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出雲大神宮

京都亀岡の山の麓
出雲大神宮は出雲大社よりも
1万年とも2万年とも言われ
古くから山が神として信仰されていたと
岩田宮司さん

出雲族の祈りてたちにより
崇め、尊ばれた神は今もしっかりと
その信心で受け継がれているのは
物凄いことです

神社には大国主(神様の幽世かくりょを鎮る神)
と100人はいる奥さんの一人ミホツヒメミコト
少な彦さんを祀る

息子事代主さんも祀られています

岩田宮司のご挨拶では
311の震災とウクライナで亡くなった方々の御霊へ
黙祷から始まりました

すると急に風が吹き始めました

鎮花祭も1000年以上続き
宮司さん達も頭に花をつけて
祈られてました

旧暦3月は花が散る時期であり

それとともに疫神も分散し広がると言い伝えられ
その疫神や疫病を鎮め国の安泰を祈る荘厳な儀式です

1000年の歴史に立ち会えた
素晴らしい体験でした

崇敬会の席までご案内くださり
神社関係各位の皆様に
この場を借り御礼申し上げます。

一度山を下り
100年続く茶店青山タバコさんへ

名物は(ぜんざい、冷やし飴、甘酒)
僕は歴史を無視し ソフトクリーム!バニラ!
といった暴挙にも

おばちゃんは横に座り、延々と不思議な稲荷山のお客さんの体験談
を物語のように話す

来るたびに聞く
不思議な体験談や見た!話し

何かあるんだなこのお山は・・・
古来からそもそもあった力や魔力なのか
それを感じた秦氏

祈りをすることで、そうした秘密めいた力が集まったのか?

瀧場や力のある祈り場が伏見稲荷の向かって右の山奥にあるという

そこは大岩に神様がいらして
行場の瀧もあると

そして何より若冲さんのお墓へ行く途中の
おじそうさん前の、京都府の共同墓地(無料)に
伏見稲荷の元祖 秦氏さんのお墓がありますよ

これはいかねばと
神馬にきゅうりをお供えし
根上りの松の反対の山へぐぐん

竹の子畑を抜けさらに山へ行くと
あったあった

全ての瀧をお参りをし

最後の末広の滝へ

1日に何度も瀧場の落ち花や葉を掃除する
お守りしているお姉さんに
若い頃のモノクロの写真を見せていただいた

綺麗な着物姿ですね

若い時はね
夜酒飲みに行ったわよ
お茶もしていたから

山を着物で降り、タクシーを呼んでね
街へ行ったのよと・・・・

1枚の写真はすごいな
と改めてその奥深さの静かな時間が流れた

瀧が打ち付け、若い鶯が鳴く山
この景色は昔のまま全てを聞いて見ているんだな
古来から変わらぬ音と景色に
人間の命は儚いですね

岩瀧神様は
磐座の山が御神体のすごい気の場所でした

伏見稲荷の喧騒とは正反対の
昔の賑やかさが偲ばれる今は寂しくもある
美しい山道でした

幾億の人がこの山奥で
この場で何かを求め
また浄め祓い願いをかけ
参られた聖域です

お供えは末広さんで買い求め
お供えできます

今度は秦氏のお墓

青山の茶店のおばちゃんの説明がいまいちわからず
全然関係ないお墓を拝んでいた!
ことがわかり

また探しに行くと今度は見つけました。

鳥居をくぐらず右に行くと
ぬりこべ地蔵があり
その右前の奥にあります。

ぬりこべさんのその先に
石峯寺(江戸時代の画家伊藤若冲さんのお墓があります)
お墓へ行くだけなら無料ですが

裏の若冲さんの浄土の石仏群を見るには
お金がいるようになりました

お墓まいりに
いかれる場合は社務所に必ずお声かけください

2000年後自分の絵の価値がわかるものが
現れるといった黄檗宗の僧でもあり
独身で妹さんとこの地に住んだ若冲さん

そんな若冲さんの絵も
高いものは数億円
精密な鶏で3000万
墨絵だと200~500

若冲と印は
特徴は左が切れている印

しかし弟子の若エン達が書いて押したものもあり
いまいちプロの骨董商でも鶏の墨絵は微妙ですと聞いた

しかし
業界では一応若冲としている事実

今となってはわかりません
が過去に何幅か見ましたが
線というか若干筆の流れが違う感じがします

絵にあざとさがある感じというか
ある法則で売れる絵を描いた感じ

購入する場合は気をつけてください

もちろん蕪村や白隠、蕭白のように、全て贋作もあります

神保町のフィフティー画廊さんか、青山の紅谷さんなら
間違いないですので
僕の名前を出してお電話してみてください。

稲荷山

狐は龍神様とも伝わります

狐の穴がたくさん昔はあり
その場所に塚を作ったそうです
安倍晴明のお母さんは狐
落語の王子の狐も同じく
古来、今の僕たちには見えにくいですが
そうしたある霊力をひっぱんに見れた時代であったのでしょう

天皇の儀式では
羽衣の衣や隠蓑
いろいろな魔法の鏡が存在し
呪詛から守り、儀式に使用していた記録も残ります

今の科学者や僕たちの尺度では
お呼びもしない、不思議な世界が地球にはまだあった時代の
美しい話です

元は渡来人 秦氏が祈った霊山も
時代を超え、いつの間にやら美しいオレンジの鳥居を販売

これが山を不自然に華やかにし
人を集め
外国人にはインスタで爆発!

数年ごとに値上がりする
鳥居は今は21万から、目立つ入り口のでかいのは数千万です

政治的な部分がないとお金だけでは買えない場所は
日本中にありますね
(今も順番待ちで朽ち果てたら終わりで、空いたら次の人へ販売)

今後ロシアやウッドショックも影響も出て高くなるのか?

