daikanyama.chacott-jp.com/photoshooting/

捨てる

独りで旅をし
泳ぐのも独り

海に話しかけ
海を常に怖がっている

誰かが作った
ガイドブックを捨て

全てを捨てて
ここにいること

自分の本になるから大丈夫

臨済宗 興聖寺

遅らばせながら
京都興聖寺の一般公開もあっという間に終わり
こんなご時世でしたが
12000人もの方々が足をお運びくださいました

織部さんや曽我蕭白さん、ひいては臨済禅の開祖臨済さん
達磨さん、一休さん、白隠さんにも光が改めて
あた立ったことと存じます

皆様がきて頂いたことで
過去の彼らの足跡を感じていただけ
お話をしてくださることが
何よりの御供養と、この日本の京都の結界を
祈り鎮める事にも先ではつながります

皆様が祈り手と同じ
お気持ち
本当に感謝いたします。

興聖寺には僕たちの命が終わっても
また次の世代や数百年にわたり
青い波が残り伝えていく事でしょう

一般公開は今後しない、禅の修行道場として

これからも、ひっそりと波が打ち寄せ
京都に潮騒が呼吸し続けていくことをお祈りします

興聖寺の望月住職はじめ、檀家様皆様にも
この場を借り御礼申し上げます

ありがとうございました。

海で

海は美しい
綿津見の神が住む

大祓祝詞にも記してある
祓戸4神

セオリツヒメ 諸々の罪や禍、穢れを川から海へ

ハヤアキツヒメ 河口、、海底で待ち構え それらの災を飲み込む

イブキドヌシ 飲み込んだそれらを、根の国、底の国に息吹を放つ

ハヤサスラヒメ その持ち込まれた全ての禍を流離って消すというか浄化する

川や海は大切にしてきた古来の日本人

今や、護岸を固めまっつぐな川に
生き物は流され、流速はマシ
子供が落ちても流れて這い上がれない
蛇行し様々な生態系が生まれ(ビオトープ)
自然浄化力もありますが

昨今の人間界は
七里ヶ浜の砂がないのは人災という事実と同様

海は消波ブロックや埋め立てで残酷に生き埋め

神様もやる気なくなります

悠久の時間に造られた
自然のままが美しく、環境にもいいに決まってます

こうした霊的な浄化もこの国土に息づいている
神話や時間を蔑ろにしている

地震や天災も増えます

目に見えるものばかり
ではないことをもう一度

坐禅して海で

ファインダーは見ない
何も考えず押す
何も考えずにそこにいる

坐禅で無になりますか?と

60年以上座禅を毎日する剣の師匠が
禅僧に聞かれた

無なんかなれないよ
 
一言では言い尽くせない無

無がないと1はない
0を発明したインド人は凄いと何かで読んだ

海の中では余計なことは考えてないが
感あげたないのは嘘
その時、その時を感じて一瞬、こうしよう!と決める
日常や試験問題の使い方とは違う
瞬間

だから速い
頭よりも胸で思いつく
胸でから頭に考えの信号は行くから

今とはもう過去だ

今の定義は0.1秒らしい

写真は500分の1
0.002秒シャッターという扉を開け情報(光)をフィルムやセンサーに残す謎
Photo は光の
graph は描く
なぜか漢字だと写真
写す 真実

紀元前にあった?
それは調べて

ともかく謎
光を感知しする

波も人も光を出す?

人は透過しないが
反射はする、発光するのはホタルのケツで
人間のけつが光ったら怖いから
神様は上手に作った

御光がさして霊夢や現実で
神や仏が現れたとき?「僕はまだ見たことがないです」
が近い体験はしました、鹿島神宮の池でくじ切りをした時に
ビかっ!ビカット!金色の光が現れた

話は戻りますが
波は光を拡散、透過、反射、発光に近い

つまり今の先、過去の後ろ?にも光が介在しないといけない

今とは、今が連続する波動をある瞬間に
切り出した1枚、1瞬で

般若心経の話になる

今がないと過去も未来もない
過去と未来がないと今はない

終わりも始まりもない

今はよくわかりませんが
光、今、少し先、目では見えない時
この使い方は古武術や波を泳ぐこと
それを写真が押しててくれようとしています

隠さない

水中は暗かった

海流が凄く
入った瞬間に沖へ右へ流れていく自分

海では位置を常に気を配り

早めに戻れそうな
場所に戻っておく

それでも流され
ひたすらゆっくり
斜めに泳ぐ

海流に対してまっすぐ泳いでは
体力を失い
焦ってパニックに

気を配る
己の泳力を包み隠さず知る

そこが正直にできないなら
山や川や海へ行くな

霧の中

夜、停泊船の灯は水平線に見えたが
大島の明かりが見えないのが
気に掛かるが

寝てしまえ!
で朝4時半に起き海へ

太陽は霧に包まれ
線香花火のような赤い球

水中は雨と波が大きすぎ濁っていました

撮れた感じがしなかった

あとで現像してみます

93年住んでいたオーストラリアから9時間バリ島へ寄ったのがはじまり

数ヶ月後
バリ島に魅了され、ジムーにーをかり島中を周り
いい宿を探した

助手席に地図を広げ
サヌールに海に面したいい宿ガゼボを見つけ

ある日ふと、最近の観光土産を売る他の店とは違う
本物の骨董屋に恐る恐る入った

奥には黒メガネでランニングシャツの
オールバックの独特な雰囲気のおじさん

何度か通い交渉し
古いイカットと100年前のお寺にあったガルーダを2体
結構な値段で買った

3ヶ月後また行くと
俺のうちに泊まりに来いと
泊まり、バリの衣装をかりタナロットの寺院や
先祖の供養へ行く流れに(ガルガン、クニガン)

