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道先

水は微細なビー玉のような分子が集まった場所
空中なら落ちたら怪我をするが、落ちることもなく、支えてくれる
波に巻かれれば巻き込まれ
写真も右から左上に水が水を引っ張っている

水の分子が水素結合をしてエネルギーの(風)の方向に向かっている

この少し前に
見えない風を読んで
水野ビー玉の隙間に指先から潜りみ
回転して押す

ビー玉の集合した中へ、瞬時にかき分けるように入る訳だ

水と水も共鳴している
人間もそれなりの心もちでいけば
感応する
人間の周りのエーテル帯
を溶け合わせる
水中だと離れはしないが陸上とは素材感が
違うかもしれない


変なことを言ってますが
霊的な環境に入る

妙なズレというか
次元のレイヤーに入り込む

目には見えないのでうまく言えないが

やはり所詮、写真機は道具に過ぎない
刀も同じように

人間の思惑や恣意を捨てた境地と状況で自然に動く

道具が中立に介在して
観せている

念写とは違うな・・・

直感 その先を行く感じだ

何も考えないで少し先を押す

自然に手首と指が動いてレンズを向けて押している
と写り込む

ファインダーは一切見ない
伸ばしたり、カットしたりという、トリミングもしていない
ありのままのサイズ

あるとき
青島神社の塩土老翁が巻物を渡したいと
言われていて
いただきに伺った
もちろん、現実的な巻き物ではないが

人払いをされ

お宮の前で、拝み、祝詞を捧げると
妙にあたたくなり
涙が溢れた

その足でまた、ある方の元へ確認に行くと

やはり渡したと言われている

その紙には感覚を信じ、さらにそのまま行けと記してあった




夜明けの海

曇に覆われた地球
地球の海の中から宇宙を見る

人為のおよばえない世界を知る

なんでも科学で知るなんて馬鹿げている

オゾン層の破壊は車のCO2ではないように

嘘の電波の欺瞞を海で洗う

ここにくれば全てを知る

日本の海

夜明け
昨日の夕方、御神酒を注いだ海は
波が消えていた

諦めて海から戻り、海岸で拝む、前にみかんをくれたおばあちゃんと
お話をした。

太陽は登り始めたが、地球は雲に覆われ太陽は見えず

車を走らせ、太陽が気になる

線香花火のような太陽が水平線より高い位置に出ていた

もどるか?いくか?

決めたから行こう

波は大きめだが
風が合わず白波の海の濁りで
とれないかもしれないが海へ

思った以上に水が冷たい

フードをかぶるが
手袋は左手だけ戻る時間は惜しいので
このまま海の中と水面を、山をみたて
流れたら戻るの繰り返し

広い海の不思議で川のように横に流れている

いつもよりシャッターを遅めに設定し
あとは成り行きで見ないで押す

いかに波が早いか

波という固有物ではなく
水素の風が波
水がくっついては離れる姿

一時間くらい海にいると
手が痺れ、回転を繰り返し
少し目が回った

二度とない時間

海の中は轟音と静寂

浄化と回転

間合いを読む感覚の修練と

目に見えぬ崇高な太古からの周波数と合わせていくこと

たかが水の中だが
水は記憶をもち全てを観ている

曽祖父も祖父も山の人だった
大正、昭和とザイルはロープでテントはキャンバス
パタゴニアのようないいウェアがあったわけでもないが
当時の写真を見ると、沢登りや槍ヶ岳や様々、親子や兄弟親戚で旅をし
大東亜戦争中はドンコー会という名前で
戦地にいる家族や兄弟の仲間の名前を書いたのぼりで登っていた

古田織部が家康に切腹させられと分かった5男は織部重成ののぼりを背に
大阪城で豊臣川につき戦い、討死された

のぼりにはそんな家族の思いがある
日章旗の寄せ書き、と同じ
誰もが無事を祈っている

幼い頃からスキーに連れて行ってくれた
チエーンを巻いたベレッタでスキーの帰り道、群馬の車屋で通りがかりに買った
プリンスワゴンのやねに、みかん箱をいくつものせ
チェーンのチャンしゃん、チリチリと雪道を皆、ゆっくり走っていた
運転もみなマニュアルでうまかった

逆走なんか考えられない今の運転技術の低下
オートマの車が危ないから
作らない方がいいと思う

向かったのは野沢温泉
板は器用な祖父が作った木のいた
作っているところを横で見ていた
ストックは竹とかろうじてスチールパイプ
靴は牛がわだった

足が狭くてキツかったし
濡れた

そんな無料の村の湯気が立ち込め
雪の多い饅頭屋の蒸気の漂う急斜面に家々が立つ
野沢で二回足を折った

林間コースを一人で入り
コースに出たら穴があり
ビンディングもいい加減で外れず
てこの原理で折れた

もう一回も足だった

その後さらに、表万座で白樺にツッコミ大腿骨を折ったのはひどかった
ぶつかる手前にしぬかな?と思い頭を抱えた
飛ばされている時は以上に長く感じ
早く止まらないかな?
生きてるかな
走馬灯のように人生を見たら死んだんだったかな?
など以上に冷静だった

原因は春の重い雪に足をとられ
つつ、技術不足

大迷惑をかけ本当に申し訳なかった

その後、猪苗代でスキーを中学生や高校生に教えるアルバイトを数年続け
基礎から学び
数十年後、日赤の雪上安全法を所得した
(スキーパトロールは2種類あり
スキー連盟の企画する技能検定一級保持と
日赤の2級程度の腕前とやる気の二つ)
泊まり込みで数日、朝から練習とテスト、夜は座学とロープワーク
眠くて仕方ないが、掛け流し温泉が楽しみで
初めて出会う、日赤の人や、やる気ある人たちとの交流は、今も続く

何よりも講習の山は、なんと足を折った山の隣の万座だった

写真は飯士山修験道の山だが
岩原スキー場
舞子スキー場と
一つの山は挟み撃ちで破壊されて

きつねやウサギを追い出し
ゴルフ場と同様、不自然な造成され除草剤を巻かれた末の姿が
スキー場であることを知ること

申し訳ないですね
山を人間が破棄して
そのおかげで楽しめてますが

若者たちが怪我なく楽しめ
いつかこのおかしな、現状と破壊の上にあることをしり
宇宙と山河を慈しんで欲しい
知らしめてください。


ことわけをし
祝詞やハワイのエホマイを捧げ
お酒を注いだ

苗場ではないが
たまたま手にしたお酒の名前

現実を観ること
いいも悪いもそれが
どうなっているのかを
胸をそらさずに読むこと

雪は海の水で地球の水の循環
全て違う雪の結晶の謎めいた世界

山は元々海の底
海にも渓谷がるように
水間か空間の違いだけ

魚が鳥に変わり
珊瑚や海藻が木になっただけ


山は過去のやり残しをしているそうです

研究

太陽は毎日来るが
動いているのは地球

地球が1秒間に約400m東回りに自転しつつ
さらに固定された光源の太陽の周りをきれいに1秒で30km動く
さらに何千もの星が、太陽を中心に回転運動をする謎

波を押すのは1秒の500分の1=0.02秒
地球の自転は400mの0.02秒 だとすると20m地球は回転した時

そこに波が来る
速さは常に違うが0.02 から0.04秒で撮らないと止まらないから早い

しかも波の穂先は早いが
根元は遅いとか
無限な時間軸がこの1枚には介在している

波は近寄ってきて崩れるが
水そのもの、水面そのものは、あまりその位置を変えていない
沖の水が波となり僕に来たようで、実際にお気に見えた波の山の水は僕にはきていない

水素はなぜか電気を持ち、離れてはくっつく
多分音波や、祈りの声や、波の音や鯨やシャこの音など
古来からの音や感性の記憶を持った生き物の分子の塊かなと僕はおもう
水中の風が波動で、月などの引力も影響し
泳いでいる僕の波動や気持ち、電磁帯、アストラルタイやエーテルタイも周囲の水は感じたり
電気的な影響も及ぼし、また及ぼされ
この波という水中の風は形を変えながら、光と影を透過したり吸収したり反射したりする

この水中の波は三百六十度 
密度があり、隙間もあり塩分の分子もプリズムのようにいたずらをする
超立体的である箱の中に
僕がいて何かを瞬時に海は造っている

波動は水素の結合しては離れる姿、微細な透明なビー玉の波が
押し合いへし合い、混ざり合い、離反する謎の生き物な水分子

東から来た太陽光線と波が合わさる瞬間

地球の時点は右だから
東から来た太陽と波を
ここでは指からの連動の動きで鋭く潜り、回転する向きを決め
瞬時に波に間をためたりしつつ
回転し、逆さ見なったり様々、波に合わせ
ほぼ右手人差し指か、波が強い時は人差し指はカメラのハンドルをにぎり
中指で押している
時点の速度に合わせて回転するが、波は自転とは逆の左巻き
俺は少し先にいるのか?

空気も海も30kmで公転し
波は地球の回転に覆いかぶさるように逆転してくる

この海の神社の鳥居奥宮は南を向いている
本殿は西南

人間にも電気と磁石があり、水に浮かした針先が北に向くように
頭が北に向くようになっているのか?