腐らない素材だといけない都合もあるので・・・木でなくてはいけません

昨今の神社は現生利益=商売繁盛、縁結びやらのスポットに
なり、効きは同じなのに真ん中に1組づつ並び、願を懸ける
行いは、有名な神社ほど多くなってきた

出雲でもどこの宮司さんも、周りからお参りされて
並ぶばなくていんですけど
と言いつつも、それを皆さんに言わない

代わりに僕に言ってください〜と

言われ

並ばなくてもいいんですよ

効き目は一緒ですと戸隠神社の奥社で
完全な変な空気に飛び込むには
貝を吹いて入り込み

いいんですか?という人

99%は静かな沈黙で並び続ける

言うと大抵
変な空気になり

端から拝むと
なんでこのおじさん
並ばないんだの視線

でもめげずに
正しいことですので
釈然と

江戸時代に商業が生まれ
全国の神社で広告的に参拝者寄せのため、維持するために広がった
願掛け信仰

白装束の講や(お祈りのチーム、団体)行者さんも
めっきり減りました

特に稲荷系の神社は
いまだ全国から商売繁盛の執念とも思える熱は凄いです

ちなみに豊川稲荷さんは、入口の石の鳥居はありますが
仏の曹洞宗なため二礼二拝一礼ではなく
手を合わせ、般若心経

人間の心臓を食べる荼枳尼天が神仏習合の
混沌の中人間の都合で稲荷イコールになった

しかし古来の祈りとは違う、神様へのご挨拶で
数千本並ぶ鳥居は集客力は強烈です

お賽銭や奉納金もダントツの伏見稲荷

宮司さんも大丈夫でしょうか?
人間界色々おありでしょうが・・・・

以前に目にした外人は鳥居にぶら下がり
インスタ用にパチリ
一部の中国人は御神酒やお供えを持ち帰る

その昔は
岩や瀧や全ての万物への祈り=宇宙や海につながるわけですが
一般人も今より霊性の高い人が多かったのでしょう
それは世の中の常識や人への思いやりと比例しています

元気な人がシルバーシートに座るなど
キリがありません

明治の神仏分離や修験道禁止まで
100人に一人は行者だった日本人
全国の神社や寺へ祈りの回路が自然に生まれていたわけです

この山に命を注いだ
砂澤たまえさんにご挨拶に
おにぎりと御神酒を

一升瓶は山の御膳谷の社務所へ
ご奉納すると3ヶ月後に取りにいけばいただけます

稲荷山にはいくつも瀧と地図にありますが
皆さんの考える自然な瀧ではなく
配管やとよで落下させる人工的なものです

あるお坊さんも若い時は瀧行もしたけど
シャワーも同じです
と・・・・

そうかも


言ったらなんですが
やった人しか理解できないことがあります

大自然の厳しい修行を超えると
ある領域にしっかりした自分がいるのでしょう

大事なのは何か?
瀧に打たれるとは何か?

古来から行場として
白衣やふんどしで禊ぎ、水に打たれる方もいます
そうした方々の思いで瀧場が大切に神聖に保たれています

人によりお不動様の瀧が何かを感じるとか
どこどこの滝がいいとか
あるようです

僕は今回はしなくていいなーと思い
瀧はしませんでしたが
祝詞を捧げました

以前は自分の疲れや止まっている何かを
流し祓う感じでした
ので。瀧場にはいいものも、悪いものもありますし
それなりの気持ちと作法で入ってください

瀧場も立ち入り禁止と書いても

近くに必ずある神様へ挨拶もせず
勝手に開けて写真を撮るハイカーの
じい様、婆様やトレイルランニングの方もいて
本当にだめよ今と
瀧場のおばちゃん

自由に浴びれますが
軽い気持ちでやらないように
お塩を撒いて浄め
ふんどしか白衣など白装束でお願いします

霊場のルール、いや人間界のモラルですが
薄れてしまっているのが今の日本の現状です

波の中で波を潜り抜けると同じ感覚です

甲賀稲荷

昔は明治記念館の入り口左付近にあった(権田原)
甲賀稲荷も政府の地上げに遭い
明治初期に千駄ヶ谷の鳩森神社内に

4/15は大祭の日

10年に一度位は雨で拝殿で儀式です
と宮司さん

数年前に崇敬会に入らせていただき
地元の町会長の方々にポツンと
関係ない場所から一人
毎年参加させていただいてます

玉串を捧げ
祝詞を聞いた雨の中

甲賀から江戸城警護の出稼ぎと任務を帯びた
甲賀の地侍と忍たち
古里を思い、毎日お稲荷さんへ拝んでいたんんでしょう

雨の中なんだか感慨深く
涙が湧いてきました

おそらくは
甲賀の人々を誘い、徳川とつなげたのは
京都知恩院の奥に眠る、甲賀の毛牧城の山岡景友三(道阿弥)さん

そのご兄弟、山岡景光さん
甲賀21家の多喜一族(瀧飛騨守)さんの
お墓も甲賀の称名寺にありました

過去から来る時

全てに色はない

しかし全てに色がある

刻々と移ろうから
ないものもあるものも存在できる
と般若心経

波だけでは透明な水

宇宙から来た太陽光が物に反射して
その反射情報で
様々な色が見えるのだが

水は透明だ

水にはきっと
水分子のくっつきあう
隙間がある

また分子がH2oが離れる瞬間にも
隙間ができる

水分子同士が海を満たしている
理由はくっついても離れるから
海に落ちても支えられ、クッションになるのは密度がある

空から落ちたら落ちるが
鳥の羽は空気を掴むから動ける

魚は水を利用しているから動ける

なぜ水中で僕たちは移動できるのか?

水の不思議は、水素と酸素の分子が
まるでで生きているように

ハンガーというか
やじろべいのような水分子は

電気のプラスとマイナスがくっつく
4つで1つ
正四面体(ピラミッド)の形に

しかもそれはさらにくっつき
温度が冷えると隙間が広がる

冬の海はそうした隙間が
南の島の25度くらいの海水温と違い
隙間があ流から光が入り込んだり屈折したりする
するのだろうか?

