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自然美
オーム岩
伊雑宮
もと伊勢
伊雑宮
ここが本当の伊勢神宮とも言われる
謎めいた場所
剣の達人で霊力をもつ
小泉大志命さんが澄子さんと
すみくらし
地元の有志の
神武参剣道場を開く
日々、裕仁天皇のため、呪詛を祓うために
この地に呼ばれ、鹿島神宮で篭り行をし
武神タケミカヅチの力と溶け合い
刀を1日3万3千回
振り続けた聖地
最後の元勲で政界のドン
西園寺公望の依頼だという
しかし西園寺の秘書
原田熊雄はフリーメーソンで
山縣有朋が昭和天皇に、御用邸にお出ましの際に
婦女子を近づけ、原田も良子女王殿下に
不純な行為を及ばせようとしたため
国粋主義運動家の
渥美勝さんと仲間が
影ながら皇室を護っていたという
敵の対日謀略には警察も軍も
当てにならず
自分たちでお守りするほかないというのが
蝦夷の流れの本流である
(渡辺悌治 ユダヤは日本に何をしたか)より
何が本当かわかりませんが
熱田神宮の剣が最終的にはここに
戻るとも噂される
旅へ
チャコット撮影
日本の海は美しい
昔海でしったかやサザエをしこたま取り食べた
たまに赤くよで上がったヤドカリがいて
子供ながらごめん!と謝り
ようじを、蓋のしたに差し込んで
くるりとかいを回して
パクリ
どこの海でも
いいってものじゃない
こればかりは
難しい
初めて入って
すぐに写るとは限らない
何が写るかわからない
写真を撮る人は見えるものに
予め
目星をつけ
旅の時間や予算や
構図までも決めていく
馬鹿な話ですが
今やネットで
誰かが写した景色を
見てから、写しにいき
さらにファインダーを見て押す
時間が経ち過ぎです
コピーです
頭にイメージがあり
初めていくのに
初めての景色ではない矛盾
そんな人口写真には
絶対に足りないものが
自然に出ます
海は自由です
旅は独りです
独り波の隙間で常に挑戦と冒険
流されても泳ぐ
波に巻かれても泳ぐ
苦しくても泳ぐしかないのです
ゴニョゴニョしても
浮き輪も、誰も助けてくれません
生きたいのか?
死にたいのか?
ある日、フィジー の離小島の
また300m沖で雨の大波に飲み込まれ続け
気付きました。
気持ちは自分と一つ
やるしかないです
単純明快!
幸せの必殺技
は海へじゃぼん!
嘘ついたら死にます
もう一つの夫婦岩
夫婦岩
二見ヶ浦
パークホテル東京
脳について
冬の海へ
オアフ
2013年オアフ島
フィジーの空港であい
偶然行き先の島が同じだったハワイアン
と仲良くなり
結婚式の写真を頼まれた4月
2003年から訪れてなかったハワイへ
メリーモナークのチケットが手に入り
ハワイ島のフラの大会を見
宿も取らないまま来たが
本当にレンタカーも
宿が全然なく驚いた
何とか
木にくっついた不思議な宿を見つけた
島中泳げそうなポイントを探し回り
パホアという場所を見つけて1週間
波の中を泳いだ
薄濁りの海はサメが来ないか
少しきみ悪かった
そして
オアフにへ戻った
真珠湾で亡くなったパイロットの名前を読み祈り
ノースショアへ車を走らせ
木でできた昔、泊まった宿に戻った
あの溺れた日に戻った部屋もリビングも
懐かしくそのままだった
コンディションの良い海は1日だけだけど
優しい波で写真に残させてくれた
ベンジャミン
ある日
ある日6歳の土居清は
このように塀から中を覗いた
庭で稽古をしていた禅寺の和尚が
それに気づき
中に入れと言われるまま
入ったのが始まり
以来
厳しい修行を積み重ねた思い出の地
師匠は土居が35歳の時に
大阪から5年ぶりに訪れると
その3年前に亡くなっていた
皆伝の免状を受け
次にきたら極伝をお前にと
言っていたが
お互い連絡をとっていず
悲しい別れとなる
学校の前と終わりにここにきて
ひたすら最初は木の棒を振り
一日1000本基本の6本のかたを6年間振るだけだったという
師匠は水面の月を切れた
俺は軒下に落ちる雨の水滴を斬れた
自分の爺様は鴨居からたらした
乾いたタコ糸を斬った
懐かしそうに
この銀杏の木に立てと言われ
こうしてな
腕広げてな
動くなよ
と
師匠がな
ピーン!と一振り
細い傷をおでこのつけた
よし!