北枕はいいんんじゃないか?
磁力に自然


鳥居は様々な向き
決して南むきや東だけでは無い
人間様が意図的にその場の様々な予算や都合で作ったのだから
神様の意思とはまた違う


ちなみにこの神社の神様は
いこな姫
若宮の命
つるぎの命
三島大明神
おいなりさん
見目の命
の他にも
大山祇から松尾大社、イザナギとすごい数の神様の集う場所

ここにも祀られている
イチキシマ姫さん=弁財天=七面大明神=龍神
のお宮は南むき
本家 広島の平家制作の宮島の厳島神社の鳥居は北

家では仏壇は南
神棚は東に向けろと言われている

泳いでいる時は南向きの奥宮は
左に見えるから北だ

体の水面での向きは最初は東
撮る時の水中では回転すると北か西か南か東だが
東の太陽が3体2のフィルムサイズのどこかに入るように
手首を傾ける
この写真は東向き

よくわかりませんが
宇宙の仕業に寄り添い、即すしかないのが地球人

人体の物理的な電気とか
僕の個性
なんていうか今までの修行や神社の神様の影響や
先祖の何かとか、侍や忍者の何かも関係しつつ
世界の色々な海の体験や音波や音叉や細胞に入る水分子の記憶

感情のキルリアン写真的なオーラ
エーテル体や様々
と海の水がぶつかった瞬間

DNAも回転する記憶装置

全ては回転するトーラスとフリーエネルギー

戦後日本の魂の強さや、霊性を解体しようとした GHQ

仙術、道教、南極星、北斗七星、陰陽道、古武道、禅、神道
マントラ、印は補助的は方法で、海の真理をより深く思い出し
誘導するためのツール

古来の人々の懷を大切にすると豊かになる
日本人の精魂のけだかしさ

とどのつまり
一人で風や海や山や全てへ伝える
心のまっさらな真っ直ぐな思いでいい
墓なんかいらない
戒名も坊様に架空請求される法要もいらない
自分でやればいい

全ての要素と呼応し
調律し合うのがこの宇宙との約束
宇宙や海の流れを邪魔をしないで
遠慮すること

ジャンクな大量生産の物や食べ物に汚染され

狭い籠で競争させらる学校養殖

利己的なお願いだけを神社に
都合よく置いていき

自衛隊など御神体の富士山に大砲を撃ち
駿河湾で潜水艦探知のソノブイなどを海に落とし投棄する

江戸時代の富士講の人々は怒ってます

やはり噴火しますかね

海にゴミや
ぶくぶくの洗剤を川へ流す現状

故郷納税や税金でエコな洗剤や
いい濾過フィルター家庭につけておくれ

おいおい

もはや宇宙の黄金律を破壊し尽くす
手に負えない地球人

お灸をすえておくれ宇宙の隣人たち



研究中・・・






供物

祈りというとなんだか、大袈裟だが
胸の内をそのまま飾らずに
伝えることが
供養とか祈りとか、信心などと日本語では書くわけだ

大自然、大宇宙、神話の神々や祖霊や英霊、忍や侍を祈る
現時点で縁のある神様も毎日読み上げる

仏ではお不動様、役行者、蔵王権現、薬師如来
浮世絵師や天海、安倍晴明、古田織部ご家族と

円覚寺の横に住んでいたひいじさんの家も何かの縁で
昨年からは怖くて入れなかった鎌倉武士の御供養をはじめた
名前がある以上個性を持ち生きてきたわけだから
そんな彼らの名前を呼び、供物を捧げ話しかけている。

しかし北条は深い。江ノ島で山籠し龍の化身イチキシマひめに
日本の100箇所の霊域を祈りにいけば7代まで北条は持たせると言い
北条の家紋は、その龍神がおいて行った3枚の鱗 (三つ鱗)と言われている
最後の高時で結局は9代ではなく7代
間の2代は事情による正式ではない執権らしい

北条が編み出した
土地の権利の法律などを記した
御成敗式目の第一条には
神官、僧侶はそのつとめを全うし
人々は祭礼と供物を欠かさずにすれば
霊力が上がり自然に幸せになると
すごいことが書いてあるが

しかしながらその子孫の
地位と権利の欲望で
謀られた
和田義盛さん、畠山重忠さん、比企さん、安達泰盛さん、梶原景時さんらをしのぶ

だからどうだこうじゃない
細かいことはどうでもいい

今の我々には永久にわからない
またわかる必要もない
それぞれの正義

と実際に存在した彼ら

自分がこの世で死に
数百年後に知らない誰かが
酒とおにぎりを1つ
レーズンや柿を一つ
持ってきて
名前を読んでもらえたら
どんなに嬉しいか

世界万民
宗教なんか必要なく

そこに尽きる


歴史の学者の言うことは
置いておいて

感覚的に野性的に感じたことをする

波の中こそ、細胞や触覚と感覚と宇宙の
叡智を繋ぐことに尽きる

魚の写真は撮らない
なんとなくきた波に合わせるだけ
決めたらそこに漂う
運も使命
使命も運

人は持って生まれた約束がある
そこに気づき
感覚を宇宙と合わせ

己一人でその砂鉄を集め叩き続ける
と一振りの刀になる

海も同時に修行であり祈りである

1枚の写真が供物なのかもしれない




真実は宇宙と海に

出雲は杵築と昔は言いました

紋様は亀の甲羅ではなく
海蛇の鱗を表すとも

実は霊蛇=龍神も祀ります

(秋には南からセグロ海蛇が実際に来る)

蛇が龍の化身で神様を乗せ来ると伝承され

これは出雲族の長 富美家の出雲口伝ではインドから来たと言われるクナト王の部族達が出雲族になり
インドでは森の神コブラ、ワニ(水神はナーガ)の代わりに
旧暦の10月に南から流れ着くセグロ海蛇を龍神=霊蛇と祀った

これは歴史がひっくり返るというか
真実の元に戻る時期が来るのでしょう


明治政府が呪術や修験道を禁止したのも同じで
目に見えない日本人の強い精神力や様々を解体したい
天照が天皇の先祖としたい
事情に通じているのかなと

神棚の真ん中の大麻は天照大神にしなさいという神社庁ですが

僕は元の神の1人
アマノミナカヌシ と自分で書いた紙を入れています

出雲族の土師氏は菅原道真さんのご先祖で
自然信仰や海や神を大切にした物部=忌部でもある

仏教を輸入して政権に混ぜ込んだ蘇我馬子は日本を壊す工作員なのか?
聖徳さんはどう考えていたやら
対馬の間者たこやを使ったのが最初の忍者の始まりとか

複雑でわからない
神様は一つではない、同体でもあるとか
何代もいるとか

藤原不比等さんが都合よく書いた古事記も
見て聞いたことを書いているから
あながち嘘ではないらしい

4000年前にきたクナトの国トラヴィタ族が武力ではなくやがて出雲族となり

やがてヤマトを治める長髄彦につながる長髄彦はタケミナカタととも聞いたことがある

何度か奈良のとみ神社や池の近くの長髄彦さんの地に供養へも行きました
ある方に僕が長髄彦さんの何かを受け継いでいると言われたこともありました

クナト王=富美長髄彦さんは日向の神武天皇に追いやられ、東北へ逃げたらしい 

出雲=出芽 初代の王=八耳王の奥さんが稲田姫
その子供が

年長を大名持(王)
下を少名彦(副王)一寸法師とも言われ混同

東を富美家
西を神門臣家で日本を統治

8代目の王様 神門臣家 大名持 八千予=大国主
    副王 富美家  少名彦 八重波津見=事代主
親子でないの?
 
インド人が出雲族?

出雲にはチャイとチャパティが神様はよろこばれる?

2人ともタケヒナドリ(武夷鳥命)の策略で騙され
サメ(神様)が浜に打ち上げられ徐福の連れてきた子供たちが
が騒いでいると
その海童たちに拉致されて
岩に幽閉されたとも

鎌倉の比企一族と同じ
北条が嘘の仏事の相談で呼び寄せ
殺されたのと同じ

龍神のみち

日本の波は写るのが難しいのかもしれない
海外は波パワーもすごいが、波が派手に崩れるので写りやすい
日本は天候や透明度に加え、太陽光線がどう当たるかが毎回違う
宇宙から来た太陽が一番先に当たる地球は日本らしい
千葉の外房の海のちかくの玉崎神社が最初などというが
そこはどうなのかわからない
その光の先っぽとラインが富士山にあたり、七面山の敬神院の山門の中から50mほど下のお堂の七面大明神(龍神イチキシマ姫)琵琶湖の聖地竹生島の龍神イチキシマ姫から出雲大社(ここもイチキシマ姫と龍神を祀る)へいくと
山梨の七面山の友達の山の僧に聞いた

なんだ龍神のみちか

伏見稲荷の熊鷹池と那智滝と川も龍の道と聞いたことがあり
伏見稲荷の御膳谷の社へ御奉献したお酒を3ヶ月後に受け取りに行き那智へ注いだ御膳谷は昔は
茶店だったらしいが、今は社と社務所があり、お酒を御奉献すると3ヶ月後に受け取り行けます
今は亡き霊能者でお稲荷さんに生涯を尽くした
砂澤たまえさんのお塚もこの向かいの奥にあり、お参りさせていただいています

海の撮影とともに全国へ供養と清め払いの旅をしていまして、この波へ泳ぎ見ないで押す行為も
結果の確認や使命だと思い、忍や侍、九州隼人族、長髄彦出雲族、英霊の供養と連動しています。

山へ行くのは過去生のやり残しをしているそうです

きな臭いエシカル

科学も人間の都合や思惑の届かない世界が宇宙と地球
海と山は一つの地続きにすぎず
地球も宇宙の海に漂う島に過ぎないが
人間様は欲と自己の主張ばかり
思いやりも失い、コンビニのトイレも無断で使うずるさ

これは砂漠化した蟻塚の暮らしが、自然や宇宙との約束を忘れさせ
電子レンジでチンのコンビニ化した暮らしのツケ
は、そもそも自然界=国土から目を離し、自らサーモスタットのきいた水槽の魚になった
為に、自然の怖さや強さや、神仏や先祖を尊ばないツケ
バランスの位置がずれてしまっている
エシカルとか、環境問題とか美麗な言葉を並べて、結局ものを売りつける手段に悪用しているだけ
新しいものなど作らず修理すればいい
車は特に顕著
環境に良い車など存在しない
新しい車を作れば環境を破壊するだけ
見え見えの砂上の言葉

ある霊媒を主とする神道の方に以前お会いした際に
おろしたい方がいる場合のやり方を教えていただきました

天津神 国土の神
国津神 天の神
遠つみおやの神=先祖=神様

をある方法で読み上げ所作とで
繋がるという方法でした

伯家神道の修行をされたご年配の方でした(中には昨今の世相で紛いものの方もいるようです)