まだ解明されていない水

水をこぼしティッシュで拭くと
水が移動するからで
ティッシュが水を吸収するのではなく
水が平面の硬い素材では動けないが
移動しやすいティッシュの隙間に移動するから

数えきれない水の分子が四方八方の知らない
分子と無作為にくっつくから

水という密度とある均等が保たれている

この辺は数学者の話だが正四面体が20個くっついたり
するとある形になる

イギリスに多い
ミステリーサークルも
点と点を結ぶ結局は
トーラスの形になる

宇宙やこの世の全ては
中心に向かい回転している
トーラス、リンゴや梨もトーラスの形

波が無ければ見えない色
だが、波という姿を生まれては消しているのは
水、その隙間にさらに塩分や様々な物質が溶けているから
川の水よりも色々な隙間ができたり
拡散したり、反射したり起こるのだろうか?

水の持つ不可思議な透過やプリズムや反射

太陽の高熱と光が届いているが

ちょうどいい具合になる不思議
遠すぎても、逆に近すぎても眩しすぎる
誰かが配置したような月や太陽の関係

月が地球の1部というが実は嘘で
月はほぼチタンでできていて
カナダだったかTNT火薬を爆発させるとかまるで
中が空洞の鐘のように音がなり響いたらしい

それはともあれ
太陽に生かされている地球を知る
魚たちの1日も太陽の光で始まる
人間は魚たちより後から来た外来種だ

そのさらに昔からある海は全てを知っている

感応ことにしきりに覚えらる

と芭蕉が黒羽城の浄法寺の知人を急に訪れると
主人は大喜びで昼夜語り合い、数日間滞在した

家に招いたり、色々と連れられ
ある神社で
那須与一が扇の的を射た時、「わけてもわが生国の正八幡よ」
と祈誓をこらしたのも、この神社であると聞くと
ありがたさもひときわ
ひしひしと身にしみて感ぜられる

と日記に書いたという

海でたくさんの人に暖かくしていただき
独り海へ行くと

海の威徳が人の心に感じこたえる


独りこの身で知った

連接する時間が
さらにやってくる予期しない次の時間で
いっそう色濃いものにしてくれる

旅が教えてくれる
過去と未来

やがて数百年後
芭蕉がきたこの地で

未来の人我々が芭蕉を偲ぶ

海は生きていて
全てを見て感じている

魅力

ここまで泳いで来た
こんな沖で独り不思議だ

遠いな〜
よくきたな〜
自画自賛

何してるんだ俺?

帰れるのかな〜

くっくっくっ
と笑いが湧き上がる

元気な証拠が現れると
細胞も元気になると思う

人間にも研ぎすんだ感覚のあることを思い出し
日常の人間界の暮らしの
あれやこれやはどうでも良くなる

太古と変わらぬ地球に触れると
誰もが嬉しくなる

触れ方は様々

これは上級編というか
普通は安易に行かないように
ライフガードも誰もいない絶海です
誰も助けてくれません

自由の極地に生と死のはざまに
身を置く尊さ

アドレナリンがきました

クック諸島のラロトンガ島
グーグルアースで波を探し
ありそうだから来たら
たまたま一カ所だけあった

しかし!

遠いな〜
と不安に笑ったのが
始まりの一言

沖へ流れるカレントがあり
15分くらいで着いた
(実はこれは帰りが大変を意味してます)

目印が海はにはないから
自分がどこにいればいいのかは
海底や波の崩れるポイントの観察と
神経質なまでの波の崩れる端っこへの出入り

あとは己の泳力と体力の真上に立つこと

ポリネシアの神々に見られているような
怖さと、やたらな気持ちでは来るべき場所ではない
と感じた

浅いサンゴ礁の岩の上に
滑るように現れては消える
波は透明で、どこよりも超高速

街のおかしな暮らしから
本物の天然の海へ

こんな場所に独りいると
生きてる心地がしてこみ上げる
妙な笑いと嬉しさに酔っぱらう

動物というか魚というか
水鳥というか

人間のいない海は
どこかで野生性を思い起こす

時間と共に海の水が減り
どんどん水が浅くなる

あとどの位この場に入れて
果たしてまたあの島へ帰れるのか?

