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パラオ1

パラオにキャンプとホームステーをしたのが
1983年
東急ハンズを五島さんから
相談され企画したのが当時マリアナフリースクールの校長
パタゴニアのイボンシュイナードと仲良しだった
お父さんが修験者の心の人、浜野安宏さん
浜野さんは当時フライフィッシングを毎日していた
マリアナ諸島は大東亜戦争の巻き添えになり
自然も破壊し人々も亡くなり
日本が迷惑をかけた
また故国に帰れず
戻れなかった日本人や若い兵隊さんは
日本のある北に向かい拝んでいた
だからミクロネシアに何らかのことが
できないかと、始まった浜野さんの体験スクール
自由に地元のなたで椰子の身を割り
海で泳ぎ、地元の方の家に数日お世話になる
迎えに来たのは
この人だ!と子供ながらに
直感でわかった
サングラスの太めのおじさんと子供
当時は島に1軒のガソリンスタンドを経営していた
30年後当時もらった名刺を見るとアンズダイビングとあった
あんず?杏?
家に着くと
ここは君たちの家だから
冷蔵庫の物も全て好きに開けて飲んでね
だいじょう?
おーけー?と
優しいアキオさんは
子供たちのベッドのある部屋も僕に貸してくれた
夜子供たちはソファーで寝ていて
悪かったなーと思い
僕の日本で彼らが来たら
こんなことを無条件の優しさでできるのか?
いい意味のおおらかで自由な
カルチャーショックを受けた
毎日船で海の好きなおじさんは
いろいろな島に連れて行ってくれた
別れ際に島には何もないけど
と大きなシャコガイをロープでくくりくれた
本当に嬉しく今も家にある
やがて数十年手紙のやり取りを2回だけしたまま
お互い連絡もせず
気になってパラオに行ってみた
タクシーの運転手に手紙の住所を見せると
僕の友達の家で
お父さんはパラオで有名な人で
ビッグチーフだよ
何で知り合いなの?よ聞かれた
これも後でわかったが
パラオは古いしきたりと
チーフの家があり、ダイビングショップや様々
開くには地元のそうした地主の名義がいて
おじさんは警察署長もしていたらしい
いきなりドアに前に立っていたおじさんは
驚くわけでもなく
お!ー来たか!
よしよし
いつまでいるんだ?
家族は?お父さんお母さんはもきたのか?
一人か!
まー入りなさい
ご飯食べたか
ご飯と伊勢海老とサラダしかないが
食べなさい
とときを超えた優しさで迎えてくれた
その後も何回かパラオに行き
またアキオさんも日本にジャイカの関係できて
うちでご飯を食べた
1999年バリ島へ行く
飛行機の中で渋谷のエスニック雑貨
今もあるコジコジのこうじ君がいた!
うわ!
何でいるの?
お ーびっくりしたなー
仕入れ
ウブドへ!
お前もいく?
行く!
そこで一緒に連れて行ってもらった工場で帰り際
思い立ち、時間がないけどと
日本でカメラマンの営業をしようと思い
工場で100個バナナの皮のフレームのものを
作ってもらい、時間がないからと
彼が空港まで持ってきてくれた
そしてたまたまいた
虎ノ門の花屋さんに恐る恐る飛び込むと
いきなりいいセンスだなーと5個買ってくれた
調子に乗り向かいの大きな文具屋さんへ行くと
年配ダンディーなスーツの社長さんがいらして
いいねー
かってくれますか?
でもこのセンスはうちでは買えないよ
虎ノ門はおじさんの街だからね
デッドストックになっちゃう
君ね青山へ行きなさい!
あおやま?
行ったことがないが、おしゃれなビルの青山スパイラルと言葉がおり
1970年の黄色のポルシェ914−6でバタバタと向かった
写真たて売り場があるのかもわからず
とりあえず2階へ行くと
あるではないか!美しいセンスある雑貨や陶磁器や文具など
洗練されていた
恐る恐る
インドネシアの100年前のイカットに来るんだ写真たてをカウンターに広げ
すみませんがカメラマンですが
僕の写真の入ったこの写真たてを
売ってくれませんか?
若い店員さんは
えーと
担当が休みなんですがどうします?
帰ろうかと思ったが
一応よろしければ
お預けして、見ていただけますか?
と言うと
わかりましたと
預かってくれた
数日後
電話があり
聞けばマーケティングの方
もっと写真を見たいとのこと
またお持ちし
帰ると
電話がきた
うちで写真展しませんか?
?
写真たては?
写真たては今回はいいです
実はずーっと写真家さんを探していたけど
ピンとこなくて
キョーバシさんの写真
ピンと来ました!
笑
そして99年の最後にいろいろな作家さんから
スパイラルカらのクリエーターズギフトとして合同展であったが
写真家として2階の入り口の空間を好きにして!ください!
と初めて写真展ができた
ようやくここでパラオに戻る
1ヶ月展示をし、たくさんのかたがコメントをくれた
スパイラル始まって以来初めてだという
すると次の展示がラスチカスという外国人が来るレストランで決まった
数日後青山通りを歩いていると
パラオのアキオさんが死んだ!と感じた
急に糸が切れた
見えないエネルギーの線がプッツリ!
翌朝初めて
名刺の家に電話をした
アリー(もしもし)
ママが出た
あのさ
俺ですけどアキオさんしんじゃった?
うん
死んじゃったのよ
わかったのかい?
うん
突然頭の病気
脳溢血
・・・・・
悲しいけど
仕方ないのよ
悲しけど
ね
あなたは、家族は元気なの?
うん
ママ
僕すぐ行くね
いいのよ
もう死んじゃったから
急がないでいいのよ
仕事もあるでしょ
いつでも来て
いつでもいいのよ
来年でもいつでも
私たちはファミリーだからね
心配しないで
いい時に来たらアキオが喜ぶから
うん
また来てね
そして飛行機を予約したがその日は9.12
やはり昨夜のテロで飛ばなくなり
電話した
ママ
ビンラディンのせいで飛行機飛ばないって
ごめん
何が
ビンラディン?って何?
いいのよ
いつでも来なさい
ファミリーだから心配ないのよ
じゃあね
ガチャ
よくとしパラオへ行くと空港に
息子のパトリック
来てくれたね兄ちゃん
うん
悲しいな
墓へまず連れて行ってくれよ
旧日本軍、海軍墓地の同じ場所に眠っていた
家に行くと
ママがいた
ありがとう
ありがと
これね
ミキのパラオの携帯ね
車はあれね
そしてもう一回今から
一人で墓に行ってくる
で
涙ながらに
ろくな写真も撮れずに
親父さんに見せれず
ごめんね
会いにくればよかったのに
忙しさにかまけて、1年来なかった
あーやっちゃった・・・
あえないのか・・・もう
あの笑顔と
後悔しかない
あのね
命がけで写真を撮りにきます!
戦場!
湾岸戦争?
でもナショジオのような写真
ドキュメンタリーだけど
戦場は他力で人の血でパパラッチは違うかな
うーん・・・・・
海だ!
やっぱり海の死ぬ場所!
波の中!
波は危ない!
何だかわからないが波の中へ裸で行きます!
と言葉がどこからともなく来た
そして波の中へ向かった訳です。
長くてすみません。