いきなり何も行をしない方がやるべきではないのですが
こうした、自然霊や様々宇宙への祈りを2600年?以上前からしていたのが日本人です
アメリカ約250年 大英帝国年約950年にすぎません 

元々日本人が持つセンスが逃げられない遺伝と宿命があるようで=霊的感覚 霊とは霊魂ではなく高次元なスピリット広い意味があります

出雲族の聖地 国津神 大国主さんのお膝元に
写真がご奉納していただけることになり
数年前から続く
奈良のとみ(トビとも)一族の長 神武と戦った長髄彦ながすねひこさん(出雲族)
のことと結ばれてきたようにも 長髄彦の御霊わけとも言われたこともあります。
これは伊賀の敢國神社の神 おおひこ、すくな彦、金山彦、とも関係があるとも
毎日お供えと祈りを神棚でしています

出雲では古来から実際に海蛇も、沖縄方面からこの時期だけ流れ着くのですが
霊蛇神=龍神を11月に祀ることも関係があるようです
(この時期だけ日御碕神社、出雲教さんで祀られ、お札もあります)
 
25年前に海へ無酸素で一人泳いで波の中に向かったあの日が
こうして繋がってくることも不思議です。

京都の古田織部さん、曾我蕭白さんの菩提寺で、高虎さんが守った臨済宗興聖寺に
この頃の写した葵フィジー の写真が襖絵としていきなり治ったのも不思議です
伊勢神宮では写真集を宮家のご紹介で特別奉納の祈りを365日していただきました
もったいないくらいのありがたい海のお返しを賜りました。

水となみとどうやったら溶け合えるのか
営力を超えた場に行くにはどうしたら良いのか
正直なドキュメンタリーな考察を合理的に自分の力とてらし合わせ
溺れ、溺れ今があります
2015年からは日本の聖地や神社の海でお祈りをし写しました
もし良いのが撮れたらありがたいですだけで、御神酒を捧げ
海にも御神酒を注ぐ日々がバレエの人の撮影にも繋がっているように思います

目には見えない魂を1枚に残すこと
写真はファインダー見ないで押す
海と人は波動で成り立ってますので同じです
現世 うつしよ 写世 とも言えます

海の撮影は、同時にこうした供養や祈りの旅(願い事や御朱印スタンプラリー)ではない
自分のためではなお参りと同時進行しています
伊賀忍者の供養に行くと
ある金峯峰寺系の山伏さんと知り合ったり
京都醍醐派の山伏さん
羽黒の権禰宜さんなど
縁が結ばれていくのも振り返ると不思議です

それで自分で海伏と命名しました(商標登録)
古武道も同時に入り始めたので海ぶしともいえるかもしれません
これは特別なことではなく、古来日本の武士や農民も星々や山河を崇め
占術や陰陽道と溶け合い生きてきた、ネイティブアメリカンやアボリジニ
アイヌと同じ地球の共生するハートが真理としてありました
聖徳太子が (たこや) という対馬の間者を使ったのが最初とか
クシナダヒメのクシに化けさせ情報を仕入れたのが
忍の始まりとも文献にあるそうです
でも文献は色々かけますので真偽は不明ですが

こうした話があることは
火のないところには煙は立たずで

何かはあったのでしょう。

前々から言っているように、地球人の傍若無人は破壊と欲で
宇宙や海そこに住む、海の御神木のサンゴや魚や動物がかわいそうです
ホピ族の言い伝えのように、人間がおバカに振る舞い、4回粛清された
5度目の大いなる存在(タイオワ)の力で
また記憶を消されリセットされる日もくるのでしょう 
黒い水が来ると書いてあったかな










海や山や風も生きている

粒子の一つに個性があり

海から雲になり山を覆い

また山に落ち川を通り

海の中の山を水として覆う

彼岸に先祖や死んだ侍たちを祀り

仲良く、古来から彼らが尽くしてきた宇宙や神々への祈りも

含んでいる

仲良く憶い出を語らい、宴を囲むのがお盆

お盆休みはそのためにあるが

どこの家も今や迎え火も送り火をせず

それを悪用する住職にたかられたら

日本を脱出したくなり

ハワイやアメリカへ行く

いつの日も先祖との約束をぶっちぎり

帰ってきたら

誰もいないと寂しいのは我々も同じです

秋には出雲にいかず

山の右は亀やま 古来からの祭祀を今で37代目続ける北島家 こちらが上位になる 

左は鶴やま 千家家 しかし都知事にもなった千家尊福さんの政治力や様々大きなしめ縄やキャッチーな

千家家が祭祀やると言い出し、皇室の血を巧みに結ぶが別々になる現状

神様に対して企画をしたらいけません。素戔嗚さんも呆れます

今や日本はいつの間にやら

死者になり切るハロウィンに変質

コンビニがなければいられない人々

トイレを貸してくださいと一言言わずに使う(ドライブイン感覚)

宇宙の隅々まで科学で理解し知り尽くそうと欲しがる地球人

宇宙が自然な摂理で作った完全なる世界の海岸線や山を

海岸にタバコやペットボトル安易に投げ

トラポットを投げ入れ破壊

人口の木々の植木のビルの蟻塚にすみ

強い自然をさけ、スイッチポンで、電子レンジでチンし

マイクロ波の産物のゴミを食う

魚や木や雨に胸を傾けなくなれば

誰だって大事にしなくなり、野生力や宇宙観や自然観

神様の見えない時間と数千年にわたり、胸を傾けてきた先人を

蔑ろにしたのが昨今の地球

災害も起こるでしょう

海や宇宙は見て聞いている

自分たちが宇宙の唯一の存在でもキリストでもない

例えば

写真は見えないものを写す

写るから魅了される

しかし昨今の写真屋の写真は後出しジャンケン

都合よく色や形まで変えてします

一度嘘をつくと止まらないのと同じ

現世はうつしよ

写世 

全ては真実の真理を自然と呼ぶ

ジネン

もはや宇宙人でも来て

お灸をすえてくれないといけないレベルの地球の海

砂漠に覆われた地球に向エバ、人の心も乾きコンビニ化する

時間がかかること

時間をかけること

自然に祈ること

独り海へ泳げばすぐに思い出す、宇宙との約束

広い視野で

養殖の魚にならないように

モノリス 

冷たい風が吹く

ケルト

と繋がるモノリス

日御碕神社の前

地球と海の波動を破壊する海洋土木の成果

最悪な日本の海岸

エネルギーを封じ込めるための悪意ある行為

波を干渉させて港や海岸を守のは嘘

出雲教 日御碕神社 龍神

出雲の言い伝えでは

秋になると南から龍神が来るという

実際に人間界の可視化された姿ではセグロ海蛇が流れ着く

出雲では数千年に渡り、重要な祈りの儀式は出雲教の北島家さんが受け継がれてこられた。

昨年お会いできた天皇家の血筋を持つ国造様で37代目になられるとお聞きした
穏やかで、品格と知識を越えた何か不思議なオーラのあるお方


お隣の大きなしめ縄の、観光客がいく出雲大社ではなく右隣の社。
神様は同じだがそこには、どうしても人が介在する以上様々あります。

実はこの写真が実は4月にご奉納させていただくことに
思い起こせば今から数年前から御奉献お酒と、新恩感謝のお気持ちでお参りをしていると

お返しに、お待ちください。
と、御神酒とお赤飯を頂いた


ふと出雲の神様の海で「太陽の位置では夕日しか撮れないがとれるのか?」とふと疑問がわき
島根中の海岸を車を走らせた

途中、以上な警戒とバリケードの原発の海岸や様々見たがどこも、水は濁り、何よりもピントこず

そのまま美保神社の大国主さんの息子?海の神 事代主=言代主さんへ
ご奉献のお酒と神恩感謝のお気持ちを

お渡しすると、宮司さんが少しお待ちください。とおっしゃり

しばらくすると、本殿へどうぞと、3人の宮司さんが太鼓と笛でご神事をしていただいた

なんだか涙が出る不思議な空気に感謝した

そのまままた海沿いに出の日御碕神社へ引き返す。
そこでダイビングショップを経営し

海底遺跡を発見した岡本さんへ、どこもいい場所はなかったと伝えた

まっ散歩でもして撮影は諦め
海岸の掃除をしに行くと

今まで知らない港の奥が、なんだかいい雰囲気だ

テトラポットの山はあるが
かろうじて、海岸と海は昔のままで

三角の奥が細い岩のほこらの奥のペットボトルや漁具やサンダルを拾う

なんだか怖いけどこの付近がいい感じがする

波に乗れるような今までのような波はないが
沖からうねりが磯にぶつかる波はある

ここだ!

俺は波を移してるのでは無い
いい雰囲気の海岸線で祝詞を捧げきよめ
太陽を水から押すだけだ

水がかき混ぜればいいわけだ。
と一皮むけた感覚と確信がきた

岡本さんに見つけた!