心配でたまらなかった

結局時計を見ながらわずか40分
美しいポリネシアの波の中でいた時間は
今も忘れえない心象と全身を滑る波の速さ

身を以ってし知る
大切な地球との約束

怖すぎてもう行かないかもしれない海

でも後ろ髪惹かれる海

魅力ってそんなものです

写真が示す

2002年のフィジーと2021年の日本

たまたまフィジーの離島で
大きな青い波を探しあて通った日々
毎日が命がすり減る感じがした
ここは明らかに聖域

手加減もまったもない
嘘のない世界に心が躍った

これこれ
これが本物の海だ!
と身体中に湧き出る嬉しさに元気が溢れた

圧倒的な巨大な波の圧力に
ひとかき間違えたら
大波に引き摺り込まれサンゴ礁で大根おろしになるか
頭を打ち、さようなら

ハワイで昔
頭から潜ったつもりが
一瞬で体が水中でくの字になり
ケツから海底の岩の隙間に落ちた怖さ

あの無重力で何もできない水流に
ひきここまれる感覚は今も残る

本当に胸に怖さが集まった

ここでも雨の中沖で独り
海も空も包む波が
全てを包んで暗い洗濯機に投げ込まれた

2発目で胸が押され
肺の空気が全部なくなり
雲の隙間から空めがけ
口から水面へ出ると
頭の上にまた波が来ていた

4発来たら死ぬかもな
と恐怖でつぶれる思いをした

記憶は頭でなく
胸だと思う

学校のちいちいぱっぱじゃ
知らない席に着く尊さ

海が学校

やがて
日本中を祈る旅と同時に、神社のある聖域へ

出雲の海
伊豆海で祝詞をよみ
くじ切りをする

海に流れ着いたゴミをたまに拾う

写真が変わったのではない
自分が変わったのだと思う

でも地球も海も毎年変わっている
地球が誕生して初めての破壊と汚染のスピードだ

写真は嘘をつけない
嘘をつくのはカメラマン

黙々と泳ぐ

1枚の写真は土居清
伊予の禅寺の師匠が剣の師匠

僕もわずか52年の人生でいく人かのガイドが現れ
また多くの人生の豊かさを教えてくれた

共通して言えるのは暖かな優しさと
凛とした生き様

古武道の柳生流心眼流竹扇舎 島津兼治
古武道の禅寺で修行した師匠 土居清
写真の柏原誠

頭でっかちな情報や
電子レンジは捨てて

黙ってやる
わからないことは聞く
黙ってやる

海では誰とも話さない
繰り返し泳いで20年

よく死ななかったな〜

改めて思う

必死に諦めず泳ぐ
精神的に負けない
今だに溺れる

人には普段
見えない1枚

皮肉なことに
人が作った機械カメラが

その1枚を残し

胸を振動させ続ける

頭は捨てて
黙ってやる

人とは群れないこと

継ぎ手


風は大事です

風も水と同じ水素結合して動く
波動だと感じます

海で言えば、風が波を押したり荒れたり
恐ろしい雲あり
情緒的であり、地球の温度管理をする呼吸

風の脈々とした連接で僕たちがあること

先祖は広島の小早川の城跡にある
祝詞八幡神社
隣接する浄土真宗の寺と神仏習合のままに残る

妻帯しない暗黙のルールの僧が
開き直り初めて嫁をとった斬新な親鸞さん

南無阿弥陀仏を唱えるだけで、善人も悪人もみんな極楽へ行かれる
とした

横から見ると阿弥陀さんは斜め前に傾いている
いつでもすぐに助けに行くよ
という姿勢らしい

実は生きている間の善行が極楽浄土の決め手の浄土への
特急切符ではない
細かい話しはここではしないが

絶対的な位置づけとし
はなから人間には到達できないレベルの仏さんへの
信心をしっかり担保させ
宗教は存在できないとう暗黙のルールがあって存在しうるのが宗教だ

人は出来が良くないが前提
阿弥陀さんの力は絶対的であるが基本

阿弥陀さんの他力本願を推奨した親鸞さんは
自力修行の末感じたやら
実は阿弥陀さんが現れて教えてもらったやら・・・
すごい哲学者だったんでしょう

死んだら鴨川に投げてくれと言ったはずが
本人の意思とは離れ
今や西と東にわかれ教団化した

人を巻き込み、あまり目がとんがると自ら洗脳され
絶対神的な思想になる危ないのも宗教のもつ癖

逆に言えば、精神力を養い
そうした「もの」から離れていくことが
僕は教えなのかもしれないなとも思います

「善人なおもて往生を遂ぐ
況や悪人をや」

他力では海では死にます
山でも死にます
他力は最後の最後と僕は思います

一方で他力の過去未来があり今があるのも事実

自力が今の最先端の今であるならば
過去未来は他力が存在し
予想しない、頼るつもりがなかったが
周りが動き、時が動き
良い結果になる事で世の中は在る

これは何というか?

神仏を尊び、神仏には頼らないと
真っ直ぐな正しいことを胸で言った

宮本武蔵やルバング島で戦後も29年戦った小野田寛郎さん
のような、命を崖に突き出して生きた人はそう多くない

何はともあれ
数えきれない人々の
悩みや迷いや困難な気持ちを解したのも仏教の
おかげな事実もある

日常生活だと
自力の限界を体験しないからかもしれない

先祖の神社八幡神社は九州の宇佐八幡が始まり
祭神が応神天皇(ほむだわけの命)になったのは人間の解釈

特攻隊や様々武人の神として八幡大菩薩や八紘一宇と
戦争に悪用もされていく

元は祈りの人々純粋な
隼人族の方々の物語り

ヤマト王権が隼人を毒殺し力で潰すも
屈せず戦わざるえなかった
シャーマニックな人々

熊襲ともの呼ぶのはヤマト側の言葉

宇佐八幡の反対の山には隼人族を供養するための
100体神社があります
お時間があれば、御心をたむけてください。

過去の祈りや、国に散った
もののふを鎮ることも
震災などの災いを鎮ることに繋がるようです

海の祓い浄めも
日本島には大切なこと

ゴミや嫌な気を海へ投げれば
地球をぐるぐる回るだけ

神社で願い事や嫌なこと置いていけば
そこにとどまるだけ

同じです

写真機で過去の尊い時間をよむ
現代の暮らしで本来の野性的な感覚を
濁ってしまいがち

だから海へいかねば
山でもいいのだけど

海は山も水もある
のっぴきならない状況に身を投じて
わかること

全ての教えは星と風にある

カガセオノ神(星の神)を祈った人々

星の神が封印された
茨城の大甕神社へまた行かねば

大阪の星田妙見にもまた

星が気になる日

水の記憶

冷たい海にいると
太陽光の暖かさを顔に感じる

日本固有の海には
言葉にはない色彩がある

ずっとここにいる海の水

悠久の時間
透明な水は様々な色を反射し
染まってきた

記憶を持つ水に
抱かれて

人は器

オヤジ達
祭りがないと会えません!
神様のお使い

神様に捧げる器を哉(ほこ)という

チャコット

代官山チャコットさんで
毎月第3週に限定人数で
バレリーナさんの1枚を撮影させていただいています。

波と人は同じだと感じています
プロのモデルではない方々を自然に写すことは魅力的です
何かキラッとする前に気配を消して?
移動して押す

昔、ユージンスミスのアシスタントだった
柏原誠師匠に言われてました

いいか
写真機は所詮道具よ
いいなカメラに撮られるなよ
モデルのなキラッとした1瞬をな
バッ!と鷲掴みにし引き出せ!