明日から来い!
と言われてな
それが土居清のある日
ある日は
人生に大きな影響と歴史と光陰を残す
その頭ではわからない
胸の動くままの自分の素直な
行動と意志が
次々とある日を織り込んでいく
宮司さん
土居清
苔むした神社は約500年前の
武士だった土居清良と部下たちのお墓は
神社と隣接する臨済宗妙心寺派のお寺にあった
団子や酒やみかんなど
当時彼らがこの地で戦い
また領民のために尽くした憶いが
山の中腹の鬱蒼とした森の中
村を見下ろすように建てられていた
年に2回祭礼を執り行うという事は
すでに1000回以上も、宮司や村人から村人へ
手渡されてきたという事になる
1546年 土居伊豆守清宗の3男として生まれ
15さいの時に侍の父を戦で亡くした
幾多の戦いにと
村人や家来のために尽くし
84歳で生涯を閉じた
彼の執着のない大胆な生き方は
土居清がそのまま受け継いでいる感じがする
現代の古武士が残りの人生
剣を持って伝え残そうとしている
四国
レ アピ オステリア
パークホテル東京 展示
ファイヤーキングカフェ
人は器
ファイヤーキングカフェ
代官山フルマークス
本日29日 夕方18時から21まで
代官山フルマークスにて
Tシャツ 発表パーティー
スリランカのサーフブランドとの初コラボ!
福島ハルさんの情熱の合うトドショップと数々の北欧のブランドなど
お店にも様々な、よりすぐりの大人のアウトドアウェアーがあります
ぜひ
無料です。
飲み物を個人でお支払いくださり
自由なスタイルです。
渋谷区恵比寿西1-30-16-B1
ファイヤーキングカフェ28日営業時間
石畳と69年頃のポルシェは街並みに溶けている
大事にされているな〜
幸せなパープルのポルシェ
昔の車が好きだ
今の車は家電で
快適な家のようでつまらない
誰でも運転でき
所詮壊れたら部品がないゴミになる
かつてはレジスタンスだった
ヒムカ大統領が古いワーゲンに乗り
持続して使えるものをなぜ作らないのか?
と演説し
国連の先進国の人は胸にぐさり!
ときたが知らんぷり
2018,2019年アムステルダムで展示をしてきました。
どこへ行っても観光地には興味がわかず
毎日宿から展示場へ通勤の10日間
気力体力で作品を運び、ドリルやメジャーでかべに取り付けては
次の国へ
電車だったり
バスだったり
乗り方もわからず
色々教えていただいた
自転車の国で(都市が平だからか?)
バイクや自転車レーンを歩き怒られたり
長いものから、子供を前にのせる部分があったり
ぶつかったら危ないと思うが様々な自転車を見た
すごい飛ばす!
若いのに杖をついた足の悪い人が多いのは
そのせいだとオランダの人が言う
ヨーロッパはなんか居心地が悪い
海がないからだろうが
どうも親和性が持てないと言うか
食べ物も気をつけないと
オイリーだ
体が鈍るな〜
改めて茶道や武道や浮世絵などを作り
茶室や美しい庭の方丈で瞑想した日本人の
穏やかで、美意識の高い精神性を尊く思った
三脚を捨てる
紙一重
神人重
同じかもしれません
神とは一つの人型の人にあらず
神羅万象の風
人に似せた仏は
後から日本に輸入され
蘇我と物部が争いに始まると言われる
確かに神様とは全く関係のない外国人と
像という偶像、仏像を拝むわけだ
仏は供養というイメージが強く跡を引いている
いいとか悪いではなく
その利用法や使い方
扱いや解釈で揉め事もおき、宗教問題や戦になっている事実
しかしながら、長い時間そこで祈られた仏像や
お経と修行した者のかもし出す
妙な雰囲気や、不思議な何かで救われた人
様々な祈りの起こす現象に溶け合うと
なんらかの魔力があることは否めない
バランスの伝え方が難しいのは
そもそも最澄や
あの法華経以外は地獄へ落ちろ!由比ヶ浜で浄土信者の首をはねねろ!と執権北条に言った
強烈に熱い男の日蓮や様々、人間が指し示す
経典なるそれぞれの宗派による絶対的なルール
を決めたのがズレの始まり
我々民衆は宗派や檀家制を強いられ
長男以外は別な墓を指定の墓業者から買えとか
法事のや季節ごとの催しで
高いお金を指定され
葬式で極楽浄土へ僧侶がしっかり請負い、送ったはずが
お盆に亡霊となり帰ってきてしまうので
供養しないといけないという
辻褄の合わないビジネスモデルが自然発生する
仏教は六道輪廻の妄執を断ちそこで自ら解脱して
彼岸に至る道を観教えなのに・・・・
極楽へ引導すると約束したではないか?