泳いでいいの?と聞くと

いいんじゃ無いかな〜。でも自己責任で危ないよ

でもね

あれ、なんかみえる人?なの

感覚で海岸線を観察してなんだかいい雰囲気なところいつも泳ぐ

いい雰囲気があの岩の切れ目の祠?にもあった

あそこは前にね葦船を作り、古代の神事をして観える人が
あそこは昔の祈り場で祭事をしていたと

その人は船で沖に出ると
ここは何か感じるというと

今は沈下した水中の昔の参道の祈り場の上だった

そうだ出雲教さんでいただいた御神酒とお赤飯を海へ注ぎ

貝をたて、祝詞と般若心経、道教のくじぎりをしてから泳いだ

海は入るまで怖かった
なんとも言えないスコットランドの寒々した青黒い海

幾重にも沖からうねりが来ては
岩の浅くなった場所にぶつかる

波に流され岩にあたらぬよう、白波の中見えない水中で
波をやり過ごしつつ、日没の太陽に向けてシャッターを押した

日が沈む(経島は天照と素戔嗚夕陽神事の場)近くの民宿まで歩いて帰る頃は夜になった

寒くて震えた5月
この写真は実はさらに奥の岩棚にぶつかる経島の左で写した

泳いで行こうと思うと

岡本さんがボートで連れて行ってくれた

薄濁りの海底と岩棚には海藻が生え
その海藻の動きと同じようにうねりに左右に流されながら
波が岩にぶち当たるその少し前に潜って回転

30分位、なんだが不気味な位海底の切り立つ岩で泳ぐが
酔って気持ち悪くなった

後で聞くとここは昔、神社や祈り場の頃の馬小屋らしいと聞いた
暗くなって行く海岸で、ホースで水を浴び、山の民宿へ帰った

海も生きていて、見ている
言葉を聞き、記憶を保ち観ている

伊勢神宮にも過去に、写真集を特別奉納させていただいたので(所蔵は人間国宝レベル、それを以前に書や篆刻や器は伊勢神宮2000年の歴史にあるが写真は時代が若すぎて項目にない)

(朝晩写真集に祝詞を奏上し、365日後に高天原にお焚き上げをする儀式)

これより伊勢の天照大神、豊受の神=稲荷=龍神とこの出雲の海の道が通る

何かしらこの日本と宇宙へ海からお手伝いができたら幸いです

空間と水を飛び越える

古武道tお同じ水中

動きという動的な物質的な事とは別に

水に溶け合い、その水の時間の隙間に入る

ファインダーは見ないでも写るのは

人も同じかもしれない

人間も海の成分と同じ整体水で

振動し共鳴もする

正中線という軸に線を

どんな体勢でも失わなずにいることが

命を守るのが古武道

その線とは

自分自身の線が維持されていて初めて

相手をずらすことができる

間合い とは距離だが この間合いにも呪術めいた何かがある

波は未来から来る透明な風

その風というかエネルギーに水の分子が微細に反応し

あたかも生きたように、繋がり、いとも簡単に離れる謎

科学では届かない今がある

水分子の繋がりや、角度

つまり平面ではなく

水中の全てが水分子の密集した空間で(水間)

その中に人間がという物体?すり抜けられる?

別な物がいる

写真も奥の光と形として見える波はあるが

実はその手前にもある

が透明で光やエネルギーが静 なために写らない

でもある

無いものに、あるように見せるのは

波動というエネルギーと光の屈折

透過、反射もある

水の隙間にで、シャッターを押すスピードは

人間界の1秒の500分の1

0,02秒

目には見えない時間を

人間が作ったカメラが残すわけだ

人の写真も少し前に押している

ここだという、瞬間が少し前にわかり

移動しレンズを向けたと同時に押している

撮られた気がしない

のは波も人も同じかもしれない

楽しむこと

考えも無い

目で押さず

正中線を保ち、スーッと近ずいて一気に押す

それが写真

不思議な時間

ポリネシアのクック諸島の島から泳いでここまで来たが

戻るのもまた自力

遠いな〜

何してるんだ俺は

戻れるのかな?

と誰もいない沖で大笑い

世界一高速な波

昔ファイジーのタバルアで巻かれた波に近い

実際より早めに潜らないと

巻き込まれる危険な硬い波

波にも固さがある

高速で海底が岩の岩盤の波は

波の分子が狭く結合しあい

密度が高い気がする

波から逃げながらも

波が通過する瞬間に溶け合う不思議

そして地に足がつく東京の代官山で

美しいバレリーナを写す昨今

またあの、命が危うい野生の世界に行きたいと

深く感じる

と一人大笑い

Chacott Photo shooting

アリゾナから数年前に秋田に住み

雪の中を来てくださいました。

デザインやおおらかな感じのアメリカの車が好きで

エルカミーノに乗ってるんです

というと

私はピンクのホンダに乗ってるわ!とお母さん

明朗快活なご家族

ありがとうございました

Chacott

Chacott Photo shooting Daikanyama

上海、東京と地球の様々から、来て頂いたバレリーナの方々

2001年にオーストラリアの波へ向かった

そこはライフガードの資格を数週間かけ、未知の訓練と

ひたすら水泳。座学は英語で心肺蘇生のCPR、EARにヘリコプターを呼ぶ

ビーチオペレーターなど

頭も体も相当キツかった

いちばんきついのは、体にたすきがげ した、岸の巨大なリールに繋がれたロープ

をつけたまま、波の崩れる沖まで潜り泳ぎ、溺れ役を回転させ背中越しに抱える

サインの片手を上げると、ぐいぐいリールで岸のライフガードに引かれる

溺役を両手で背中から抱え、岸に背中を向けながら引かれると

前から波は来るから潜れず水を飲み、腰が曲がり自分が水中に引き込まれる

こんなレスキュー方は助ける方が死ぬな

とごぼごぼと苦しいなんてもんじゃない

それでも、日本の明治の終わりの

100年前から歴史あるライフガード

日本人には、ボランティアで海で人助ける役の人を配置し人命を見張るなど

考えも及ばない事実

しかもヘンテコな黄色と赤の帽子をかぶり海パンだけ

体は冷えないのか?体や腕はロープで擦れ、ミミズ腫れ

その上、海にはサメも死ぬ可能性もある写真を見せられたアカクラゲもいるから気を付けろ!

なんていうが

水中は見えないから

無理です。

クラゲなんか運そのもの

そして朝8時にプール400mを9分を切らないとやり直し

もキツかった

最終試験は海岸を200m走り沖のブイまで100m泳ぎ

また100m泳ぎ戻り

ゴールまで走るランスイムラン

これが8分以内!

波がとにかくすごく

ぜいぜいしながらちょうど8分

危なかった

できない人はまたチャレンジはきつい

マニュアルには潜ってす砂をつかめと書いてるから

やったが浅瀬はいいが少し深くなると全くできず

やがて波の下を潜り潜ればいいと体験から知る

なんだこの教科書は

そんな体験は1989年

あの時間がこんな写真に役立ち命をつないでいる

波がきたら引くはない

ひたすら沖へ向かい波へ頭から突っ込む!

つべこべいうと、遅れ、進入角度が甘くな理、勢いもおち

暗黒の泡に巻かれる

黙ってやる

気合いという不可思議な自分の自分とずれないようにする

hinomisaki 神とテトラポット

ふみしま(経島)経文のきょうと呼ぶ島は、小さな鳥居があるが

日御碕神社の宮司さんがだけが行かれ祈る場所

目が怖いウミネコの声につつまれた繁殖地

しかし正直、周囲は防波堤やテトラポットの心無い海洋土木の

不自然で神々に失礼な工作物で覆われている

港がどんどん広げられ、この数年でまたテトラポットの山が

中筋グループが国の依頼により行った

中筋さんは仕方ないと言っていたが

国がこんな大事な祈り場を、いくら漁船があるからとはいえ

神社の前の聖地を伊勢神宮のように守るべきだが

神様がやってこられる稲佐の浜でさえテトラポットが迫る

(テトラや海に土台として沈めるケーソンの成分が海のpHを下げてしまうしなかの鉄筋や様々な化学物質も環境によくない)ケーソンの制作現場も国交相の関係の撮影で見てきました)

一説には天照大神(女性)が夕陽神事をしていた大切な島

実はこの岩の島の中は空洞で(岡本さんの経営するダイビングショップ アクア工房より、ダイビングで行かれます)僕も実際に岡本さんに案内していただき行きました

沖縄のセイファー御嶽のような三角の内部の下は玉砂利

お気に向かい2本に伸びる参道や階段や亀など人為的な工作物を見つけたのが岡本さん

勾玉でも出れば考古学的に認めれるとはいえ、いろいろな先生が来てやはり

人工的に作った道や歴史的にも間違いなく古代の祈り場でしょうとのこと

西暦八百年の地震で10m沈下したらしい

岡本さんも散々、金属探知機や砂を掘り返したが

まだ見つかってないそうだ。

なんだか独特な雰囲気と、ちょっと怖い海

日御碕神社は素戔嗚と天照を祭り

裏には素戔嗚が自分で柏の葉を置きここに祀って欲しいと言った森もあります。

須佐神社もありますが

ここも大事ですとのこと。


この海の岩場にあたる波で写真を何枚か取らせていただいたのは2019年

海に出雲教さんでいただいた、神前酒とお赤飯を海に捧げ貝をたて、祝詞を唱えたのは2020年

出雲は出雲大社(千家家)が有名で、東京都知事ににもなった政治家の千家尊福さんは有名でそのせいか

全国に布教活動をしていた御師(押し)のおかげか(伊勢神宮は御師をおんしと呼ぶ)

出雲といえば出雲大社!と観光客には大きなしめ縄で広告的にも有名で、僕もよくわからないまま

訪れ、地元の方にお聞きしました。

実は古来から神事を司ってきたのは、その右隣にたたずむ出雲教さんです。

やがて千家家もやらせて欲しいとなり、国の命令で順番にやるように。

観光局のパンフレットにも掲載されないと地元の方、確かにあるパンフレットには載っていませんでした。

政教分離が抜けない日本の昨今

天皇家の血筋を受け継ぐ、北島国造様で37代目となると

昨年初めてご面会させて頂いた際にお伺いしました

出雲は現在は8代目大国主、事代主(子供とされているが8代目少彦名八重波津身の神の死後の名前とも)
弟タケミナカタの、少名彦(一寸法師)ですが
大きくみると、一神、一人の神ではなく
何代も大名持はいたので難しい