よく
遠くを見ながらユージンはいい親父だった〜と
言っていた

僕もようやくそんな気持ちがわかるようになりました

柏原はいい親父だったな〜
会いたいな〜

ユージンも命がけで戦場の人々や水俣で人の本心を観てきたから

彼らの憶いと意思を受け継いでいる事実は
選んでもなかなか選べません

彼らも
まさか自分たちが写真に生きた時間が
こうして数十年後、幾ばくか受け継がれていると
思ってもらえたら嬉しいですね

波と同じ野性的感覚

人は器です

人を写すのは難しくもあり
本当に楽しいと言ったらなんですが
ご家族の思い出となり、バレエを通じ手渡せれていくと思うと
感慨深いです

チャコットさんの美しい建物と
プロのバレエメイクさんと
何回もテストシュートをしてきました

一般の方が
自分にもこんな表情や雰囲気があったんだ〜
と喜んでくださるように
スタッフ共頑張ります。

どうぞよろしくお願いいたします。

思い出をチャコットと永遠に

daikanyama.chacott-jp.com/photoshooting/

捨てる

独りで旅をし
泳ぐのも独り

海に話しかけ
海を常に怖がっている

誰かが作った
ガイドブックを捨て

全てを捨てて
ここにいること

自分の本になるから大丈夫

臨済宗 興聖寺

遅らばせながら
京都興聖寺の一般公開もあっという間に終わり
こんなご時世でしたが
12000人もの方々が足をお運びくださいました

織部さんや曽我蕭白さん、ひいては臨済禅の開祖臨済さん
達磨さん、一休さん、白隠さんにも光が改めて
あた立ったことと存じます

皆様がきて頂いたことで
過去の彼らの足跡を感じていただけ
お話をしてくださることが
何よりの御供養と、この日本の京都の結界を
祈り鎮める事にも先ではつながります

皆様が祈り手と同じ
お気持ち
本当に感謝いたします。

興聖寺には僕たちの命が終わっても
また次の世代や数百年にわたり
青い波が残り伝えていく事でしょう

一般公開は今後しない、禅の修行道場として

これからも、ひっそりと波が打ち寄せ
京都に潮騒が呼吸し続けていくことをお祈りします

興聖寺の望月住職はじめ、檀家様皆様にも
この場を借り御礼申し上げます

ありがとうございました。

海で

海は美しい
綿津見の神が住む

大祓祝詞にも記してある
祓戸4神

セオリツヒメ 諸々の罪や禍、穢れを川から海へ

ハヤアキツヒメ 河口、、海底で待ち構え それらの災を飲み込む

イブキドヌシ 飲み込んだそれらを、根の国、底の国に息吹を放つ

ハヤサスラヒメ その持ち込まれた全ての禍を流離って消すというか浄化する

川や海は大切にしてきた古来の日本人

今や、護岸を固めまっつぐな川に
生き物は流され、流速はマシ
子供が落ちても流れて這い上がれない
蛇行し様々な生態系が生まれ(ビオトープ)
自然浄化力もありますが

昨今の人間界は
七里ヶ浜の砂がないのは人災という事実と同様

海は消波ブロックや埋め立てで残酷に生き埋め

神様もやる気なくなります

悠久の時間に造られた
自然のままが美しく、環境にもいいに決まってます

こうした霊的な浄化もこの国土に息づいている
神話や時間を蔑ろにしている

地震や天災も増えます

目に見えるものばかり
ではないことをもう一度

坐禅して海で

ファインダーは見ない
何も考えず押す
何も考えずにそこにいる

坐禅で無になりますか?と

60年以上座禅を毎日する剣の師匠が
禅僧に聞かれた

無なんかなれないよ
 
一言では言い尽くせない無

無がないと1はない
0を発明したインド人は凄いと何かで読んだ

海の中では余計なことは考えてないが
感あげたないのは嘘
その時、その時を感じて一瞬、こうしよう!と決める
日常や試験問題の使い方とは違う
瞬間

だから速い
頭よりも胸で思いつく
胸でから頭に考えの信号は行くから

今とはもう過去だ

今の定義は0.1秒らしい

写真は500分の1
0.002秒シャッターという扉を開け情報(光)をフィルムやセンサーに残す謎
Photo は光の
graph は描く
なぜか漢字だと写真
写す 真実

紀元前にあった?
それは調べて

ともかく謎
光を感知しする

波も人も光を出す?

人は透過しないが
反射はする、発光するのはホタルのケツで
人間のけつが光ったら怖いから
神様は上手に作った

御光がさして霊夢や現実で
神や仏が現れたとき?「僕はまだ見たことがないです」
が近い体験はしました、鹿島神宮の池でくじ切りをした時に
ビかっ!ビカット!金色の光が現れた

話は戻りますが
波は光を拡散、透過、反射、発光に近い

つまり今の先、過去の後ろ?にも光が介在しないといけない

今とは、今が連続する波動をある瞬間に
切り出した1枚、1瞬で

般若心経の話になる

今がないと過去も未来もない
過去と未来がないと今はない

終わりも始まりもない

今はよくわかりませんが
光、今、少し先、目では見えない時
この使い方は古武術や波を泳ぐこと
それを写真が押しててくれようとしています

隠さない

水中は暗かった

海流が凄く
入った瞬間に沖へ右へ流れていく自分

海では位置を常に気を配り

早めに戻れそうな
場所に戻っておく

それでも流され
ひたすらゆっくり
斜めに泳ぐ

海流に対してまっすぐ泳いでは
体力を失い
焦ってパニックに

気を配る
己の泳力を包み隠さず知る

そこが正直にできないなら
山や川や海へ行くな

霧の中

夜、停泊船の灯は水平線に見えたが
大島の明かりが見えないのが
気に掛かるが

寝てしまえ!
で朝4時半に起き海へ

太陽は霧に包まれ
線香花火のような赤い球

水中は雨と波が大きすぎ濁っていました

撮れた感じがしなかった

あとで現像してみます

93年住んでいたオーストラリアから9時間バリ島へ寄ったのがはじまり

数ヶ月後
バリ島に魅了され、ジムーにーをかり島中を周り
いい宿を探した

助手席に地図を広げ
サヌールに海に面したいい宿ガゼボを見つけ

ある日ふと、最近の観光土産を売る他の店とは違う
本物の骨董屋に恐る恐る入った

奥には黒メガネでランニングシャツの
オールバックの独特な雰囲気のおじさん

何度か通い交渉し
古いイカットと100年前のお寺にあったガルーダを2体
結構な値段で買った

3ヶ月後また行くと
俺のうちに泊まりに来いと
泊まり、バリの衣装をかりタナロットの寺院や
先祖の供養へ行く流れに(ガルガン、クニガン)

ジムニーに奥さんと息子をのせ
山を抜けシガラジャという真北の古都の親戚の家へ
途中いくつかの寺で祈祷を受け捧げ物をし
見様見真似で祈り、おでこのチャクラにお米を貼り付けられ
耳には花

親戚の子供はお父さんと
距離を置く感じだったが

やがてご飯を食べ
(今まで生きていたセミ売りの少年から買った、セミの唐揚げのサンバル和えや野菜)
部屋を案内されると息子の部屋に
俺が書いたんだよ

と嬉しそうに言う

庭で息子とお父さんに
2人でホラ 写真!

