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子供の頃、水中の岩から岩へ動き
2本の網で魚を生け捕ることに夢中だった

食べたり、飼うために酸素の電池で動くポンプを入れる
ビニール袋のついた持ち手のあるビニール
に海水を帰り際に入れ替え
渡船で無人島から戻り
20分くらい歩いて
電車とバスで下関の壇ノ浦の田舎へ帰った

そもそもが作りが華奢で傾いたり紐が切れたり

疲れて居眠りをし電車で
こぼしたり

途中で魚が死んだり

海とは不思議と
何十年もその付き合い方は変わっても
ご縁がある

あの浮遊感と
心地よさと
怖さ

一歩間違えたら
流されたり、溺れたり
死ぬことを子供の頃から気にしていた

やがて
あえて死ぬギリギリに
本物があると感じ

海を征服する
酸素ボンベを捨てて
機材を脱いで

裸で海へ行くわけだが

そうすると
今まで知らなかったこと
水の感覚や水中での動き方など

肌で感じる水や
流れに乗り
流れを避け

瞬時にまたは間を受けて
変幻自在に動く必要が
生きるために必要になり

同時に並行して
海の儚さと本物の怖さを知っていった

全てを捨てていく

思いや
人間様の勝手な押し付けや
まがまがしい計算や考えを持ち込んではいけない

自然とゴミを拾い、胸を合わせていく

海ってそんなところだ

ネット社会や電子レンジのチンのおかしな
人間界、記憶がなくなる腐った政治家

海へこい

古武道と同じ
いや
古武道が理にかなった
自然な無理のない体の動き

そして肘が伸びきって
内側から
波を受けると折れます
関節技に

ですから海の中でも
必ず窮屈でない体の体制で
肘も軽く曲げ

もし大波が来て
巻かれたり
潜り抜けるなら

波の角度に合わせ
垂直に腕を指先から伸ばし
順番に関節を滑らかに動かす
と水が味方をしてくれ
水の力が(水素結合を利用)スッと逃し
前に進めてくれます

回転も肘から指先から頭と首を向け
また指先から顎を引いて頭から抜けます

内側に肘を曲げる
外は折れるか靭帯を損傷します

武道のマロバシの術と同じ

内側への
円運動です

古から歩かれてきた道

海は生きている
一つは水素が生きている
その集まりの川や海や湖さえも

岩や山や巨木や瀧に
なんらかの命と神様がいると
感じていた先人達

修験道で修行する方々
または1人で山をあるき祈る人々
山寺で修行祈祷される僧侶達
日本は凄いです。

頼まれるわけでもなく
日本中で朝夕とわず、心を尽くす祈りを
行き渡らせている

感情移入しやすい構造物で
依代を表した神社

またはその場に
神様が出現されたり
降りたり
したのかも知れない

過去の有名な書物や
数字や頭では永久に届かない

日本の美しく今も変わらない何か

海は神社のような場所
姿形はなくとも

常世の世界や
黄泉の国
龍宮の入り口がある

独り海で
心身を海へ溶け合わせていくと
ある日、夢を鮮明に観たり
感覚が研ぎすんでいく気がします

古武道の動きと精神性と
同じだとも思います

それが海の道

自然美

展示が続き
伊勢神宮から熱田神宮に流れ

海もなかなかタイミングが
来ません

撮れるときは撮れる
という訳で

色々固めてから海へ行きます

絵には描けない美しさ

とはよく言ったもので

人間の作為も思念もない
自然の美は飽きることがありません

オーム岩

小泉さんを経済的にも支えた
やまじさんと来ていたという

古代人の祈りば
オーム岩へ

車でも大変や山の中に
突如現れた岩壁

ここで古代の人は
様々な時間を観ていたのだろう

海の底にあった岩が隆起して
海中から空間へ

伊雑宮

もと伊勢
伊雑宮

ここが本当の伊勢神宮とも言われる
謎めいた場所

剣の達人で霊力をもつ
小泉大志命さんが澄子さんと
すみくらし

地元の有志の
神武参剣道場を開く

日々、裕仁天皇のため、呪詛を祓うために

この地に呼ばれ、鹿島神宮で篭り行をし
武神タケミカヅチの力と溶け合い

刀を1日3万3千回
振り続けた聖地

最後の元勲で政界のドン
西園寺公望の依頼だという

しかし西園寺の秘書
原田熊雄はフリーメーソンで
山縣有朋が昭和天皇に、御用邸にお出ましの際に
婦女子を近づけ、原田も良子女王殿下に
不純な行為を及ばせようとしたため