出雲族の長男 富美家の祖先クナトの女性長アラハバキ=イチキシマ姫様(弁財天)を祀る滝の池もある
 
出雲に残る富美家の伝承出雲口伝で今までの歴史観や史実はひっくり返るというか
公に真実に戻る時期に来たのかも
日本の成り立ちが全然違うことになる

から困る方々もいるのでしょう

いずれにしろ伊勢より古く大事にされてきた聖域

浮世絵し芳年さんも絵馬を奉納した氷川神社は斐伊川から関東に来たという。

僕も自然と古来からの祈り人北島家の清らかなこの霊力漂う地に

2018年ごろからお酒と新恩感謝のお気持ちをご奉納させて頂いていました。

そんなことを書いていたら

あまり話したことはないのですが

京都のサンエムカラーさんで作った高精密印刷の写真集Blue Forest

が伊勢神宮にご奉納された日のことを思い出します

以前,陛下のお姉さまの伊勢神宮の祭祀の際には先達されていた池田厚子様のご縁で写真集を伊勢神宮の内宮へ

特別奉納させて頂くことに

あの時は伊勢神宮の奉納は基本的には人間国宝レベルの方のみ

そもそも伊勢の2000年の歴史において、奉納のカテゴリーにも写真は時代が若く

ないとの内容。

2週間僕のことを調べます

その結果によりできないこともありますと

言われました。

そして2週間後

大丈夫でしたので(内容はわかりませんが)

と伊勢神宮の祭祀を取り仕切っておられた方より

お電話をいただき

日取りを決め儀式を行い(その後365日朝晩写真集に祝詞を捧げていただきお焚き上げをし高天原へ)

本当に生涯にない特別な奉納でした。

そしてさらに特別に内宮の中へもご案内くださいました

あそこはやはり何かいらっしゃる

怖いくらいの聖域でした

空気が異次元でピーンとしていまして

お祈りをすると急に「神垂」(しで)が内側に急に動きました

さらに奥の白い玉砂利の社の前は

怖かったのが今も残っています

怖いとはつまり、禍々しい気持ちや嘘はいけないという

宇宙の法則のようなシンプルなこと

ネイティブアメリカンやアイヌやアボリジニの方々が

思う、自然と宇宙と一体で自然破壊は我が身のように思う気持ち

です

ここがなくなると、平気で神域にテトラポットを投げ入れ破棄してしまう

海や公園に食べたゴミやタバコを捨てる

本当は間違えだが、目先のお金や国の政治的圧力でやってしまう

バチがすぐに当たれば気づくのかもしれないが

五十鈴川の護岸を全て固めダムを作りペンキや水銀を流すようなものです

出雲海も掃除を言った時だけしてますが

テトラポットと漁具やペットボトル、発泡スチロールだらけ。

テトラももうやめて欲しいものです。

神様はなんと思っているやら

Amsterdam

2019年以来コロナやらで行かれなくなっていた海外の展示

ブースを借りたギャラリーEに嘘をつかれ展示費用をぼられたりといい経験。

10月のアムステルダム、間に合えば7月ベルリンに行くか!

主催者側は僕のGallery UmiBushiで参加出来ますよと、登録をしてくださった。

ミュンヘンのように、一人で全てブースを借り写真を運ぶのみ。

しかし運ぶのが正直きつい。

前回1ヶ月ヨーロッパに滞在し3か所の展示をした。

160kg運びオーバーチャージ羽田で32万が18万 

スウェーデンからドイツで32万! 作品4枚破損のルフトハンザとエールフランス航空 

ドイツからアムステルダム9万! 

交渉を笑顔で前向きにしたから安くはなったが・・・

壊れた写真もカードの携帯品保険もダメ、ルフトハンザは

そもそも壊れやすいものだからダメ?間違いなく投げて角が潰れていたがどこの誰だかが特定できず

1枚1万円と言われ。馬鹿にしてるから申請はしなかった。

ビジネスクラスの機内預け容量は32キロ二つ

これを5箱W120センチの写真を運ぶため、段ボールの箱も手製にしたが

爺さんの家の体重計が狂っていた事実

結論として、気持ち強く、健康で力持ちなら、英語が微妙でも運ぶのは出来なくはないが

行ってからの移動がまたベンツの大型タクシーになり高額になる

日本からヨーロッパに持っていくのがとにかく高いのは仕方ない。

ニューヨークで会ったギャラリーの黒人の女性とスウェーデンの展示であった際

木箱でDHLに頼み輸送だけで60万かかったといい

一人でどうやってこんなに運んだ?と聞かれ笑われた。

皆、夢を生きる

実は作品は前回また来年来るんだろう?もしよかったらあづかってあげるよ

と展示で知り合った、毎回参加しているうちに友人になった、オランダ人アーティスト レップリンゲルにあづけたまま

まだあるの?と去年きいたら、大丈夫だよ兄弟と言っていたが

状態がわからないな〜 外人の大丈夫はな〜

また運んだら帰りは、もち帰れない、無限ループになるな〜

海外で簡単にプリントして作ればと

言うのですが難しい。

まづ色が出ない。(説明が英語でできないのもあり)見本をくれといいうが。それには前倒しで7日ほど滞在しないとダメでしょう。

アクリルマウントはアムステルダムの加工場を紹介してくれたが

実際に行って話すが片面3mmしかできないと

(これは必ず将来反ります。)

額装?またこれが難しい

色々もし作品が壊れていたり傷があるかもしれないから

最悪何か持っていかないと、白い壁だけになります。

ワクワクしてきます。

ベルリン7月

10月アムステルダム

7月はファイヤーキングの準備もあるから

無理かな〜?

ドキュメンタリーに経験をさらに アレンジしようと思います。

微細は隙間の風

水は海の中の風

水が動いているわけでも

海が動いているわけではなく

波とは何か?

なんでもない

何にもない

自由自在にエネルギーを受けては反応する水素のつぶつぶ

素粒子が動くというか

滝は水が落下しているわけはなく

水素が水素を引っ張り合う姿

平水面なら川は何か?

あるけどない

ないけどある

般若心経も確信をついている

供養、祈り目に見えないもの、魂は残るのであれば

そこに届く声は何か?

思い

シンプルに言えばそうしたものとは違う

言葉にするとややこしいが

言葉もない気持ち

信心?

だから供養は大切

この空間や歴史や時間をこえ

空間と宇宙を癒す力がある

なんていうか整えて調律する

海の波は一つの「物」

ではない

細かい微細な、見えない水中の風(エネルギー)が

伝わり、離散し、またくっつく

方向性も何もない自由自在な何か

その何かは記憶や時間を見てきた全てを

知っている

命があるのか?問われると

わかりませんが

少なくとも「物」ではない

海に言葉を捧げ

存分に生きたここちを、理解し楽しむこと

頭は捨てる

全て自由自在に脱力する

いや、脱力もしない

言葉は脆弱だが

そこに何かを乗せると

水間や空間に入り込める

周波数が違う

太陽も過去の光

波動は未来のもの

その隙間に溶け込み

入り込み押すと、たまたま写った1枚

自分では海は古武道とよく言うが

どんな意味なのか

神術的

心的術

体術

が古武道の動きや意識ではあるが

昔、水にどうしたらなれるのか

普通に泳いだらいられないはずの波の中

どうしたら崩れ散る波の裏から高速な雪崩の水を写せるのか

いや

そこにまづいられるのか

知りたかった

誰も撮ってないものを撮りたい

泳ぎ始めた25年前青い世界のフィジーで

波に揉まれながながら考えた

所詮抗えない

上や前から全てをかっさらうエネルギー

そのエネルギーを受けて 流す

受けて流すから動く水から逃げられる

高速で動きと真反対のエネルギーの数センチ手前の

波動が伝わり始めた、水のかぜを利用して

その力で回転し、方向転換する

鮎や鯉が逆流する一見高速な水や滝に登れるのはなぜか?

答えはそこにもあるが

水中では波を交わして(かわす=逃げる)のだが

交わすことで水が助けてくれる力がある

防水ケースのカメラは手を出し、なんとなく、鋭クレンズをその時々の方向へ向け

みないで押すだけ

意識を使う

波という名詞的な一つのものではなく

連接する微細な水の粒子と波動の風は陰を含む

そこが不可思議な生きているような何か

未来と今と過去の隙間に入り込むようなものが波の中

滝は垂直落下

波は並行であり、また水分子の中で溶け合うビッグバン!

ここがまだ研究中

オンワードとチャコット

オンワードは芝浦が始まり

オーナーの樫山さんや馬場さんは海が好きで

会社のロゴも太陽の黄色と海の青

子供の頃毎日のように、自転車で白金小学校の友人と

釣りに来た海に目の前にビルが建ち

そのロービーに写真を飾っていただいた

Chacottと土屋さんの創業で後継がなく、オンワードが買い受け経営

だからオンワードのグループ

現在はオンワードの副社長だった先代の馬場さんとは同姓の馬場社長

僕はオンワードの会長のご縁で、波の写真も個人的に購入くださった。

ご紹介くださった方はパタゴニアで展示をした2009年頃だったか

やがて馬場さんはファイヤーキングの個展に来てくださり

バレエは撮っていただけますか?

「いえバレエはわからないし、望遠レンズのよくあるポーズのパパラッチな写真は撮りたくないです

専門家がいるからその方達に頼んだらいいですよ」

いえいえいつもの

祭りオヤジのような

魂の写っった1枚は?