と言うと照れ臭そうに息子はお父さんの横に行き
お父さんはがっしり腕を回した
満面の笑顔の2人を覚えている

DREAM OF YOU 親が誰もが子供に願う夢

夢を見なさい
夢の入り口へようこそ

入れ物のの自分へ

波の旅を独り
島から島へ

巨大な力に
飲み込まれ、窒息寸前まで連れてかれ

遥 沖の波の中で溺れ始めたあの頃
よく取り止めもないことを
ノートに書いていました

そんな
恥ずかしいそのままの文を少しずつ

冬のハワイで溺れ
オーストラリアのバーレーヘッズに向かう前

おまえ海へ行けよ
旅を続け波を撮れ

残りの書以外の全てを注ぎ伝えよ

常に判断をし

正しい道を自ら選び
直感を信じよ

伝え残せよ

2001年9/17

杏橋幹彦

変身

遭わなければならない
多くの困難を超えるしかなかった

波が寄せるだけ延々と続き
自分の力を正直に自分にさらけ出し

波をいかに逃げ
波のどまん中に入ること

真逆の中に本物がいる

ここに線がある

それがアジアのタオであり

陰陽

般若畢竟

無生法忍

愚痴は全て流し去る

海に行くことをやめねば
無視できない現実

人間が長くいられる場所ではないのも海の事実

物理的には、所詮敵わない海の力と
泳力の問題

大波に巻かれたら
どうなるのかの片鱗は波乗りで
少しはわかったつもりでいたけれど

泳いでしばらくすると
それは「つもり」であって
人間様の予想など置いてこなければ簡単に
死ぬと笑った

どの程度の大きさの波まで泳げそうなのか?と
今も疑問が付きまとう

正確に胸へ全身から集まる
何かがある
血の気が引くというやつか

ある種の怖さが自分の中に生まれつき持っていて
あるのか?
外的要因で外から、胸に入り込むのか?

波から戻り
雨風のうつ
海の小屋で夜考えていた

通り過ぎられない
目を伏せたら先はない怖さが正面覆いかぶさる

早い判断
考えは捨て
考えるより速く動くこと
ファインダーは見ない

胸がハッとする瞬間に
頭へ行く信号を切り捨て

胸と人差し指と繋ぎ一気に押す

写真はこうして撮るもんだ
泳ぐってこういうもんだ!

と海で独り大笑い

まるで刀で切り
手裏剣を投げるように
水中で、人差し指を腰と一つに動かせる

なんだ
古武道と同じじゃないか
 
教科書にはない体験と確固たる答え

旅も海も独り

独りでできる範囲
誰もいない海で祈り
決心する

自然界に神経を張り巡らせることが
喜びで、それが神々や自然との約束した距離だった時代

自ずと感覚的、感知する力も
今よりもあった

星を頼りに航海したナビゲーター
星の動きが人間界に影響を及ぼすとした昔の中国や日本

陰陽師がいるように
人間には魔術というか、不思議な術が使えるのだが
随分とそうした感情性と力を持つ人が
少なくなった

イギリスや日本にもミディアムと称する
あるレベルの霊能者やヒーラーがいる

僕もそうした知り合いがいて
たまに答え合わせにいかせていただく

そうした見えないが在る

潜在能力というと、鼠講や
ビジネスマンの啓蒙開発的セミナーで
きな臭い

現代の鳥籠のような学校や
ノーをノーと言えなくなった社会で

地球人が自ら蓋を捻ってしまった事

海の中独り
どんなに、胸が締め付けられる思いや
恐怖に支配されそうになっても
限界は自分が決めている

魂が負けないように
自分で自分の背中を押せば

海岸に戻れる確率が急に変わる

何度も変身しバージョンアップし
今は、都会の雑踏に隠れている

海へ行きたいな

竜宮城ってあるんだと思うようになった

人は器

僕の古武道の師匠
幾多の死線を超えたえきた

土居清
先祖は四国の松山の侍

幼い頃
近所の寺の道場を覗いていると
坊主入れ!と

和尚さんが呼び
やってみたいのか?

うん
でも・・・・

お金はいらないから

それから始まった厳しい修行

はじめの6年間は(6種類の型)6本の振りのみ
刃筋を立てろ!

防具もないから耳を切られ鼓膜が破れたまま

和尚さんは剣の達人で王伝という位を持っていた
あらゆる刀の流派を取り入れ
速く無駄なく相手を切り倒す術を研究し鍛錬したそうだ

そう上の師匠は木こりをしていたそうだ

当時土居の師匠が確か40代

やがて月日が流れ

師匠は水面の月を切れた

俺は切れなかった

師匠にできなかったのが
家の軒下に落ちる雨の水滴を
切れた小tろくらいか・・・

懐かしそうに
遠くを見つめポツリ ポツリ

当時の景色と
師匠の時間を見ていた

2人でな
一度四国を離れたな
その寺の師匠にな見てもらった

そうしたらな

よし!頑張ったな。

お前は皆伝だ
と言われてな

・・・・・
冬も外でな稽古して
学校始まる前に3000本
帰ってまた寺で3000本な
やらないと、見破られ
ぶっ叩かれた


子供の頃から
坐禅してな

懐かしいな・・・・

優しさと
憂いに満ちた人柄

子供たちへ勇気を持ち
間違ったことは違うと
言える、今の政治家にはない
人としてな

・・・・
自由自在

融通無碍だな

さっ
稽古するか・・・・・

手始め

オーストラリアを一人旅をしていたのは
1993年

あてもなく
ブリスべン空港から
長距離バスで海の田舎町
バーレーヘッズに向かった

ビザは1年あったが
そんなことより、これから不安しかない

今からどうするのか?