国粋主義運動家の
渥美勝さんと仲間が
影ながら皇室を護っていたという

敵の対日謀略には警察も軍も
当てにならず

自分たちでお守りするほかないというのが
蝦夷の流れの本流である

(渡辺悌治 ユダヤは日本に何をしたか)より

何が本当かわかりませんが

熱田神宮の剣が最終的にはここに
戻るとも噂される

旅へ

海の撮影になかなかいけずに

バレエの撮影や個展
伊勢神宮〜出雲大社など
権禰宜さんはじめ、皆様のご縁を結ぶ旅を
落ち着かせてから

海へ

海は逃げません
バタバタしないように

24歳の時カメラを首から下げて
オーストラリアへあてもなく行ってから
独り旅が始まりました

南の島々の旅もこの数年いけず
7 年前からふとはじまった
日本の聖地の波の撮影の旅へ

来月機材を積んで
撮れるかどうかは別として
新たな海を探しに行きます

チャコット撮影

Chacott

チャコット代官山での
フォトシューティング2日間は終了し
来週また撮影いたします

最終日25日の金曜日
毎回満員御礼なのですが

不思議と終日3枠がまだ
ご予約が空いています。

チャコット代官山ホームページより
ご予約が可能です。
ぜひ!

日本の海は美しい
昔海でしったかやサザエをしこたま取り食べた
たまに赤くよで上がったヤドカリがいて
子供ながらごめん!と謝り
ようじを、蓋のしたに差し込んで
くるりとかいを回して
パクリ

どこの海でも
いいってものじゃない

こればかりは
難しい

初めて入って
すぐに写るとは限らない

何が写るかわからない

写真を撮る人は見えるものに
予め
目星をつけ

旅の時間や予算や
構図までも決めていく

馬鹿な話ですが

今やネットで
誰かが写した景色を
見てから、写しにいき
さらにファインダーを見て押す

時間が経ち過ぎです

コピーです

頭にイメージがあり
初めていくのに
初めての景色ではない矛盾

そんな人口写真には
絶対に足りないものが
自然に出ます

海は自由です
旅は独りです

独り波の隙間で常に挑戦と冒険

流されても泳ぐ
波に巻かれても泳ぐ
苦しくても泳ぐしかないのです

ゴニョゴニョしても
浮き輪も、誰も助けてくれません

生きたいのか?
死にたいのか?

ある日、フィジー の離小島の
また300m沖で雨の大波に飲み込まれ続け
気付きました。

気持ちは自分と一つ
やるしかないです

単純明快!
幸せの必殺技
は海へじゃぼん!

