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写真に題名はつけない

昔は自然を国土と呼び
その昔は全てに名前はなかった
波という言葉も
魚に名前もない
後からきた人間が全て
勝手に名付けただけ
名前なんかなくて良いわけだ
人と都合の良い線を自然と名付けた明治政府
神仏を分離し、修験道や呪術を禁止した
統一できない見えない力の怖さを封印したとも
数千年にわたり
仏師が生み出した仏を、破壊し焼き払った
物部の復活でもなく
国の命令だ
仏教は輸入され
時々の時間と共に仏教者により造られ
方便と人の都合により塗り替えてきた
例えば 長男しか同じ墓に入れない
なぜだ?
スポーツとはなにか?
よくわからない不可解なルールは不自然
海で片手で沖の波にわざと向かい
波の中からまた自力で戻るのに
タイムなんて必要ない
枯山水は
元々は自然にあった各地の石を集めて、非自然な作業と
ありえない人工的配置でもって
自然ではありえない偽造をし
白砂を海に見立てながらも何となく
良い自然と宇宙の風を醸し出す
海に行けば良いのにと思うが
俯瞰したら不自然だが
見た人が宇宙を表していると誘導する装置なのか
日本人だけが読み取れるために生まれたやら
見てきた限り神社には枯山水の庭は記憶にない
玉置神社は白い玉砂利を敷いているが
あくまで社と自然の隙間に打ち寄せる白波のようだ
整地して土木工事をするそうした庭は
大徳寺など臨済宗や仏の関係
特に禅寺に多い気がする
瑞峯院さんは
キリシタンの片山右近さんの関係で
現代の作庭家金森さんの土木で
十字架を表す石組みが白砂にある
昔ながらの日本の木の建築と
美しく溶け合っていて
ディズニーランドではいけない
電気仕掛けの千葉なのに東京としょうするネズミの国も
富士山に作る計画もあった
浦安の漁民をお金で買い、代々続いた海との対話の稼業の漁師をやめさせ埋め立てた
全ては人間が引き起こしている
地球と宇宙には関係のないこと
着ぐるみと人工の設備で夢と転置し
お金を払って遊ぶより
海や山で遊んだ方が
計り知れない心や心身の浄化と再生
ひいては自然の大切さや怖さや生き方を知る
危機的な状況で反応できる
生きる術や
滝の水が海に注ぐ地球のリズム
海の満ち引き
月の満ち欠け
この摂理に沿っていくだけといずれ知り
大切にする心が残る
心残りのする景色
海から帰るとき
夕暮れの怖さと美しさに
子供の頃、いつも振り返った
またすぐきたいな
もう今日はおしまいだな
暗くなる前に戻ってよかったな
枯山水は
海と遠い場所で
遥か昔の記憶を持ち
生きているとまで言われる石からの
メッセージを読み取る場なのかもしれない
彼らは坐禅をひたすらする
から
江戸時代に石は生きていると言っていた学者も
ホピ族も同様
修験道の人々もなびきと名付け
独特な何かを感知した場を祀り祈る
自然と呼ぶ前からある
古来の人々の祈りばには何かがる
神社という目に付く聖域の
トーテムがなくてもよかったのだが
あった方がもちろん強い地球の雨風を凌ぎ
形があった方が感情移入させやすい
天照の着ぐるみを着た人がたでなくてよかった
神社は神様の別荘で礼的、霊的通信施設
何かしらの力を発揮し繋がりやすい場を
生むための方法であり
清められた星
星は数億年前の爆発した姿を
つまり太陽で光っているわけでもなく
今はないものを見ている
般若心経の世界
今になれば神社や寺と庭は
人間の破壊から免れるための
神や仏様の最後の結界で砦なのかもしれない
地球や海を破壊し尽くした今
この地球が現れてきてから
今日より明日、明日より明後日が最悪の状態
蒼くすくうと透明な海も
緑の山も川も滝も
過去の景色になりつつある
水やこの空気は地球にあり続け
全てを見て聞いている
鎌倉時代の夢窓疎石の瞑想坐禅した空気も細胞のかけらも
安倍晴明の祈りの言葉も今もただよい式神たちも存在している
海は生きている
間違えなく見て聞いている
光を見て
影を見る
影が先に在り
光はその少し後に現れる
光が影を海のではない
影が光に気づかせる
庭石の妙な凹凸や
配置で箱庭の宇宙を造った彼ら
今の僕たちとは比べものにならない
尊い、記憶や感覚を持っていた
砂鉄のたたら
刀の製法技術も
数千年まえから何も変わっていない
これ以上もこれ以下もない
不思議な日本をもっとよく観ることが
ビーチクリーンにつながる
廃棄された釣り糸や漁具やゴミを拾うことが
かめや鳥や鯨を守るだろうが
海を守るなんて
人間様の勘違い
海に即して
海に寄り添って生かされているだけ
政治も宗教もいらない世界
試し合いのルールと忖度の剣道ではなく
古武道のように
宇宙と自分に真剣に果し合いをすると
それこそ自然に気づくこと
ビーチクリーンなんかいらない
やってはいけないことや石油製品がない世界が昔はあり
人間の宗教とは
誰かが言った教えではなく
そうした国土から自然に身につき
思いやり、助け合い、ゴミなど捨てないわけだ
たてじまきんちゃくだい
なんて彼らにとって迷惑な名前も必要なかった
海は方丈
方丈も擬似的な海を漂う
海なのかもしれない
写真に題名はつけては行けない
ように
人間様の思惑を宇宙に押し付けてはいけないのです