どうしてもここに住みたかった

カメラを首から下げ、巨大なバックを背負いウロウロ
狙われる観光客だなと周囲を気にした

結局午後には奇跡的に
プール付きの家を借りれることに

来る前は頭でごちゃごちゃ考えた自分が
クソだと笑った

やがて4ヶ月
仕事も家のオーナーがオパール屋さんを開き働き

なんだか普通の暮らしになって馴染んでいた

旅のパンフレットを見ては別な場所に行きたいな〜
と南極?7万円?
近いな

なんだか目的は達成した感じがある日

潔く
帰ることにした
一年以内といけないという自分の縛りをほどいた

そんな時飛行機はバリ島に9時間止まる

その時のトランジットが
オーストラリアより電気が走った

昔ながらの、神様を大切にする人々と

懐かしい昔の日本のような景色

山に段々畑のような田んぼや
白鷺がとび、線香がたかれ
神様の寺院で独特な音楽と舞う人々

結果騙されたわけだが

9時間で7000円の高額な、道で声をかけてきたガイドのおじさんの車
から見るガジュマルには黒と白の布が巻かれ
祭壇がある
ご飯が屋台で50円を考えたら
たくましいとも思える営業力

次はすぐに自分独りで車を借り旅をしたい!

そしてバリへの旅が続いていく

まだ90年初めは日本人も少なく
日本の旅の先輩方の第2ジェネレーションくらいで
まだまだ昔のバリがそこかしこにあった

ガイドブックもなく
地図を借りたジブニーでバリ島を一周し
感じのいいところに泊まろうと
見つけたのはサヌールの海岸とウブドのチャンプアン渓谷とモンキーフォレスト

夜屋台にくと
発電機のランプのした
見たこともない料理

ある店で食べていると
ご飯には黒い点々

よく見ると
象虫

おばちゃん!