嘘ついたら死にます

冷たい海水は
光がいつもと違う気がする

いつもと違う
とはそもそも
同じ景色や形が無いのが宇宙と海
なのだけど

どうしたって凍りつく

気合!とはよく言ったものです

嘘のない世界

もう一つの夫婦岩

もう一つの夫婦岩
はその先に干潮時だけ現れる

地元で海水を汲み
薪で塩を作る旅館岩戸館の方にお連れいただいた

不思議なことに
たまたまの大潮

海の中から現れた
ほこらの中で祝詞を捧げた

神聖な場を
感じれた昔の人々の優しさと
直感力が数千年、人から人へ護られていることが
日本であろう

泳げる場所を探しに海岸線を歩く

夫婦岩

祈りという言葉
は大事かもしれないが

いにしえ
から
誰もが願い思う事は同じ

神様とて
遠い遠いご先祖だと
思われたらよかろうて

二見ヶ浦

二見ヶ浦の夫婦石
沖には猿田彦が現れた岩盤の島があったが
安静に地震で沈下して
海没してしまった

人を寄せ付けない
宇宙と海は常世の国

昨日
伊勢神宮の禰宜さんと久しぶりお会いできた
ふと
杏橋さん

海も同じです
鳳凰や龍や御眷属はいらっしゃいますね

なんだ
やはり知っていたか

満月の前
伊勢二見ヶ浦の月

江戸時代はここでみそぎをしてから
伊勢神宮へ詣でた聖地

古来の人々の信仰心と呼ばずとも
宇宙の摂理に胸を傾けた
おぼろ月が
言葉のいらない時間をあの当時と変わらず
照らしている

オアフ

2013年オアフ島
フィジーの空港であい
偶然行き先の島が同じだったハワイアン
と仲良くなり

結婚式の写真を頼まれた4月
2003年から訪れてなかったハワイへ

メリーモナークのチケットが手に入り
ハワイ島のフラの大会を見
宿も取らないまま来たが
本当にレンタカーも
宿が全然なく驚いた

何とか
木にくっついた不思議な宿を見つけた

島中泳げそうなポイントを探し回り
パホアという場所を見つけて1週間
波の中を泳いだ

薄濁りの海はサメが来ないか
少しきみ悪かった

そして
オアフにへ戻った

真珠湾で亡くなったパイロットの名前を読み祈り
ノースショアへ車を走らせ

木でできた昔、泊まった宿に戻った

あの溺れた日に戻った部屋もリビングも
懐かしくそのままだった

コンディションの良い海は1日だけだけど

優しい波で写真に残させてくれた

ベンジャミン

西予のインター近くに
おこもり庵という古民家の宿がある

古武道は日々の暮らしや農業にあるという彼は
自ら道場を
美しい気の通う山の谷間に
手作りで作り

アメリカで9歳から始めた古武道を磨き
剣術や棒術などを今も研鑽している

あらゆる古武道の流派師範代であるが
流派や、先生と呼ばれる妙な組織形態や地位や名誉などの
違和感から外れ、己の古武道をいくと決め
この地にきたという
古武士である