だったら最初に、それでもですね
毎年夏に降りてくるから、あげるには
費用がかかりますと言えばいい
でも僕たちより、すごい力があり
自分で下界へこられたのだから
極楽へも自力で帰れるだろうに
自力をさせないのが世の常か?
政府も然り民衆をマインドコントロールしたいからか?
そもそも身内だから帰るとか帰らないではなく
日々近くにいて、孫や子供たちの日々をみままもり
ニコニコいてくれるのだから、いいのに
なんでまた、亡くなった方は修行中ですとか言うのだろう
観たのか?
霊魂、鎮魂と家族を忌み嫌う霊にしたてるのがよくない
お釈迦様を絶対視し、その教えを貫くなら
輪廻転生とは生まれ変わり続けるのだから
途中で変な霊にはなる暇がない
僧は妻帯はしないというルールや(親鸞がある日2000年近いルールを
表立って破った)
独りで旅して悟れ〜と言ったはずの自力修行が
いつの間にか他人の救済の為とか、リフフォームを繰り返してきた
これは芥川龍之介の「作り替える力」や
柳田国男も「先祖の話」も同じ
疑問を霞にぼかしてきたきたのが日本人
大乗仏教はお釈迦さんとはなんの関係もないと
江戸時代の比較哲学者 冨永仲基さんの話は
誰も異論が唱えらていない
「最澄の法華経や、法然の阿弥陀経も全て
後から作られた作品である」
自分で解脱すればいいが
解脱をした人を拝めばその力をうけるとか、いいとしたのが
大乗仏教
お釈迦様は
霊魂はいないと言っている
方便と解釈の幻しを隠しているが
隠しきれないのが真如
仏道の人に、お葬式や戒名やお盆の謎
声を上げない日本人のまな板の上の魚状態が続いている
生まれたら神社
753は神社
下手をしたら結婚はキリスト
死んだら葬式
アーメンである
神とは海
風、太陽、サメ、魚、石、全ての循環と
宇宙によりそう叡智と心
そうした線を
重ねることは
我が身や心を相手や宇宙や海に合わせていく
海の気持ちになり海へ行く
ウニを踏んづけたら
ウニにごめん!とウニの心に
全て海の生物は受け身です
悪さをするのは人間だけ
山伏は懺悔懺悔と山で言う
一重に憶うこと
陰陽も同じ
海と人
宇宙と内面の心理だと思います
人間界の都合のおかしさ
に汚されず
心一つ山や海へ行けば
すべ手が胸にスッと決まる
道は色々ですが
人工的な道は捨てて
自分一人で山や海を歩くこと
宗派の違いを例えるお決まりのフレーズ
道は違えども高い嶺から見る月は同じかな
でも
僕は一つでも固有された「もの」でも
到着地点が同じだとは思いません
無限なる自由と回転し続ける風に乗ること
己の光が照らす影がずれないように生きるだけ
同じ写真がないように
人の個性や瞬間が、同じように重なることはない
三脚が生きた写真を殺す事実
神とは遠い遠いご先祖のようなもの
海の話
ファイヤーキングカフェに来たのはもう18年前
連日お足元が悪い中にかかわらず
皆様にお越しくださり
この場を借り御礼申し上げます。
波でひとり泳ぎ
綺麗事はとは抜きに溺れては
なんとか海岸に戻り
また海へ行く日々
フィルムが入ってなかったり
様々
それもこれも
こうした展示会があるから
月並みですが頑張ろうと思っていました
溺れて死んでも
なんら悔いもないです
ただそこで準備不足や
体の状態や心がぶれていたら
本当の力を発揮できずに
海岸に戻れないのはスッキリしません
死ぬ気でかかれ!