それなら撮らせてください

ドキュメンタリーならぜひ

そんな一言から始まったのがチャコットフォトシューティング

こうした様々なみなさんの暖かなご縁は

はるか沖のフィジーの離島で独り、それこそ溺れながら逃げ待っていた日々が

まさかの展開に

無心でやる

覚悟を決める

なるようになる

不可思議なご縁や運がある

頭で考えず、胸から入る

体で海流や温度を感じつつ

全神経を張り巡らし生きる術を巡らせる

1枚にかけること

だらだらする映像ではない

1枚

そして

一言

臆することなく

胸で話せばいい

1枚と一言は嘘をつけないから

おみとうし

僕にとって

海ってなんですか?と

昔、ラジオの出演時に聞かれたが

答えが出なかった

今もうまく説明できない

断片的には海は還すところ、循環、心地良い

命の儚さを知る、美しい世界と魔界の表裏

様々な言葉が漂うが

まだわからない

一つの答えにはできない

永久に命があるうちはわからない

わずか数十年の付き合いの海に45億年の時間を

当てはめるのは、都合がいい

山も海も全てにおいて

人間様ではないということ

宇宙は厳しい

雨も波も風も危ない

そんな条件のバッチリ揃った場所が水面の波

体温が冷える、恐怖でパニックになる、岩や珊瑚に打ち付けられて怪我をする

サメもいる、呼吸もできない

恐るべし地球のもう一つの星

修験者が山に登り、古来から(仏教伝来以来な場所と、もっと昔から宗教のない時代から

古神道の時代から何かを先人が感じた場所

そこを彼らはなびき(靡)と呼び、受け継いで守ってきている

修験とは神道、アミニズム、仏教(密教系)、道教(くじ切りなど)

うまい具合に微細に溶かした高純度なもの

僕は修験者でないから、本当の修行もしたことはないが

修験道も金峰山寺派、京都醍醐派、羽黒系、御嶽、彦山など

地域によりその衣装も違う

明治の修験道禁止で随分と絶滅したとはいえ

未だ人知れず、山の奥でその呪法と信心を継承し、ご自身の修行をされている

尊い方々がいる

海は靡であると思う

修験道に誘われたこともあるが

僕は、みんなで白装束と頭にトキン赤や緑の梵天をつけ

行くのではなく、一人で祓い浄めたいから

お断りした

海だから

山伏がいいて海伏がいてもいいんじゃないかな?

羽黒や金峰山寺の山伏にどうですか?良いですかね

とお聞きし

いいなそれ

やれやれ

やりなさい!と背中を押され

海伏と命名したが、肩書きはそもそも嫌いだから

どうでもいいのですが

真似されないように、何か特許?をとれば

特許ではないか

商標登録を数年前に申請したら許可がやく7ヶ月後におりた

写真家?海伏?

いやいや裸で海に行けば

肩書きなんか海の藻屑と知る

芯で祈る

祈るというときな臭いから

伝える

言葉にして

ことわけ

全てはレントゲンのように

見て聞いている

その胸の内も全ておみとうしなのが海

1994年ごろのウブドの川

ウブドは特別な場所だった

もっと昔はよかったのだろうが、まだ道も未舗装もあり凸凹で

土産物や小さなロスメン(簡易的な宿が)道路地の奥まで所々にあった

高級ホテルもなく、唯一チャンプアンというホテルとその渓谷ぞいのレストランが好きだった

入り組み高低差のある山の村の

至ところで夜はダンスのショーをしていた

日本人もあまりいなくヨーロピアンが多かった

わずか数百円で寺院の付近でチケット立ちんぼのような人が売っていた

その完成度は素晴らしく、修行を重ね、この村と土地の伝統、コミュニティーのかよう人の心

うまくいえないが、何か自然霊のような感受をも受けるがままに、ここでしか生まれない音と舞だった

初めて見たのはレゴンダンスだった

夜は屋台で隣の旅のドイツ人と話をした

仕事はなんだったか?1ヶ月休んで旅をしていると言っていた

ご飯に黒いぞうむしが沢山いたが、おばちゃんが手ではらい、はいよ

2人で笑い、食べたのを覚えている

子供のころの日本もたまに入っていたから

なんともなかった

昔の日本のようで、そこに神様のがガジュマルの木やあちこちに

花や供物と煙の上がる線香

インターネットもスマフォもない穏やかな時間

こうして思うと、なんでも先にわかってしまい、宿も海外から見て予約してしまう

旅とはかけ離れた、常に先々が担保された工程はどうしたものか

宿な必ず取らずにチケットだけで世界中旅をしていた僕には

どうでもいい話だが

あの行ってみた感じや空気、不安やワクワク感

車を走らせて歩いて、良さそうな雰囲気のいい部屋を見せてもらい

値段の交渉をしながらの旅

もう戻ることはできないな

と思うとあの日々は人と人の触れ合いや

思いやりがあったなと思うし

昨今の歩いてまで携帯ばかり見ている人々には

こうした心の景色が見れずにいて

外からの自然な情報も受けれずに

新幹線で移動したような、点から点だけの移動になり

感覚や嗅覚や触覚を曖昧に弱らせていく

地図を広げないから方向感覚もないまま目的地だけに着く訳だ

当時は皆、自分の足やロンリープラネットという生の声をまとめた地図がたくさんあるガイドブックや

聞きづてで宿やいい場所を見つけていた

旅人の訓練と冒険があった

今もガイドブックは買わないし、ネットで調べない

旅の豊かさが半減し、人間の野生性や感覚や自然観も退化させていることは間違えない

自分の感覚で行動し失敗も繰り返し、時間をかけていた

宿が見つかるのが夕方なんてこともよくあった

あてもない旅はオーストラリア、バリ、ハワイ、マウイ、オーストラリア、タヒチ

からやがて波の旅への変身した

オーストラリアバーレーの海岸では偶然いとこに会い

ハワイで溺れ

また翌月今度はマウイで溺れかけ

ヨーロピアンのゲイがハッモックを揺するモルジブは怖い

やがてフィジーの離島で人を知らない太古のままの波を見つけた

霧がかかる山には妖精がいると聞き

これだ!これこれ!この生きた心地!死ぬ心地!が本物の海だ!

以来フィジー で武者修行をしたのは2002年から

川の音に誘われモンキーフォレストの宿から散歩をしていると

渓谷から子供の声が聞こえたので近づくと

エビを釣っていた兄弟がいた

一昔前の日本と自分を見ているようだった

思い起こせば、旅に行けば行くだけ

波と風の出会いには、必ず不思議な人の出会いもあった

あまり英語も話せず

酒も飲まずバーもいかず、人けのない場所ばかりにいた

80年代ずっと六本木の防衛庁の前の、モータウン音楽のダンスフロアのお店やディスコや芝浦のGoldで働いて

いたからその反動でしょう。

もう夜の世界は卒業したんです。

海や聖地の祈りばや旅の移動手段や時間や怪我しないか、死なないか?とか

敵がきたらやっつけるか!とかご飯のことだけ考えている、誰とも話さない日もある

日本ではおしゃべりですが。喋らない時は数日誰とも話さない、声を出さない。

観光地は全く行かない。

海は命がけで常に緊張するので、気力を調律し体を調整ケアし、お詣りと散歩以外は本を読み休んでいます。

イタリアでもピザも食べない、パスタも仕方なく2回だけ、洋食が好きじゃないと最近わかった。

ケバブかインドカレー

だからバリは食事が合う、人々が常に祈っている崇高な場所

先祖を敬う、ガルガン、クニガンなどお盆である

ナシチャンプルを毎日、ピーナッツソースの焼き鳥のサテを屋台で食べ

砂糖なしの薄いコピを飲む

一人が好き

おみくじとはなんだろう

出雲は最初は神在月、神無月に合わせて行ってましたが

全て混んでいるので

3月から4月ごろにお参りへ

不思議なことに

昨年訪れた出雲。 おみくじは普段やりませんが、代々御師の方が先に出雲大社を勧めますが

僕は出雲教さんへ行きたいので。

後で大社へ行きますと伝え、、御神酒をご奉納しお参りをさせていただき隣の大社へ行くと

もう1人の東京からの知り合いとその方はいらした

「お〜 キョー橋さんおみくじしなさい! あたるから。前 当たったろ神様の大吉 とニコニコ笑う

う〜んじゃ引きますか・・・ 乗り気でない200円!

箱の中のおみくじは少し少なめかな?一度指で触ったおみくじは透明な箱で見えますから、指を離し2枚横のを触って引いた

どうだ!なんだった今年?

あら去年と同じですね

おっ〜!すごいな〜え〜

何枚入ってる?んですか・ 

大吉多いんじゃないの?

こら!お前な おみくじは業者から買うな52プラス1種類あってな

月に何回か巫女がチェックして、箱を見て少なくなるとその52,3種類の入った業者から買った袋を

箱へ入れ混ぜるんだ

だから、同じのばかりかもしれないし、何年も引かれないものもあるかも?