虫入ってるよ

おばちゃんは

そうか〜
貸してみな〜

となれた手つきで
虫を軽くはらって

ほい!よ
っと普通に返してきた

目の前に座る
外人と笑う

俺にも入ってるよ

ドイツから仕事休んで
3週間一人旅をしているという40代後半の旅慣れたマイク

日本の会社は3週間なんか休めないね

お互いの旅の話をして

またどこかで

と別れた

裸電球の森の屋台

なんだかよかった

星空のモンキーフォレストの荒れた道を歩いて宿へ
帰った

旅は一人に限る

それからはバリとオーストラリアの旅をくり返す

それが今の波の一人旅の原点になろうとは

充分

酸素ボンベを捨て、この身1つで行かないといけない

何がいけないの?か

いけないものはいけない

自分しかわからない確信

そうすべき日が人生で毎日来る

自分がそれでいいからいい

比べて、競争させられ、学校で養殖された僕たちは

もっと野生的で、感覚や鋭い勇気に蓋をし
生きている

海は嘘や己の欺瞞は持ちこまないよいうに
持ち込んだら即、答えがくる

人は今海や山や川で作法を忘れている

水や命を山から、頂き山に帰ると信じ
役行者とお不動様など仏さんたちと
瀧や磐座で祈りを捧げる、ネイティブな修験者の方々には頭が下がります

太陽も水も作れません
大切なこと

いい学校に行かせることではありません

いい時間を過ごす子供たちの笑顔が大切です

小さな子たちにも丁寧に説明して
体験させれば
自然に手渡していける
感じたままが尊い体験になり
その子供をいつの日か助けていく

畳の上の水連

飾らない

太陽がなければこの現世は終わり

全てをわけ隔てなく包むのは風

あんな遠くからきた光に熱を感じ
海が動き、風が生まれる
風がなければ私たちは死ぬと
歌う
ナバホ族

ネイティブな彼らが世界中で感じたことこそ
この地球と宇宙と海の真理である

海へ山へ

飾らない
足さない
1枚と1瞬に身を置いているはずだが

チャコット

オンワードグループ
バレエのチャコットさんにて
毎月3日間だけ、ご予約制

毎月変わる演目衣装と、お好みに合わせ

バレエのメイクアップアーティストさん
共、今までのバレエのポージング記念写真ではない
1枚を写真を撮らせていただきます。

今回は締め切りですが

次回予定は
4/22.23.24の3日間
1日4人様までになります

撮影後,現場でお客様とセレクトした10枚と額を1つプレゼント
現像や修正をし、約1週間後に郵送でご納品いたします。

詳しくは
daikanyama.chacott-jp.com/photoshooting/

よろしくお願いいたします。

パタゴニアと

伊豆の最果て

今回は撮られる側に

翌日チャコットさんの
人物撮影があるので
とんぼ返り

波は小さく、腹、腰
若干水は濁り太陽も隠れ
海にはいるも撮影はできなかった

ウェットは必ずオーダー
バックなどは全て

パタゴニアが認定するプロ登録で12年ほど
お世話になっている
パタゴニア

道具は命がかかります

機能美と頑丈ながら
素材のしなやかさと細やかな縫製

いつもありがとうございます。

A-cars

5月日発売予定
A cars  の取材をしていただきました

Patagoniaのプロパーチェスという認定をいただき
早いもので12年?
海や山で命を守る、絶対的安心感と機能美

実際に泳いでいる海での物語り
シボレー エルカミーノ87

3台目のエルカミーノ

中野編集長、ライター本間さん、車のカメラマン佐藤さん
遠路とんぼ返り、わがままにお付き合いくださり
ありがとうございました。

お疲れ様でした

巡る礼節

陸地の山は昔は海の底
海の中にも山や渓谷があります

海に満たされている訳です
 
大なり小なり海に囲まれた島が地球

事代主、大山祗の神の2人を
三島大明神

江戸時代山神の大山祇の神だけだった
大昔は事代主と2柱という説にの戻し
三島神となったと

三島とは伊豆諸島の神さまでもある

ですので
海に入る前には祝詞とくじぎりをし
神様の神社へご挨拶と御神酒をご奉納し
撮影させていただいています

しないと撮れない?
とか
いう話ではなく

純粋にご挨拶と
幾ばくかの時
撮らせてください
と呟く

独り言のオンパレード

発泡スチロールのくずやプラスチックや漁具のゴミだらけの海岸で
ゴミを拾いながら、謝ってます

海を尊ぶことは神様を尊び先祖をも尊ぶことに

本心は巡ります

宇宙や自然は全て見て聞いてます

シンプル


神も仏も
自然発生したのやら
 
この宇宙と地球の海と大地が始まり

そのあとに、どこからともなく来たのやら
そもそも、地球誕生の際に一緒にいたのか

目に見えないものを信じることは確かに尊い

古来の人
いや
わずか150年前
白装束の行者が国内に100人に一人はいたと言われ
全国の社寺へ納経し祈りを捧げた

おかげで日本は今より
いわゆる霊道=神様の行き来する道が通っていた

感じる何かが明らかに存在し、その感受性が今の僕たちよりも
鋭かったのであろうし
 
見聞きして、高速化して携帯もネットもない
感覚の赴くままに生きた時代こそ
野生的であり、地球の時間と溶け合っていた

海をモーターで動くのではなく

人力で泳ぐ行為も
原始的な対話と融合

1つの可視化できる像はない、神代の世界と今の神社
像があると
依存を免れない

社には天照大神の木像はなく
木や紙に神様のお名前が書いてある

海で見えないものを押した1枚が写真

そこにはないものを押す

押そうと思う時にはないもの
波は常に高速で変化する
動いているのではなく変身しているとう
方が正しい

何も見ないでという嘘だが

ファインダーは見ない

そこには信じるは無い

もっと原始的な野生な感覚

何かうつれ〜も無い

こういう絵を撮りたいも無い

信じるというのは
人間臭い

無?

いや無とは何か?

無などあるのか?

無の境地と言った時点で無ではない

0だからこそ一がある

形ある固有のもは存在できない

天道と海の動きに胸を寄せ、胸をたむけ
自身の判断の鋭さを磨くのが人の道
そうすれば自然に誰もがいいと思う

干渉し合わなくて、話をしなくてもいい

風に舞う海と海鳥や魚
虫や山鳥や動物

淡々と食べて寝る

途方もない時間が自然に創った自然

やはり一人旅をしたらいいと
他人を誘わず、強制せず
独り修行を重ね自然に

誰かの台本ではなく、自身の体験の言葉がでたお釈迦さん
は真理をついた

本音はこの宇宙と自然にある
その風を読み流れるうちに

学校や教科書の人間様が作り変えたルール
は違うなと思う

体験

経験

を大切に

勇気をたくさん
引っ張り出して
自分を押す

シャッターも同じ

尋常ならず すぐれたる徳のありて
(よのつね)    (こと)

可畏き物を迦微とは云なり
(かしこき)   (いふ)

本居宣長

普通でない優れたところがあって
恐れ多いものを神という

古事伝より

本居宣長は江戸時代の国学、文学、医師
三重の松坂の出で、22歳で医学修行のため京都へ行き
儒学、古典学を学び修め国学の道へ

美しい国土(自然、海、雲、山、川)に則して即して生きる事を
人は忘れてはいけない

人としてとは
おそらくはその国土の、移ろいや呼吸や循環輪廻、宇宙と海や波動の
美しさと怖さと霊験なる体験や瞬間を
感じながら生きることに尽きる

人も仏も神も後から地球に来たらしいから
自然という勝手な造擬語もしかり
言葉でも文字でもない、そんな悠久な時間は

目には目ない
目に見えてるものは物体や波動が動く瞬間の過程であるから
「もの」という「もの」は見えていない
が人間の目に見えた瞬間が全ての色でも形でもない

本質を掴むこと

空や海や川や滝や音は生きていて
変化し続けるから
海である

しかし海とは何か?

時間が作り上げた動きを海という
波も海である

1つのものではなく集合体であり生きている
と僕はおもう

自然と呼び捨てした、西洋文化と文明を無理くり輸入した明治の役人

古来からの天然地球を探して
穏やかな時間と激しくちょっと怖い時間に
身を置くと心もついてくる

心と身は
心なる何かが先にその海岸に立っている

体より先に海岸に立つこと

それ以外にない
それ以下もない

Bay Fm 78.0

Bay FM 78.0
ザ フリントストーン モンベル協賛

ナビゲーター小尾渚沙さん

www.bayfm.co.jp/program/flint/2022/02/27/guest20220227/

遠藤様、栗原様、小尾様、甲賀様、植田様
みなさまありがとうございました。

素晴らしい経験になりました。
感謝いたします。

この場を借り御礼申し上げます

杏橋幹彦のマネジメント事務所の新しいWEBもできました
www.umi-bushi.com/

興聖寺とフィジー

海は恐るべし力で
空をも飲み込み青い透明な雪崩でくるんだ
そんな中を酸素ボンベを使わずに泳いだわけは

死に接して
この身を死ぬ可能性の高い場所に
投げ込み写す
戦場写真に類似した部分に
本物があると感じ

独りで機材を背負い
世界に波の中へ行った始まりの写真

現像して現像所も驚き
目は補正してしまい
本物の色ではないと知る

36枚フィルムを詰めては
泳いで、大波を逃げようにも逃れず
逃げずに波の中へ大胆に入った

風のない美しい昼間
水中の波が太陽光と一緒にうねりキラキラと発光しながら崩れていった

目で見たものが本物ではない
見てから押したんでは遅い
1秒の500分の一
つまり0.02秒の目には見えない時間が

この身はやがて消えていくが
海と襖とお寺の仏様や達磨さんは
曽我蕭白さんや織部さんがいた頃のまま

あの場所で未来の人々へ
伝え続けていく

人生は儚い
から腑に落ちる生き方を
自分に見せていく

それに限ります

旅から旅へ

残像


人間様のご都合を
全て捨てなれば
本物の海は知り得ない

海は答えを1つ1つ
時間をかけ
胸に残してくれます

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