と
常に鼓舞して波の中へ向かいます。
そこには常に冷静な平常心
無とは難しいですが
撮っているときは無だと思います
無の境地は武道に似ています
体が先に動くだけ
頭で考えないこと
あたまで考えて泳いだら
パニックになり
死にます
僕も数回この線を超えそうになり
本当に意識が飛ぶところを観てきました
一貫して体術を使い波の中に入り込み
ノーファインダーで押すだけ
自然界に迎えられ
受けいること
全て何か感じた
見た瞬間に押しています
ノートリミングの写真です
ドキュメンタリーで生きると決めたので
全部一貫してそのまま
海から戻り昔は現像し
後で見てみて
あ〜撮れた
という感じです
今はデジタルなので
待つ楽しみもなくなりましたが
すぐに確認できるので間違ったカメラの設定や
向きなど、次に修正できる
またフィルム交換にまた30分かけ戻らなくていいので
楽になり、撮れるチャンスが増えたのも事実です
変わらないのはカメラ以外
アナログな世界と精神世界
1枚1枚
0.02秒で押したたまたま
色を足したり、変な加工はしません
とは言え
実際の色は、目は補正しますし
速くてなんとなくしか見えてないので
写真の内包する情報を引き出すことはします
島々へ旅から旅へ
泳げそうな場所や、透明な水を探した20年
お客様にもよく生きてますね
と笑われました
いつまでも
溺れています
溺れない日が来ない日がないのか
恐るべし波の力と宇宙のパワー
人為の及べない
人為では征服できない
美しい青い森の海を穢すのは人間だけです
ペットボトルでできた海岸や
洗濯水などの汚水の海
やがて地球の透明な海がなくなるでしょう
所詮、池や水槽と同じです
バクテリアなど生き物の浄化力が飛び抜けているだけです
呟き
本日14時からおります
ファイヤーキング
ファイヤーキングカフェ
Fire king Cafe
FireKing cafe
のうじょ
ピラミッドの山
斎館
山中に300年
修験道の聖地
100日の篭り行を2人でする修行場
(50日2人でここ、外出は山の中だけ、車、バイク、自転車なし)
(50は自宅、宮司など関係者が、事前に独りで住む場所があるか?隔離前提で確認にいくが、正直その先は監視していない
本人の信心に任せてあるので、どうなってるかは正直不明とのこと)
祭壇にはお稲荷様(出羽三山神社は天台宗など神仏習合を経て、様々な神様を人間がその時の都合で祀った)
本神は宮司さんも扉を空けていないので
正直わからないという
神秘が漂う古来のままの宿坊でもある
便利で過剰に快適なホテルではないので
ホテルが良い人は来ないように
当然虫もたくさんいます
風光明媚な宿は
そもそも虫の住む世界に人間が勝手に破壊し
建てたまであたり前です
大自然の中に
屋根と壁があるだけが山の宿の基本
いくつもの結界の先
先人がなぜこの場所を選んだのか?
結界とは何か?
毎朝、毎夕宮司さんは、祝詞を捧げ供物を捧げる
館の扁額は大権現と最後についているので
仏教の匂いもします
本堂から持ってこられらたようですと宮司さん
霊力を持つ霊鳥の招きでこの山に
社を気づいたのが始まり
鳥のイメージで独創的な鳥文字は霊力を持つ
天狗、狼や海の神を尊ぶ
アミニズムの集約地
自然に毎日、人知れず行うことが
行であり、真心である
あーしろとか
こうでないと来世で大変とか
お盆に先祖が帰ってくるから
またお経を読まないと、迷いますとか
霊感商法的な日本仏教
山や海にいけば宗教なんていらないわけです
日本でも唯一行っても過言ではない
羽黒山の石段とその道中のいくつもの
山神、海神
祈りという言語も
なんだかきな臭い言葉だなと感じた
自然に胸で感じた思いやりと
ありがとうございます
そんなシンプルなこと
だと思います