それはわからんが

しかし俺も始めてだ、同じの引いたのは

内容はなんだ

ざっくりこうです 大吉

「神を日々尊ばねばその先は全てなし」

お前の生き方そのままだ

と嬉しそうに笑っている

続き

江戸時代に御師おし(伊勢神宮だけは御師おんし)が神社の経済面、維持の面でお札や様々全国に営業に行き

その時に出雲大社も、大国主とは関係ない恋愛だの、商売繁盛で広め営業しましたが

実は繁盛したのは逆に出雲大社かもしれません。

よくみなさんがあ〜出雲神社 神様の会議をする大きなしめ縄の連想される

出雲大社は千家家。

出雲には二つの別な社が隣り合わせであります。

向かって左の大きな社が千家家の出雲大社。

向かって右が皇室の血統の祈りの北島家の出雲教さん。

数千年前から全て祈りごとや祭事を行うのは北島家さん

明治時代に千家家は東京都知事や電車会社の社長になった尊福(たかとみ)さんという方がいました

いわば政治的にもたけた方だったのでしょう。

ともあれあまり知られてませんが、地元の方々は古来からの祭司

霊験あらたかな北島家の出雲教さんを特に大切にされてきています。

とはいえ神様は人間界のことはさておき

あの出雲の地になんらかの、時間を読み取った出雲族や土師氏(菅原道真の祖先)物部の方々が

渡来し、祈りを継承されてきた、人間には永久に分かりえない不可思議な空間と海があります。

古来のアイヌをはじめネイティブな宇宙や自然そのものの時間が神だ と胸で知っていた

皆さんの思い(信心よりピュア)が、またその思いに神々が寄り添い

神界、幽界、また大国主、息子事代主間にタケミナカタ(龍神)も海のお方

そんな何処よりおいでになり

様々な風で人々を優しく、よきに強く撫で、国土の安穏にためにお働きになられています。

出雲教さんの過去より同じご家族で37代目となるの北島国造様時はじめ、皆様のお人柄は

日々の御修行の武道の精神に通じる数千年の風かと存じます。

そんな祈りを全て聞いてみてきた御神木も裏にあります。

TVでも目立つ大きなしめ縄がなくても、誰もがすんなり全てを胸で理解できることでしょう

海が冷たい!波が強い!海が青く綺麗だが、なんだか怖い

目の前の万物の風景に溶け込ませてある 「何か」を感じる感覚は子供から魚まで同じです

そこを直に体験することが、海にゴミを捨てない、朝の蜘蛛は殺さないに繋がります

修験道も結局は神道、あとから輸入された仏教、道教のうまい融合です

経験を修める から修験の道

羽黒山は昔のままの霊場が息づいている

苔むした階段を延々と登りながら、松尾芭蕉の足跡や

道を外れたおいなりさん

至ところに昔の方々が、何かを見て感じたままに神様の別荘を作った

人間の仕業の神社ではあるが、大昔

古事記は心からよむと祟ると言われたそうだ

そのものがマントラで霊力が高い場へ誘うとも

スマフォやおバカなテレビが氾濫し、月夜も月海も水に気づけばコケコッコー

昔は近所に鶏のオスがいて、朝になると鳴いていた

なんて事ない普通のことも

今や公園で飛び回る子供達の声や、祭りや運動会まで

マンションに越してきた住人が、利己的な文句を奏でると言う

タヒチにいたとき、海岸に立つバンガローは波音だけの

本当にすごい所だった

口を斬りながら食べる、焼きたて硬いフランスパンが毎朝出た

それはフランスの植民地の名残がタヒチの伝統的な食文化を破壊した

メディア的には溶け込んだといえばいいのだろが

ハワイもしかり

ハワイ料理は発酵したタロイモのポイや葉っぱで蒸した魚や肉や芋

パンケーキやベーコンサンドなどはアメリカ料理

ワイキキは王族の聖地ワイは水 キキは湧く

しかし今やタロ芋畑や泉を埋め立て、新宿の様なビルに

猫の額のカリフォルニアから運んだ砂を巻いた人工海岸がワイキキ

フィジーも海の崖に乗っていたから

波音で細胞から毛穴から触覚がきれいに整い音叉となり

周波数がその細胞や筋肉にまで届き

とにかくすごい浄化と調律の場だった

海から上がると、そこでカメラを掃除し

本を読み昼寝をし、たまに浅瀬に漁に来る村の仲良しと

話すのが楽しみだった

村人は自給自足

水は山から引いて、当時は発電機をみんなで買いガソリンで回し

夜の少しの時間だけ電気をつけた

男たちは山でタロ意味を作り

なぜか女性が朝から海に腰まで浸かり魚を釣っていた

流石に冷えるはずだが彼女たちは少し太っちょだったから

平気。僕はウェットをきても寒くて寒くて、よく風邪をひいたが

普段から薬は飲まないから、水飲んで食べて汗かいて寝て治す

宿は8棟だけ簡素な木の作り木とベッド、一応昼間はスタッフがいて

なんとそこに新潟のサーファー猿子さんがいた(マシコ)今は新発田でサーフショップを開く

本当によくしてくれて、沖まで300〜400ある波まで独りパドルアウトし

誰もいないリーフのレフトの惚れた波に突っ込んでいた

しょっちゅう足を珊瑚で切り

たくましい尊敬する男

そんな宿もお客が来ないから閉鎖してしまい行きすべがない

時は待ってくれないが

それも新しい時が待っている

振り返る情緒や経験や思い出や様々なもまれた波の感覚は

きっと今も、あの轟音や絶体絶命の沖で波に巻かれた泡の振動が

体や心なる不可思議な記憶装置に残り

今の写真や生き方に多分に影響を与え続けていると思う

世界でどこが好きって

僕が知っているのは第3ジェネレーションの90年代初頭のバリのウブド

フィジーのキングコング

タヒチのランギロア

グランドケイマンで食べたラザニア

ライフガードの資格をとったこれまた死ぬ思いをした

オーストラリアのバーレーヘッズとその横のナショナルパーク

なんて海外のことを並べながら

今は日本が好きでたまらない

これだけ数千年も至ところに神社や海がある国はない

そりゃ島国だが

アメリカも島国だがでかいだけえ同じ

そんな神社や目に見えぬ修行と、アイヌや沖縄の方々の様に

精霊や自然霊を敬い、修験者の様に万物には魂があり呼応している

という原初的な当時は当然だったことが今も絶滅しない国

また1000年前に砂鉄から、刀を手で焼いて叩いて磨いて

作った人の英知が既に完成されそれをいまだに、絶対的な制作方法を

いわば真似て継承している

こともすごいことです。

靖国神社で刀匠の晶平さんにお会いし

またその魔力に近い異空間と繋がる彼の時間と目が

そんなことを気づかせてくれました

羽黒山伏と羽黒にも忍者がいました

ある時拝んでいたら、羽黒三山神社で写真を撮っていいですか?と言われ

どうぞ

といった人は

羽黒山伏で極真空手の先生でした

羽黒には昔ものすごい数の宿坊がありました

それだけ信じんが深い時代が明治までありました

江戸時代まで白装束の行者さんがそれは沢山いたそうです

明治政府がある日から、せっかく物部さんの神様派へ政治的なネゴを悪用した蘇我さんが

余計なことに外国の新興宗教を広め戦争が起きました

が、本音はわかりませんが、表面的には神仏習合で時間が上手に溶け合わせたのに

神仏分離、廃仏毀釈で、昨日まで拝んでいた仏像を役人の手下が焼き払い破壊しました

いずれにしてもそれは悲しいことです

修験道の禁止、呪術、骨つぎの禁止

とにかく人が個性強く、自然やかみや海から、山から力を授かり

個性強くなると、言いなりにならない為困ったのでしょう。

神の力を増したかったのか?

天皇が天照の子孫になってしまったのもこの頃

天皇陛下は神?人じゃなかったんですか?論が出たのでしょうか?

羽黒山伏のある人はアレフの上祐さんと関係があり

なんと今は羽黒のやってない宿坊を仲介し売ってしまいました

大丈夫なのか?と村人にみなさんの心配

羽黒三山神社の斎館には昔、湯殿山でお会いした

権禰宜さんの仲良しの方がいます

そのかたは湯島天神(道真さんは実は土師氏の関係で出雲の大国主と関係があります)

学問の神様は後付けです。

そんな学問に効きます!とついつい

効能を表面化した湯島天神

やはり時代が変われば

仏教が来たときの様に衝撃が走るんですね

ある若いお母さんがお子さんと合格祈願に来たそうです

約1ヶ月後

そのお母さんは

すみませんといったかどうか知りませんが

「息子が受からなかったから

祈祷料返してください」といったそうです

やるな〜馬鹿だな〜

で?

どうしたの?

いや

返すはずないですよ

電話が来たから

それは違うと説明しなさいと

言いました

効能書きが、受け付けにあるの?

効能と書いてないけど

ご利益と書いてあるかな

温泉じゃないものね

温泉だって掛け流しや、加温や塩素バリバリの循環式もある様に

入って温まるが、病気が急に治る訳ではないからですね

入る人やその時の気候、体調いろいろありますし

要は気の持ち様ですね

独りうみで泳いで写すこと、人の魂を写すこと

独り山や海で(同じもの)で祈る

独り忍や侍の供養をする

この三つが人生の全て

それぞれの、なんらかのお役目があり今にいます

宗教や仏教によりかかからず

他力本願はしない

自力で泳いで帰るが全て

宮本武蔵もルバング島で28年戦った小野田さんもおっしゃってました

「神仏は信じるが頼らない」

なる様になります.

一人旅へ

武道が人生(武道とは軸を知る全てに通じる精神性) 

海も武道

日々の日常が武道

心の平静

覚悟一発!頭は捨てる

覚悟は瞬間

その瞬間は過去のもの

その瞬間には過去と少し先が写る

写真は嘘はつけない

海へじゃぼん

45年後 ユージンスミスへ

海とは都会に住みながら

付かず離れず

写真の師匠は柏原誠、個人的な出会いは1年

そこから明大前のスタジオに仕事をしつつ

毎週4〜5回通い

光や現像、ハッセル、4×5のカメラを揃え

様々は撮影に立ち合った

しかし、一貫していたのは飄々としながら

も的をついた一言

長い人生と経験でと持ち前の、研究心と自由奔放な個性やセンスも

見た目もいかにも芸術家、写真家だった

俺はね

ユージンスミスのアシスタントや現像をしていた時期が

長くてな

いいオヤジだった

が口癖

ユージンはご存知の通り水俣病を引き起こした(小和田雅子さんおおじいさんの会社チッソ)

ミナマタを晩年写し

千葉の五井にあった会社のの集会で

雇われた者達に暴行を受け、目が悪くなる

俺は奴らを恨んではいないと

言っていた

と聞いた

実はユージンスミスは戦場カメラマンとして

サイパンや沖縄戦に従軍する

そこで玉砕したサイパンで、傷ついたり、亡くなる日本人の親子や赤ちゃんを実際に

目の当たりし、「アメリカがやっただけで、俺ではないんだ」と心に苛まれ

戦争屋どもめ!と

思うようになる

こうした、アメリカ兵の死体や傷ついた日本人のドキュメンタリーな写真は、アメリカ軍の士気を落とし

広告的に不利になるため

軍から太平洋から追い出すぞ

と言われたという

やがて砲弾が炸裂し負傷し

数年間は治療と精神的なこともあったのだろう

カメラを手にはできなかった

やがてセントラルパークを歩く自分の子供を

の写真で脚光を浴び

人を撮り始めていく

柏原師匠は懐かしそうにユージンの話をし

また

おい!キョーバシくん!

カメラは所詮機械よ!

カメラに写されんな!

いいか!

バット!な

モデルの心や雰囲気な

鷲掴み!ば〜ん!と押しなさい!