全て彼の動きは、流れに乗りながら
理にかなった体の動きと、心術の動きは
みていて、生活や生き様に美意識を追求した侍を観た

ベンジャミン本当にありがとうございました。

また教えてください。

ある日

ある日6歳の土居清は
このように塀から中を覗いた

庭で稽古をしていた禅寺の和尚が
それに気づき

中に入れと言われるまま
入ったのが始まり

以来
厳しい修行を積み重ねた思い出の地

師匠は土居が35歳の時に
大阪から5年ぶりに訪れると
その3年前に亡くなっていた

皆伝の免状を受け
次にきたら極伝をお前にと
言っていたが

お互い連絡をとっていず
悲しい別れとなる

学校の前と終わりにここにきて
ひたすら最初は木の棒を振り
一日1000本基本の6本のかたを6年間振るだけだったという

師匠は水面の月を切れた
俺は軒下に落ちる雨の水滴を斬れた

自分の爺様は鴨居からたらした
乾いたタコ糸を斬った

懐かしそうに
この銀杏の木に立てと言われ
こうしてな

腕広げてな

動くなよ

師匠がな
ピーン!と一振り
細い傷をおでこのつけた

よし!
明日から来い!
と言われてな

それが土居清のある日

ある日は
人生に大きな影響と歴史と光陰を残す

その頭ではわからない
胸の動くままの自分の素直な
行動と意志が

次々とある日を織り込んでいく

宮司さん

宮司さんにお会いできた
今はその責務を娘さんに託して
おられたが

太鼓のバチを持てば
軽やかに美しい音を社殿に響かせた

土居清

苔むした神社は約500年前の
武士だった土居清良と部下たちのお墓は
神社と隣接する臨済宗妙心寺派のお寺にあった

団子や酒やみかんなど
当時彼らがこの地で戦い
また領民のために尽くした憶いが

山の中腹の鬱蒼とした森の中
村を見下ろすように建てられていた

年に2回祭礼を執り行うという事は
すでに1000回以上も、宮司や村人から村人へ
手渡されてきたという事になる

1546年 土居伊豆守清宗の3男として生まれ
15さいの時に侍の父を戦で亡くした
幾多の戦いにと
村人や家来のために尽くし
84歳で生涯を閉じた

彼の執着のない大胆な生き方は
土居清がそのまま受け継いでいる感じがする

現代の古武士が残りの人生
剣を持って伝え残そうとしている

四国

四国宇和島へ
剣の師匠の故郷

剣の師匠土居清が6歳から習った師匠の禅寺と

土居清の先祖が死後100年たち

その人徳と人柄で語り継がれ
作られた清良神社へ供物を携え
伺った

入り組んだ自然の海岸線と
コンクリートの海岸

レ アピ オステリア

2020年ミラノの展示の際に紹介され
訪れた松本シェフのお店
レ アピ オステリア が日本へ逆輸入!
フレンチやイタリア料理を海外で修行した
美意識と味覚が溶けあう旋律の自由な風

フェラーリやセリエの選手など
世界中にファンを持つ

西麻布の根津美術館から降りた路地に
最寄り駅は乃木坂です
西麻布交差点から徒歩5分

パークホテル東京 展示

パークホテル東京さんが34階のフロアで展示をさせていただくことに

回廊のようになっているフロアに20年波を泳いだ旧作?も含め
展示させていただきます。

期間 11/3~12/11
時間 11:00~17:00

僕も毎日はいないので
ご一報く出されば幸いです。

パークホテル東京 藤川様、村田様
どうぞよろしくお願いいたします。

ファイヤーキングカフェ

ファイヤーキングカフェ
の展示も今週日曜日で終わります。

連日たくさんの方々に来ていただき
この場を借り御礼申し上げます。

海にもいかず
ひたすら代々木上原に夜の通勤!

合間に撮影の仕事をしながらの
ドタバタ
一呼吸、瞑想しないといけませんね。

昔オーストラリアの海岸で2週間毎日海岸で瞑想していました

まだ僕が写真家に変身する前の旅の途上
考えても仕方ないからひたすら行動しようと

風の吹くまま南へ南へ

ファイヤーキングも今回で18年目
オーナー阿部さんとのご縁は
豊かな扉をいただいた感じです。

本当にありがとうございました。

本日も夜います
お声掛けくださいね。

人は器


祭りのオヤジ

チャコットフォトシューティング
明日からまた始まります

チャコット馬場社長と昨年のファイヤーキングの個展時に
祭りの人の写真の魂の1枚を
バレエリーナで撮れませんか?

から始まったストーリー

人は器
人は波

目に見えぬ波動と呼吸を
少し前に感じて体を撮影したい
ここだ!と言う位置にスッと移動してパシャ!

ファインダはーは見たり見なかったり
いずれにしても見たと同時に押している

カメラの窓を覗くと瞬間は写らない

後でいじる昨今の写真もどきのグラフィックではなく
1枚の写真でいきたい。

明日から数日間
代官山でまたよろしくお願いいたします。

ファイヤーキングカフェ

ファイヤーキングカフェ
写真を1部入れ替えました

天照大神を古代から祈る出雲、日御碕神社と経島

事代主、イチキシマ姫、お稲荷様、三島大明神などを祀る
東伊豆白浜神社の夕暮れ

南伊豆多々戸浜

代官山フルマークス

本日29日 夕方18時から21まで
代官山フルマークスにて
Tシャツ 発表パーティー

スリランカのサーフブランドとの初コラボ!