ジムニーに奥さんと息子をのせ
山を抜けシガラジャという真北の古都の親戚の家へ
途中いくつかの寺で祈祷を受け捧げ物をし
見様見真似で祈り、おでこのチャクラにお米を貼り付けられ
耳には花

親戚の子供はお父さんと
距離を置く感じだったが

やがてご飯を食べ
(今まで生きていたセミ売りの少年から買った、セミの唐揚げのサンバル和えや野菜)
部屋を案内されると息子の部屋に
俺が書いたんだよ

と嬉しそうに言う

庭で息子とお父さんに
2人でホラ 写真!

と言うと照れ臭そうに息子はお父さんの横に行き
お父さんはがっしり腕を回した
満面の笑顔の2人を覚えている

DREAM OF YOU 親が誰もが子供に願う夢

夢を見なさい
夢の入り口へようこそ

入れ物のの自分へ

波の旅を独り
島から島へ

巨大な力に
飲み込まれ、窒息寸前まで連れてかれ

遥 沖の波の中で溺れ始めたあの頃
よく取り止めもないことを
ノートに書いていました

そんな
恥ずかしいそのままの文を少しずつ

冬のハワイで溺れ
オーストラリアのバーレーヘッズに向かう前

おまえ海へ行けよ
旅を続け波を撮れ

残りの書以外の全てを注ぎ伝えよ

常に判断をし

正しい道を自ら選び
直感を信じよ

伝え残せよ

2001年9/17

杏橋幹彦

変身

遭わなければならない
多くの困難を超えるしかなかった

波が寄せるだけ延々と続き
自分の力を正直に自分にさらけ出し

波をいかに逃げ
波のどまん中に入ること

真逆の中に本物がいる

ここに線がある

それがアジアのタオであり

陰陽

般若畢竟

無生法忍

愚痴は全て流し去る

海に行くことをやめねば
無視できない現実

人間が長くいられる場所ではないのも海の事実

物理的には、所詮敵わない海の力と
泳力の問題

大波に巻かれたら
どうなるのかの片鱗は波乗りで
少しはわかったつもりでいたけれど

泳いでしばらくすると
それは「つもり」であって
人間様の予想など置いてこなければ簡単に
死ぬと笑った

どの程度の大きさの波まで泳げそうなのか?と
今も疑問が付きまとう

正確に胸へ全身から集まる
何かがある
血の気が引くというやつか

ある種の怖さが自分の中に生まれつき持っていて
あるのか?
外的要因で外から、胸に入り込むのか?

波から戻り
雨風のうつ
海の小屋で夜考えていた

通り過ぎられない
目を伏せたら先はない怖さが正面覆いかぶさる

早い判断
考えは捨て
考えるより速く動くこと
ファインダーは見ない

胸がハッとする瞬間に
頭へ行く信号を切り捨て

胸と人差し指と繋ぎ一気に押す

写真はこうして撮るもんだ
泳ぐってこういうもんだ!

と海で独り大笑い

まるで刀で切り
手裏剣を投げるように
水中で、人差し指を腰と一つに動かせる

なんだ
古武道と同じじゃないか
 
教科書にはない体験と確固たる答え

旅も海も独り

独りでできる範囲
誰もいない海で祈り
決心する

自然界に神経を張り巡らせることが
喜びで、それが神々や自然との約束した距離だった時代

自ずと感覚的、感知する力も
今よりもあった

星を頼りに航海したナビゲーター
星の動きが人間界に影響を及ぼすとした昔の中国や日本

陰陽師がいるように
人間には魔術というか、不思議な術が使えるのだが
随分とそうした感情性と力を持つ人が
少なくなった

イギリスや日本にもミディアムと称する
あるレベルの霊能者やヒーラーがいる

僕もそうした知り合いがいて
たまに答え合わせにいかせていただく

そうした見えないが在る

潜在能力というと、鼠講や
ビジネスマンの啓蒙開発的セミナーで
きな臭い

現代の鳥籠のような学校や
ノーをノーと言えなくなった社会で

地球人が自ら蓋を捻ってしまった事

海の中独り
どんなに、胸が締め付けられる思いや
恐怖に支配されそうになっても
限界は自分が決めている

魂が負けないように
自分で自分の背中を押せば

海岸に戻れる確率が急に変わる

何度も変身しバージョンアップし
今は、都会の雑踏に隠れている

海へ行きたいな

竜宮城ってあるんだと思うようになった

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