ファインダーなんか見ちゃだめ

あんなもん、見てるようじゃ

撮れませんよ

瞬間は!

とニタニタ笑う

正月になると

キョーバシくん

うちに来なさい

と奥さんの料理や自分でつけたキムチや燻製やローストビーフを

出してくれた

本当に優しい哲学者でありながら、自由でおおらかな男の中の男だった

写真で活躍する半沢さんも弟子で

最後の弟子がキョーバシくんだな

と笑う

その1年後

あのね俺写真を今日からやめます!

えっ?

やめるんですか?

うんそうだ

なぜ?

あのね

写真はこれからデジタルになる

つまりね

ツマライ!

単価も下がる

腕の見せ所がなくなる

パソコンで車の色変えちゃうだろ

あれで俺は、馬鹿野郎だなと

思った

だけどな

君はね

人を写すと何か写るよ

あとやっぱり

海へ行きなさい!

そんな

親父が病気で亡くなるのはその数年後

波を取り見せると

本当に喜んでくれた

いいの見つけたな!

いいぞ!おい!

バリバリ

エネルギービンビンで

死なないように!

そして手紙をもらう

そこにはこう書いてあった

97%おめでとう

私は若い時に戦場カメラマン、ユージンスミスのアシスタントをしていました

あなたの写真を見ていると

どこかあのキャパに似ている何かがあると感じます

これからもエネルギービンビンに頑張ってください

文字はそこに、韻を含んだ言葉として残り続ける

78歳まで突っ走って

自由自在に研究や修行を重ねつつ

自分に正直に真っ向い生きた柏原のオヤジさん

オヤジさんが海だったと今思えました

写真は出雲、日の御崎神社

秋になると海蛇にのり(霊蛇)にのり、海の神

大国主達が来るという

日御碕神社の前には経島(ふみしま)という不思議な岩だけの島があり

鳥居が一つ

海猫の繁殖場に

実は天照大神が素戔嗚と夕日の神事をしていたという

中は空洞で玉砂利の海底と参道や階段や亀の姿の岩など(人工的)がある

この海底遺跡を見つけたのは日御碕のダイビングショップオーナーの岡本さん

わざわざ泳げそうか船も出していただき、一緒に車で海岸線を走っていただいた

経島は正直怖かった、水深も深いがなんだか聖域であり

ロックフェロー島のような寒々しい荒磯から帰れるか?不安だった

出雲は夜の国

大国主は霊界にヒーラーで供養人

息子達は事代主も海の神

タケミナカタは龍神で、諏訪に追いやられる(天照の国譲り?に反対し天照の刺客タケミカヅチと戦う結果らしい)神様も人の領地を欲しがるのか謎だが

出雲教さんは天皇家の血筋

現在で37代目になられる北島国造さんの出雲教こそ

古来より神事や様々な大切な儀式や、海や国土の安泰を

祈祷してきた方々(やがて千家家が僕たちもやりたい!となり、毎年交代になったそうだ)

皆さんがメディアで知る大きな派手なしめ縄の出雲大社は

東京都知事などをされた政治手腕に長けた千家家の神社ですが

実は地元の方々に大切に数千年されてきた

のはこの北島家の出雲教です

宮司さんや権禰宜さんも一つの家族のような

心の方々。

出雲大社の右に樹齢1000年近い霊樹とともに

龍族の長で龍神イチキシマヒメ様も祀っておられます

この1枚は出雲教さんへ毎年伺う際に

御奉献させていただいたお酒のお返しにいただいた

お赤飯と御神酒を日御碕神社の海へお還し

し祝詞やを注ぎ貝をたてた後に写った1枚

出雲中の海を見たが波はなく諦めかけ

日御碕をまた散歩しながらゴミを拾うと

なんだか気のいい場所を、ほこらを見つけた

その海は荒磯!危ないな〜でもな〜

あの辺なら逃げれるかな?

帰れるかな〜

と観察し

そうだ!俺は太陽を波から撮るんだから

水が激しく動けばいいだけで

波なんかなくても

写るわけだろう

と夕暮れに入った

なんだかきの

白龍のような姿

旅はめぐる

それぞれの人生の経験と栄養を賜り

宇宙の海に生かされているだけ

海は生きていて見て聞いています

師匠の師匠ユージンスミスさんに見せたかった

ジャンクなスマフォなし

海が全て

一日中、黒い水中メガネと網を2つ持ち

魚を捕まえていた

アイナメやアサヒハゼなど岩のうえにいる魚が主で

ベラもうまく追い込むと捕まえ

食べた

山口の無人島で

スマフォのない正しい時間

周囲の音や景色を目と細胞に取り入れ

退屈な時間さえも退屈でない時間

1976年ごろ

頭でっかちや、過剰な情報もなく

全ては感覚と体験

今の子供達は失われている

大切な触覚

日本の明け方

冬の海は違った意味で

命がけ

ウェットスーツやキャップや手袋がないと数分で

危なくなる

海中で回転し動き回ると

水も入る

とにかく胸のあたりが冷たい

それでも魚は水温など関係なくぐんぐん泳いでいる

そりゃそうだ

水に生まれ、水で生涯生きる本物だから

日本の夕暮れ

昨年の冬にウェットスーツにヘッドキャップに手袋でも

水は入り、サーフィンと違い水中はとにかく冷えます

軽い低体温症で、気持ち悪くなり、頭も痛くなります

そうなったら早めに海から上がり

いきなり温泉は寒さで体に血液を回そうと開いていた血管が、急に細くなり危険ですが

寒い!温めたい!との思いに半分負けてます

海外の海ではこんな黒と光の写真は撮れず

最も明け方や夕暮れの沖の300mにいる時点で危険です

海流も変わり、海底は岩盤で波もさらに早く大きく、暗くて見えなくなると戻れず

多分お腹をしかしたサメもいます

そういった部分では日本はまだ安全です

太陽の角度や波の崩れるスピード

その速さとは、水素結合しては離反する水分子の事

塩や様々な分子も光に影響するのやら

わかる必要の

知る必要もない

海の美しさ

人間の目がよく出来すぎていて

明るいところと、暗い部分に光を与え

見えるようにする

実際にはこのような景色

泡は空中から落下した水が空間を巻き込んで

さらに浅瀬に引っ張った姿

引っ張る力はその水素結合力

目には見えないものを残すのが写真

目には見えないものに朧げに漂えるのが人

どんなことを言おうが人はちっぽけで

宇宙や海に寄生して寄り添うしかないのです

そうこうしているうちに

宇宙とは?風とは、樹々とは

風雨、波にさらされ

己を丸裸に見て

自然に、全てへ畏怖が生まれます

電気のネズミの国では永久に知り得ない

大切な宇宙の風を胸で観れることほど

幸せなことはありません

そこに仏様の仲間や教本やマニュアル本も大事ですが

とどのつまり、螺貝がなくても、錫杖がなくても

心根が本心であればいいわけです

呼応し溶け合うこと

Melt

天然

写真を自分のギャラリーに飾り

改めて見ると、様々な部分が目にとまり

不思議だな〜と

撮ったときは見ていまるが、カメラの窓を覗かず

水中で回転しながら、防水ケースのカメラについた

棒状のグリップについたシャッターを

手袋越しに、なんとなく角度をつけたりして押すだけ

きみの悪い念写とも違い

太陽と波が崩れながら、たまたま構図に入った瞬間

太陽と波は全く関係のない別なもので

ある場所も違う

強いて言えば、そこが作為かもしれない

狙ってないが

狙っている

見てないが、手の感覚でレンズの画角を感じながら

観て押す

何もそこでは考えていない0.02秒

たまたまの1枚

色も足したりしない

ありのままの天然

写真も魚も天然に限ります

2025

あけましておめでとうございます。

空には水の雲

水平線の下には空気の雲

水は自由自在

松岡正剛さんご逝去

1987 年 遊行の博物学に

侘び寂びとは何ですか?

秋に紅葉が落ちるその姿が

侘び寂び であると

そんなことが書いてあった

以来 1万冊を超える読書を

松岡さん流にドキュメンタリーに(批判はしないルール)

で書いていらした千夜千冊

大仏破壊(バーミャン)

神道の始まりや

白隠が宝暦の富士山の大噴火を目の当たりに

人生観に衝撃を受け、西行のように旅の僧になったこと

宮本武蔵

と様々手に取ることができた

読書は交際であり本は人なのだと

タバコの煙もくもくの中で先生は

本を読んでいらっしゃるのだろう

水は動いていない

目には見えない水の分子の詰まった海

動いているのは風

水は1mmもその位置から動かず

滑らかに風を受けているだけ

見えているものが正しいわけでもない

海底の砂も見えない風で波の形になる

緩やかに滑らかに自分の体を突き抜けて超えていった波動

間合い

間合い

拍子

動き迫る水や武道の敵との距離感

体術的なことと

心的なこと

目には見えない何かと何かを呼応させる

台本なし

波は小さくとも、とにかく入ること

頭で考えない

どうせファインダーは見ないんだから押すだけ

撮れる時は写り

写らない時は写らない

それだけ

写そうとするときな臭い1枚になる

台本のある映画や

後からいじるグラフィックな写真ではないから

これでいい

一時間水中にいたが

ウェットの首からわずかに水が入る

フードもかぶり、手袋もするが

寒い!

動き回るが寒い!

着替えてお茶を買うと

数日前、海から上がり

サーフショップのお兄さんとお婆さんがいたから

差し上げた

今日は車に戻ると、そのお婆さんが近づいてきた

この間お茶もらって、ない人なのに

お店の人の聞いたら、また来ると思うって、言うから

窓から毎日見ていたのよ

そうしたら車があって、戻ってきたから

これ、少しだけど甘い蜜柑どうぞ

わざわざごめんんなさいね。

いいのよ、気持ちには気持ち

それだけのことよ

かじかんだ手で宿へ帰り

暖かなみかんをむいた

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