福島ハルさんの情熱の合うトドショップと数々の北欧のブランドなど
お店にも様々な、よりすぐりの大人のアウトドアウェアーがあります

ぜひ

無料です。

飲み物を個人でお支払いくださり
自由なスタイルです。

渋谷区恵比寿西1-30-16-B1

www.fullmarksstore.jp

雨のスウェーデン
コロナがばら撒かれる前

1ヶ月間スウェーデン〜ドイツミュンヘン〜アムステルダムへ

いつもガイドブックも下調べはしない
スウェーデンが海の向こうとは知らず

展示会に160キロ写真を運び
設置を壁にしては外す
オーバーチャージと交渉の
気力体力の旅

会場と宿の往復で次の国へ
写真は4枚パリ経由で来たスウェーデンで壊されていた

宿は意外にも夜中に誰もいず真っ暗
暗証番号を聞いて開けるのだが

雨の夜中に僕の携帯は海外で使えず

親切なタクシードライバーがかけてくれ、なんとか宿の入れた
海外で多くの人たちに助けてもらった

海を運ぶ

石畳と69年頃のポルシェは街並みに溶けている
大事にされているな〜
幸せなパープルのポルシェ

昔の車が好きだ
今の車は家電で
快適な家のようでつまらない
誰でも運転でき
所詮壊れたら部品がないゴミになる

かつてはレジスタンスだった
ヒムカ大統領が古いワーゲンに乗り
持続して使えるものをなぜ作らないのか?
と演説し
国連の先進国の人は胸にぐさり!
ときたが知らんぷり

2018,2019年アムステルダムで展示をしてきました。

どこへ行っても観光地には興味がわかず
毎日宿から展示場へ通勤の10日間
気力体力で作品を運び、ドリルやメジャーでかべに取り付けては
次の国へ

電車だったり
バスだったり
乗り方もわからず
色々教えていただいた

自転車の国で(都市が平だからか?)
バイクや自転車レーンを歩き怒られたり
長いものから、子供を前にのせる部分があったり
ぶつかったら危ないと思うが様々な自転車を見た
すごい飛ばす!
若いのに杖をついた足の悪い人が多いのは
そのせいだとオランダの人が言う

ヨーロッパはなんか居心地が悪い
海がないからだろうが
どうも親和性が持てないと言うか

食べ物も気をつけないと
オイリーだ
体が鈍るな〜

改めて茶道や武道や浮世絵などを作り
茶室や美しい庭の方丈で瞑想した日本人の
穏やかで、美意識の高い精神性を尊く思った

三脚を捨てる

紙一重
神人重

同じかもしれません

神とは一つの人型の人にあらず
神羅万象の風

人に似せた仏は

後から日本に輸入され
蘇我と物部が争いに始まると言われる
確かに神様とは全く関係のない外国人と
像という偶像、仏像を拝むわけだ

仏は供養というイメージが強く跡を引いている

いいとか悪いではなく
その利用法や使い方
扱いや解釈で揉め事もおき、宗教問題や戦になっている事実

しかしながら、長い時間そこで祈られた仏像や
お経と修行した者のかもし出す
妙な雰囲気や、不思議な何かで救われた人

様々な祈りの起こす現象に溶け合うと
なんらかの魔力があることは否めない

バランスの伝え方が難しいのは

そもそも最澄や
あの法華経以外は地獄へ落ちろ!由比ヶ浜で浄土信者の首をはねねろ!と執権北条に言った
強烈に熱い男の日蓮や様々、人間が指し示す
経典なるそれぞれの宗派による絶対的なルール
を決めたのがズレの始まり

我々民衆は宗派や檀家制を強いられ
長男以外は別な墓を指定の墓業者から買えとか

法事のや季節ごとの催しで
高いお金を指定され

葬式で極楽浄土へ僧侶がしっかり請負い、送ったはずが
お盆に亡霊となり帰ってきてしまうので

供養しないといけないという
辻褄の合わないビジネスモデルが自然発生する

仏教は六道輪廻の妄執を断ちそこで自ら解脱して
彼岸に至る道を観教えなのに・・・・

極楽へ引導すると約束したではないか?
だったら最初に、それでもですね
毎年夏に降りてくるから、あげるには
費用がかかりますと言えばいい

でも僕たちより、すごい力があり
自分で下界へこられたのだから
極楽へも自力で帰れるだろうに

自力をさせないのが世の常か?
政府も然り民衆をマインドコントロールしたいからか?

