羽黒山は昔のままの霊場が息づいている
苔むした階段を延々と登りながら、松尾芭蕉の足跡や
道を外れたおいなりさん
至ところに昔の方々が、何かを見て感じたままに神様の別荘を作った
人間の仕業の神社ではあるが、大昔
古事記は心からよむと祟ると言われたそうだ
そのものがマントラで霊力が高い場へ誘うとも
スマフォやおバカなテレビが氾濫し、月夜も月海も水に気づけばコケコッコー
昔は近所に鶏のオスがいて、朝になると鳴いていた
なんて事ない普通のことも
今や公園で飛び回る子供達の声や、祭りや運動会まで
マンションに越してきた住人が、利己的な文句を奏でると言う
タヒチにいたとき、海岸に立つバンガローは波音だけの
本当にすごい所だった
口を斬りながら食べる、焼きたて硬いフランスパンが毎朝出た
それはフランスの植民地の名残がタヒチの伝統的な食文化を破壊した
メディア的には溶け込んだといえばいいのだろが
ハワイもしかり
ハワイ料理は発酵したタロイモのポイや葉っぱで蒸した魚や肉や芋
パンケーキやベーコンサンドなどはアメリカ料理
ワイキキは王族の聖地ワイは水 キキは湧く
しかし今やタロ芋畑や泉を埋め立て、新宿の様なビルに
猫の額のカリフォルニアから運んだ砂を巻いた人工海岸がワイキキ
フィジーも海の崖に乗っていたから
波音で細胞から毛穴から触覚がきれいに整い音叉となり
周波数がその細胞や筋肉にまで届き
とにかくすごい浄化と調律の場だった
海から上がると、そこでカメラを掃除し
本を読み昼寝をし、たまに浅瀬に漁に来る村の仲良しと
話すのが楽しみだった
村人は自給自足
水は山から引いて、当時は発電機をみんなで買いガソリンで回し
夜の少しの時間だけ電気をつけた
男たちは山でタロ意味を作り
なぜか女性が朝から海に腰まで浸かり魚を釣っていた
流石に冷えるはずだが彼女たちは少し太っちょだったから
平気。僕はウェットをきても寒くて寒くて、よく風邪をひいたが
普段から薬は飲まないから、水飲んで食べて汗かいて寝て治す
宿は8棟だけ簡素な木の作り木とベッド、一応昼間はスタッフがいて
なんとそこに新潟のサーファー猿子さんがいた(マシコ)今は新発田でサーフショップを開く
本当によくしてくれて、沖まで300〜400ある波まで独りパドルアウトし
誰もいないリーフのレフトの惚れた波に突っ込んでいた
しょっちゅう足を珊瑚で切り
たくましい尊敬する男
そんな宿もお客が来ないから閉鎖してしまい行きすべがない
時は待ってくれないが
それも新しい時が待っている
振り返る情緒や経験や思い出や様々なもまれた波の感覚は
きっと今も、あの轟音や絶体絶命の沖で波に巻かれた泡の振動が
体や心なる不可思議な記憶装置に残り
今の写真や生き方に多分に影響を与え続けていると思う
世界でどこが好きって
僕が知っているのは第3ジェネレーションの90年代初頭のバリのウブド
フィジーのキングコング
タヒチのランギロア
グランドケイマンで食べたラザニア
ライフガードの資格をとったこれまた死ぬ思いをした
オーストラリアのバーレーヘッズとその横のナショナルパーク
なんて海外のことを並べながら
今は日本が好きでたまらない
これだけ数千年も至ところに神社や海がある国はない
そりゃ島国だが
アメリカも島国だがでかいだけえ同じ
そんな神社や目に見えぬ修行と、アイヌや沖縄の方々の様に
精霊や自然霊を敬い、修験者の様に万物には魂があり呼応している
という原初的な当時は当然だったことが今も絶滅しない国
また1000年前に砂鉄から、刀を手で焼いて叩いて磨いて
作った人の英知が既に完成されそれをいまだに、絶対的な制作方法を
いわば真似て継承している
こともすごいことです。
靖国神社で刀匠の晶平さんにお会いし
またその魔力に近い異空間と繋がる彼の時間と目が
そんなことを気づかせてくれました
羽黒山伏と羽黒にも忍者がいました
ある時拝んでいたら、羽黒三山神社で写真を撮っていいですか?と言われ
どうぞ
といった人は
羽黒山伏で極真空手の先生でした
羽黒には昔ものすごい数の宿坊がありました
それだけ信じんが深い時代が明治までありました
江戸時代まで白装束の行者さんがそれは沢山いたそうです
明治政府がある日から、せっかく物部さんの神様派へ政治的なネゴを悪用した蘇我さんが
余計なことに外国の新興宗教を広め戦争が起きました
が、本音はわかりませんが、表面的には神仏習合で時間が上手に溶け合わせたのに
神仏分離、廃仏毀釈で、昨日まで拝んでいた仏像を役人の手下が焼き払い破壊しました
いずれにしてもそれは悲しいことです
修験道の禁止、呪術、骨つぎの禁止
とにかく人が個性強く、自然やかみや海から、山から力を授かり
個性強くなると、言いなりにならない為困ったのでしょう。
神の力を増したかったのか?
天皇が天照の子孫になってしまったのもこの頃
天皇陛下は神?人じゃなかったんですか?論が出たのでしょうか?
羽黒山伏のある人はアレフの上祐さんと関係があり
なんと今は羽黒のやってない宿坊を仲介し売ってしまいました
大丈夫なのか?と村人にみなさんの心配
羽黒三山神社の斎館には昔、湯殿山でお会いした
権禰宜さんの仲良しの方がいます
そのかたは湯島天神(道真さんは実は土師氏の関係で出雲の大国主と関係があります)
学問の神様は後付けです。
そんな学問に効きます!とついつい
効能を表面化した湯島天神
やはり時代が変われば
仏教が来たときの様に衝撃が走るんですね
ある若いお母さんがお子さんと合格祈願に来たそうです
約1ヶ月後
そのお母さんは
すみませんといったかどうか知りませんが
「息子が受からなかったから
祈祷料返してください」といったそうです
やるな〜馬鹿だな〜
で?
どうしたの?
いや
返すはずないですよ
電話が来たから
それは違うと説明しなさいと
言いました
効能書きが、受け付けにあるの?
笑
効能と書いてないけど
ご利益と書いてあるかな
温泉じゃないものね
温泉だって掛け流しや、加温や塩素バリバリの循環式もある様に
入って温まるが、病気が急に治る訳ではないからですね
入る人やその時の気候、体調いろいろありますし
要は気の持ち様ですね
独りうみで泳いで写すこと、人の魂を写すこと
独り山や海で(同じもの)で祈る
独り忍や侍の供養をする
この三つが人生の全て
それぞれの、なんらかのお役目があり今にいます
宗教や仏教によりかかからず
他力本願はしない
自力で泳いで帰るが全て
宮本武蔵もルバング島で28年戦った小野田さんもおっしゃってました
「神仏は信じるが頼らない」
なる様になります.
一人旅へ
武道が人生(武道とは軸を知る全てに通じる精神性)
海も武道
日々の日常が武道
心の平静
覚悟一発!頭は捨てる
覚悟は瞬間
その瞬間は過去のもの
その瞬間には過去と少し先が写る
写真は嘘はつけない
海へじゃぼん