そもそも身内だから帰るとか帰らないではなく
日々近くにいて、孫や子供たちの日々をみままもり
ニコニコいてくれるのだから、いいのに
なんでまた、亡くなった方は修行中ですとか言うのだろう

観たのか?
 
霊魂、鎮魂と家族を忌み嫌う霊にしたてるのがよくない

お釈迦様を絶対視し、その教えを貫くなら
輪廻転生とは生まれ変わり続けるのだから
途中で変な霊にはなる暇がない

僧は妻帯はしないというルールや(親鸞がある日2000年近いルールを
表立って破った)
独りで旅して悟れ〜と言ったはずの自力修行が
いつの間にか他人の救済の為とか、リフフォームを繰り返してきた

これは芥川龍之介の「作り替える力」や
柳田国男も「先祖の話」も同じ
疑問を霞にぼかしてきたきたのが日本人

大乗仏教はお釈迦さんとはなんの関係もないと
江戸時代の比較哲学者 冨永仲基さんの話は
誰も異論が唱えらていない

「最澄の法華経や、法然の阿弥陀経も全て
後から作られた作品である」

自分で解脱すればいいが
解脱をした人を拝めばその力をうけるとか、いいとしたのが
大乗仏教

お釈迦様は
霊魂はいないと言っている

方便と解釈の幻しを隠しているが
隠しきれないのが真如

仏道の人に、お葬式や戒名やお盆の謎
声を上げない日本人のまな板の上の魚状態が続いている

生まれたら神社
753は神社
下手をしたら結婚はキリスト
死んだら葬式

アーメンである

神とは海
風、太陽、サメ、魚、石、全ての循環と
宇宙によりそう叡智と心

そうした線を
重ねることは
我が身や心を相手や宇宙や海に合わせていく

海の気持ちになり海へ行く

ウニを踏んづけたら
ウニにごめん!とウニの心に

全て海の生物は受け身です
悪さをするのは人間だけ
山伏は懺悔懺悔と山で言う

一重に憶うこと

陰陽も同じ
海と人
宇宙と内面の心理だと思います

人間界の都合のおかしさ
に汚されず

心一つ山や海へ行けば
すべ手が胸にスッと決まる

道は色々ですが
人工的な道は捨てて
自分一人で山や海を歩くこと

宗派の違いを例えるお決まりのフレーズ

道は違えども高い嶺から見る月は同じかな

でも
僕は一つでも固有された「もの」でも
到着地点が同じだとは思いません

無限なる自由と回転し続ける風に乗ること
己の光が照らす影がずれないように生きるだけ

同じ写真がないように
人の個性や瞬間が、同じように重なることはない

三脚が生きた写真を殺す事実

神とは遠い遠いご先祖のようなもの

海の話

ファイヤーキングカフェに来たのはもう18年前

連日お足元が悪い中にかかわらず
皆様にお越しくださり
この場を借り御礼申し上げます。

波でひとり泳ぎ
綺麗事はとは抜きに溺れては

なんとか海岸に戻り
また海へ行く日々

フィルムが入ってなかったり

様々

それもこれも
こうした展示会があるから
月並みですが頑張ろうと思っていました

溺れて死んでも
なんら悔いもないです

ただそこで準備不足や
体の状態や心がぶれていたら
本当の力を発揮できずに
海岸に戻れないのはスッキリしません

死ぬ気でかかれ!

常に鼓舞して波の中へ向かいます。

そこには常に冷静な平常心

無とは難しいですが

撮っているときは無だと思います

無の境地は武道に似ています

体が先に動くだけ

頭で考えないこと

あたまで考えて泳いだら
パニックになり
死にます
僕も数回この線を超えそうになり
本当に意識が飛ぶところを観てきました

一貫して体術を使い波の中に入り込み
ノーファインダーで押すだけ
自然界に迎えられ
受けいること

全て何か感じた
見た瞬間に押しています
ノートリミングの写真です

ドキュメンタリーで生きると決めたので
全部一貫してそのまま

海から戻り昔は現像し
後で見てみて
あ〜撮れた
という感じです

今はデジタルなので
待つ楽しみもなくなりましたが

すぐに確認できるので間違ったカメラの設定や
向きなど、次に修正できる
またフィルム交換にまた30分かけ戻らなくていいので
楽になり、撮れるチャンスが増えたのも事実です

変わらないのはカメラ以外
アナログな世界と精神世界

1枚1枚
0.02秒で押したたまたま

色を足したり、変な加工はしません
とは言え
実際の色は、目は補正しますし
速くてなんとなくしか見えてないので

写真の内包する情報を引き出すことはします

島々へ旅から旅へ
泳げそうな場所や、透明な水を探した20年
お客様にもよく生きてますね

と笑われました

いつまでも
溺れています

溺れない日が来ない日がないのか
恐るべし波の力と宇宙のパワー

人為の及べない
人為では征服できない
美しい青い森の海を穢すのは人間だけです

ペットボトルでできた海岸や
洗濯水などの汚水の海

やがて地球の透明な海がなくなるでしょう
所詮、池や水槽と同じです
バクテリアなど生き物の浄化力が飛び抜けているだけです

呟き

本日14時からおります

銀座久兵衛若旦那
ファイヤーキングカフェ阿部さん

いつもありがとうございます。

波の体の動かし方
体術的な動きはキックボクシングと
通じると若旦那

全ての体の動きは
同じなのでしょう

水中はそこに
水の密度
水の固さ
流れている軽い水
向かってくる水圧の高い水

その角度や少し先の感覚を感じ
た時には指先や頭や胸を動かすのですが

感覚的だから
うまく言えませんが

何よりも平常心と冷静さが
酸素を消費させず
また体を波の来前に
瞬時に動かせることに
連動します

桃太郎の腰の悪い婆様が
川を流れてきた桃を拾ったのも
川の流れ動水流と体を上手に使った訳です

ファイヤーキング

ファイヤーキングカフェ
連日お店も大盛況です。

アジア料理と深夜まで食事を提供していて
オーナーのセンスでキャンドルと淡い暖かな店内

本日も夜は2030
以降にお店におります。

小早川さん
SOU建築事務所 清水先生
お花もいつもありがとうございます!

ファイヤーキングカフェ

銀座久兵衛さん

歯の矯正の先生に矯正を教える
日本橋梶村歯科医院 梶村先生はじめ
皆様にお花やを賜り

この場を借り御礼申し上げます。

写真は日本の波の裏

今年は出雲や伊豆の
日本の聖地の波の裏とフィジーの青い波

伊勢神宮にご奉納させていただいた
写真集Blue Forestの表紙の写真など
16点を展示させていただいています

正直日中は映り込みもあり
夜が色もよく見えますので
暗くなってからがおすすめです

夜は大体言いますので
お声掛けください。

どうぞよろしくお願いいたします。

Fire king Cafe

ファイヤーキングカフェ設置は深夜2:30から
オーナー阿部さん自ら照明や高さを調整くださいました。

13日本日も夜はお店におります

よろしくお願いいたします。

FireKing cafe

9/12 月より代々木上原駅前ファイヤーキングカフェさんで個展がスタート!
今年でもう18年目になりました
オーナー阿部さんはじめ、当初からのマネージャー北畠さん、菅原さんありがとうございます。

日本の海の神とご縁ある新しい場所や、フィジー で写し京都の襖にもなり、伊勢神宮にご奉納させていただいた
写真を改めてW1800で黒い壁に飾ります!

ぜひ!
夜が正直映り込みがなく綺麗に見えます

よろしくお願いします。

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